7日目 ~おわるせかい~①
「グッド良い朝! ニャんと今は七日目の朝の九時ぐらい~ッ! 世界が終わるまで、ミーの勘によれば、たぶん十五時間そこそこくらいだニャ!」
「――ッ!」
世界そのものを揺さぶるような強烈なダミ声に、俺は強引に夢の中から引っ張り出された。
初めて地上の世界に出てきたモグラのように、キョロキョロと周囲を見渡す。
果たしてそこは、古くさいボンネットバスの車内だった。ガタゴトという揺れが、俺を揺りかごにのっているような気にさせた。
「ようやく起きただニャね、草弥ニャン」
「……」
聞き覚えのありまくるダミ声の発生源に、俺は目を向ける。
バスの運転席。やたら様になった様子でハンドルを握っていたのは、なんと時々丸だった。
今までよく事故らなかったな、このバス。
「失礼ニャね。これでもミーは無事故・無違反・無免許だニャよ」
「おい、ちょっと待て。最後のは明らかにヤバイだろう」
「細かいことは気にしちゃだめニャ」
時々丸はニマニマした笑みを浮かべながら肩越しに振り返ると、
「それよりあんまり騒ぐと、可愛いレイディが起きちゃうだニャよ」
「へ?」
時々丸に言われ、俺はようやく自分の隣で一人の女の子が眠っていることに気付いた。
さらさらの髪を伸ばし、白いワンピースの上に俺のパーカーを羽織った女の子。
くぅすぅと可愛らしい寝息をたてていたのは、紛れもなく衣留だった。
「衣留!」
俺は思わず衣留の華奢な身体を抱きしめた。
彼女の心臓は、休まずしっかり動いていた。
「ふぁ……あれ、店長……?」
衣留の瞼が、ゆっくりと開かれる。
衣留はぼんやりと周囲を見渡しながら、
「ここは……?」
「どうやら、那乃夏島に戻ってきたみたいだぞ」
「那乃夏島って……じゃあ……」
衣留は恐る恐る自分の手を見た。
ほっそりとした、しかし健康的な手だった。
「私……戻って来たんですね……」
「ああ……一緒にな……」
もう離れないとばかりに、俺たちは互いを抱きしめあう。
しばらくしたところで、時々丸がふて腐れたようにこう言い放った。
「二人とも、一番の英雄であるミーを蔑ろにするなんて酷いニャ。いったい誰のおかげで那乃夏島に戻って来られたと思ってるだニャ」
「誰って……」
もしかして、お前なのか?
「そうだニャよ」
軽快にハンドルを切る時々丸。
「二人とも、ミーに感謝するニャよ。大切な懐中時計を質に入れてまで、このバスをレンタルして迎えに行ってあげたニャからね」
「………は?」
質入れ?
「懐中時計を質入れしたって……」
俺と衣留は運転先まで歩いてゆくと、時々丸の胸元をのぞき込んだ。
チクタクと時を刻んでいたはずの懐中時計は、そこに無かった。
「じゃあ、本当にお前が?」
「当然だニャ。それとも疑ってるだニャ?」
「いや、そういうわけじゃ……でも、よかったのか、時々丸? あの時計、大切なものなんだろ?」
「大切は大切だニャけど、でも必要ないと言えば必要ないニャ」
時々丸は毛むくじゃらの顔をくしゃりと歪め、ウニャウニャと笑った。
「時計なんて、時々見るくらいでちょうどいいのニャ。それに時計がなくたって、ミーも、草弥ニャンも、衣留ニャンも、みんなもう一つの時計を持ってるだニャ」
「もう一つの時計?」
「これだニャ」
時々丸は片手運転をしながら、あいた方の肉球で自分の胸と、俺の胸と、衣留の胸を、順にポンポンポンと叩いた。
「耳を澄ませるだニャよ、二人とも。きっと聞こえるはずだニャ。終わりにむかってチクタクチクタクと動き続ける、ちょーっと不規則で、でも働き者の時計の音が」
俺と衣留は自分の胸に手を、耳を澄ませた。
ドキドキという鼓動の音が、この時ばかりは「チクタク、チクタク」と鳴っているように聞こえた。
なるほど、確かに働き者の時計だな。
「ミーたちはみんな、自分たちの中に自分だけの時計を持ってるだニャ。最後の最後まで動き続けてくれる、とーってもステキな時計を。だから、二つ目の時計なんて別に必要ナッシングだニャ!」
「そうかもな」
「ですね」
俺と衣留は顔を見合わせ、くすりと笑う。
ひとしきり笑ったところで、ふと俺は、時々丸が自分の肉球をムニムニと握ったり開いたりしていることに気付いた。
何してるんだ、こいつ?
