第19話 夕食と就寝

 「はい、お待たせ。」


 スープ鍋を抱えた彼女がドアを開けて入ってくる。

 トン、とそれが食器の並ぶテーブルへと置かれ、それにされている蓋の間から細い湯気が立っている。


 「美味そうだな・・・・・・。」


 そこから朝に嗅いだものよりも肉の深みが増した匂いが漂ってくる。

 

 開いたドアを中で彼がゆっくりと閉じ、席に着く。


 卓上にスープ、ふかふかのパン、ナイフで大きめに切られた牛肉が出揃った。


 焦げ茶色の皮と中身がピンク色のそれが彼の口に唾液を沸かせる。


 そして彼女が鍋の蓋を外すと、ぶわっと野菜と肉とが絡み合った香りがぶわっと広がった。

 並々とそこに居座るその表面には油の水滴が出来ており、それらが絶えず循環し中央へ縁へと踊っている。

 

 溜まらず彼がそこを覗き込むとその顔が湯気によって湿り、思わずその瞳を閉じる。

 彼の腹の虫が鳴った。


 「じゃあスープの器を頂戴?」


 彼女の伸ばす手に彼がスープの器を渡す。

 木のお玉でとろりとしたスープがすくわれ、器に波を立てながら注がれていく。


 最後に大きな牛肉の塊を入れて彼の前に置いた。


 「でかいな・・・・・・。」


 スープに聳え立ったそれはてらてらとスープの水と油とで光っており、その下に沈んでいる野菜らにそれらの濃縮された旨味が沈み込む。

 

 口の端から涎が流れそうになり、とっさにそこを親指で拭う。


 「でしょ。大胆にいってみたんだ。」


 彼へ楽しそうに微笑み、彼女が自身の器にスープを注いでテーブルに置く。


 「もう食べてもいいか?」


 「待って、最後に。」


 急かす彼の言葉に彼女が笑みを零しながら制止し、食器棚からナイフを取り出す。

 そして彼のパンにそれで横一文字に切込みを入れた。


 「間に牛肉を挟んだらきっと美味しいよ。」


 と、自身のパンにも切込みを入れ、ナイフをさっと白い布でふき取って元の場所へ仕舞った。


 彼女が頷いたのを確認すると、彼がバッと手を伸ばして厚切りの牛肉を一切れ掴む。


 クンクンと鼻を鳴らして匂いを嗅ぐ。

 獣臭さが僅かにするものの、それを上回る濃厚な旨味の匂いと食欲を掻きたてる朱色の皮とピンクの中身。

 そしてその手から伝わる極厚の噛み応え、それらの要素を目の当たりにし、彼が生唾を飲み込む。

 

 奥歯が見える程に口を開きガブリ、とそれを噛む。


 歯を動かしそれを噛み千切ろうとする度に油が染み出して来、それが舌へと滴下する。


 その度に胃がこれから来るであろう大物に舌なめずりをし、腹の虫という形で声を上げる。


 ブチリ、とようやく噛み千切ることに成功し、奥歯で何度も噛む。

 ジュワっとより濃厚な油と旨味が咥内へと広がり、彼の目が細くなる。


 そして口の中で揉まれて繊維状となったそれをゴクリ、と喉を鳴らして飲み込む。


 それに反応して胃がギュルギュルと音を立て、彼に一層増して空腹感を煽る。


 手にした残りのそれを口に入れ、そのまま口の動きを止めずにパンを手に取る。


 さほど力を入れてないがその生地へしっとりと指の腹が沈み込むほどに柔らかなパン。その切込みへ牛肉を手に取ってそこへねじ込む。


 きつね色の外套がいとうを身に纏った朱色、それが彼の胃袋を痛くなるほどに刺激する。

 豊かな土と輝く太陽の恩恵おんけいを浴びて育った小麦の風味が肉の香りに負けじと主張し、切れ込みからは肉汁が彼の口から溢れる涎の様に滴っていた。


 大きく顎が外れそうなほどに口を開きガブリと齧りつく。

 

