6日目 ~さきゆくつぼみ~③



 お花屋さんになりたがっていた病弱な少女が、この病室でひっそりと咲き始めたのは、ずいぶんと昔のことだったと衣留は途切れ途切れに語った。


「昔は、色んな人がお見舞いに来てくれたんです……でも私が悪くなればなるほど、だんだんみんな来なくなりました……」


 詳しい病名なんかは衣留自身も知らないらしいが、とにかく衣留の身体は重い病に侵されているらしく、病気と薬の副作用によってこんなにまでやせ細ってしまったらしい。


「みんな、私を見るのが辛かったんです……枯れていく私を見るのが苦しくて……でも私は、それでも誰かに見て欲しかったんです……一人ぼっちは嫌だったんです……」

「衣留……」



 俺は衣留の手を握る腕に力を込めた。


 衣留は続ける。



「実は私、ずっと前から店長のことを知ってたんですよ……」


 え?


「そう、なのか?」

「はい……。もちろん、店長は知らなかったと思いますよ……だって、お花の配達に来る店長を窓から眺めていただけでしたから……」


 そこで衣留は、イノチノシズクの隣にある枯れた花束を見た。


「私、ずっとずっと昔からお花屋さんになりたかったんです……私が見てきたのは、寂しくて冷たい病室の壁ばっかりで……そんな中で、唯一キレイだったのが、お見舞いにもらった花だったんです……いつかは絶対に枯れちゃうけど、それでもキレイに咲いている花……そんな花を育てるお花屋さんになりたいなって、いつも思ってたんです……」


 衣留は強ばった顔を動かし、恥ずかしそうに笑うと、


「だから、お花を届けに来た店長を見る度に……目で追いかけてて……始めはお花を追いかけてたんですよ……でも、いつの間にか店長のことも目で追いかけてて……あんな風に、私もお花屋さんになりたいなって……あんな人と一緒に、お花屋さんで働きたいなって……そんなことを思って……私、これでも夢いっぱいの乙女だったんですよ……ずっとずっと夢を叶えたくて、でも叶えられなくて……」


 そこで衣留は、俺の方に顔を向けた。


「だから私は、那乃夏島に行こうと思ったんです……七日で終わる、少し不思議な世界に……」

「あそこは、願えば叶う世界だからな」

「ちょっと違いますよ、店長……」


 衣留はくすりと笑った。


「この世界だって、本当は願えば叶う世界なんですよ……だって私の願い、叶っちゃいましたから……」

「願い?」

「はい……店長にもう一度会いたいっていう、ささやかな願いです……」

「……っ!」


 ヤバイ。俺、また泣きそうだ。


「……お前にしてみればささやかでも、俺にとっては重労働だったんだが」


 気づかれぬように目元を拭い、努めて明るくそう言う。

 しかし衣留は全て分かっているとでも言うように、


「おつかれさまです、店長」

「……まったくだ」


 俺は椅子に座りながら、ぐでりんと衣留のベッドの隅に頭を乗っけた。


 俺の頭を、衣留がいい子いい子する。




 それから俺たちは、何時間も何時間も話をした。


 実にくだらない話題や、ドキリとさせられるような話題や、しんみりする話題など、どちらかと言えば長年連れ添った夫婦のように語り合った。これまで避けていた話題も含めて、全てを打ち明け、話し合った。


 気がついたときには、窓の外は真っ暗になっていた。






     ※






「ごめんなさい……店長……」


 消灯確認に来た看護師さんをベッドの下に隠れてやり過ごしたところで、ふいに衣留が小さな声で謝ってきた。



「お店や、星見山の花のことです。店長やミズミカミさまが大切にしていたのに……」

「…………」

「私、うらやましかったんです。キレイに咲いている花が……」



 目尻に涙を浮かべる衣留。



「たぶん、私の命はずっと前から枯れちゃってたんです……もしかしたら、今こうして店長と話が出来ていること自体、奇跡なのかもしれません。私っていう花は、もう枯れちゃってるんです……」



 衣留はそこでわずかに咳き込んだ。

 俺はふいに悟る。こうしている間にも、衣留の命は枯れ続けているに違いない、と。


 しかし衣留は、言葉を紡ぐことを止めようとはしなかった。



「私、神様にお願いしたんです。七日だけでもいいから、願いを叶えて欲しいって……健康的な身体になって、素敵な旦那様と一緒にお花屋さんで働いて、キレイなお花をいっぱい育てて……たったの……たったの七日間だけでいいからって、お願いしたんです……」



