6日目 ~さきゆくつぼみ~①




 もし時間が巻き戻せるとしたら。


 それはきっとたくさんの人が、一年で三回くらいは思わず考えてしまう事だと俺は思う。誰だってやり直したい過去というものはあるだろうし、俺だって殴り飛ばしたい昔の自分というのが七人くらいは存在している。


 もっとも本当に時間が巻き戻せるかといえば、出来るはずはない。


 時間の流れというのは絶対だと俺は思う。


 例えば時間を司る巨大な時計があり、力自慢の神さまたちが総出で長身と短針を動かそうとしても、きっと時計の針はビクともしないに違いない。例えどんな結末が待っていようと、時計はチクタクチクタクと規則正しく時を刻み、終焉にむかって一心不乱に針を進ませてゆく。



 世界の終わりまで、もうすぐだった。








    ※








 那乃夏島で迎える六日目の朝は、これまでで最悪の朝だった。

 なぜかというと理由は簡単で、一睡も出来なかったからだ。


「…………ぜんぜん寝れなかったな」


 ベッドの上で上体を起こし、俺はぼんやりと壁のシミを数えた。ざあざあという壊れたラジオのような雨音が今も続いている。一夜明けたというのに、どうやら雨は未だ飽きずに降っているらしかった。


 二度も言う必要はないが、とにかく昨日の俺の睡眠時間はゼロだった。要するに徹夜というやつで、しかも徹夜したくてしたわけではなく、寝たいと思っても気になることがあって寝られないという、一番最悪のパターンの徹夜だった。


 ちなみに気になることというのは、当然、衣留のことである。

 一晩経った今でも、衣留のガランドウの瞳が俺の瞼の裏にキッチリと焼き付いていた。


「……なんか地雷を踏んだんだろうな」


 もしかしたら地雷ではなく時限爆弾かもしれないが、とにかく俺の行動もしくは言動が、衣留の中にあった起爆スイッチを押したのは間違いないだろう。


 もっとも、そのスイッチがなんなのかまでは分からなかった。昨夜のやりとりも思い出してみても、特に地雷原と思われるポイントはなかったと思うのだが……


 まあ、とはいえ。


「謝った方が良いよな……」


 あえて口に出して確認する。原因がどこにあるかはさておき、少なくともイノチノシズクを咲かせようと奮闘していた衣留の好意を、俺が踏みにじってしまったのは間違いないのだ。俺から謝るのが筋だろうし、第一、世界は明日で終わりを迎えるのだ。気になる女の子とケンカした状態でエンディングテーマ&スタッフロールなんかが流れ出したら、それこそバッドエンドもいいところだろう。


 今更ながら言うが、俺は衣留のことが気になっていた。


 はっきり言えば――もっとも衣留に面と向かってはっきり言える自信はいまいちないが――俺は、星野衣留という女の子を好きになっていた。ライクとラブの違いなんてアサガオとユウガオの違い以上に分からない俺だが、日本語で言う『好き』という感情を衣留に抱いているのは間違いないし、衣留には世界が終わるその時まで、花屋『ルンランリンレン』の店員用エプロンを着ていて欲しいとも思う。


 ちなみにその結論を出すまで一晩もかかったのは俺としても情けないというか何というか……いやまあ、結論が出ただけ良しとするか。サボテンに相談しなかった分、まだマシと言うことにしておこう。


 そうと決まれば迷いはなかった。現在時刻は不明だが、そろそろ衣留も起きていることだろう。起きていなければ起こすまでだ。


 いや、別に衣留の寝顔とかサービスカットを期待してる訳じゃないからな。


「行くか」


 忍者のような足取りで自室を出た俺は、衣留が使っている両親の部屋にやって来た。


 ノック、ノック、ノック。


「衣留?」


 返事はない。

 思わずサービスシーンに期待を寄せそうになるが、ここは自重する。


「衣留、起きてるか? 入るぞ?」


 俺はそろそろとドアを開け、中をのぞき込んだ。床に敷かれた布団の端を目にし、思わずゴクリと喉を鳴らす。


 部屋は無人だった。


「どうせそんなオチだろうと思ったよ」


 どうやら衣留はすでに起きているらしかった。


 俺は心持ち肩を落としながら両親の部屋を後にすると、店舗の方に向かった。衣留が早起きしている時は、大抵、お店の花の水やりをしているからだ。


 おそらく今日も楽しげな鼻歌を歌いながら、プリマドンナのようにくるくると水やりをしてるに違いない。そう思った俺は、衣留の仕事の邪魔をしないように、そして衣留の笑顔をじっくりと観察するべく、そっと自宅と店舗を繋ぐドアを開いた。




