第11話 故郷へ向かう馬車にて


 「ほう・・・・・・ほうほうほう。報告にあったように美しい場所だな。」


 グランの横にいる魔王が外の景色を見て呟く。


 頬を撫でる青い風、透き通るような美しい青空と綿の様に白い雲がはるか上空にどこまでも広がっていた。

 彼女の力であれば容易く掌で潰せそうな程のか弱い小鳥がチチッ、とさえずり彼女のすぐ傍を飛び抜ける。

 その生き物の接近に気が付かず、僅かに眉をしかめて頭を引く。


 「お、おい。あまり頭を出さないでくれ。馬車から角が出てしまう・・・・・・。」


 横に座っているグランが彼女の肩を掴み窘める。

 

 今彼らは魔王城より出て彼が通ってきた道を遡って人間達の住む世界へとやって来た。それから当面の目標を話し合った結果、彼女の異形の姿の事で町へ繰り出すとそこで暮らしている人に多大な混乱が起こる事を案じ、彼の故郷へと一度行きそこで今後の話をすることとなった。


 馬車の御者を見つけ三人用の金額を渡し行き先を告げる。

 御者と話している間は二人共人間の姿を模していたが、馬車へ乗り込み御者の死角に入るや否や元の姿へと戻った。

 「なぜすぐに元の姿に?」と彼が尋ねると魔王は「人間の姿には僅かな時間でもなりたくない。」と言い放った。


 2頭の馬の足音とゴトゴトと道を走る車輪の音。緊張と不安で無意識の内に呼吸も浅く時として頭もフラついていたが、聞き慣れた音が耳に届き、胸に溜まった空気を一気に吐き出した。


 「あっ、見てください。綺麗なお花が・・・・・・。」


 彼の向かいに座るアルラウネの彼女が指を指す。

 黄色い花が道沿いにまばらに生えており、それを見て目をキラキラと輝かせている。


 「摘んでみてもよろしいでしょうか、ヴァル様。」


 「今馬車から降りるのは危ないぞ。俺の村なら沢山生えてるからそこで摘んでみたらどうだ?」


 「えっ、本当ですか!」


 ぱあっ明るい顔で彼の事を見る。

 体をそわそわとさせ、頭の花弁がフワフワとしている。

 

 「しかし、ここまで美しい世界とはな。人間には勿体ないくらいだ。」


 外を見つめたまま魔王が呟く。


 「人間に危害は・・・・・・加えないんだよな?」


 彼女の口から恐ろしい言葉を聞き取り、ビクビクしならが尋ねる。


 「当然だ。ただ、我らの土地を蘇らせるとここ以上に美しい土地になるであろうな。」


 緩やかに口角を上げ口から笑みを零した。


 馬車の中の彼を除いた2人は、魔王城に居た時と同じ人物とは思えないほどに様子が変わっていた。


 目の前の少女は代わる代わる飛び込んでくる景色の数々に目を輝かせながら見ている。川に掛かっている橋を渡った時は「あれは何?」と川を指差し彼へしつこく言い寄った。

 

 魔王は少女程大げさではないが、縁に頬杖を付きじっくりと景色を眺めている。時々「ほう」と言っては鳥や木々の奥に見える動物などを目で追っている。


 だが、彼だけは魔王城の時と同じであった。

 膝の上に置いた手が握りこぶしを作っており、魔王と少女とを交互に何度も見ている。


 「うぅ・・・・・・。」


 命のやり取りをしていた者が今は彼に触れあいそうな程の距離で隣にいる。

 あの時、歯を食いしばって仲間を逃がすため盾を構えて立ち向かった魔王が、その時に盾を持った手と同じ手がその魔王の腿に触れ合いそうになる。

 魔王の存在が依然として彼の脅威である事は変わらない。

 見慣れた景色に懐かしい土と草木の香り。耳障りの良い鳥のさえずりに風でそよぐ木々の音。

 それらを見て「帰ってきた。」と実感こそするものの、手放しで気を許す事などできなかった。

 勇者一行として旅をしていたあの張りつめていた空気から一転し、まるで時間がゆっくりと経っているのかのように暖かくゆったりとした春の陽気がぽかぽかと馬車内を満たす。

 それは彼の瞼を重くさせるが、それを目を無理やり見開いて意識を保つ。

 

 「ところでグランよ。」


 魔王が馬車内の一点を凝視している彼へ尋ねる。


 「な、なんだヴァルド・シェーンハイト・スッパーゲティ。」


 突然のその緊張感の主からの声に彼の声が上擦る。


 「スッパーゲティ・・・・・・?」


 魔王はハッ、と鼻で笑う。

 

