第9話 魔王との交渉
「ふむ・・・・・・。」
魔王がカツカツと彼へと近づきその顔を覗き込む。
魔王の腕はいつの間にか元に戻っており、腕を組み片手を顎に当てている。
「では、死ぬか?」
抑揚の無い淡々とした言葉。
「あ・・・・・・。」
彼の呼吸が無意識に荒くなる。目にはいつの間にか雫が湧いていた。
今までも死ぬかもしれない、と肌で感じた瞬間には何度も遭遇した。
今回はそんな今までの窮地が生易しく感じるほどであった。
死というものが首筋から心臓へ伝う生々しい感触が、彼の体を硬直させる。
「い・・・・・・嫌だ・・・・・・し、死にたくない・・・・・・。」
指先をピクリとも動かせない中、パクパクと空気を求めてそれを食むように口が動く。
そんな所からかろうじで出した言葉は命乞いだった。
「なんでも、なんでもしますっ!だから・・・・・・殺さないでください・・・・・・っ!」
彼女の目に訴えかける。しかし、
「があっ!」
首を掴まれ、彼の体が持ち上げられる。
手足に巻き付いたツタはいつの間にかパサパサに枯れており、ボロボロと崩れていった。
「なんでもか・・・・・・。」
彼女はかつてない程焦っていた。
自らの能力を明かした。そこまではいい、敵対する者を倒すためには必要な事だ。しかし、その能力を知った者をむざむざと逃がした。
その能力がバレてしまえば討伐に来る人間が増えるばかりか、それらは大規模な軍団を送ってくる可能性が高い。
彼女の能力は物量戦には弱い。その上、彼女の配下の数は多くはない。
ゆえに、確実に歯向かう全てを無力化してきた。
(まさか、あそこでこいつを待たずに転移してしまうとはな。)
今までの人間は結束が固く、誰か一人をこうして捨て石にするという戦法は使って来ず、対応ができなかった。
これまでの状況を鑑みると、考え得る中でも最悪の事態とになった。
(あれしか無い。)
彼女が彼の首を離す。
彼は怯えた顔のまま床へと仰向けに倒れる。
「では殺すのは辞めだ。代わりに我の眷属となれ。」
眷属として自身の手足になる事を提案する。
眷属にさえできれば、彼を生きたまま先ほどの三人と再開させることができる。
無論、感動の再開をさせる為では無い。
彼に魔王は死んだ、と仲間に吹き込ませるのだ。
一人残された人間が無事に戻ってきたとなればその信憑性は高くなる。
さらにその噂が広まりさえすれば魔王を倒すという者が減りやがては居なくなり、現状の危機から脱することができる。
何度も吟味した末の最善手がそれだった。
「そ、それは・・・・・・魔物になれと言っているのか?」
僅かに冷静さを得た彼が魔王の体全体を見る。
肌の色は人間と変わりがなく、背丈も容姿も人の女性と何ら変わりがない。しかし、その頭には鹿のように大きい角が一対生えている。
噂話で聞いた「魔王は人を魔物にする」という話を思い出し身震いする。
「ああ、姿が気に食わんのだな?ならば・・・・・・。」
彼女がそう言うと頭のツノが徐々に小さくなっていき、遂には普通の人の見た目と何ら変わらなくなった。
「このように姿を変えることができる。どうだ、悪い条件ではあるまい?」
そう喋り終えると再び角が生えてきて元の異形の姿に戻った。
「魔物、眷属になれば・・・・・・。」
彼の呼吸が落ち着いてくる。目は魔王を見据えジっと見据えている。
(これでひとまずは安泰か。)
今までここに来た人間で、敗北と死の予感を味わせればこの条件を呑まない人間は居ない。
最も、彼女のその日の気分によって眷属にするか、やはり殺すかのどちらにでも転ぶのだが。
「さあ、どの姿になる?どの種族かは我の手にはどうにもできぬが、角や尻尾の有無くらいは利いてやるぞ?」
念には念をと、彼の首に指をなぞらせ耳元で囁く。
