6日目 ~さきゆくつぼみ~②
雨に打たれながら、俺は呆然と立ちつくしていた。
「ここは……」
俺は一瞬、自分がどこに居るのか分からなかった。目の前にあるのは自宅である花屋『ルンランリンレン』なのだが、店舗の中に花が一つも無かったり、両隣が空き家になっていたりと、細部が異なっていた。
「元の世界に戻ってきたのか?」
俺は持っていた鍵を使い、店舗の中に足を踏み入れた。レジカウンターの脇に真っ赤なエプロンが忘れ去られたように置かれている。エプロンは一着だけで、そこに衣留の存在の残り香を見付けることは出来なかった。
「全部夢だったとか……そんなオチじゃないよな……」
そこでふと俺は、陳列棚に一つだけぽつんと置かれている鉢を見付けた。
イノチノシズクの鉢植えだった。
どうやら、夢オチじゃあないみたいだな。
「なんつーか、なんでお前がここにいるかは気にしちゃダメなんだろうな」
イノチノシズクのつぼみを指先でチョイチョイと突く。
ふらりんふらりんと揺れる花小娘は、まるで俺にこう言っているようだった。
『早くママを捜してこないと「メッ!」だからね!』
オーケー。ここまで言われて動かないんじゃ、男が廃るってもんだな。
「わかったよ」
俺はイノチノシズクの鉢植えを抱え上げると、衣留を探すべく店を飛び出した。
店の前にはいつものスクーターがあったが、さすがに鉢植えを抱えたままでは乗れないのでノーサンキューして、自分の足で走りだす。
目指すは――
はて? どこだ?
「……しまった、衣留の居場所がわからん」
いきなり躓いた。
※
訳の分からない鉢植えを抱え、必死な様子で女の子を捜すズブ濡れ男を見たら、フツーの人間はどうするだろうか?
正解は――避けるに決まっていた。
「あの、すいません。このくらいの髪の女の子をなんですけど……」
「うるさいな、急いでるんだ」
「あ、ちょっと……」
また一人、有力な情報を持っているかもしれない人が去ってゆく。
聞き込みを初めて一時間。まさかまともに話を聞いてくれる人すら居ないとは思わなかった。
「マッチ売りの少女の気分だな……」
一旦ルンランリンレンに戻ってきた俺は、軒先のベンチに腰を下ろすと、魂が出てしまいそうなくらい深くため息を吐いた。凍死しそうな季節ではないが、俺の心はすでに半分ほどシャーベット状になっている。
元の世界に戻ってきた俺が最初に感じたのは、世界があまりにも普通に動いているということだった。疲れたサラリーマンのオジサンの服の皺も、面倒くさそうに学校に向かう学生のスニーカーの汚れも、子供の手を強引に引きながら買い物をするオバサマの化粧の厚さも、すべてがあまりにも普通で、だから俺はこう思わずにはいられなかった。
あと一年で世界が終わるというのに、皆、そんなことでいいのだろうか、と。
確かにこの世界にいれば、那乃夏島にいるより五十倍以上長生きできるのは間違いないだろう。しかしそれでも、世界が終わることにかわりはないのだ。
なのに、この世界の人たちは、いつもと変わらぬつまらなそうな生活を続けている。
そのことがあまりに不思議で、気がついたときには俺は、その疑問をため息と一緒に吐き出していた。
「みんな、世界が終わることに気付いてないのか?」
「きっとみんな、忘れてしまっているのデースよ」
不意に響く声。
「花を買いたいのですが、ありマースか?」
「あ、すいません。いま休業中……で……」
俺は顔を上げ、思わず目を見開いた。
すぐ目の前に立っていたのは……ニューマンさん!
「ど、どうしてニューマンさんまで那乃夏島からこっちに戻ってきてるんですか!」
思わずニューマンさん――ニューヨーク太郎マンハッタン次郎さんに詰め寄る。
しかし当のニューマンさんはと言うと、首をかしげながら、
「ボク、貴方に会ったことありマーシたか?」
「何言ってるんですか! 暗黒の木曜日で……」
そこで俺は言葉を詰まらせた。
ニューマンさんの姿に違和感があった。金髪碧眼の容姿は確かにニューマンさんなのだが、なんというかこう、芸能人のそっくりさんを見たときのようなしまりの悪さがあった。ニューマンさんの服装が黒い喪服であることが、さらに違和感を助長させる。
「あの、ニューマン……ニューヨーク太郎マンハッタン次郎さんですよね?」
俺の問いに、ニューマンさんは驚きの声を上げながらも、しかし首を横に振った。
「OH! いいえ、違いマース。ニューヨーク太郎は確かにかつてのボクの名前ですが、マンハッタン次郎はボクの名前じゃありまセーン」
なに? どういうことだ?
