第16話 鍬を土に突き立てる作業
グランが屈み、鍬で耕された土を触る。
ふかふかで湿った土の感覚が伝わり、香しい匂いが鼻へと届く。
動物の糞の混じった強烈な臭い。
「ふう・・・・・・。」
だが、彼はその臭いを目一杯吸い込んで体へと循環させる。
物心を覚えた頃から嗅いでいた臭い。その刺激と生きているという実感とにより彼の目が潤う。
ちょっと借りるぞ、とカルボがそこにいた村人から鍬を取る。
「今は種植えの時期でな。丁度最初から教えてやれる事ができる。」
そう言うと手にした鍬を腰の高さまで振り上げ、土へと振り下ろす。
ザクッ、と刃先が沈み、そこから飛沫を上げて僅かに茶色が飛び散る。
それを何度か繰り返す。
ザクッ、ザクッという小気味よい音が魔王の鼓膜を震わす。
「こうやって、まずは土を耕すんだ。」
「ほう・・・・・・。」
彼女が腕組みをしてその一連の動作を最後まで余さず凝視する。
彼女の目にそれは、剣を振るよりも簡単で、人の首を繰り落とすよりも容易に映った。
「それじゃ、早速やってみろ。」
と彼女の手に鍬が手渡される。
持ち手の木は所々がささくれており、汗が染みこんで黒く変色している部分が随所にある。
その手にズシリと重さが掛かる。その重さは、先端に仰々しい刃の付いている斧を彼女の脳裏にへとよぎらせる。
といっても、その先についている土の付いた黒鉄色を見ればそのような用途に使われるもので無いことは一目瞭然である。
持ち手が折れることを考えずに突き立てる、とすれば敵に損傷も与えられるだろうか。
ふと、そんな考えを抱いた自分を嘲り、その口の端が上がる。
彼女にとって鉄とは、敵を殺すために砥がれた武器や身を守る鎧でしか見たことが無かった。
故に、目の前のそれは今までの価値観になぞるのであれば、ただのなまくらであり、無用の長物であった。
だが。
「これが、一歩になるのだな。」
故郷を救うには今までとは何から何まで違う事をし、違う価値観を持たねばならないという事を彼女は分かっていた。
故に、目の前のそれの頼りなさが今はとても頼もしかった。
さっきの彼と同じように腰の辺りまでそれを持ち上げ、土へと振り下ろす。
「っ・・・・・・。」
振り下ろすと、その重さに加えて体重を掛けたことにより上体が前へ吊られて行き姿勢を崩す。
頭のツノがブン、と横に突き出され、ヒゲを蓄えた彼が首を少し傾けて避け、グランは飛び退いて躱す。
「力を入れすぎだ。そんなんじゃ半分が終わる頃には腰言わせるぞ。」
彼が手の力を緩め、足を肩幅に開くように促す。
「ふむ、こうか?」
ザクッ、と鍬が土に音を立てて沈む。
上体がその重さで僅かに前方へと引っ張られるが、先ほどの様に姿勢を崩すほどではなかった。
「まだ色々細かいところがあるが、まあ及第点だな。」
このままこの列をやってみろ、と彼が顎で目の前の盛り上がった土を指す。
分かった、と彼女が頷き、土へ鍬を突き立ててゆく。
歪な間隔でそこが音を立て、時にそれが大きな飛沫を上げる。
「おい、グラン!お前は種植えだ。さっさと取り掛かれ。」
魔王と村長とのやりとりに冷や汗を掻いていたグランはその声を聞きビクン、と体を反応させて離れた場所にある藁ぶき屋根の小屋へと駆け足で向かった。
「おい、この次は何をするんだ?」
開始地点から中ほどまで来た彼女は、鍬を土に立てては手を離してふるふると振る。
「何先の事を話してんだ・・・・・・。まだ半分も終わってねぇぞ。」
もう疲れたのか?とカルボがその鍬を手に取るべく手を伸ばす。
それを彼女はフン、と鼻を鳴らす。
「人間ごときに後れを取る我ではない。」
そう吐き捨てると、鍬を再び手に持ち作業へと戻る。
勢いが余り何度か土が高く飛び散る。
やがて、グランが畑へと戻ってきていた事に彼女が気が付く。
彼の手には薄汚れた麻袋を手に持ち、その中から小さく細長い何かを取り出しては畑の土へとパラパラと落とし、次にそのあたりの土を掬い落としたものに蓋をするようにそれを被せている。
「あいつ・・・・・・ご主人は何をしているのだ?」
「種植えだ。作物の元になるものを土に埋めてるんだ。」
明日はそれを教えてやる、とカルボが続けて言う。
「ふむ?なぜあいつはこの作業をせぬのだ?」
彼女が辺り一面の様子を観察すると、まだ鍬の突き入れてないであろう部分が多く見受けられた。
数で言うならば彼もこの作業に加わった方が素早く終わり、今日で種植えとやらを指導する時間ができるだろうに。
なにより戦闘面での姿しか知らないものの、彼は怪力を持っている。
猶更これをやらせぬというのが理解できない。
そう疑問を抱いていると、カルボがああ、と頭を掻く。
「あいつはその・・・・・・力が有り余って鍬を全部ダメにしちまったことがあってな・・・・・・。」
彼女が鍬と種植えを神妙な面持ちでしている彼とを交互に見る。
刃を交わしたあの時の様に眉間にシワは寄っておらず目は吊り上がっては居ない。
むしろ、時折その口元が上がっている時が見受けられた。
その視線に気が付いた彼が顔を上げて彼女を見るとその顔が強張り、再び下を向いて作業へと戻る。
その彼がこれを何本も折ったという事実を知り、鼻で嗤う。
「グランと戦ったんなら、まあなんとなく分かるだろ?」
カルボのその言葉に彼女は腑に落ちた表情を浮かべた。
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