2日目 ~すぎゆくひざし~③



 買い物から帰還した衣留と共に少し早い昼食――もちろん制作者は俺で、メニューは簡単な冷やし中華だった――を取った俺たちは、食後の一休みを経て、さっそく女神さまの依頼をこなすべく動き出した。


 とはいえ、いきなり作業開始とはいかなかった。実際に花畑を作るにしても、まず現場視察は欠かせない。刑事ドラマでも、捜査に行き詰まったら現場に戻れ、とよく言っている。


 別に刑事を目指す気も時間もないが。


「それにしてもお花いっぱいですか。お嬢様って居るところには居るんですね」


 観葉植物の葉に霧吹きで水をかけながら、衣留は「ふええ!」と驚きの効果音を発していた。


 ちなみに現在の衣留の格好は、タイトなノースリーブのTシャツにホットパンツというものだった。生足が生唾ゴックンでセクシーだ。髪をポニーテールに結い上げ、真っ赤な店員用エプロンを纏っている。午前中までが深窓の令嬢だとしたら、今はお転婆な看板娘といった風だった。


 俺的にはどちらも有りだと言っておく。


「大分イメージ変わったな」

「あ、もしかして惚れ直しました? 例えて言うなら、俺の味噌汁を作ってくれって感じで」

「いや、それだけはない」


 いくらもうすぐ死ぬからといって、神の料理を食べて狂死とかはゴメンだった。


「むぅ、失礼ですね、店長。そんなこというと、上達してからプロポーズの台詞を言っても靡いてあげないですよ」

「いや、そもそも上達させるだけの時間がないと思うんだが」


 忘れてはいけない。

 この世界は今日も入れて後六日で終わるのだ。


 俺も衣留も、あと六日で終わる。


 しかし衣留は態とらしく腰に手を当て、チッ、チッ、と指を振りながら、


「分かってないですね、店長。願えば叶うんですよ。それがフツーです」

「その自信がどこから来るのか、俺はむしろそこを聞きたい」

「店長、水やり完了です。さあ、お出かけしましょう」

「スルーかよ」


 深々とため息。なぜか衣留の言葉が、脳みその中で無限リピートしていた。




 ――願えば叶うんですよ。それがフツーです。




 残念ながら俺は、そこまで世界に期待を寄せることはできなかった。


 というか、大抵の人がそうだろう。

 世界に向かって「バカ!」とか「アホ!」とか「この卑怯者!」とか言うつもりはないが、だからといって自分の背中を預けようとは思わない。


 しかし衣留は違うようだった。

 たぶん、おそらく。


「行くか」


 レジスターをロックし、外出中の札を立てる。次いで店の前に停めたスクーターの荷台からダンボールをはずすと、変わりに小さなクッションを縛り付けた。すでに衣留は赤いハーフヘルメットを被り、機長から搭乗許可が出るのを今か今かと待ちわびている。


 俺もヘルメットを被り、キーをエントリー。

 準備よし。指さし確認よし。エンジン始動、よーそろー。


「衣留」

「ラジャーです」


 エースパイロットのごとく、衣留は俺の後ろに滑り込むように乗り込んだ。華奢な腕が、俺の腰にぐるりと回される。


 甘酸っぱい、まるでレモンの花を指で潰したかのような香りが俺の鼻先をくすぐりまくった。時折背中に触れるフニフニについてはノーコメント。


「それじゃあ店長。テイク・オフです」

「イエス・サー」


 アクセルをふかすと、トクトクという鼓動音がブイーンというノイズ音に変化する。


 熱気の揺らめくアスファルトの上を、俺と衣留を乗せたバイクは離陸することなくずるずると滑走していった。






     ※






 もしUFOに乗って上空から那乃夏島を見下ろしたならば、島のど真ん中に小さな泉を見ることが出来るだろう。


 その泉はとある山の頂上にあり、その山を星見山(ほしみやま)と言うらしいと、俺はステータスモニターのマップ画面で知った。


「それにしても店長、このステータスモニターって便利ですね」


 バイクの後ろに座った衣留の目の前には、半透明のモニターが浮遊霊のように浮かんでいた。バイクのスピードをどれだけ上げても、取り憑いているかのごとくぴったりとくっついてくる。


 しかも自分の現在位置に会わせ、マップが少しずつ変化までしてくれる機能付きだった。カーナビ君も真っ青なサービス精神だ。


「マップ画面の他にも、ルゥちゃん情報とか星名とか、色々載ってますし……あ、店長。私の星名『しんじること、たかみ』になってるんですけど、店長の星名って何ですか?」

「星名か?」


 たしか『たよられれば、やすし』だったか?