「マンハッタン次郎は、死んだ双子の弟の名前なのデース」
「……死んだ……双子の弟?」
「そうデース」
寂しげな微笑を浮かべるニューヨーク太郎さん。
しかし俺はそれどころではなかった。
「死んだ弟って……だって……」
頭の中で色々なことがツイストし、ぐちゃぐちゃになっている。
そんな俺をどう思ったのか、ニューヨーク太郎さんは「ふむ……」と顎に手を添えると、
「どうやら、実物を見せた方が早そうデースね」
カモン・ボーイ、というネイティブな発音と共に俺を手招く。
オーバーヒート気味の頭を雨で冷ましながら、俺はニューマンさんの後を、ハーメルンの笛に操られたネズミのようについて行った。
※
まるで大都市のミニチュア模型を見てるみたいだな……。
頭の片隅でそんなことを考えながら、俺は目の前にあるお墓を呆然と見つめていた。
ニューマンさんに連れてこられたのは、薬品臭いお城の横の、こぢんまりとした教会の脇にある、質素な墓地だった。整備された墓地で、乱立した墓石の合間を規則正しく通路が走った様は、まさに都市圏の縮図のようだった。
もっとも、石のビルディングに住んでいるのはもう動かない人ばかりだが。
俺は石版状の墓碑に刻まれた文字を、かみしめるように読み上げた。
「マンハッタン次郎……本名、リチャード・ニューマン……永久に眠る……」
「ちょうど一年前デーシたよ。肺ガンで……アッという間デーシた」
ニューマンさん――ちなみに本名はアルフレッド・ニューマンというらしい――によれば、アルフレッドさんとリチャードさんは、四年前に演歌歌手として来日したとのことだった。双子であるという強みを生かした息のあった歌で、始めはそれなりに人気があったらしい。
しかし人気は間もなくダウンバースト。
それでも二人は歌手を続けようとしたらしいが、しかしその矢先、弟であるマンハッタン次郎さんが急死してしまったのだと、元演歌歌手のニューヨーク太郎さんは語った。
「ボクの弟は、本当に歌が大好きデーシた。歌は誰かを元気づけるのだと、歌のない世界など摩天楼のないマンハッタンだと言って、売れなくなった後も歌い続けようとしマーシタ。でも、それは叶わなかったデース」
もちろんニューヨーク太郎さんも、始めはマンハッタン次郎さんの意志を継ぎ、歌い続けようとしたらしい。
しかし大切な弟を失った悲しみは、ニューヨーク太郎さんか歌う気力を奪ってしまったのだった。
「ボクはあの日から『ニューヨーク太郎』という名前を封印したのデース」
「マンハッタン次郎さんのことを思い出すからですか?」
「……いえすデース」
ニューマンさんは頷く。
その横顔を彩っていたのは弟を失った悲しみと、弟の意志を継いであげられない自分へのやるせない怒りだった。
「Sorry, my brother…」
すまないと謝りながら、ニューマンさんはもっていた紙袋をお墓の前に置いた。
「あの、それは?」
「特製バーガーデースよ。弟の好物だったデース」
「……あ」
俺の脳裏に、あの三十センチはあろうかという超高層バーガーの雄々しい姿が蘇る。
それと同時に親指をビシリと上げ、誇らしげにウインクするニューヨーク太郎マンハッタン次郎さんの顔が思い浮かんだ。
どうやらあの人も、ミズミカミさまやルゥちゃんや時々丸のような、不思議の国の住人だったらしい。
幽霊にせよオバケにせよ、死んだ割にむやみやたらと明るい人だったと俺は思った。
「……いや、違うな」
俺はすぐさま自分の考えを真っ向から否定した。「死んだ割に」と言ったが、それは差別的な言葉ではないかと考えたからだ。
幽霊やオバケはマイナスなイメージが持たれているが、別に明るい太陽みたいな死んだ人がいたっていいではないかと俺は思う。
いや、そもそも『死んでいる』という考え方自体が間違っているのだ。
どんな物語にも最後のページがあるように、誰であろうと、どんな世界だろうと、終焉はいつか必ずやってくる。
終わりというのは、別に特別なことではないのだ。
――みんな生きて、みんな終わる。