生唾を飲み込む喉の動きが皮膚越しに指へと伝わる。
「お、俺は・・・・・・。」
死にたくない。
何度も胸の中で繰り返した言葉が、また喉をついて嗚咽と共に出そうになる。
魔物になるといっても人の姿は維持ができ、しかも仲間と再会できる。
つい先ほどまで諦めていた、イリスに思いを告げる事もできる。
彼女にまた会える。笑顔が見れる。掴み損ねた手を握ることが叶う。
「まだか?時間を無駄にしたくはない。」
彼の首へ爪を浅く突き立てる。皮膚に透明なそれがつぷりと沈み、彼の体がピクりと痙攣する。
答えが分かり切っているだけに、未だに答えの出せない人間にイラつきを露にする。
この時間があればできる事を思い浮かべては眉間にシワを寄せる。
彼が意を決して空気を吸い込む。
喉の脈動を感じ取り、彼女の指が首から離れる。
首元には僅かに爪の跡が残った。
「お前の、条件は飲まない。」
「なに?」
唖然とする。こちらからのこれ程の好条件を全て跳ねのけ自ら命を投げ捨てるとは。
すかさず彼女が質問する。
「なぜだ、命が惜しくはないのか?」
「惜しい・・・・・・死にたくない。」
「ならば何故だ。生にしがみ付かないのか?」
今までに戦ってきた人間の中には変わった者もいたが自らの命を投げ打つような者はいなかった。生き抜く為に自らの生を第一に考えるものしかいなかった。
戦闘での動きもそうしたものが多かった。連携の取れた動きに目を見張る者もいた。
しかし、ゆえに一人を殺すなり無力化するなりすれば総倒れになる冒険者がほとんどだった。
人間達は死というものを心底嫌うというのを彼女は知っている。
「俺を生かして、お前は何をする気なんだ。」
両目で魔王を見据える。
先までの怯えが混ざったものではなく、強い意志を讃えた眼光で彼女を見る。
「こうして戦ってみて分かった。お前は使える物はなんでも使う。この俺もそうなんだろ?」
彼女の眉がピクリと動く。
戦闘のクセからいよいよ性格まで見極められるとは。
焦りに任せて彼の首を砕きそうになる。が、自身の体を落ち着かせる。
「もし俺がお前の眷属となれば、俺に命令してさっきの3人を容易く殺させることもできる。俺が生きていてもそれじゃあ意味が無い。」
先ほどまでの戦闘を一つ一つ思い出す。その度に恐ろしさと凄惨さで体が震える。
そして、有り得たかもしれないイリスの倒れる姿を想像する。
冷たくなった体、目を見開いたまま何かを叫ぶように大きく開いた口。
それから次に口から出す言葉が何度も何度も喉と肺とを行き来する。
そして、その言葉を口から吐き出す。
「そんな奴に、俺の命はやれない。」
ここで死ぬ、それが彼の答えだった。
生かされてこの手で誰かを殺すくらいならば、ここで死を選ぶことを決断した。
「そうか、ではここで死ぬのだな。」
彼女の問いに彼は頷くことは無かったが、死まで数刻と迫った中で彼の内に仕舞われていた恐怖心がさらけ出される。
もう見栄を張る必要がなくなったそれにより、彼の目は自身の体から血が噴き出るのを見まいと硬く閉じ、歯はガチガチと鳴る。
彼女が彼の首に手を掛け床へ押し付ける。指からは熱を帯びた首の温度が伝わり、熱がじんわりと掌へと広がる。
「ヒィッ!」
彼の喉から苦悶が漏れる。ひんやりとした手が首に食い込み、一つ一つの指が蛇のようにそこを締め上げる。
次の瞬間、彼の体が軽くなる。
負傷していた部位も治ったと錯覚するほどに何ともなくなり、今まで感じていた疲労も一切が嘘のように消えていた。
スキップをしたくなるほどに体が軽い。
(ああ、死んだのか俺。)
実際に死んでからの事などなにも考えていなかった。しかし、この体の軽さならば生き別れたイリスや仲間の元へと僅かな時間でも行くことができるのではないか。