 そのオチを予想することは、絶対に出来なかった。




「……なっ!」



 店舗内をのぞき込み、俺は目玉が飛び出るほどに目を見開いた。


 床にぶちまけられ、ふみ潰された――花、花、花。



 昨日までステージの上でヒロイン役を張っていた花娘達の無惨な姿が、そこにあった。


「嘘だろ……おい……誰がこんな……」


 よろよろとした足取りで、俺は花たちの無惨な姿を見て回った。

全滅だった。


「まさか……」


 確信に近い予感を感じ、俺は店の外に飛び出した。降りしきる雨が、目に映る風景をノイズだらけにしている。すぐに身体はびしょぬれになったが、そんなことを気にしている場合ではない。


 店の横を駆け抜け、裏庭に向かう。

 花壇の花も、温室の中の花も、全て踏みにじられていた。


「ちくしょう……誰が……」


 怒りと悲しみが、俺の中の黒いシミをどんどん広げてゆく。


 そのシミがキャンパス全部を真っ黒にしようとしたところで、ふと俺は地面にあるものが落ちているのに気付いた。




 温室に付けておいたダイアル錠だ。


 しかも――



「……鍵が……開いてる?」



 泥まみれになった鍵を拾い上げると、四桁のパスナンバーはしっかりと揃っていた。


「そんな……」


 俺は思わず愕然とした。父さんと母さんが死んだ今、このダイアル錠のパスナンバーを知っているのは二人しかいない。



 俺と、そして――衣留。



「衣留が……これをやったっていうのか……?」


 その時、突如俺に降り注いでいた雨がぴたりと止んだ。

 いや、雨が止んだのではない。


 真上を見上げると、ピンク色のクジラが俺を悲しげに見下ろしていた。


「ルゥちゃん?」

「るぅ……」


 雨とは別のしずくが、ルゥちゃんの大きくてつぶらな瞳から流れ落ちる。

 ルゥちゃんはしばらく俺を見つめた後、クルリと反転し、「るぅ!」と一声鳴いた。


「もしかして、ついてこいってことか?」

「るるぅ!」


 巨大な身体を前後に揺らし、ルゥちゃんは頷く。

 俺は即座に店の前に停めてあったスクーターに飛び乗ると、ノーヘルのままピンククジラの後を追った。








     ※







 水たまりやマンホールで何度もスリップしながら俺がたどり着いた場所は、優しい女神さまの住処である星見山の頂上だった。


 俺が星見山のてっぺんに登頂成功した時、小柄な女神さまは花畑の側で立ちつくしていた。どれほどの時間そこに立っていたのか、ミズミカミさまの全身はびしょぬれで、巫女服はおろか髪の毛さえも絞れそうだった。


「ミズミカミさま……」


 嫌な予感をひしひしと感じながら、俺はミズミカミさまに駆け寄った。

 やはりというか、花畑の花娘たちはことごとく踏みつぶされていた。


 まさかこれも衣留がやったっていうのか?


「そう……」


 ミズミカミさまが小さく頷いた。うつむいている為に、ミズミカミさまがどんな表情をしているのか分からない。しかし頬を流れる雨は、たぶん少しだけ塩辛いのではないかと思った。


「彼女が……これをやった……」


 ミズミカミさまという証人によって、犯人が誰であるかが決定する。

 しかし俺は、それをすぐには信じることが出来なかった。


「なんで衣留が……」


 走馬燈のように思い出されるのは、心底嬉しそうに花の世話をする衣留だった。彼女の花に対する愛情の深さは、俺が一番よく知っているつもりだ。


 そんな衣留が、花を踏みつぶすだなんて。


「嫌いだから……殺すわけじゃない……」


 ふとミズミカミさまが呟いた。


「わたしは知ってる……人と人とが戦ってるからって、生まれてきても悲しい思いをするからって、泣きながらお腹の中の命を殺したお母さんのことを。食べ物が少ないからって、もし生まれたらお母さんやお父さんが苦しい思いをするからって、生まれる前に自分で自分を殺した子がいたことを……わたしは、それを知ってる……」