 衣留はかすれた声で続ける。


「でも、七日間だけでいいと思ってたのに、七日間だけじゃ嫌だったんです……もっとずっと、あの優しい世界にいたいって……ずっとずっと店長と、草弥さんと一緒に居たいって……そう思っちゃって……私、ほんとは有能なんかじゃないんです……バカなんです……お花なんて図鑑くらいでしか見たことないのに、物知り顔して……」



 そこで衣留は、花瓶に生けられた花束を見つめた。



「その花束だって……自分で、自分の退院祝いに頼んで……本当は退院なんかしてないのに……退院した気になって……バカなんです、よね……だって私はもう枯れちゃってるのに……それをずっと見ないふりしてたんですから……」



 枯れた衣留の目から、ポロポロと涙が零れる。



「罰、なんですよね……八つ当たりでお花さんたち、踏みつぶしちゃったから……もっともっと店長と一緒にいたいなんて、わがままなこと思っちゃったから……だから神様に、こっちの世界に戻されちゃったんです……ほんと、バカですよね……」



 ケホッ! と衣留が咳き込む。

 口の端からどす黒いナニカが流れた。



「お、おい! 衣留! お前!」


 俺は思わずナースコールを押そうとした。

 しかしそれを衣留の手がとどめた。



「いいんです、店長……罰、なんです……から……」


「衣留……」


「それにやっぱり、神様は優しかったんです……だって最後に……店長と会わせてくれたんですから……この世界にいるのは、意地悪な神様かもしれないけど……でも意地悪な神様も、やっぱりすごく優しい神様だったんですよ……だって、店長に会わせてくれて……一緒にいさせてくれて……でも私は……もっと一緒に居たくて……」



 衣留の声が、悲痛なものに変わってゆく。



「あ、あれ……おかしいです……一緒に居られて嬉しいのに……店長、私、おかしいんですよ……もう良いって思ったはずなのに……でも……もっと一緒に居たいって思っちゃって……枯れた私なんかが思っちゃダメなはずなのに……思っちゃって……」



 涙を流しながら、いよいよ衣留は叫んだ。



「一緒に、もっと一緒に居たいのに……なんで……なんでぇ……嫌ぁ……私、嫌です……このまま終わりたくなんてない……終わりたくなんてないのに……なんでなのぉ……」


「衣留!」



 俺は衣留の身体を精一杯抱きしめた。


 それしか出来なかった。



 衣留は必死に虚空に手を伸ばし、懇願の声を上げた。




「神様ッ! 神様ぁッ!」




 衣留は泣き叫ぶ。



「お願いです、神様! もうわがまま言いません……ウソもつきません……だから、だからお願いです! 草弥さんと……大好きなこの人と、もっと一緒に居させてください……お願いです、神様ぁッ!」



 衣留は泣きながら願っていた。


 この世界のどこかにいるであろう、心優しい神様に向かって。




「お願いします、神様! 私、終わりたくなんてない……終わりたくないんです! もっと草弥さんと一緒に居たいんです! 一緒にご飯食べて……お花の世話して……ケンカして、でも仲直りして……私、もっと一緒に居たいんです……私、もっと生きていたいんです……神さま、お願いで、す……おねが、いです…………おねが…………」




 衣留の声が、そこでぷっつりと途切れた。虚空に伸ばされていた手がパタリと落ちる。


 抱きしめていた俺には、衣留の中でチクタクと時を刻んでいた心臓の動きが、ゆっくりとなっていくのが分かった。



「……おい、衣留……うそだろ」



 俺は衣留を揺さぶった。



「起きろって……ほら……」



 何度も何度も揺さぶるが、衣留は目を覚まさない。


 鼓動がさらにゆっくりになってゆく。


「衣留!」



 俺は叫ぶ。

 そのときだった。



「……や……さん」



 衣留の指がわずかに動く。


 ゆっくりと伸ばされた衣留の人差し指が、俺の背後を指さしていた。




「…………あ、れ……見てくだ、さい」

「……」



 俺は肩越しに振り返り、目を見開いた。



 テーブルの上に置いてあったイノチノシズクのつぼみが、今まさに花開こうとしていた。



 呆然とする俺とぐったりする衣留を前に、イノチノシズクが花を咲かせてゆく。




 その命を見せ付けるように。



 まるで俺たちを見守るかのように。




 花びらが開くにつれ、徐々に俺たちの周りが明るくなってゆく。



 それはまさに命の輝きだった。



 ひとしずくの命がもたらす、眩い光。



 その熱く暖かな光に俺たちは身をゆだね、そして……




 ………………




 …………









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