1日目 ~はじまるおわり~③




 たぶんおおよそ三十分後。


 大きめの花束をダンボールに入れた俺は、店の前に駐めておいた原動機付き自転車に乗りこんだ。高校を卒業してすぐに自動車学校に行ったので、すでに普通免許はゲット済だった。


 エンジンスタート。ずるずると走り出す。


『ノキナミ商店街』と銘打たれた商店街は、どこかガラーンとしていた。歩いているのもエプロン姿のオネーサン――つまりアンジェロイド――か、すでに悟りを得たかのようなお爺ちゃんお婆ちゃんくらいだ。若い人など殆ど見ることが出来ない。


 もっとも、それが普通だろう。


 当たり前だが、好きこのんで七日で終わる世界に移住してくる人がいるはずもなかった。少なくとも元の世界に居座れば、五二倍ほど長生きできるのだ。


 なのに、わざわざ短い人生を選ぶなど、よっぽどの酔狂者か、世捨て人か、あるいは俺みたいな変わり種くらいだろう。


 商店街を抜けたところで、俺はステータスモニターを出現させた。


 マップ画面に切り換え、配達先である『聖クレナンド病院』の位置を確認する。

 そこでふと、俺はあることに気付いた。


「聖クレナンド病院って……俺の街にあった病院だよな?」


 先ほど通り過ぎたノキナミ商店街を思い出す。


 ガラーンとした雰囲気はさておき、いかにも寄せ集めと言った感じの商店街だった。俺の花屋の横は文房具屋で、その向こうは洋食屋だった。


 ちなみに元の世界では、俺の花屋の両隣は空き店舗だった。


 このことから推測されるに、おそらくこの那乃夏島にある建物は、日本中のあらゆる場所からピックアップされたものを、しっちゃかめっちゃかに寄せ集めて構成されているらしかった。あるいは、この世界に移住してきた人たちのマイホームを寄せ集めた結果かも知れない。


 そんな雑多な島にある病院――聖クレナンド病院。


 ふと俺は、妙な寒気に駆られた。


「……まさかな」


 この世界に病院があると言うことは、そこに住まう……つまり長期入院している人がいるということだ。そして長期入院していて、かつ七日で終わる世界を選択したということは、その人はきっと自らの死を望んでいるに違いない。


 もしかしてこの花束は、そんな人に渡すのか?


「いや、違うか。そもそも退院祝いって話だし」


 汗と寒気を袖口でゴシゴシと拭い、俺は再び原付を走らせた。


 鍋底みたいなアスファルトの上を、赤いスクーターが溶けかけのバターのように滑ってゆく。一台の車ともすれ違わない。


 数分ほどしたところで、俺の視界に真っ白で医薬品くさいお城が飛び込んできた。



 聖クレナンド病院。



 なんでも聞いた話だと、かの有名なナイチンゲール大先生に師事したクレナンドというお姉さんの、その子孫が日本で建てた病院とのことだった。病院の横にはこぢんまりとした教会が建っており、その奥の森の中にはなんと墓地がある。


