1日目 ~はじまるおわり~②



 ほんの少しだが、ここで自己紹介をしようと思う。


 俺の名前はみながき・そうや。漢字表記をすれば皆垣草弥。

 由緒正しき日本人で、小さなフラワーショップの一人息子。ついでに言うなら先日両親を事故で亡くし、実家を継ぐために大学を自主退学した健全な男だ。


 ちなみに断っておくが、別に俺は自殺志願者でも退廃主義者でもない。


 一度くらいなら死んでみたいと思わなくもないが、それは単純な好奇心から来るもので、本心で死にたいと思っているわけではない。


 繰り返すが俺は健全な男で、『女性経験ゼロで死にたくはない』程度の生存願望も持ち合わせている。


 ではなぜ、わずか七日で終わってしまう世界を選んだかというと……

 まあ、おいおいと語っていこう。






     ※





「あちい」


 立っているだけで滴ってくる汗を、俺はTシャツの袖口で拭った。

 頭上の太陽が、テレビショッピングに出てくるマイケルとジョディ並の暑苦しい笑顔を振りまいている。


 どうやらこの那乃夏島は、文字通り常夏の島らしかった。


 らしいという曖昧表現を使っているのは、この島の全貌を知らないからだった。そもそもここが本当に島なのかすら不明なのだ。分かっているのは、ここが『那乃夏島』という名の世界であるということだけだ。


 ちなみにどうして名前が分かっているのかというと、正直、俺にも理解できない。

 すでに頭の中に『那乃夏島』という単語がインプットされているのだ。


 昨日の夜、自宅前まで迎えに来たボンネットバスに乗った時点では知らなかった単語であることからして、おそらく今日、この世界に移動して来たときに書き込まれた情報なのだろう。違和感があまりにもなさすぎて、もともと知っている言葉のように感じられる。


 知っていると言えばもう一つ、俺の頭に彫刻刀でカリカリと刻み込まれている情報があった。


 俺が最後の時を過ごすであろう実家の花屋『ルンランリンレン』の場所である。


「つか、実家の花屋がなんでここにあるかは気にしちゃダメなんだろうな」


 汗を拭いながら、俺は『ノキナミ商店街』と銘打たれた商店街の一角にちょこんと鎮座する、こぢんまりとした花屋を見上げた。


 看板に描かれた文字は――『Run-Ran-Lin-Len』。


 この『ラ行』と『ン』だけで語れる花屋こそ、俺のマイホームにして、つい昨日までは某県某所にあった、しかしいつの間にかここに移転されていた店舗だった。


 なお、花屋の軒先にはすでにいくつものプランターが並べられ、キャピキャピした花娘たちが、「紫外線対策? UVカット? なにそれ?」という勢いで日焼けに勤しみまくっていた。


「日光浴日和か」


 俺はぼんやりと花娘たちを眺める。

 そのときだった。


「良い終焉です、皆垣草弥様」


 ふいに店の奥から無表情なオネーサンが顔を出した。ウェイトレスかメイドを思わせるエプロンを纏っており、頭の上にはメタリックゴールドに輝く輪っかが浮いている。


 は? 輪っか?


「えーと、どちら様で?」

「申し遅れました。ワタクシはアンジェロイド、スミレ2800(ニーハチマルマル)と申します」

「アンジェロイド?」


 聞いたことのない単語だった。


「ご説明いたします。アンジェロイドとは、この那乃夏島での最後の生活を滞りなく過ごしていただくために生み出された、アンドロイド型天使の総称です。各種店舗、公共機関を運営し、住人の皆様に普段と変わらぬサービスを提供いたしております。またそれだけでなく、ハウスメイドとして希望者へのレンタルも行っております。なお天使型アンドロイドではなく、アンドロイド型天使ですのでお間違いのないよう」


 なんというか、那乃夏島らしい言い回しだった。


「それで、そのアンドロイド型天使さんが何用で?」

「那乃夏島における生活のレクチャー、およびアンジェロイドのレンタル申請の確認に参りました。まずはこれをご覧下さい」


 まるで神社でお願いをするように、パン、パン! とオネーサンが柏手を打つ。

 次の瞬間、ゲームの設定画面のようなモニターが空中に現れた。


「那乃夏島に移住された住民全員に配布された『ステータスモニター』です」


 はい? ステータス?


「そのとおりです。姓名、星名、現在状況、マップ、お天気、ルウちゃん情報、その他さまざまな情報が自動更新、表示されます」


 オネーサンに促され、俺も柏手を打ってみた。すると俺の目の前に、同じようなモニターが出現する。


 ステータスには、こう記されていた。




 ○姓名……皆垣草弥。

 ○星名……たよられれば、やすし。

 ○状況……まあまあ。

 ○現在のお天気……見れば分かる。

 ○ルウちゃん情報……とてもご機嫌。

 ○マップ……マップ画面に移動する YES・NO




「マップ画面では、これまでに赴かれた場所が自動的にマッピングされます。また重要な場所については、あらかじめマッピングされている場所もあります」

 オネーサンに促され、俺はマップ画面に切り替えた。半透明の地図には『ノキナミ商店街』『星見山(ほしみやま)』『聖クレナンド病院』などという重要ポイントがすでにマッピングされていた。ちなみに中央でピコピコと点滅している青い光点が自分らしい。


 しかしなんというか……


「マップ画面以外は、ずいぶんと適当な印象を受けるんだが?」


 つーか星名とかルゥちゃん情報ってなんだ、いったい?


