7日目 ~おわるせかい~④




 優しい夜が、那乃夏島をそっと抱きしめる。



 花畑のど真ん中で寝転がり、俺は満点の星空を眺めていた。俺のすぐ傍らでは、衣留がずうずうしくも俺の右腕を枕に、同じように寝転がっている。


 花畑にいるのは、衣留と俺の二人だけだった。



 昼間の遊び疲れのせいか、子供たちはすでに夢の中へと旅立ち、ミズミカミさまはそんな子供たちを寝かしつけに行った。きっと今頃、慈愛に満ちた表情で子守歌を歌いながら、子供たちの魂をポンポンと撫でていることだろう。スミレさんは最後の最後まで誰かのために働き続けると言ってホームセンター『ノノムラ』に戻り、ルゥちゃんは全ての誰かさんの頭上を飛ぶべく空へと還っていった。


 残ったのは、俺たち二人だけ。


「なんだか、世界を二人占めしてるみたいですね?」


 衣留の言うとおり、世界は静かだった。


 ときおり吹く風が、俺たちの前髪と花たちをさらさらと撫でてゆく。瞬く星たちは俺たちを冷やかすでもなく、ただ無言で見つめてくれていた。



「……世界、終わっちゃうんですよね?」

「ああ」

「……私たちも、ですか?」

「当然、終わりだろうな」




 世界は終わる。


 俺たちも終わる。


 それは神様の決めた、絶対に変えられないこと。




「私、世界の終わりってもっと騒がしいと思ってたんですよね……」



 俺の腕にすーりすーりとほっぺたを擦りつけながら、衣留はクスクスと笑った。


「みんな泣き叫んで、地面とか空がグラグラと揺れて、バイクに乗ったモヒカンの人たちが暴れ回って……きっとそうやって世界は終わるんだって、私、思ってたんです。でも、全然ハズレだったんですね」

「ああ、大ハズレだな」


 世界の終わりは、何も特別なことではないのだ。


 きっとお日様がフツーに昇って沈むように、世界もフツーに終わってゆく。


 そういうものなのだろう。



「たぶんだけどな」



 俺は星空に手の平を向けると、指の隙間を通して世界をじっと眺めた。


 那乃夏島という、ほんの少しだけ不思議で、しかし元の世界と何ら変わらないフツーの世界を。


「世界が終わるなんてのは、フツーのことなんだと思うぞ。俺たちがフツーに生きて、フツーに死ぬのと同じで、世界もフツーに終わっていくんだ」

「フツー、ですか?」

「ああ、フツーだ。別に那乃夏島が特別なんかじゃない。みんな、フツーのことなんだ」


 もっとも俺たちは、そんな『普通のこと』を忘れてしまっていたのだが。


「なあ、衣留……俺、ずっと考えてたんだ。どうして神様は、こんな事をしようとしたのかって」





 ――なぜ意地悪な神様は、世界を終わらせようとしたのか?

 ――なぜ優しい神様は、那乃夏島を創ったのか?

 ――神様たちは、俺たち人間に何をさせようとしていたのか?





 その答えと、俺はようやく出会えた気がした。


「きっと優しい神様も意地悪な神様も、俺たちに『普通のこと』を思い出して欲しいと思ったんだ。あんまりにも普通すぎて、俺たちが忘れてしまっていた『普通に大切なこと』を」




 命の時間は、限りあるものであるということ。




 それを思い出して欲しくて、神様たちは世界を終わらせることにしたのだと俺は思う。自分たちが『普通に死ぬ』ことを思い出せば、『普通に生きている』ことがいかに素敵で、いかに輝かしいことなのか、きっと思い出してくれると思って。



 しかし一年で終わる世界の人たちは、そのことを忘れたままのようだった。



 たぶんだが、一年では長すぎたのだろう。



 もちろん、中には自分の命があと少しで終わることを理解して、一日一日を大切に生きようと思った人もいるとは思う。


 しかしほとんどの人は終わりから目を背け、あるいは忘却の海の中に重しをつけてどんぶらこと沈め、これまで通りの退屈な日々を送っていた。


 自分は生きている……そのことさえも忘れて。


 だからこそ、優しい神様は那乃夏島を創ったのだろう。七日という、一粒くらいの時間しかない世界を。


 しかしその一粒は、俺にとって宝石以上に価値のある一粒だった。



「俺はさ、良かったと思ってる。那乃夏島っていう優しい世界に来れたことを」

「……もうすぐ、みんな終わっちゃうとしてもですか?」



 上体を起こし、衣留は俺の顔をのぞき込む。

 衣留の瞳は、夜風に吹かれた花びらのように揺れていた。


「店長も、私も、世界も……みんな終わっちゃとしても、店長はこの世界に来て良かったと思うんですか?」

「当然だろ」


 もちろん、俺だって終わることに対する不安や恐怖はある。

 けれど、それ以上に大切なことを、俺はもうすでに思い出していた。


「俺は後悔してない。だって……」


 伸ばした手を衣留の背中に回すと、そのまま自分の方に抱き寄せた。生きているぬくもりを、身体全体で受け止める。


 衣留は温かかった。



「星野衣留っていう、世界で一番素敵な女の子と出会えたんだからな」

「店長……草弥さん……」



 衣留の瞳から、キラキラとした涙がこぼれる。

 それはまさに『命の雫』だった。


「私も、です……」


 泣き笑いを浮かべながら、衣留は言った。


「私も……草弥さんに会えて……よかったです……」

「ああ……わかってる……」


 俺はギューッと衣留を抱きしめた。衣留の涙が、まるで大地を潤す恵みの雨のように、俺の胸をぬらしてゆく。


 しばらくして、衣留が涙声で呟いた。



「終わり……なんですよね……」

「ああ……」

「終わりたくなくても……終わらなくちゃいけないんですよね……」

「俺たちは、今、生きているからな……」






 普通のこと。


 普通に大切なこと。







 ――今、生きている。








 それが、俺の見付けた答えだった。




「草弥さん……」


 衣留は涙声で、しかしはっきりと言った。








「大好きです。私は、草弥さんが大好きです」


「俺もだ。俺も、衣留が大好きだ」








 胸の中の時計が、ゆっくりと時を刻んでゆく。



 世界の終わりがどんなものなのか、神ではない俺では全く分からない。苦しいのか、眩しいのか、それともくすぐったいのか……全然分からない。後どれだけ俺たちが生きていられるのかすら、まったくもってさっぱりだ。



 しかし一つだけ、俺にも分かることがあった。




 俺たちは満面の笑みを浮かべながら、泉の方に顔を向けた。泉の側に植え替えられた、世界で一番綺麗だという花を見つめる。




 きっと、イノチノシズクは美しく咲き続けるのだろう。





 命が終わる、その瞬間まで。












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