3日目 ~ながれるじかん~③
ときどき俺は、自分がまともな人間でないと思うときがある。もちろん異常者とか変質者とかいう意味ではなく、他の人とずれているという意味だ。だってそうだろう。フツーの感覚の持ち主であれば、七日で終わる世界に移り住もうとは思わないはずだ。そういう意味では、俺は自分がフツーではないと思う。
そしてその理論は、衣留を始めとした他の移住者たちにも当てはまるということを、喫茶店『暗黒の木曜日』に入店した俺はひしひしと感じていた。
「OH、イエース! お待たせでござる! 当店自慢の特製ハンバーガー『摩天楼バーガー』でござるよ!」
「…………うわお」
年季の入った木製テーブルの上にドシンッ! と置かれた巨大なハンバーガーを見て、俺は顔を引きつらせた。
なんだ、この超高層バーガーは? 厚さが軽く三十センチはあるぞ?
「OH、ボーイ。そのとおりでござるね。これは拙者の生まれたシティ、マンハッタンの超高層ビルディングをイメージしたスペシャルバーガーでござるよ」
白い歯を見せ、様になった仕草でウインクするのは、喫茶店『暗黒の木曜日』のマスターという金髪碧眼のアメリカ人だった。頭に乗せたテンガロンハットと相まって、まるでインディ・ジョーンズのようだ。
もっともその妙な口調のせいで、雰囲気が色々とカオスになっていたが。
「申し遅れたでござる。拙者、この店のマスターをしているニューヨーク太郎マンハッタン次郎と申す者でござるよ」
どうも、これはどうもご丁寧に。
「フラワーショップ『ルンランリンレン』の店長している、皆垣草弥です」
「私は星野衣留。住み込みバイトです」
「OH、そちらのボーイは同じ商店街の店長でござるか。これはよろしくでござる、草弥殿」
「こちらこそ……ええと、ニューヨーク太郎さん?」
つか、どっちが名前だ?
「ノーノー、それは違うでござるよ、草弥殿。拙者の名前は『ニューヨーク太郎マンハッタン次郎』でひとくくりなのでござる。両方とも、拙者の大事な大事なネームでござるゆえ、呼びにくい場合は両方の頭をとって『ニューマン』と呼んでくだされ」
ずいぶんとわかりやすい短縮形になったな。
「あの、ニューマンさん」
そこで衣留が「質問です!」と手を挙げた。
「ずいぶんと日本語がお上手なんですね?」
「HAHAHA、そうでござろう、ガール。これでも昔、アメリカで演歌歌手をしてたでござるからね。ジャパニーズ以上にジャパニーズが上手いと褒められたことすらあるでござるよ」
「いや、その語尾の時点で色々と間違っている気が」
「OH、バーガーが冷めるでござる。熱々をプリーズでござるよ!」
俺のぼやきを見事に聞き流し、超高層バーガーを勧めるニューマンさん。
とはいうものの、いったいこれ、どうやって喰えと言うんだ?
「もちろん、ワイルドにガブッとでござる」
「それしかないか」
俺と衣留は手にあまるほどのハンバーガーを持ち上げると、太陽にかじりつく勢いでガブリといった。
次の瞬間、俺の口の中にフィルハーモニー管弦楽団が登場した。
「こ、これは……!」
今日この時ほど、帽子を被っていないことを後悔した時はなかった。
脱帽のうまさだった。
「お、おいひい。おひいれす」
ほっぺたにトマトソースを付けながら、一心不乱にハンバーガーにかぶりつく衣留。
俺も負けじと対抗する。
男の意地で衣留より数分早く食べきった俺は、そこでものすごく優しい目をしたニューマンさんが、俺たちを微笑ましげに見つめているのに気付いた。
「Sounds good, Boy?」
美味かっただろう、少年?
「…………」
美味かったです。
そう言おうとして、しかし俺は何も言葉を発することが出来なかった。
すべて分かっている、とでもいうかのようなニューマンさんの笑顔。
言葉にしなければ伝わらないこともあるが、しかし逆に、言葉などなくたって伝わることが世の中には確かにあるのだと、俺は思った。
「すっごくおいしかったです、ニューマンさん。良い仕事しすぎです」
グッジョブ! と衣留が親指を立てた拳をニューマンさんに突きつける。
俺もそれにならい、親指を立てた。
グッジョブ!
