1日目 ~はじまるおわり~①




 ボンネットバスの最後部座席に、ギラギラとした朝の日差しが差し込んでくる。



 俺の『那乃夏島なのかじま』での初めての朝は、鶏の鳴き声でも、目覚まし時計の電子音でもなく、首から懐中時計を提げた巨大な三毛猫のダミ声で始まった。



「グッド良い朝! ニャんと今は一日目の午前七時四八分~ッ! 世界が終わるまで、残り一六〇時間と十一分と四秒だニャ!」

「うおわぁっ!」



 マジでびびった。


 考えてもみて欲しい。古くさいボンネットバスの最後尾で目を覚ましたら、バスの窓から巨大な三毛猫がニュバッと顔をのぞかせ、シュタッと片手を上げながら現在時刻を教えてくれていたのだ。


 てか、この猫フツーにしゃべってるぞ……?



「おや、どうして黙っているニャ? 朝の挨拶は『おはよう』だニャよ?」

「あ、ああ? おはよう?」

「グッド良い朝!」

「おはようじゃないのかよ」

「細かいことを気にしたら負けだニャ。もうここは『那乃夏島』だニャよ。優しい神様が創った七日で終わる世界。だから何でもありだニャ」

「いや、それとお前の挨拶とは全くの無関係じゃ?」

「おぉうっとだニャ」


 三毛猫はわざとらしく声を上げると、首から提げた懐中時計を見た。ゼンマイ式なのか、チクタクというクラシカルな音を奏でている。まるで不思議の国のアリスに登場する『時計ウサギ』の懐中時計のようだ。


 もっとも、今の所有者はウサギではなく巨大な三毛猫だが。


「ニャニャんと、よく分かっただニャ」


 驚きの声を上げるダミ声猫。


「これは時計ウサギ殿から譲って貰った、由緒正しき懐中時計だニャよ」

「本物だったのか、それ」


 というか人の思考を読むな。


「ちなみに時計ウサギ殿の話だと、この懐中時計は、フック船長の腕を食いちぎったチクタクワニのお腹から取り出したらしいニャ」

「ワニの腹から取り出したのか? しかもウサギが?」

「不思議の国の住人はスパルタンだニャよ」


 そういう問題ではない気がしたが、しかしこの三毛猫を見ていると、どこか納得できるのも事実だった。この三毛猫も不思議な存在に違いはないのだから。


「そのとおりだニャ」

「だからお前は人の思考を読むな」

「おぉうっと、あんまり大きな声出しちゃダメだニャよ。可愛いレイディが起きちゃうだニャ」


 ニマニマと癪に触る笑みを浮かべ、俺の隣を指さす三毛猫。

 ん? 隣?


「くぅ……すぅ……」

「へ?」


 ようやくそこで、俺は自分のすぐ隣に一人の女の子が座っているのに気付いた。白いサマーワンピースに身を包み、さらさらの髪を伸ばしている。バスの窓からフリーフォールしてきた朝日が、少女の髪に金色のリングを描き出していた。


 月並みに言えば、深窓の令嬢。あえて不健全な表現をするなら、病弱な妹といったところだろうか。


 そんな形容がぴったり来る女の子が、くぅすぅみぅと寝息を立てていた。

 数秒後、バスの揺れによってバランスを崩されたのか、女の子はねらい澄ましたかのように俺の肩に寄りかかってきた。


「すぅ……」

「……」


 思わず身体を硬直させる。

 うらやましいシチュエーションだニャ~、などと思う輩がいたら、一度脳味噌を取り出して石鹸でゴシゴシと洗ったほうがいい。


 いくら相手がかわいらしい女の子であろうと、たとえフローラルなシャンプーの香りが鼻先をくすぐったとしても、それを上回る気まずさが俺をジクジクと蝕むのだ。もし目を覚ました女の子に痴漢と間違えられたら? といった不安が襲いかかってくる。


 彼女が割と爆睡中であることと、このボンネットバスに乗っているのが俺たち二人だけなのが、救いと言えば救いだろうか。


「ムムッ? ミーが数に入ってないニャよ?」

「窓の外だろ、お前。つか、しゃべる猫は除外だ」

「横暴だニャ。現在時刻を教えてあげないニャよ」

「いや、別に構わんし」


 わざわざ猫に時間を教えて貰わなくても問題はない。

 腕時計もスマートフォンも――


「あれ、ない?」


 腕を見る。愛用のデジタル腕時計がなかった。


「当然だニャ」


 猫は得意げにヒゲを撫で撫で。


「那乃夏島では、時間を教えてくれる機械の一切がないのだニャよ。時計を持っているのは、ニャニャンと、この時々丸ドキドキマルさまだけなのニャ。つまり時間を知りたかったら、ミーを呼ぶしかないってことだニャよ」