「う~む、しかしやっぱり衣留ニャンは隠れ巨乳だったニャね」
「……エロ猫め」
とりあえず俺は時々丸のヒゲを握りしめると、溢れる感謝の気持ちを込めてギューッと引っ張ってやった。
※
「酷いニャ。ミーのダンディーなおひげが曲がっちゃっただニャ」
曲がってしまったヒゲを撫で撫でしながら、時々丸はアクセルを踏み込んだ。心持ち荒い運転になっているのは、ヒゲのセットを崩された腹いせだろうか。
さすがにやりすぎたかと思わないでもないが、しかし無断で女の子の胸を触ったのだ。痴漢の現行犯で警察に突き出されなかっただけマシと思ってもらいたい。
俺と衣留を乗せたボンネットバスが走っていたのは、海辺の道路だった。
本日の天気は一〇〇点満点の快晴で、サンサンと輝く太陽さんに照らされ、海がキラキラと輝いている。全開に開けた窓から飛び込んでくる海風は少しだけ塩辛かったが、しかし俺は、その塩辛さこそが生きている証なのだと思った。
なぜなら、血も、汗も、涙も、みんな塩辛いのだから。
「店長!」
衣留がふいに窓の外を指さした。
「あれ見てください」
「ルゥちゃん?」
衣留に促され、俺は窓から身を乗り出した。バスと並ぶように、ピンク色のクジラが空を飛んでいた。
気づいてくれたことが嬉しいのか、ピンククジラはその場でクルリとロールした。
「るぅ~るぅ~るるるぅ~!」
るぅるぅと鳴きながら、ルゥちゃんはぱたぱたと胸びれを動かす。
始めは手を振っているのかと思った俺だが、しかしすぐにそうではないことに気付いた。
あの動きは……拍手?
「ステータスモニターを出せってことか?」
俺はすぐさま、パン、パン! と柏手を打ち、ステータスモニターを出現させた。
ルゥちゃん情報の欄には、こう記されていた。
○ ルゥちゃん情報……こうご期待!
「ご期待?」
「るるるぅ!」
ルゥちゃんは高らかに一声鳴くと、一気にスピードアップした。ときおり曲芸飛行を見せながら、天高く昇ってゆく。
そして数十秒後、ルゥちゃんの身体がブルリと震えたかと思った次の瞬間――
「るぅぅぅぅううぅぅぅぅ!」
ルゥちゃんの頭のてっぺんから、シュパア! と物凄い勢いで潮が噴き出された。
「うわお」
「ふわあぁ、すごいです」
俺も衣留も感嘆の声を漏らした。
ルゥちゃんが大空に描き出したのは、巨大な虹だった。七色のアーチが、まるで俺たちを歓迎するように架かっている。
ルゥちゃんからのとんだサプライズだった。
「ニャフフ、サプライズはこれだけじゃないニャよ」
ニマニマと笑う時々丸。
「なに?」
「本当のサプライズはこれからだニャ」
チクタク猫の運転で、ボンネットバスは那乃夏島をひた走る。
海辺を逸れたバスは、那乃夏島の中心部に向かっていた。ノキナミ商店街やホームセンター『ノノムラ』、そして俺の店『ルンランリンレン』を通り過ぎ、まもなく現れた巨大な鳥居をくぐり抜ける。
ここまでくれば、バスの終点を想像するのは簡単だった。
「店長……」
ふと衣留が、俺の手をぎゅっと握りしめてきた。
衣留の瞳は、心の底からの罪悪感に揺れていた。花を踏みつぶしてしまったことを後悔しているのだろう。目尻には涙まで浮かんでいる。
しかし衣留の涙を見ても、俺の心までが揺れ動くことはなかった。
何となくだが、俺には大丈夫だという確信があった。なぜと聞かれると上手く答えられないが、しかし山道に居たはずのお地蔵様が全員いなくなっていたことから、たぶん大丈夫だと判断する。
ブロロロ……ブスン、と音を立て、ついにバスが停車した。
「到着だニャ。さあさあ、降りるだニャよ」
時々丸が、俺たちに下車を促す。
俺は震える衣留の手を引き、バスから大地へと降り立った。顔を上げ、泉の方を見つめる。
やっぱりな、と俺は思った。
「衣留、見てみろよ」
「…………」
うつむいていた顔を、そろそろと上げる衣留。
その目から涙が溢れるまで、十秒もかからなかった。
「……あ」
口もとに手を当て、衣留は真珠のような涙をポロリンポロリンとこぼした。悲しい涙ではない。感情が高ぶったことによる感動の涙だ。