「恐悦至極でござるよ」
ニューヨーク太郎マンハッタン次郎さんもまた誇らしげに親指を上げ、ウインクした。
※
「次の来店、お待ちしてるでござるよ!」
手を振るニューマンさんと分かれた俺たちは、再び花屋まで戻ってきた。
早いところ星見山に行かなくてはいけないが、その前に確認しておかなければいけないことがあったからだ。
すでに日課となりつつある、イノチノシズクの生育チェックだ。
「ついに芽が出たか」
球根から五センチほどニョキニョキした芽を見て、俺は大きな喜びと、熱射病になった時のような軽い気怠さを感じていた。
イノチノシズクの成長は、どうやら順調のようだった。根っこもずいぶんと伸び、せっせと球根や芽に涙味の水を送り届けている。
花を咲かせるために、精一杯に。
「花を咲かせるため、か」
ふいに俺の背中に、ずしりとした重みが加わった。
今更かもしれないが、俺はイノチノシズクを植えたことを少しだけ後悔していた。
例えイノチノシズクが成長し、七日目に世界でもっとも美しいという花を咲かせたとしても、それでどうなるというのだろうか? どんなに美しい花を咲かせても、それで終わりというのはあまりに寂しいのではないか?
俺はふとそう思い、だからこそイノチノシズクを植えてしまったことに対する後悔と罪悪感のようなものを感じていた。
とはいえ、もう後戻りは出来ない。
時間を巻き戻すことも出来なければ、那乃夏島から元の世界に戻ることも出来ない。
全ては終焉というゴールに向かって流れている。
ゆっくりと、しかし確実に。
「あれ、店長? なんですか、その見慣れない球根は?」
「……いや、まあ、ちょっとな」
俺は衣留から隠すように、イノチノシズクをレジスターの脇に押しやった。
衣留には見せたくないと、そう思った。
「それより衣留、そろそろ仕事に戻るぞ」
昼過ぎに業者さんが肥料と腐葉土を届けてくれる手はずになっている。早く星見山に戻らねば。
なんだよ~、またアスファルトかよ~、と不満を漏らすトラクターをなだめすかしながら、俺たちは公道をひた走る。
ちなみに面倒くさかった為にリアカーはドッキングされていなく、衣留は運転席の後ろのスペースで膝立ちになっていた。狭くて申し訳ないと思わなくはないが、しかし衣留はというと高い視点から町並みウォッチングするのが楽しいらしく、特に不満もなく、あれやこれやと指さしながら笑っていた。
「ほらほら、店長。あれ見てください、信号機の青色が緑色ですよ」
「いや、フツーだろ」
何が面白いのかよく分からないが、しかし衣留は楽しそうだった。
そろそろ顔見知りになってきた何人かのお地蔵様に会釈し、山道を登る。
星見山の頂上には、すでに一台のトラックが到着していた。
「やば!」
業者さん、もう来てるし!