そう思い立ち、ひとまず瞼を開けるとそこには
「な・・・・・・。」
目の前には依然として魔王が立っていた。
そしてすぐ傍には、先ほどまでは居なかった魔物が佇んでいる。
肌が植物の様に青く頭には小さな花弁が付いており、背は彼よりも一回り小さく細い肢体と僅かな胸の膨らみ。
それらに黄色く大きな花びらが人の衣服の様に体を覆っている。
数えきれない数の魔物を見てきた彼だが、その中でも彼女は数回程しか見かけた事が無いアルラウネという種類の魔物の特徴に当てはまった。
彼女は片膝を折りその手は彼の胸に触れている。その手を始点に血が漲るような温かさが湧いてきていた。
どうやらそれによって傷が癒えているらしく、左腕の骨折までは治せないらしいが先ほどまでの息苦しさや眩暈がみるみる内に引いてゆく。
「私の負けだ。」
魔王が彼の首から手を離す。
「お前という駒がどうしても欲しい。交渉しよう。」
彼女は、どうしても彼を手放す訳にはいかなかった。
彼を手に掛けた後の事を何度も想定しても、その先には破滅しか待っていなかった。
今日この瞬間までこうならないように念には念を入れ事を慎重に運んできたというのに、ここで易々と感情に任せて破滅を選ぶなどできなかった。
人間といえど、今は業腹だが主導権はあちらにあると言っても過言ではない。
彼女が腰を上げて彼を見下ろす。
「交渉、だと?」
「そうだ、さっきまでの話は全て忘れろ。これからの条件を呑め。」
彼にとっては聞き馴染みのある言葉である。
新たな土地へ旅をする時には、その土地の魔物の情報を他の冒険者から硬貨と交換で得たり、また行商人などにはその逆の交渉をしたりなどをしていた。
それによって旅の資金の一部を稼いでいた。
が、その2文字を目の前の人の暖かさを感じさせない者が言うとは。
面食らって唖然としている彼へと彼女は淡々と話を続ける。
「簡潔に我の目的を話そう。我は再びこの地をかつての緑と生気が溢れる地にしたいのだ。」
彼女の口から耳を疑うような単語が出てきた為、なおも彼が唖然とする。
「ここに来るまでの惨状を目の当たりにしただろう?お前たちが住んでいる所とは明らかに異質だったはずだ。」
やせ細った土地、干からびた木と水場、そしてなにより異形の植物、それらは元々があの姿では無かったのか、と衝撃を受ける。
あれらにも美しくて生命の息吹が感じられるような見た目だった時があったということなのか。
「だが、我らには土地を蘇らせる方法が分からない。故に人間共の村や町に人に擬態した配下を送っていた。だが成果は全く得られなくてな。」
配下と彼女の口から聞き、彼がまさかと驚愕する。
「だからあんなにも魔王に対する噂話が出回っていたのか?」
「そうだ。お陰で我という正確な存在は未だに人間達には殆ど流れていない。だが、今日でそれが全て台無しだ。」
彼の中での魔王の噂話がどれも信憑性が無かった事に対して合点する。
彼女の目論見通り確かに、魔王の性別すら分からないほどに噂話が多かった。
既にもうその段階から、彼らを含んだ今までの勇者一行の敗北は決まっていたといっても過言ではない。
彼の脳裏にサルウィの顔が浮かび歯ぎしりをする。
「お前を手に掛けてから人間共へと侵攻して豊かな土地を得る、というのも考えたが、それではまたいつか土地が枯れてしまう。何より我が人間共に討伐されるというリスクが高くなる。それではいけない。」
侵攻という恐ろしい言葉を容易に口にするあたり、やはり人間とは相容れない価値観を持つというのが改めて認識される。
それによって多くの命が消えてしまうという大前提の事柄を口にしない点も、彼のその認識に拍車を掛ける。