それが普通であり、だからこそ俺は、マンハッタン次郎さんに対して『死んでいる』という言葉を使ったことを心の中で取り消した。
「あの、信じられないような話かもしれませんが……」
俺はニューマンさんに、那乃夏島で出会った喫茶店のオーナー――もう一人のニューマンさん――の事を話した。
始めはうさんくさそうな表情で俺の聞いていたニューマンさんだったが、話が進むにつれ徐々に真剣になり、最後には大声で笑い出した。
「HAHAHA! さすがは弟デースね!」
腹を抱え、爆笑するニューマンさん。笑い過ぎたためだろうか、その目尻には涙が浮かんでいた。
「やられたデース! ニューヨーク太郎マンハッタン次郎とは……そういうことデースか!」
「そういうことって、どういうことですか?」
「弟はきっと、ボクの名前を乗っ取る気なのデース! 間違いありまセーン!」
乗っ取るといったニューマンさんだが、しかし彼自身、そんな風に思っていないことは確実だった。
たぶんだが、ニューマンさんは気付いたのだろう。マンハッタン次郎さんが、どうしてニューヨーク太郎マンハッタン次郎と名乗っていたのかを。
きっと弟さんは守っていたのだ。お兄さんが封印してしまった『ニューヨーク太郎』という名前を、お兄さんがもう一度前を向くその時まで、自分という思い出の中で大切に守っていたのだ。
しかしどうやら、それも終わりらしかった。
ひとしきり笑った後、ニューヨーク太郎さんは優しげに墓石を撫でた。
「返してもらうデースよ。ニューヨーク太郎は、ボクだけの名前デース」
その声は、間違いなく前に向かって突き進むであろう声だった。
俺は分かっていながらも、あえて聞いた。
「また、歌うんですか?」
「そうデースね……」
ニューヨーク太郎さんはわずかに考え込んだ後、ニカッと笑いながら、
「摩天楼バーガーを売り歩きながら、世界中で歌うというのはどうデースかね? 世界が終わる、その時までデース」
「グッドだと思います」
俺は親指を上げた。
ニューヨーク太郎さんも同じようにサムズアップする。
しばらく笑っていた俺たちだったが、ふとそこで、ニューヨーク太郎さんは思い出したかのように、
「そういえばボーイは、誰かを捜していると言いましたね?」
「あ、はい」
衣留の見た目や名前や雰囲気などを、ジェスチャーを交えて説明する。
「ふむ……髪の長い女の子デースか……」
「なにか知ってるんですか?」
「前に、そんな感じのお嬢さんを見たことがあるのデース……確かあれは弟が入院していたときだから……」
ニューヨーク太郎さんはおもむろに首をグルリと回し、視線をある方向に向けた。
その先にあったのは……病院?
「そういえば……」
様々な情報たちが、サンマの大群のように俺に押し寄せてくる。
垂らしていた釣り針にかかったのは、那乃夏島での初日の出来事だった。
「病院か!」
初めて衣留と出会った記念場所。花束の配達を依頼されたお届け先。
聖クレナンド病院。
「俺、行きます!」
イノチノシズクの鉢植えを抱え、俺はダッシュした。
「GOD BLESS YOU、BOY!」
ニューヨーク太郎さんの祈りの声に背中を押してもらいながら、俺は走った。
※
「はぁ、はぁ……」
胸が引きつり、息が上がる。
足りない酸素を脳みそに気合いで送り込みながら、俺は様々な事を考えていた。
――なぜ俺が枯れた花を見たくないと言った時、衣留はあんな瞳をしたのか?
――なぜ始めの日に、衣留は俺に花束を注文したのか?
――そもそもどうして衣留は、病院にいたのか?
――そしてなぜ、俺はこうまでして走っているのか?
それら全部の答えが、春になってニョキニョキ出てきた草木の新芽のように、ようやく顔を覗かせ始めていた。
廊下は走らないでください! というナースのオバサンの声を聞き流し、俺はツルツルした廊下をひた走った。記憶力に定評のない俺だが、珍しいことに配達先だけはしっかりと覚えていた。
三〇三号室。衣留と出会った場所。
あった!