「星名は、貴方に最も相応しい星の名前です。詳しいことは星見山におられるミズミカミ様にお聞き下さい。ルゥちゃん様は、あそこにおられます」


 オネーサンが頭上を指さした。

 その先にいるのは、ピンク色のクジラ?


「ルゥちゃん様です。ナイーブなクジラですので、あまり刺激されぬようにお願いします」

「いや、ナイーブって」


「ステータス画面について他にご質問は?」


 あまりにも突っ込みどころが多すぎて、逆に何も言うことが出来なかった。


「それでは次に、那乃夏島での生活における注意事項ですが」


 俺は耳を傾ける。これは重要なことだ。なんせここは七日で終わる不思議な世界にして、俺が人生を終わらせる島なのだから。


 が、しかし。


「特にありません。どうぞ、フツーにお過ごし下さい」

「……」


 フツー?


「はい、フツーです。勘違いされておられるようですが、ここ那乃夏島は不思議が少し多いだけの至ってフツーの世界です。それとも貴方は、ここがパラダイスかユートピアだと思って移住してきたのですか? この妄想花畑野郎め」

「誰が花畑野郎だ、誰が」

「もう一度言いますが、ここはフツーの世界です」


 天使のオネーサンは淡々とした声で、


「フツーに始まり、フツーに終わる。それが那乃夏島という世界なのです」


 なぜだか俺は、その言葉に深い虚無感と安心感を抱いた。

 そうだ、一体何を期待していたのだろうか。そもそも俺がこの世界を選んだのは、ただ単に、七日で終わらせたい事があったからだ。


「安心されたようでなによりです」

「ここの人たちに読心術が標準装備されているのもフツーなのか?」

「それはそれ、これはこれです。ちなみに貴方が、思っていることを無意識のうちにカミングアウトしたがる内面露出狂という説もあります。このマゾ野郎め」

「説ってなんだ、説って」


 というかスミレさん、あんた実は口悪いな。


「気にしたら負けです」

「オーケー、りょーかい」


 その他、いくつかの注意事項――といっても常識の範囲内――と、アンジェロイドの貸し出しに関する話を聞く。

 ちなみに希望者に対して労働力としてレンタルされるアンジェロイドだが、当然というかレンタル料が掛かるらしい。


 しかも、結構割高だった。


 確かに人手は欲しいし、普通のアルバイトさんを雇うくらいなら問題ないだろう。しかし、いくら何でも割高なアンジェロイドのオネーサンを雇うほどの余裕はない。


「それでアンジェロイドはどうされますか?」

「止めとく。そんなに余裕ないしな、俺の店」

「七日で終わるのに、貯蓄を残されても意味はないと思われますが?」

「……」


 情け容赦のないストレートパンチなスミレさんの意見に、俺は言葉を詰まらせた。


 確かにスミレさんの言うとおりだった。俺の人生はあと七日で終わるのだ。身寄りもない俺が何かを残してもどうしようもないし、それ以前に、終わるのは世界ごとだ。後には何も残らない。


 俺の中で、ふとこんな欲望がムクムクと顔を覗かせてきた。


『貯金をはたいて、豪遊してみるのはどうだろうか? スミレさんの話を聞く限り、アンジェロイドはたいていの命令には従うらしい。もしかしたら、店の手伝いだけじゃなくて、夜のお相手も勤めてくれるかも』


 いけない想像に、思わず顔と下半身が熱くなる。

 健全な青少年なのだ、勘弁して欲しい。


「何を想像しているのか、だいたい予想できますが」


 スミレさんはジト目で、


「草弥様がどのような七日間を送ろうと、それはそれで構いません。ですが、これだけは申しておきましょう」


 ふいに、無表情だった彼女の顔に感情の色が表れた。

 とても複雑なカラーリングで、俺にはそれが赤なのか白なのか黄なのか青なのか、さっぱり分からなかった。


「草弥様たち人間と同じように、ワタクシたちアンジェロイドもまた七日間で終わります。七日間のためだけに生み出された存在、それがワタクシたちなのです」

「え?」

「それだけ、記憶しておいて下さい」



 結局、アンジェロイドのレンタルはしなかった。







     ※







「本日のみですが、最低限、開店の準備をさせていただきました。以後は、どうぞご自由になさってください。なおもし、アンジェロイドが必要になりましたら、お近くで働いているアンジェロイドかワタクシにお申し付けを」


 それでは良い終焉を、と言って去ってゆくスミレ2800さんを見送った俺は、さっそく店の中に足を踏み入れた。


 狭い店内には、鉢植えの花たちが集合写真をとる観光客のように身を寄せ合っていた。入り口から向かって右奥にガーデニング用品と観葉植物があり、左手前にレジカウンターがある。