 「あの、グランさん。魔王様の名前は、ヴァルド・シェーンハイト・スィンパーティです。」


 あそこで聞いた名前が聞き間違いだったことに気が付き彼の背筋が凍る。

 今まで、名前を間違えて怒りを覚えるような相手と出会ったことが有る。もし目の前の彼女がそのような人物だったら、と最悪の状況を考える。


 「人間共の名前は短いからな。我の名前を覚えられずとも無理はない。」


 彼の予想とは裏腹に、魔王は淡々とそう言い頭に生えている角に手を這わせる。


 「あ、申し遅れました。私、フィオレと言います。」


 そう言い彼へ人間とは明らかに違う緑色の肌色の右手を差し出す。


 「よ、よろしくフィオレ。」


 同じく彼も右手を差し出し握手する。体温は人とさほど変わりが無いが、茨の様な何かが人の血管の様に皮膚の下に張り巡らされている。

 人の体と手足をしており、頭の花弁も見ようによっては派手な装飾とも見えなくもないが、やはり彼女も人間ではないという事を彼が認知する。


 「ああ、私の事は気軽に魔王でも良いぞ。不遜だがヴァルドと呼んでも構わない。ここでの我はお前に倒されて従っている者なのだからな。」


 お前には【魔王を倒し、そして従わせた人間】として、我を伴って人間共の元に戻ってもらう。

 彼が魔王の要求とあの時の状況をまざまざと思い出す。


 あの緊迫した状況から幾らか頭が冷静に物事を見れるような今の状況になっても、未だに彼は魔王の要求に疑問を抱いていた。

 人間に似つかわない見た目の存在が、余りにも人間らしい要求をするという事があるのだろうか。

 何か更なる真の目的があるのではと彼は勘繰っていた。


 「我もその辻褄を合わせるために、人間達の前ではお前の事をご主人様と呼ぶことにする。」


 「は?」


 彼の思考が停止する。魔王の口から出た言葉に己の耳を疑う。

 あの魔王がただ一介の戦士の事を限定的とはいえ「ご主人様」と呼ぶとは。

 実際に戦ったからこそ分かった目の前の彼女の恐ろしさと冷徹さ。感情が欠落せねばできない様な手段を選ぶ、その決断へ踏み切る為の非情さ。

 人の世界で言う王とは全く様相は異なるが、魔族をまとめ上げるとなれば彼女の様な者が必要なのだろう。

 そんな彼女に自分の事を「ご主人様」と言わせるとは。

 

 人間の世界であれば王に対する不遜として打ち首は免れない言動である。

 たとえ、それが魔族の長たる王であろうとただの平民の事を「ご主人様」と呼ぶ、それを王自ら望んで口にするとは。

 彼の体が縮み上がる。


 「ごっ、ご主人様というのは・・・・・・あまりにも無礼というかなんというか・・・・・・。」


 いつしか勝手に震えていた唇で彼が言うと彼女はほう、と彼の顎を掴みグイと自らの顔に向かせる。


 「では、手始めにそこで馬を扱っている御者の首を捩じ切るか?ご主人様。」


 彼女は目を細め口角を上げていた。戦いで熾烈を極めた攻防の時にしていた不敵な笑み、それよりかは柔らかな表情ではあるが、彼にはその違いが分からなかった。


 「に、人間には危害を加えないって・・・・・・!」


 彼はあの時に確かにそう言った。

 彼が条件として出した「人に危害を加えない」という条件。

 もし彼女の言う通りに御者に手を掛けるようになったらそこで休戦は終わり、彼らはまた勇者一行と脅威の存在である魔王の関係に戻る事となる。

 馬車の中という狭い空間に加え周囲には人の気がなくずっと長閑な景色が続いている。

 おまけに、今彼の顎は魔王の手により掴まれており、彼女がその気になり力を込めれば瞬く間にそこから赤い血が滝のようにあふれ出て床を朱色に染めることが可能であった。

 

 (まさか・・・・・・。)


 魔王はこの状況を初めから狙っていたのだろうか。こうして油断している所を楽々に殺す、今はその算段が整っている状況になってしまった。

 しかも事もあろうに、呆気なくすんなりと人間の住む世界へ侵入させてしまった。

 死んでしまう。皆魔王の手に掛かって死んでしまう。

 自分は、人間の大量虐殺を招いた裏切り者として歴史に名を連ねる事になるのか。

 

 「おい。」


 魔王が彼の顎を掴んでいた手に力を入れる。それによって頬の肉が押されて唇が小さく尖る。


 「何を考えているかは知らぬが、我は故郷の大地を蘇らせるのが第一だと言っているであろう。今、ここでお前を殺してもそれが遠のくだけ、そうではないか?」


 と言い顎からパッと手を放す。そしてふう、と溜息を吐いてから再び外の景色を見ては時々小さな感嘆を上げている。

 

 彼は解放された顎をゆっくりと摩り魔王を見る。

 彼女の言う理想は理解はできるものの本当に目的はそれだけなのか、という疑問が彼の中にあった。

 こうして人の住む所へ来た以上、いつ誰を人質に取るかも分からない。

 だが一方で、彼女の口調と表情は得体のしれぬ風格を備えており、その言葉の数々は真摯な物であった。


 それでも、まだ彼は彼女の事を信用できなかった。

 思想も、姿も、出自も何から何まで分からない目の前の人物を、例え風格があり真摯な態度での言葉だったとしても、それだけで全てを信じる事は彼にはまだできなかった。


 彼の決定がどこかで誤ってしまえば大勢の人が死んでしまうかもしれないのだ。


 そんな彼の決定を「私は貴方の意見に賛成できない。」と反対する者や「あら、貴方はそうしたいのね?」と何処か試すような口調で言う者も「グランの意見に賛成する。」などとと言ってくれる者も今はおらず、それが彼の不安を一層煽る。