「ミズミカミさま……」

「そしてわたしは知ってる……泣きながら花を踏みつぶした女の子のことを……」


 ミズミカミさまは顔を上げ、空を仰いだ。

 みんなが泣いていた。


 空も、ルゥちゃんも、ミズミカミさまも、きっとどこかにいるであろう衣留も……みんなが悲しげに泣いていた。



 俺は思う。


 涙を止めてやりたい。人間である俺ではこの雨を止めることは出来ないけれど、せめて涙くらいは止めてやりたい。


 大切な女の子の涙くらい。


「……衣留」


 俺は踵を返そうとした。この空の下のどこかで泣いているであろう、衣留を探すために。

 しかし俺が駆け出すよりも早く、ミズミカミさまの声が俺の動きを止めた。



「違う……彼女は……この世界にはいない……」

「え?」

「彼女は……もう、那乃夏島にはいない……」

「那乃夏島には……いない?」


 どういうことだ?


「いったい衣留はどこにいるっていうんだ?」

「……」


 ミズミカミさまはわずかに沈黙した後、こう言った。



「元の世界」



 一瞬、俺は自分の耳が壊れたのかと思った。

 ミズミカミさまの言葉が上手く理解できない。


「元の……世界……?」

「そう。七日じゃあ終わらない、でも一年で終わる世界……もともと貴方たちが住んでいた、意地悪な神様が居る世界……彼女は今そこにいる」


 ミズミカミさまはゆっくりと星水見の鏡泉に歩み寄ると、水辺でしゃがみ込み、水の中にそっと手を差し入れた。水面がわずかに波打ったかと思った次の瞬間、水の中にいくつもの小さな光が現れる。


 それはまるで、泉の中にもう一つの星空があるかのような光景だった。


「やっぱり……」


 ミズミカミさまは星たちをじっと見つめながら、


「しんじること、たかみの星が、元の世界に戻ってる……それも光がすごく弱い……」

「ど、どういうことなんだ? それよりも、元の世界に戻ることなんて出来るのか?」

「出来る出来ないは関係ない……」


 ミズミカミさまは肩越しに振り返ると、


「願えば叶う。それが世界のフツーだから」

「願えば叶う……」


 ふと俺の耳に、かつての衣留の言葉が空耳となって響いてきた。



  ――願えば叶うんですよ、それがフツーです。



 それじゃあ、つまり……


「衣留が願ったってことか? 元の世界に戻りたいって?」

「願ったのか、思ってしまったのかは、わたしじゃあわからない……もしかしたら、意地悪な神様が連れて行ったのかもしれないけど、それもわからない……」


 ミズミカミさまは再び水面をじっと見つめながら、


「わたしに分かるのは二つだけ……彼女の星が向こうの世界に居ることと、光がすごく弱っていること……それだけ……」

「…………」


 正直、ミズミカミさまの説明はあまりに抽象的すぎてよく分からなかった。

 それでも理解できたことはある。


 衣留が俺の側にいない。それだけははっきりしていた。


「あなたも……戻りたい?」


 ミズミカミさまは立ち上がると、身体ごと俺の方を向いた。

 俺を見据え、尋ねる。


「明日で終わるこの世界じゃなくて……もう少しだけ長く生きられる元の世界に、戻りたいと思う?」

「それは……」


 俺は言葉を詰まらせた。


「……正直、考えた事もなかったな」


 というより考えようとしなかった、と言った方が良いだろうか。

 そもそも俺は、心の底から那乃夏島に移住したいと思っていたわけではなかった。『AかBか?』というどっちかしか選べない二択を神様から突きつけられ、なんとなくBを選んだにすぎない。


「別に……それがいけないわけじゃない……」


 ミズミカミさまは小さな子供に言い聞かせるように、


「終わりは、変えられない……それはたった一つに決まっていることだから……でも逆に言えば……たった一つに決まっているのは、それだけだから……」

「一つに、決まってること?」

「そう、終わりは決まってる……でもどんな終わりにするかは、全然決まってない……だから……」


 女神さまは言った。


「なんとなくでもいいから、選べばいい……自分の終わりを、どんな終わりにしたいのか……」

「自分の、終わり……」


 小難しいことを全て忘れ、俺はなんとなく考えた。



 ――自分の終わりを、どんな終わりにしたいのか?



 その答えは、なんとなく置いてあった。何気なく手を伸ばせば、すぐに届くくらいに近くに。


「ばいばい……またね……」


 ミズミカミさまのそんな声が聞こえたかと思った次の瞬間、泉の中で瞬いていた星たちがフラッシュのような光を放つ。





 気がついたときには、俺は自宅の花屋の前に居た。








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