俺たちの目の前に広がっていたのは、一面の花畑だった。
泉をグルリと取り囲むようにして、カラフルな花柄の絨毯が敷き詰められていた。
「ねえ、店長……」
衣留は頬をびっしょりとぬらしながら、
「誰が、ここを天国に変えてくれたんですかね?」
「その答えはきっと、女神さまが教えてくれるさ」
花畑の中から、泥だらけの巫女服を纏った女神さまが、バッ! と現れる。
いつも通りの眠そうな表情で、しかし誇らしげに両腕を大きく広げながら、ミズミカミさまはこうおっしゃった。
「……どう……驚いた?」
俺と衣留は一にも二にもなく頷く。
ミズミカミさまは満足そうに笑うと、
「だって……みんな……」
次の瞬間、シュバッ! と花たちの合間から飛び出してきたのは、たくさんの光の玉だった。
一斉にパチンとはじける。
満面の笑みを浮かべた半透明の子供達が、そこに立っていた。
「みんな……がんばった……」
ミズミカミさまは優しげに微笑した。
「みんな、がんばった……二人のためにいっぱいのお花を植えようって……がんばった二人をお花で迎えようって……だから、みんなみんな、がんばった……」
「そういうことだよ、お兄ちゃん! お姉ちゃん!」
俺たちの方にふよふよと飛んできた光の玉がパチンとはじけたかと思うと、一人の女の子の姿になった。四日目に俺たちを手伝ってくれた、あの女の子だ。
女の子は衣留に向かって、そっと手を伸ばした。
「ねえ、お姉ちゃん、覚えてる? 泣いてたわたしに、お姉ちゃんがなんて言ったか。泣いていたわたしたちに、お姉ちゃんが何を教えてくれたか」
やんちゃそうな男の子が、おとなしそうな女の子が、泥だらけになった手を伸ばしてくる。
気がつけば全ての子供たちが、衣留に向かって手を伸ばしていた。
その半透明な手は、しかし、生きている人間以上にあったかそうだった。
「お姉ちゃんが、わたしたちにこう教えてくれたんだよ。濡れたものは、まとめて乾かせばいい、って。――そうだよね、みんな?」
満開の花のように笑いながら、子供達は一斉に頷く。
もはやそこに、生まれてこれなかったことに対する悲しみはなかった。
「だからね、お姉ちゃん。乾かせば良いんだよ。濡れちゃったお目々も、濡れちゃった心も、全部まとめて乾かせばいいの。――だって!」
かつて衣留がそうしたように、子供たちが一斉にその手を空に伸ばした。
「今日は、こんなにも良い天気なんだからね!」
「あは……私……一本、取られちゃいました……」
顔を涙でくしゃくしゃにしながら、衣留は満面の笑みを浮かべた。
とても綺麗な笑顔だった。
「さあ、行くよ、お姉ちゃん! 植えなきゃいけないお花、まだまだいっぱいあるんだからね!」
「れっつ……ごう……」
「は、はい!」
女の子とミズミカミさまに手を引かれ、花畑へと向かう衣留。
俺もその後に続こうとしたが、しかしその矢先、俺は時々丸に呼び止められた。
「そうそう、忘れるとこだったニャ」
時々丸は運転席の下からあるものを取り出すと、俺に向かって放り投げた。
真っ赤なそれを見て、俺は目を見開く。
時々丸が放り投げたのは、花屋ルンランリンレンの店員用エプロンだった。
「草弥ニャンと衣留ニャンの分、二着だニャ」
八重歯をニュッと除かせ、時々丸は得意げに笑った。
「それがないと締まらないんじゃないかニャ?」
「……そうだな」
俺は苦笑する。衣留ではないが、一本取られるとはこのことだった。
「サンキューな、時々丸」
「どういたしましてだニャ」
シュタッ! と手を挙げ、時々丸は心底楽しげに言った。
「それじゃニャね、草弥ニャン。残り時間なんて無粋なことは言わないニャ。胸の中にある時計が終わりを刻むその瞬間まで、しっかり楽しむといいニャよ」
ブスブス……ブロロロロ、とバスが再び走り出す。
少しエロくて、しかしとても優しい時間の神さまに深々と頭を下げると、俺はエプロンを手に衣留たちのほうへ走っていった。
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