「よし!」
部屋にかかった入院患者のネームプレートを見て、俺はガッツポーズをした。
『星野衣留』
間違いない。ここだ。
もどかしげに引き戸を開け、わずかな隙間に身体をギュウギュウと押し込む。
転がり込むように俺が入ったのは、殺風景な病室だった。どれほどハードボイルドに憧れている人でも、こんなに生活感の無い部屋はゴメンこうむるに違いない。八畳ほどの室内は真っ白で、そして薄暗い。室内にあるものと言えば、ごちゃごちゃとした機械と、とてもゲームには使えなさそうな液晶モニター、そしてパイプベッドだった。
ちなみにパイプベッドの上には、静かに横たわる人影があった。
「衣留!」
俺は弾かれたようにベッドに顔を向ける。
刹那、ヒュッ! という音が俺の喉から漏れた。
はたしてベッドの上に、衣留はいた。
しかし同時に俺は、そこにいる患者さんが本当に衣留なのか判別できなかった。
ベッドの上に横たわる少女。その姿は、誰がどう見たってミイラか枯れ枝だった。
「衣留……なのか……?」
ファラオの呪いを恐れる発掘作業員のような足取りで、俺はそろそろと少女に歩み寄った。白い布団の敷かれたベッドに横たわり、全身に電極や酸素呼吸器を付けたその様子は、まるでミイラを現代に蘇らせようとする禁断の儀式のようだった。
「……衣留」
俺は愕然としたまま、二、三歩後ろによろめいた。
ドン、と背中を壁に預けたところで、ふと俺はベッドの脇のテーブルに花瓶が置かれているのに気付いた。花瓶には花束が生けられていたが、しかしすでに力なく萎れ、鮮やかだったであろう花も無惨に枯れ果てていた。おそらくだが、一週間近く放置されているに違いない。
かすみ草も、白ユリも、ダイアンサスも、全て枯れ果てて――
「これ……もしかして……」
そこで俺はハッとなった。
かすみ草、白ユリ、ダイアンサス。
間違いない! これは一番始めの日に、衣留に送った花束だ!
「――」
俺の中を、カミナリより凄まじい光と衝撃が駆け抜ける。
唐突に俺は、今まで衣留を見ていながら、本当の衣留を見ていなかったのではないかという思いに駆られた。放置されたこの花束のように、一週間近く一緒に過ごしていながら、本当の衣留に目を向けようとしなかったのではないか、と。
「……衣留」
俺は今一度ベッドの上に視線を向ける。
その時だった。
「……しは……ゃない」
衣留の口がかすかに動く。
俺は恐る恐るベッドに近づくと、シュー、コー、と音を立てる呼吸器に耳を寄せた。
衣留の呟きを耳にしたとたん、俺は思わず泣きそうになった。
「わたし、は……枯れた花なんかじゃ……ない……わたしを見て……私を見て……ください……」
衣留はうわごとのように呟き続けていた。
……いや、呟やいているのではない。
衣留は叫んでいた。
少ないであろう命をかき集め、ずっとずっと叫んでいたのだ。
――私は枯れた花なんかじゃない!
――私を見て! 私を見てください!
「衣留……」
奥歯をギリギリとかみしめ、俺は漏れそうになる嗚咽を必死に堪えた。
同時に、衣留の姿を見て『枯れている』と思った自分を、頭の中で何度も殴りつけ、罵倒する。
衣留のいったいどこが枯れた花だというのか。
彼女は、こんなにも咲き乱れているではないか。やせ細った茎を必死に伸ばし、萎れかけた葉を力の限り広げ、美しい花を咲かせている。
ようやく俺は気付く。
俺は、始めから大きな勘違いをしていたのだ。
花びらを広げただけが『花』ではないのだ。
小さな種の状態だろうが、地味な葉っぱだけの状態だろうが、あるいは枯れ果てた状態であろうが、そんなのは全く関係ない。
生きている。
それだけで『花』たるには十分なのだ。
「私を……見て……」
太陽に恋いこがれる花ように、衣留がその手を伸ばす。
イノチノシズクの鉢植えを枯れた花瓶のすぐ横に置くと、俺は飛び付くように衣留の手を握りしめた。
かさかさの手は、それでも衣留の手だった。
「綺麗だ……」
ついに俺の涙のダムが決壊した。
「綺麗だぞ、衣留……なんつーか、お前は、綺麗だ…………」
気の利いたセリフなんて出てこなかったが、それでいいと俺は思う。
衣留は綺麗だ。
理屈もうんちくもない。なんとなくそう思ったから、そう言葉にする。
それだけだった。
「お前は、綺麗だ……」
「……ありが、とう……ございます……店長……」
衣留の瞼が、わずかに開かれた。
「ねえ、店長……」
衣留は強ばった顔を必死に動かしながら、それでもふんわりと笑った。
「私……綺麗ですか……?」
「ああ……世界で一番だ……」
間違いなく衣留は、世界で一番綺麗だと俺は思った。
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