 ゴツゴツとした肉とそれを優しく包むふかふかのパン。

 そしてその二つが口の中で合わさって混ざり、滴る油と小麦との味と風味が自然と彼の咀嚼そしゃくを加速させる。


 「美味いな・・・・・・。」


 そのあまりの美味しさに彼の涙腺が緩んだ。


 イリスの様子はというと、彼の食べっぷりを見ながらスープをスプーンで掬いちびちびと飲んでいる。

 次に彼女はパンを手に持つと、スープにそれを少し浸す。


 濡れてポタポタとスープを滴下させるそれをもう片方の手で下から皿を作り、口へと運ぶ。


 「ん・・・・・・。」


 野菜、小麦、肉から染み出た油とが彼女の舌に触れ、その顔がうっとりとした表情となる。

 目を閉じ、モグモグとゆっくりと咀嚼を繰り返す。

 

 そんな彼女の様子を見た彼は同じように自らのパンをスープに浸し、ポタポタと机に落ちる雫を気にせずにそれを口に入れた。


 「これもいいな。」


 もっもっ、と口を動かしながらくぐもった声で呟いた。

 

 

 「そういえば、朝は有耶無耶うやむやになったが。」


 洗い場から持ち帰ってきた食器をカチャカチャと仕舞いながら、彼が椅子に座ってカップで茶を飲む彼女へ尋ねる。


 「ん、何?」


 コトン、とそれをテーブルに置き彼の背中を見る。


 「どうしてお前だけここにいるんだ?サルウィとアウラはどうしたんだ?」


 その言葉に彼女が小さくうめき、彼がこちらを見ていないのを幸いに頭を抱えこめかみを抑える。


 が、食器の音が止まったのを察知し、その頭を伸ばして背筋をピンと伸ばす。


 「あ、そういえば私ね。明日から教会でシスターをして欲しいって・・・・・・。」


 「やっぱり、何かマズい事が有ったのか?」


 彼がイスに座り、彼女と向かい合わせになる。


 「俺に言えないくらい、ヒドい事があったのか?」


 上体を彼女の方に傾け、彼女の目をジッと見つめる。

 自身の中で膨れ上がっていく不安感を彼女の目を見つめること沸く羞恥心しゅうちしんとで相殺しようとした。


 やはり、二人に何かがあったのだろうか。

 彼女が慌てて話題を変えようとするのだ。口にするのも憚れるような、そんな尋常ならざる事態が起きて・・・・・・。


 「ち、違うの!実は・・・・・・。」


 彼女が自身のカップを両手で包み、そこに入った液体を見つめる。

 僅かに揺れたせいで揺れ、それがピタリと制止するまで見つめたのちに息を吸い彼の方を向く。


 「・・・・・・二人と別れたの。」


 「え、別れた?」


 「引き留められたけれど、強引に別れてきたんだ。」


 予想を裏切る言葉に彼が唖然とする。

 彼女の役割を考えると、あの二人から離れるべきではない。

 理由はあれど、その行動は彼には理解できなかった。


 「お前しか回復呪文を使えないのに、なんであいつらと別れたんだ?」


 彼の語気が強くなった。


 二人ならば大きな怪我もなく今も旅を無事に続けられているかもしれない。

 だが、想定外の事態は旅に常に付きまとうという事実を彼はその体に染みていた。

 誰もいない森の奥地や洞窟の最奥でもしそんな事態が起きて瀕死の重体を負ったりしたらあの二人でもどうなるか、彼には分らなかった。


 「サルウィとアウラだけじゃ治療は出来ないんだぞ。」


 理由はなににしろ、あの二人を危険に冒す事態となったという事が彼の声を幾らか荒げさせる。


 「だって、グランがあの時、自分の身も顧みないであんなことをするから・・・・・・っ!」


 「だからといって二人から離れる理由にはならないだろ!」


 「グランの事を思い出すから離れたの!」


 彼女の叫びに彼が面食らう。


 「二人と居ると、グランと旅をした事をすごく細かく思い出しちゃって、とても辛かった。」


 下を俯き、カップを握る手が角ばる。


 「宿屋でさ、3人で話し合ったんだ・・・・・・これからの事を。」


 呟くようなか細い声でその口から紡がれてゆく。


 「勇者様は強引に魔王城にまた行くといって私とアウラさんの話を聞かなかった。その時にね・・・・・・。」


 その小さな肩が震え始める。

 