「横暴だ。断固抗議する」

「ミーは構わないニャ」


 フフン、と鼻で笑う猫。ちなみに時々丸という名前らしい。

 そのヒゲ、いつか引っこ抜いてやる。


「やれるもんならやってみるニャ。それより、もうすぐ着くだニャよ」


 猫の言うとおり、数秒後、車内アナウンスがピンポンパンポンと鳴り響いた。



 ――まもなく~、フラワーショップ『ルンランリンレン』前~!



「う、ぅん……」


 音に反応し、女の子が寝ぼけた子犬のようにピクピクと身体を動かした。俺の肩にやんわりとした重みがかかり、ほんの少しドギマギする。


 女の子が着ているのはノースリーブのワンピースで、僅かに汗ばんだ雪見大福のような二の腕が俺の脇腹に当たってきた。もっちりとして少し冷たい体温が、割と心地よかったのは黙っておく。


 しばらくすると、バスが減速しながら大きく右に曲がった。ピンポイントな横方向の重力に引かれ、少女の頭が一瞬、俺の肩から離れる。


 そのチャンスを逃さず、俺は素早く後部座席から立ち上がった。

 再び枕を求めて身体を傾けてきた少女は、俺の肩があった場所を華麗にスルーし、そのままこてりんと後部座席に横になった。


 正直に言おう。とても可愛い仕草だ。


 そのままくぅすぅと眠り続ける女の子を鑑賞していたかったが、いくら公共交通機関内とはいえ、年頃の娘さんの寝顔を無断で拝み続けるのは英国紳士的ではない。


 別に英国紳士を目指しているわけではないが。


 それにしても、すこし寒そうだな。


「ニャニャ? 襲うのかニャ?」


 羽織っていたサマーパーカーを脱ぎだした俺を見て、不届きな猫がそんな事を曰ってきた。


 なぜか興味津々の瞳で、


「そのレイディ、実は隠れ巨乳だニャよ」

「どこだ、その情報のソースは?」


 そうか、隠れ巨乳なのか……って、そんなことよりも、


「人聞きの悪いこと言うな、エロ猫」

「英雄、色を好むだニャよ」

「いつ英雄になったんだ、お前は」

「ほらほら、もう着くニャよ」


 まもなくして、ブロロロ……ブスン、とバスが停車する。

 ちっ、運のいい猫め。



 ――フラワーショップ『ルンランリンレン』前~、『ルンランリンレン』前~!



 俺はパーカーをそっと少女にかけると、猫に向き直り、


「襲うなよ」

「そんなことしないニャよ。これでもミーは元英国紳士だニャ」


 まったく説得力がなかったが、まあいいだろう。

 なにかあったら、それこそ本気でヒゲを引っこ抜いてやる。


「じゃあな」

「それじゃニャね。世界が終わるまで残り一六〇時間と五分と四五秒。しっかり楽しむといいニャよ、皆垣草弥みながき そうやニャン」


 シュタッと片手を上げる三毛猫に別れを告げ、次いで運転席に座っていた無表情なオネーサンに軽く頭を下げると、俺はボンネットバスを降りた。


 俺が降りたのを見届け、ブスブス……ブロロロロ、とバスが再び走り出す。


 ちなみにバスの周りを眺めたが、三毛猫が捕まっていられるような取っ掛かりは一つもなかった。


 あの猫は、いったいどうやって浮いていたのだろうか?


「まあ、いいか」


 空を仰ぐと、綿菓子の様な雲の間を巨大なピンク色のクジラがふよりんふよりんと泳いでいた。ピンククジラが空を泳ぐのなら、宙に浮かんだ猫がしゃべったところで不思議はない。


 たぶん、きっと。


「気にしたら負けっぽいな」


 俺はそうそうにこの世界の常識を悟る。




 那乃夏島なのかじま


 神様の創った、七日で終わる不思議な世界。



 俺こと皆垣草弥は、この世界で最後を迎えることになった。




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