「なんかそれ、店長っぽいですね」

「何が店長っぽいのか分からんが」


 アクセルを捻りながら、俺は左手の甲で顎を伝う汗を拭った。


「それよりしっかりナビしてくれよ、衣留」

「あ、はい、ラジャーです。そこを右で」

「オーケー、りょーかい」


 大通りをそれ、舗装された山道に入る。しばらく行くと、真っ赤な鳥居が飛び込み選手のように俺たちの目にダイブしてきた。


「おっきいですねえ」

「こっちであってるんだな、道は?」

「みたいですよ」


 鳥居をくぐり、ゆるやかにカーブした山道を登ってゆく。

 車一台がやっと通れる幅の道の両側には、たくさんのお地蔵さまが整列していた。まるで山道を登る俺たちを応援しているかのようだ。箱根駅伝の選手になった気分を味わっているのか、衣留は時折お地蔵さまに向かって手を振っていた。


 登り初めておおよそ五分後、ついに俺たちは山道を登り切る。

 ある意味そこに広がっていたのは、予想外の光景だった。


「…………うわお」


 熱気の籠もったヘルメットを脱ぎながら、俺はおもわず「何もないな……」と呟いた。


 いや、もちろん本当に何も無いわけではなかった。あくまでも比喩的表現というやつだ。土もあるし、小さな泉もあるし、泉の側には小さな祠も建っている。


 しかし、やはりそこは寒々しいという印象がぬぐえない場所だった。霧がかかっているのか、頂上なのに全然景色が楽しめないことがそんな印象を強くしていた。


「あの、店長? 本当にここなんですか?」

「そのはずなんだが」


 俺も不安になってくる。

 チクタク猫の言葉を信じるなら、あの女の子は女神さまらしい。女神さまの住む御殿といえば、こう白い柱が何本も建っていて、羽の生えた全裸のガキんちょたちが飛び回っていて、竪琴を持った娘さんが花よ蝶よ歌っている場所のはずだ。


 しかしここは、良くてホラースポットだった。


 思わず俺の耳に、「むかーしむかし、この山はかつて『死見山』と呼ばれておってのう。口減らしのために、石を付けた子供を泉に沈めておったのじゃよ」という渋い語り声が聞こえて来そうだった。


「あたらずも……遠からず、かも……」


 不意に響く声。

 振り返ると、いつまにか俺たちの背後には幼い女の子――猫曰く、すご~く偉い女神さまだニャ――というミズミカミさまが、背後霊のように佇んでいた。


 ちょっとホラーだった。


「ようこそ」


 眠いのかわざとなのか、ミズミカミさまは怪談を語るように、


「星見山のてっぺん……星水見(ほしみずみ)の鏡みッ!」


 ガリッ、という痛そうな音がミズミカミさまの口元から発せられたのは、その時だった。


 俺と衣留の心が一つにユニゾンする。

 女神さまが、噛んだ。


「~~~~~!」


 両手で口を押さえ、生まれたばかりのバンビのようにぷるぷると震えるミズミカミさま。よほど強く噛んだのか、半泣きになっている。


 しかしさすがは偉い女神さまである。涙目になりながらも、がんばって痛みを堪えると、


「よ、ようこそ……星見山のてっぺん……星水見(ほしみずみ)の……か、鏡泉(かがみずみ)へ……」


 いや、むりして言いなおさんでも。


「久しぶりのお客様で……セリフ……練習したから……」

「練習したのに噛んだのか」

「あ、あの、舌ベロ大丈夫ですか?」


 俺と衣留の冷めかけの味噌汁みたいな視線に耐えきれなくなったのか、ミズミカミさまは恥ずかしそうに「大丈夫……」と呟くと、


「とにかく、ようこそ。わたし、ミズミカミ。『星水見の鏡泉』の管理人? のようなことをしてる……」

「そういや自己紹介してなかったな」


 いかん、いかん。名乗りは営業の基本だ。


「俺はフラワーショップ『ルンランリンレン』の店長をしてる……」

「大丈夫、知ってる」


 ミズミカミさまは俺の言葉を遮ると、俺と衣留を順番に指さしながら、『たよられれば、やすし』と『しんじること、たかみ』と言った。


「星名を見付けるのは……わたしのお役目だから……」

「あの、星名ってなんなんですか?」


 衣留の問いに、ミズミカミさまは「う~ん……」と呻った後、


「星っぽい名前……じゃなくて……名前っぽい星の名前、だと思う……」


 実にあいまいなお答えだった。


「それで……お花は?」


 手ぶらな俺と衣留をジィィッと見つめるミズミカミさま。俺のズボンのポケットやスクーターの座席に視線を向けていることから、どうやら俺たちが花をどこかに隠していると思っているらしい。ここでポン! と手から花でも出せたら、さぞやミズミカミさまを驚かせることが出来そうだが、残念ながら手品グッズは買ってこなかった。


 というわけで、あくまで今回は下見であることを正直に述べた。


「まず、どういうふうにするか考えないとな」


 一応ウチの花屋ではガーデニング・アドバイスも行っている。日本庭園を造れと言われるとさすがに手も足も尻尾も出ないが、花壇くらいなら俺でも十二分に作ることができた。


「花畑が……いい」


 オーケー。花畑か。

 そうなると、問題は大きさと土だな。


 試しに俺は、地面を軽く手で掘り起こした。

 土壌は……まあ、悪くはないな。


 幸い泉があるので水も確保できるし、わりと良い感じだ。

 さて、後は大きさだが……


「出来るだけ……いっぱいが、いい……」

「さいですか」


 ミズミカミさまによれば、大きければ大きいほど良いらしい。泉をぐるっといっぱい、とまで行かなくても、一面の花畑、くらいは欲しいそうだ。


 今日を入れずに後五日で、どこまでいけるか……


「大丈夫……わたしも、手伝うから……」


 細腕をまくり上げ、一ミリたりとも盛り上がらない筋肉を見せてくるミズミカミさま。相変わらずの眠そうな表情だが、しかし地底湖のような瞳には、試合前のボクサーのごとき炎が揺らめいている。


 そのオーラに当てられたのか、衣留も力こぶを作ってみせる。もちろん彼女の腕も、腕相撲チャンプなど到底見込めない細い腕だ。


「これはやるしかないですよ、店長。なんて言うか……そう、コンビプレーです。私と店長のおしどり夫婦のごときコンビプレーを見せる時なんです」

「コンビ結成一日だけどな」

「それはイット。これはザットです」

「それはそれ、これはこれ、と普通に言えんのか、お前は」


 というかそれ以前に、『これ』は英語で『ディス』だ。そんな初歩的な英語を間違えるなと言いたい。


「むぅ、揚げ足取り反対ですよ、店長」

「わかった、わかった」


 抗議の声を上げる衣留を適当にあしらいつつ、俺は今一度、殺風景な頂上をぐるりと見渡した。泉があるだけで、あとはほんの少しの木と草しか生えていなく、寂れているというか寒々しい。


 しかし逆に考えれば、何もないということは見晴らしが良いということだった。もしここを花でいっぱいに出来れば、きっとすばらしい眺めになることだろう。もしかしたらデートスポットと勘違いしたカップルがわんさかやってくるかもしれんが……まあ、そうなったらそうなったらで『疑いの愛』という花言葉のオシロイバナを大量に植えてやろう。八つ当たり気味に。


「こりゃ、明日から忙しくなるな」


 しかし、それも悪くはない。

 花と共に終わるなんて、花屋冥利に尽きるというものだ。


「じゃ、まあ、気合い入れていきますか?」

「ラジャーです」

「がんばる……から……」


 威勢の良い声を上げる衣留と、小さく頷くミズミカミさまを横目に見ながら、俺はしなければいけないことを思い浮かべる。


 倉庫からトラクターと園芸用具を出して、業者さんに電話して大量の肥料と腐葉土と花の苗を購入して……


 ああ、そうだ。あとついでに、破局という花言葉の花がないか調べておくとしよう。




 もしもの時のためだ。








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