 以前はその横に切り花のブースがあったのだが、両親が死んでからは業者さんにお願いして仕入れをストップしている。鉢植えや店の裏にある温室や花壇の手入れだけで、正直、一杯一杯なのだ。おかげで店の売り上げは激減している。


 着の身着のまま那乃夏島に移住した俺だが、特に困ったことはなさそうだった。マイホームがここにあるのだから当然だ。


 レジカウンターには、赤く染め抜かれたエプロンが昨日使った状態のまま、電車の中で眠る酔っぱらいサラリーマンようにだらしなく置かれていた。鉢植えの花たちも見知った顔ばかりで、ここが本当に自分の実家なのか、それとも精巧にコピーされたイミテーションかは分からないが、すべて記憶の通りだった。


 あえて一つ、違うところがあるとすれば――


「こいつだけか」


 赤いエプロンを纏った俺は、ズボンのポケットからハンカチに包まれた拳大の塊を取り出した。


 花嫁にするようにハンカチのヴェールを除けると、金の塊か、あるいは小振りのタマネギみたいな球根が素顔をさらす。


 俺が持ち込んだ唯一のもの――それがこの球根だった。


「世界で一番キレイな花……イノチノシズクか」


 それは、世界で一番キレイだと言われている花の球根だった。

 同時に、事故で死んだ両親の形見でもある。


 名を――イノチノシズク。


 俺はさっそく球根を植えるべく用意を始めた。


 ガーデニング用品売り場から水栽培用の鉢植えを引っ張り出すと、その中に水道水と液体肥料を入れた。


 次いで、レジの下に置いておいた袋からあるものを取り出す。真っ白な粉状のそれは天然塩だった。


「まさか塩水で育てるなんてなあ……」


 そうなのである。


 このイノチノシズクという花は、驚くべきことに塩水でないと育たない花だった。それも、必ず人の涙と同じ塩加減でなければならないという。


 初めてそのことを両親から教えられたときは、つまり泣き虫専用の花というわけか、などと思ったものだ。


「よし、これでいいな」


 塩が完全に溶けたところで球根をセット・オンし、球根の下の部分がわずかに水に触れるように慎重に調節する。気分は初めて赤ん坊の入浴を行う新米パパといったところだろうか。


 入浴が完了し、俺はほうと息を吐き出した。後は塩分の濃度が変わらないように注意しながら、たっぷりの日光を当てればよい。そうすればすぐに花を咲かせるはずだ。


 ちなみにイノチノシズクが花を咲かせるまで、おおむね六~七日だという。


「最後に、お前を見て終わるわけか……」


 日当たりの良い場所に鉢植えを移動させ、俺はじっくりと球根を眺めた。

 今は金色のタマネギにしか見えないイノチノシズクだが、最終日にいったいどんな花を咲かせるのか、非常に楽しみで仕方がない。


 もちろん咲かないといった不安が無いわけではないが、しかし枯れた花を見ることに比べたら、大したことでは――



「タマネギに話しかけるとは……この根暗野郎め」


「へ?」



 振り返る。再び現れたスミレ2800さんが、痛ましげな目で俺を見ていた。


「大丈夫です。神様はいますから」

「なぜそんなかわいそうな子を見るような目で俺を見る?」

「金色に輝く天使の輪は、伊達ではないのです」


 意味不明だった。

 スミレさんはやれやれと頭を振った後、「言い忘れていたのですが」と前置きすると、


「実は留守番電話に、配達の注文が入っておりました」

「は? 注文?」

「はい。これが注文内容になります。では、良い終焉を」


 一枚のメモを差し出し、さくさくとマイペースに立ち去るスミレ2800さん。

 その背中を見送ったところで、俺は流暢な文字がフラダンスを躍っている紙面を見つめた。


「なになに?」



 配達先――『聖クレナンド病院』

 品目―――『退院祝いの花束』


 配達期限は…………本日の午前十時まで!


「しかも花束かよ!」


 思わず俺は、透明人間さんに向かって突っ込みを入れた。


 先ほどちらっと言ったが、今現在、俺の店では切り花は扱っていない。よって花束を作ろうと思ったら、店の裏にある温室や花壇から花を見繕い、纏めなくてはならない。ちょっとばかし手間の掛かる作業だ。


 ちなみに配達期限は午前十時。現在時刻はというと……


 あれ? 何時だ?


「あー、そういや時計がないのか」


「ニャ? ミーを呼んだかニャ?」

「うおっ!」


 観葉植物の合間から突如、巨大な三毛猫が、バッ! と顔を覗かせた。

 普通にびびった。


「グッド良い朝! ニャンと今は八時五〇分~ッ! 世界が終わるまで、あと一五九時間と九分と三七秒だニャ!」


 そう言うと、再び観葉植物の間に埋もれる時計ネコ。まったくもってよく分からない生き物だ。


 しかしながら時間を教えてくれたことについては感謝しても良い。


「つか、そんなこと言ってる場合じゃない」


 残り時間は一時間と少ししかない。


 俺はレジスターをロックし、カウンターに『外出中』の札を出すと、すぐさま店の裏の温室に向かった。






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