 「グランが止めてくれる、勇者様を窘めてくれるって。思ったんだ。」


 どこにも居ない筈の人物の声。


 彼自身もサルウィからそのような事は耳にしていた。

 その事を話す彼の顔は、憎悪やら後悔やらが混じり合った複雑な顔をしていた。


 「もうグランは居ないっていうのにね・・・・・・。」


 そんな思いを、俺がさせてしまったのか。

 

 彼の視線が彼女のカップへ落ちる。

 

 手も肩と同じく、ふるふると震えていた。


 

 窓の外は暗黒となり、どこからかはフクロウの鳴き声が聞こえて来る。

 時折吹く強い風が木々の間を吹き抜けてさざめく。


 燭台に乗ったか細い蝋燭が机に一本のみ置かれており、それがぼんやりと弱弱しく家の中を照らす。


 狭い家の中でもベッドは二人分置かれていたが、今日はそのうちの一つが空いており、代わりにもう片方のベッドが盛り上がっている。


 「やっぱり狭いね・・・・・・。」


 彼女がかつての記憶を思い起こす。


 子供の頃は自身と同じくらいの背だった彼。

 こうして一緒にベッドで寝た時は広々としていたこの四角い空間も、今では彼の体がピタリと密着しているのにも関わらず、そこから腕や足がはみ出そうになる。

 

 「あの頃から大きくなったしな。」


 彼がかかっているブランケットを少し剥ぎ、深呼吸をする。

 

 背中から伝わる彼女の暖かさと柔らかさ。

 戦闘中でないのにも関わらず手から足先に至るまでが研ぎ澄まされ、ドアの間から入って来ては指の間を掠める夜風や足に触れるシーツのザラザラとした質感。そして後ろから肩を掠める吐息や小さな手の感触に心臓が早鐘を打つ。


 「その、さっきはすまなかった。」


 そのままの姿勢で彼が呟くように言う。


 「お前の気持ちを考えなくて、すまない。」


 魔王城で3人と別れる羽目となった自らの最後の判断と油断。

 あの魔方陣が目の前で消えるとき、自分の死と共に3人が無事であることに彼は安堵をした。

 

 だが、彼女はそれを望んで居なかった。

 彼女の涙はかつて巨大な滝を共に見に行った時、その時の感動の涙以来であった。


 彼の前では明るく振舞う彼女の、その胸の内を吐露したあの表情が彼の胸をズキズキと締め付ける。


 「ううん。グランは正しいよ。」

 

 自らの浅はかさを認めるその言葉。

 彼女は彼の道理は理解していた。

  

 思えば、こうして彼と衝突はしたことが無く、彼の無謀とも言える自己犠牲を黙って見ていることしかできなかった。

 彼の頼もしさに、彼女は甘えていた。


 彼女の行動の原因はそうした彼とぶつかり、彼の自己犠牲をやめさせようとしなかった事が原因なのかもしれない。


 そうすれば、あそこで彼との死別を味わうことも無かっただろう。

 

 「もう、無理はしないでね。」


 次に彼が目の前から消えてしまったら、彼女は自身がどうなってしまうのか分からなかった。

 

 「私を残して、先に死なないで・・・・・・。」


 縋るようにその広い背中に手と頬を添える。


 わかった、と頷き彼が目に溜まった雫を拭う。


 自身が良かれと思ってした最後の決断。

 その決断に、彼はようやく後悔した。


 「もうお前を残して死にに行くような事はしない。」


 腕へと伸びてきた手を握る。


 イリスを残して死んでもいいと、俺は思ってたんだな・・・・・・。


 細く冷たい手が彼の顔を曇らせる。

 

 彼のその言葉を聞くと、彼女が一層増して彼の背中に体を密着させる。

 

 シーツが擦れる音と共に、背中全体にじわりとむず痒い温さが広がってゆく。

 

 トクントクン、とか弱い鼓動がそこを伝い、彼の鼓膜を震わせる。


 「私、グランとまたこうして過ごせて・・・・・・幸せだよ。」


 「ああ、俺もだ。」


 顔の火照りと頭がぼうっと熱せられるのを感じながら、彼らは目を閉じだ。

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