「そこで交渉だ。お前には【魔王を倒し、そして従わせた人間】として、我を伴って人間共の元に戻ってもらう。」
「は?」
思わず彼の口から間抜けな驚嘆が漏れる。
先ほどまで命のやり取りをしていた、自らよりも格下の相手へそのような交渉を持ちかけるとは。そのような光景を見かけた事が無い。
格下の者を相手に交渉をするならば主導権は格上の者にある。
その主導権をみすみす放棄し、尚且つその内容が格下の者の下になる、という事を望むとは。
何か裏がある。彼がそう勘ぐったが、彼自身に選択肢は無かった。
魔王の目的は至極人間的である。自らの土地を救うために他人に助けを求める。今までの旅で出会った王などと何ら変わりがない。
だが、彼女の中にある思考はおよそ人のものではない。
そんな彼女を人の住む村や町に侵入させるという事になる。
こんな危険な存在を、なんの戦う術もない人間が日々平和に暮らしている所に連れ込む。
だが、それでも。元勇者一行として多くの人を守るために、自分の暮らす世界の平和を保つためには今ここで魔王の要求を飲むしかないと、彼は生唾を飲み込んだ。
「終わりましたヴァル様・・・・・・。」
アルラウネの彼女が彼の鎧から手を放し腰を上げる。
仄かな甘い花の香りが彼の鼻腔をくすぐる。
「ご苦労。ではお前も出立の準備をしなさい。」
彼女がそう言い放つと、アルラウネの彼女は部屋を出て一階への階段の方へと駆け足で向かった。
「我にはお前が必要だ。交渉なのだ、お前の条件もあれば言え。」
仰向けに倒れたままの彼へ右手を差し出す。
彼は差し出された手に反射的に何の疑いもなくそれを掴み立ち上がる。
しかし、彼女の頭上に生えた角を見て彼の喉が詰まる。
黒く捻じ曲がった角。近くで見ても、いや見るほどに人の体についている明らかな異物。
彼はそこから目を背け、彼女の瞳を凝視する。
彼女の口ぶりは依然として冷徹であり、節々には棘のような鋭さがあった。
先ほどの彼女との会話と話の内容から察するに、やはり選択肢は無い、と腹を括る。
(条件、それなら・・・・・・。)
人でない者に通じるのか不安ではあるが、今までに行ってきた交渉の数々を思い出し、最適な一声を作りだす。
「お、俺の条件は1つある。」
彼がおずおずと切り出すと彼女はほう、と鼻で笑うかのように頭を後ろへ引く。
「いいだろう。何だ、やはり魔物になりたくなったか?」
彼は今までの事から考えこれは彼女のカマかけか、と警戒する。彼はこの手の交渉相手は苦手だが、それでも怖気づく訳にはいかない。
一つだけ必ず通さねばならない条件があった。
「人間に危害を加えない。それが俺の条件だ。」
つまり休戦を名実共に受け入れさせる事である。
「そのような事か。では各地の配下に念入りに伝えておこう。それで良いか?」
2つ返事で彼女が返してきたため、彼がきょとんとする。
ついさっきまで人に危害を加えるという魔物、その長の魔王討伐の為に様々な準備をし、死ぬかもしれないという恐怖を押し殺して来たというのに、そんなにアッサリとゆくものなのか。
「では良いか?早速行こうではないか。」
彼女がそそくさと踵を返して階段の方へ向かう。
「ま、待ってくれ!」
「何だ?つまらん事で止めるでない。」
舌打ちと共に彼女が振り返る。
「名前は、何といえばいいんだ?」
「ヴァルド・シェーンハイト・スィンパーティだ。好きなように呼べ。」
なんとか聞き取れる程度に早口で言うと彼女は前を向き、カツカツと床を鳴らし速足で1階へ向かった。
その名前の長さから人でいう所の王族なのか、最後の所はスッパーゲティか、などと思案しながら彼も彼女に釣られ足早に階段へと向かった。
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