俺はトラクターから飛び降りると、『ホームセンター ノノムラ』と銘打たれたトラックに駆け寄った。
「お世話になります! すいません、お待たせしましたか?」
「いいえ、今来たばかりです……と可愛く言ってもらえると思ったら大間違いです。このウカレポンチ野郎め」
この口の悪さは……もしや……
「スミレさん?」
「良い終焉です、皆垣草弥様、星野衣留様、並びにミズミカミ様」
トラックの運転席から降り立ったのは、頭上に金色の輪っかを乗せたアンドロイド型天使のオネーサン、スミレ2800さんだった。
「どうも、ご利用ありがとうございます。ホームセンター・ノノムラです。ご注文の品をお届けにまいりました」
ここに受け取りサインを、とスミレさんは無表情のまま伝票を差し出してくる。
俺は反射的に『皆垣草弥』とサインしながら、
「なんでまたスミレさんが?」
「もちろんアルバイトです」
「バイトっすか」
「どこも人手不足なのです。一〇八存在しているアンジェロイドも全力労働中です」
それはたいへんそうだな。
「確かに大変ですが、それがワタシたちアンジェロイドの存在意義でもあります。ですので同情や、間違っても好感度アップを狙ったセリフは吐かないように願います。言っておきますが、ワタシは非攻略キャラですので」
「いや、別に攻略する気はないが」
「ご冗談を」
スミレさんは無表情のまま、衣留とミズミカミさまを順に見つめた。次いでどこか胡乱気な視線を俺に向けると、
「ハーレムルートとお見受けしました。しかも巨乳からツルペタまでカバーするとは、このオールラウンダーめ」
「誰がオールラウンダーだ、誰が」
「ツルペタって、なに?」
「えっと、それはですね……」
こら待て衣留。お前もミズミカミさまに余計なこと教えるな。
「そ、それよりスミレさん、頼んだものは?」
「こちらになります」
トラックの荷台にかかっていたビニールシートが取り払われる。そこにどっさりと積まれていたのは袋詰めされた大量の固形肥料と腐葉土だった。
トラックの荷台から小分けされた袋を下ろし、確認する。
よし、注文通りだな。
「花の苗の方は、明日の午前中の配達でよろしかったでしょうか?」
「頼む」
「かしこまりました。では良い終焉を」
分度器で測ったかのような折り目正しい御辞儀をし、スミレ2800さんは再びトラックに乗り込み、頂上を後にする。
興味深げに肥料袋――中に詰まっているのは、ウサギの糞の白バージョンとしか言いようのないものだった――をつっついている衣留とミズミカミさまを尻目に、俺はおもむろに首を巡らせ、那乃夏島全体を見渡した。
脳みその中に増設された特別ステージで、スミレさんの別れ際の言葉がエンドレスワルツを踊っていた。
「良い終焉を、か」
ふと俺は、今までずっと考えないようにしていたある疑問を思いうかべた。
――なぜ優しい神様は、七日で終わる世界を創ったのか?
そもそも優しい神様が那乃夏島を創ったのは、意地悪な神様が元の世界を一年で終わらせると言ったからだ。
しかしいくら新しい世界を創ったとしても、それが七日しか保てない世界では、根本的な解決にはならないだろう。結局、どちらの世界を選んでも終わるのだから。
だからこそ俺は不思議だった。
どうして優しい神様は、那乃夏島を創り出したのか?
目があったピンク色のクジラに、俺は自分の疑問をストレートに投げてみた。
「なあ、何で優しい神様は那乃夏島を創ったのか、お前は知ってるのか?」
「るぅ?」
青空をふよふよと飛びながら、クジラは身体を傾けた。今さっきまで水浴びをしていたのか、胸びれの先から水滴が滴り、そのまま吸い込まれるように落ちてゆく。
キラキラと瞬きながら、止まることなく。
幸か不幸か、落ちた水滴が地面に当たってどうなったのか、さほど目の良くない俺では追い切れなかった。
「まあ、考えてもしょうがないことか」
毛虫を払うかのように頭を振り、思考をマイナスからプラスへと持ち上げてゆく。
俺は思わずこみ上げてきたアクビを噛み殺すと、雲間を泳ぐピンククジラにむかってひらひらと手を振った。
「お前、よく見るとなかなか可愛いな?」
「る、るるぅ~っ!」
可愛いと言われたとたん、クジラはピンク色の身体を桜色に染めた。恥ずかしそうに小さく頭を下げると、そのまま雲の間に隠れる。
俺は再びアクビを一つ。
やばい、眠い。
「作業の前に、少しぐらい昼寝するか……」
尽きることのない午後の日差しが気だるげな空気を生み出している。幸いにも、ここには午前中に作ったばかりの黒土のマットレスがある。ビニールシートを敷けば、きっとすばらしい寝心地を提供してくれるに違いない。トラクターを移動させれば、日陰だった思うがままだ。
問題は枕が無いことだが、まあ、その辺は適当にどうにかするとしよう。
「衣留、ミズミカミさま、ちょっといいか?」
俺は体操服姿の少女たちに、シエスタタイムを提案する。
ちなみに昼寝の案はすぐに採択されたのだが、結局、俺は一睡も出来なかった。
腕を枕として提供するのは、なかなかにハードだったとだけ言っておく。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます