2日目 ~すぎゆくひざし~②
はじめに言っておく。
衣留の料理の腕は、『壊滅的』を通り越して『滅亡的』だった。
「…………うわお」
テーブルの上の超物体Xを見て、俺は顔を引きつらせた。
ちなみに超物体Xにあえて形容詞をつけるとしたら、『神々しい』という言葉がぴったり来る代物だった。もちろん神様といっても、見ただけで発狂してしまう系統の神様だ。人間の想像力を軽く凌駕した造形は、まさに神のインスピレーションだった。
「じ、実はこれ、ポリネシア風なんです」
「お前はこれを地球上の料理と主張するか。つーか目を逸らしながら言うな」
「カノジョなら、イツカやると思ってマシタ」
「彼女って誰だ」
目元を手で隠し、ロボットのような声で曰う衣留。どうやら『凶悪事件を起こした少女Aの友人(モザイク、ボイスチェンジャー有り)』のつもりらしい。
「まったく」
蠢く神の料理Xに精神的モザイクをかけると、俺は半眼で衣留を見つめた。
「それで、言うことは?」
「ごめんなさい、嘘ついてました」
椅子の上で正座し、勢いよく頭を下げる衣留。
「実はこれ、私の秘書が作ったもので」
「おい」
「……すいません、実は一度も料理なんてやったことないです」
衣留はシュンとうなだれる。
曰く、彼女は今まで料理をしたこともなければ、台所に立ったことすらないらしい。当然、包丁や鍋を振るったのも初めてとのこと。
おいおい、いったいどこのお嬢様だよ。
「この造形力はビギナーズ・ラックの産物だったか」
これが衣留の秘めた才能だとは思わないことにする。
「すみません、出来ないって言うのも……その……怖くて……」
衣留は顔をうつむかせた。まるで『拾ってください。名前はアンソニーです』と書かれたダンボールに入った子犬のようだ。クーン、クーン、という悲しげな鳴き声が今にも聞こえてきそうだった。
俺は思わず頭をかきむしる。
まったく、女の子の機嫌取りの経験なんて全くないというのに。
「なあ、衣留? 俺とお前の関係はなんだ?」
「……店長とバイトです」
そのとおりだ。あくまでも雇用主と被雇用者。先輩と後輩。
だからまあ、要するに――
「出来ないことは出来ないって言ってくれ。後輩の教育は俺の仕事だからな。店長らしいことをさせてくれ」
「店長……」
俺の言いたいことを察してくれたのだろうか。
沈んでいた衣留の表情が、まるで陽光を浴びたチューリップのように花開いた。
「ご、ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いします!」
ピカピカの新入部員のような顔で、衣留は再び頭を下げる。
なぜかくすぐったくなり、俺は小さく咳払いした。
話題を変えるべく、ネタを探す。
とりあえず『女の子の気をひくならまず髪型か服だ』という父さんの遺言に従い、俺は衣留の服を話題に上げることにした。
衣留が今着ているのは、昨日のワンピースだった。ようは昨日のままということだ。衣留の言葉を信じるなら、彼女の帰る家が那乃夏島に存在しないため、替えの服もないらしい。これが冬ならまだしも今は夏なわけで、さすがに同じ服を続けて着させるのも忍びない。
なんというか、花屋的に。
というわけで俺は、衣留に服を買いに行くことを提案した。
「それはいいですけど、私一文無しですよ?」
「その辺はバイト代として俺が払うさ。さすがに女の子を汚いままにしておけないしな。下着くらいは換えないと気持ち悪いだろ?」
「ハッ。まさか店長、私の下着狙いですか」
わざとらしく自分の肩を抱く衣留。
「頼む、どこからそう言う流れになったか聞かせてくれ」
「簡単な連想です」
衣留は、推理ショーを披露する名探偵のように人差し指をピンと立てると、
「私が着替えを買う。着替えた下着を店長が手にする……ほら?」
「何がほらだ、何が」
つか連想出来てないし。
妄想で俺の人物像を決定するなと言いたい。
まったく。
「服、奢るのやめるぞ」
伝家の宝刀である店長権限を振りかざす。
衣留は慌てて手を振ると、
「すいませんごめんなさい店長。調子に乗ってました。店長は素敵ですジェントルマンです。だから奢ってください」
「まったく」
やれやれと頭を振りながら、俺は財布から一万円札を取り出した。衣留の右手に握らせる。
「無駄遣いするなよ」
「もちです。ありがとうございます、店長」
満面の笑みを浮かべながら、ぺこりと頭を下げる衣留。
それを横目に、俺はぽつりとこんなことを呟いていた。
「花にかける手間を惜しんではいけない、か」
母さんの遺言だ。
※
お札を握らせた衣留を、商店街の中にあった古着屋――店員はアンジェロイドだった――に送り届けた俺は、店に戻るなり軒先にプランターを並べた。
『店長、着いてきてくれないんですか?』と衣留が付き添い申請してきたが、せめて店の外面だけでも取り繕わなければいけないとエスコートの辞退を申し出てきた。
たとえお客さんが来ないにしても、長時間店を放置することがあったとしても、花たちだけはきちんと並べ立ててやらねばならない。それが花屋の誇りというものだ。
それにもう一つ、俺にはやらねばいけないことがあった。
イノチノシズクの生育チェックである。
「成長してるような、してないような」
レジカウンターの横に置かれた鉢植えを、俺は四方六方あらゆるアングルから観察した。球根の下の方からは根っこが伸びていたが、てっぺんの方は音沙汰無しだった。
試しにノックしてみようとしたが、ヘソを曲げられたら困るので止めておく。
イノチノシズクは、とにかく育つのが早い花だった。六日で花を咲かせ、そして七日目で枯れ果てるという。お前は蝉か、と思わず突っ込みたくなる素早さだ。
とはいえ、さすがのイノチノシズクといえども、昨日の今日で芽を出すわけではないようだ。
「まあ、根っこが伸びてるから大丈夫だとは思うが」
小声で『生きてるかー?』と聞いてみる。
返事はすぐに帰ってきた。
「うん、生きてる」
「おお、そーか、そーか。それなら…………」
ちょっと待て? 球根がしゃべった?
「球根じゃない……しゃべったのは……わたし……」
北風がピュウと吹けば飛んでしまうような小さな声。その声は、球根からではなく俺の背後から響いていた。
肩越しに振り返る。
ぽつねん、とそこに佇んでいたのは、儚げな印象の十歳くらいの女の子だった。
眠そうな瞳に、少しは花を見習って日光浴でもしたらどうかと思うほど白い肌。俺の腰丈ほどしかない身体を、朱と白のコントラストがまぶしい巫女服に包んでいた。
「お花……欲しい……」
「……は?」
女の子の言葉を理解するのに、俺は十秒ほどの貴重な時間を浪費した。
どうやらこの子はお客さんらしかった。慌てて「いらっしゃいませ」と挨拶すると、どういった花が欲しいのか訪ねる。
女の子は所々つっかえながら、
「どんなお花でもいいから……お花、いっぱい……」
いっぱいか。なんともアバウト過ぎるな。
「プレゼントか? それともお見舞い用か?」
「お供えもの……」
「お供えもの?」
「うん、そう……自分へのお供えもの……」
「は? 自分?」
思わず俺は、頭のてっぺんから声を出す。
お供えものといえば、神様か仏様か、死んだお祖父さんお祖母さんに捧げるものと相場は決まっていた。
なのに、自分へのお供えもの?
「そう、お供えもの……世界が終わったら、お花、見られなくなるから……」
「…………」
女の子の言葉は、思いの外、俺の心をグリングリンとえぐった。
「自分へのお供えものか」
「ダメ?」
「いや、むしろ望むところだ」
何が望むところなのか全く持って俺にも分からないが、なんとなく俺は、この女の子に言いようのないシンパシーを感じていた。もし、道ばたで生き別れの妹と出会ったらこんな感じがするのだろうか、などとどうでも良いことを考える。
俺はニッと笑うと、
「オーケー。わかった。花、いっぱいだな?」
「……うん」
月のように女の子は笑った。儚げだが、しかしその笑みからは『とても嬉しい』という光が放たれている。
「それで、花の種類はどんなのでもいいのか? 色とか雰囲気とか、希望があったら何でも言って欲しいんだが?」
「なんでもいいけど……でも、生きてるお花が良い。死んじゃったお花を見るのは、少し悲しいから……」
「それはあれか? 切り花じゃなくて、鉢植えとかってことか?」
「よくわからないけど……たぶん、そう……」
「…………うわお」
俺の顔が一瞬、引きつる。
やばい、それは大仕事だ。鉢植えというのは、当たり前だが重いしヘビーだ。一つの鉢に植えられる花の量も限られているので、いっぱいの花となると、大量の鉢植えやプランターが必要になる。場合によっては花畑を作るのと何らかわらない大仕事だ。
「花畑……それ……いいかも……」
「マジっすか?」
「いっぱいが……好き」
女の子ははにかみながら、「ちなみにお金と場所はいっぱいあるから」と付け加えた。どうやら最後の退路も断たれたらしい。
オーケー。やってやろうではないか。
どうせお客なんて来ないのだし、どのみち俺の人生は残り六日だ。花屋ルンランリンレン二代目店長の最後の意地を見せてやる。
俺はレジにあった注文票を引っ張り出すと、さっそく見積もりを始めた。
といっても状況が状況なので丼勘定どんと来いだ。
花の種類の欄と数量の欄に『いっぱい』とかき込むと、次いで見積料金の欄にそこそこの値段を書き入れ、最後に注文票を女の子に差し出し、住所と氏名の記入をお願いした。
女の子はさらさらりとペンを動かすと、
「これで、いい?」
「ああ。オーケーだ」
リターンしてきた注文票を受け取る。
「それで、出来ればさっそく午後に下見に行きたいんだが、大丈夫か?」
なんせ残された時間は今日を入れて六日しかないのだ。すぐに作業を始めるためにも、早いところ下見をすませておかなければならない。
もちろん決定権はお客さんにあるので、無理強いはしないが。
「大丈夫……わたし、住所のところに居るから……」
どうやら大丈夫のようだ。
「それじゃあ……よろしく……」
女の子はぺこりと頭を下げると、眠いのか左右にふらふらしながら去ってゆく。
俺は「ありがとうございました!」と女の子の背中に向かって叫ぶと、注文票に書かれた住所と氏名を読み取った。
○ 住所……星見山のてっぺん。
○ 氏名……ミズミカミ。
「ん?」
ミズミカミって確か……
「ミズミカミさま?」
「そうだニャ!」
「…………またお前か」
またしても観葉植物の間から飛び出す猫面。
もはや突っ込む気力もなかった。
「グッド良い昼! ニャンと今は二日目の午前十一時二十分~ッ! 世界が終わるまで、残り一三二時間と三九分と四五秒だニャ!」
「お前、それ言わずには登場できないんだな」
「生きる上で色々しがらみがあるのは当然だニャ。要するにキャラ設定だニャよ」
良さげなこと言ってるようで、意味が分からなかった。
「それはそうと、ミズミカミさまのことだニャ」
強引に話題転換を図るチクタクキャット、時々丸。
「さっきの麗し~いキティ・レイディがミズミカミさまだニャ。ものすご~く偉い女神さまだニャよ」
「は? 女神さま?」
時々丸は「そのとおりだニャ!」と頷く。
「この島じゃ、神さまが花屋に来ることもフツーなのか?」
「フツーだニャ……と言いたいところニャけど、ミズミカミさまが星見山を降りるのは珍しいことだニャ。ミステリー、あ~んど、ラブトレインの予感だニャね」
ニャフ、ニャフフ、と笑いながら俺の背中をぽむぽむと叩く時々丸。
ちなみにプニプニした肉球がものすごく気持ちよかったが、決しておぼれてはならない相手だと俺は自制した。俺とダミ声猫とのツーショットなど、誰も望んでいないに違いない。
「単に花が欲しかっただけじゃないのか? お供えものとか言ってたし」
「ノンノン、それは分からないニャよ。もしかしたら、草弥ニャンに会うための口実かもしれないニャ。このこの、神さまを堕落させるなんて、ミーに負けず劣らずなかなかの英雄っぷりだニャね」
さらに俺の背中をポムポム。
やばい、マジで気持ちいい。俺の方が肉球で堕落させられそうだ。
「ミズミカミさまの初恋……これはチェック・イットだニャね!」
そこで時々丸のヒゲがビリビリと震えた。
「むむ、誰かがミーを呼んでるニャ。それじゃニャね、草弥ニャン」
再び観葉植物の合間に消える。
俺は名残惜しげに背中をポリポリと掻いた後、注文票に目を落とした。
「神さまか……まあ、よく考えればフツーか」
どのみち、お客様は神さまなのだから。
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