 「はぁ・・・・・・。」


 3人は無事だろうか。


 あのサルウィならきっと、元気になり次第また2人を引っ張って魔王討伐の為に邁進しているのだろう。

 アウラの事は正直何を考えているのかは分からないが、彼女も恐らくは勇者の後をついていくだろう。

 イリスには申し訳ない事をした。が、彼女の溌剌さならばきっと今も勇者と共に旅を続けているであろう。あんなに旅が好きだった彼女の事だ。今もどこかで新しい景色に胸を躍らせてるに違いない。

 どちらにせよ、今の状況をどのように3人へ説明しようか。

 彼らの行き先に当てが無いわけではないが、それを一つに絞ることが出来ず頭痛を覚える。


 そして両肩を抱えてうずくまる。

 その時、彼の腹が間の抜けた音を出した。


 「う・・・・・・。」


 知らずの内に気が緩んだのか、その音を皮切りに彼の口が食物を求め始める。

 彼は歯を食いしばり腹を抑える。

 目を瞑りそれを忘れようと集中してみるものの、そうすればするほどに空腹感が増してゆき、はたと気が付く。

 魔王城への行軍の為にほぼ3日間食事を抜いていた。

 

 そういえば、と思い出し腰ベルトにある麻袋の中を漁る。

 そこから一枚の干し肉を取り出しくるくると観察する。

 腐っている様子は無く、何ら問題なく口に入れることが出来る。

 

 口に入れれば肉汁が染み出し、噛めば噛むほどにそれがあふれ出てくるだろう。

 歯に当たる感触と舌が味わう旨味を想像し彼の口の中に唾が瞬く間に湧いてくる。


 「あの、それって・・・・・・。」


 彼が顔を上げると、フィオレの視線が干し肉の方へと向いていた。その目は先ほどに川を見たときと同じくらいにキラキラとさせている。

 すんすんと鼻を鳴らし、口の端からは水分が流れ出ている。


 「た、食べるか?「はいっ!」」


 彼は手元のそれを手でちぎって半分にし、もう待ちきれないと言わんばかりに伸ばしてきた手へと置いた。

 

 彼女はそれを肩を震わせながら半分しその内の一つを口の中へ入れた。

 目を瞑ってモグモグと何度か咀嚼を繰り返し、ゴクンと喉を鳴らす。


 「ふわぁぁぁ・・・・・・。」


 両手を頬に当ててうっとりとした表情となる。


 「ヴァル様ヴァル様!これすっごい美味しいですよ!」


 そう言いもう一つを手に乗せて外の景色を眺めていた魔王の顔のすぐ横へ持ってくる。


 魔王の鼻が僅かに動き、そして横目でそれを見て指で摘み上げる。


 「頂こう。」


 口に入れ前歯で触ると彼女の想定よりも硬く、続いて奥歯で噛み砕こうとする。すると僅かに苦くはあるものの未知の旨味が広がり、口の中に充満した肉の匂いが鼻から抜ける。

 

 彼女は食事に気を使った事が無かった。彼女にとって食事とは活動に必要なエネルギーを補給するという行為であり、楽しむという発想が無かった。

 ゆえに時として「食事の時間が惜しい。」と思い立っては魔族の長としての雑務を黙々とこなすという事が多かった。


 「美味いな。」


 口に入れて初めて知る美味いという概念。


 それと同時に知ることになる、今まで城で食べていたものの劣悪さと不味さ。

 これからこのような美味なものを食べられる事に思いを馳せ、戦士に気が付かれない様に頬を緩め喉から声が出てしまわぬように笑う。

 土地を蘇らせるために来た人間達の住む世界。彼女にとってそれは非日常の連続であった。


 「いただきま・・・・・・。」


 グランが半分になったそれを口に入れようとしてふと気が付く。

 フィオレが彼の手に持つ食欲をくすぐる茶色い四角をじっと目で追っている。


 「・・・・・・食べるk「ありがとうございます!」」


 彼の手から軽い風が発生するほどの速度でそれを取り、今度は一気に口の中へねじ込んだ。

 最初に彼から手渡された時よりも大きかった為、先ほど感じた全ての幸福が何倍にも増して口の中を満たす。

 そして喉の脈動。


 「ぷはぁ・・・・・・ごめんなさい、結局全部食べてしまって。」

 

 「い、いやいいさ。気にしないでくれ。」


 彼の顔は緊張感で強張りつつも眉がヒクヒクと動いている。


 腹の虫は一層として収まるところを知らなかったが、とりあえず滝のように出てきていた唾をゴクンと音を立てて喉へ流し込み空腹を誤魔化した。

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