 つまり墓地付き病院というわけで、始めてそれを知った時、俺は妙な怒りとやるせなさを感じた。


 なんせ墓地だ。お菓子のおまけにチープなオモチャがつくのとは訳が違う。これほどブラックユーモアが効いた抱き合わせ販売もないだろう。


 だからこそ、俺はこう思った。

 きっとこんな病院、すぐに潰れるに違いない――と。


 もちろん、お見舞い客という有力な購買層が居なくなるのは花屋にとっては痛手だった。しかしそれでも俺は、こんな不謹慎な病院など潰れた方がいいと思った。


 しかし俺の予想とは裏腹に、聖クレナンド病院はいっこうに潰れる気配をみせず、むしろ年々大きくなり、俺の花屋を潤し続けてくれた。


 目に見える実績があると人間不思議なもので、それまで悪かったものが、急に良いもののように思えてくる。


 病院に墓地。お見舞い客にお参り客。売り上げ二倍。

 ようは現金な人間なのだ、俺は。


「行くか」


 病院の前に駐車した俺は、スクーターの後ろに括り付けておいたダンボール箱から花束を取り出した。自動ドアをくぐり、受け付けに向かう。


 病院内もガラーンとしており、ナースキャップを被ったエプロン姿のオネーサンたち――実際にそんな格好なのだ――だけが働き回っていた。


「すみません、フラワーショップ『ルンランリンレン』ですけど」

「承っております」


 三〇三号室に向かうように言われ、俺は勝手知ったる廊下を進んでいった。度々配達に来ているため、下手な短期入院患者さんよりも詳しい自信がある。


 ツルツルした廊下を進む。


 三〇三号室の前で一旦立ち止まると、俺は花束をチェックした。次いで自分の姿を見下ろす。いちおう仕事なので、ある程度は身だしなみにも気をつけなくてはならない。


 エプロン良し。頭髪良し。肩に鼻を押しつけてみるが、特に汗くささも感じない。

まあ、こんなもんだろう。


 ノック、ノック、ノック。


「どうも、ご利用ありがとうございます! フラワーショップ『ルンランリンレン』よりお届け物です!」


「ごめんなさい!」


「……はぁ?」


 花束を差し出した瞬間、謝られる。

 まるでプロポーズに失敗した三枚目ようだと、俺は思った。





     ※





 花束を作る際に気をつけなければならないのは、シチュエーションにあった花を選ばなければいけないということだ。


 たとえば菊などは、日本では仏さん用の花とされている為、お祝いの花束に使うことはタブーとされている。恋人に赤いバラの花束を贈るのは問題ないが、赤いバラの中に蕾が混ざっていると『自分には隠し事が存在する』という意味の花言葉になってしまい、図らずも「僕を疑ってください、プリーズ」というふうになってしまう。


 そんな訳で花屋には草花に関する知識だけでなく、雑多なうんちくが要求される。いちおう跡取り息子であった為、俺も暇なときは様々な書籍を読みあさってきた。


 とはいえ、この状況の対処法は知らなかった。


「つまりお金がないと?」

「はい……」


 俺の目の前では、一人の女の子がペコペコと頭を下げていた。

 驚くべき事に、その女の子はさきほどバスの中で俺の肩に寄りかかっていた女の子だった。幼さの残る顔に、心底申し訳なさそうな表情を浮かべている。


 彼女の話を総合すると、早い話、彼女は一文無しということだった。


 しかし、一文無しか。


 ふいに俺の頭に、淡い青少年色――要するに桃色ピンク――の妄想が思い浮かぶ。

 一文無しの少女と借金取りの青年が、病室で対峙していた。


『治療費が払えないと……そうおっしゃるのですか?』

『す、すみません! あと一週間だけ!』

『もう一週間もう一週間と……もう待てませんね。さて、どうしたものですか……こうなったら、貴方のご家族に……』

『お、お願いします! 家族にだけは……家族にだけは手を出さないでください!』

『なら仕方ありませんね。貴方の身体で払って貰いましょう(ベッドに押し倒す)』

『い、いや……』

『なに、じきに良くなりますよ』

『うぅ……お母さん……(牡丹の花が落ちる)』



 いや、ダメだな。

 女の子は大事にしなくては。



「あの……?」


 女の子がおずおずと声を掛けてくる。トリップしていたらしい。

 俺は努めて平常心を保つと、改めて現状について考察した。


 といっても考察する余地はほとんどなかった。鉢植えならともかく、一度切り花にしてしまった以上、花束を再び店に持って帰るわけにもいかない。


 なにより世界は後七日で終わるのだ。三八〇〇円の花束くらいサービスしたって罰はあたらないだろう。


 というわけで、俺はその旨を少女に伝えたのだが。


「そ、そんな、だめです」


 女の子は、蜂を追い払おうとする小熊のプー太郎のようにわたわたと手を振ると、


「お金なしに貰うなんて出来ません」

「いや、いいですよ。サービスってことで」

「うっ、そ、それなら…………って、やっぱりダメです」


 物欲しそうに花束を見つめながらも、しかし首を横に振る女の子。


 ずいぶんと頑固というか、生真面目な娘さんだ。


 とはいえ貰ってくれないのも困りものだった。せっかくの花束なのだから、俺みたいな汗くさい男より、彼女のような可憐なお嬢さんに愛でて貰いたいのだが。


「じゃ、じゃあ、アレです。身体で払います」

「へ?」

「ダ、ダメですか?」

「ダメって……」


 身体で払う、だと?


 喉がゴクリとなる。

 ま、まさかここでそんな桃色ピンクな展開になるのか?


 いや、別に異存はないというか、でも心も体も道具も、何もかもが準備不足だし……


「私、一生懸命働きますから」

「……」


 ほわっと?


「……働く?」

「はい」


 そこで俺は、ようやく『身体で払う』が『肉体労働』の意味であることを悟った。

 避妊のことを本気で心配した自分が、いかにアホかよく分かった。


「どうしました?」

「いや、なんでも」


 俺はゴホンと咳払いする。

 しかし肉体労働か。


「お願いします。一生懸命やりますから」

「やるって、何を?」

「もちろん花屋さんのお手伝いです。お兄さん、よく配達に来ている花屋『ルンランリンレン』の店員さんですよね?」

「店員というか、いちおう今は店長だけど」

「店長さんですか!」


 女の子は、パッと顔を輝かせると、


「お願いします、店長!」


 赤い布を見た闘牛のように俺に詰め寄ってきた。


「実は昔から、お花屋さんになるのが夢だったんです。私、すっごい有能ですから。ほんとにお買い得ですから。それにもし私を雇わなかったら、アトランティス文明を滅ぼした呪いをかけちゃいますし」

「待て、微妙に脅しが入ってないか?」

「お願いします、雇ってください、店長」


 両手を胸の前で組み合わせ、懇願する女の子。


 ちなみにアングル的に、ちょうど彼女の胸元が見える位置だった。腕によって押しつぶされた双丘が、怪しい踊りを踊るスライムのようにむにゅむにゅと変幻自在に形を変えていた。


 なるほど、確かに隠れ巨乳だ。


「お願いします、店長!」


 グワシッと俺の腕にすがりついてくる女の子。


「何でもします! お給料もいりません! 働かせてください!」

「あたってる! なにか柔いのかあたってるから!」

「あ、あててるんです!」


 女の子はほんの少し頬を赤く染めながら、


「これで雇ってくれなかったら、痴漢で訴えちゃいます!」

「俺、逃げ道なし!」


 数分後、『病院内では静かにしてください!』と怒鳴り込んできたナースのオネーサンによって、俺たち二人は病院からつまみ出されることになった。






     ※





「あはは、その、追い出されちゃいましたね?」

「まあ、当然と言えば当然の結果だな」


 俺と彼女は、二人して病院の前のベンチに座り込んでいた。天高く居座ったお日様が、こっちに向かって「これでも喰らえぇ!」と怪光線を浴びせかけてくる。


「暑いですね」

「ああ、暑い」

「雇ってくれますか?」

「……」


 俺は無言のまま、抱えていた花束を少女に手渡した。


 すでに俺の中では、彼女を雇うことが半ば決まっていた。アンジェロイドならともかく、バイト一人を雇うくらいの余裕はある。


 しかしそのまま「はい、雇います」というのも癪なので、俺は少々意地悪をすることにした。


「名前、わかるか?」

「え?」

「就職テスト。花の名前が全部分かったら雇うから」

「が、頑張ります」


 少女はむむむっ! と花束に顔を寄せた。まるで近くで見れば近くで見るほど、花の名前が分かるとでも言うように。


「かすみ草と白ユリと……カーネーション……じゃないですよね?」


 橙色の花を見つめ、彼女は首をかしげる。

 数秒後、彼女はピンポーン! と手を叩いた。


「分かりました。ダイアンサスです」

「オーケ、雇おう」

「あ、ありがとうございます、店長」


 花束を抱えたまま、女の子はペコリと頭を下げた。


「私、一生懸命働きますから、よろしくお願いします」

「よろしく。ええと……」


 そう言えば名前を聞いてなかったな。


「あ、申し遅れました。私は衣留です。夢野衣留(ゆめの いる)っていいます」

「よろしく、夢野さん」

「衣留でいいです」

「わかった、衣留。俺は皆垣草弥だ。七日間だけだけど、よろしく頼むな」

「はい。私、お掃除もお料理も頑張りますから」

「お掃除? お料理?」


 ん? どういうことだ?


「実は言い忘れてたんですけど……」


 衣留は上目遣いに俺を見つめ、あははと乾いた笑みを浮かべると、



「実は帰る場所がなくって……というわけで、その、住み込みでお願いします」

「…………うわお」





 どうやらこの七日間は、俺にとって最も長い七日間となるらしい。


 はてさて、どうなる事やら。









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