魔王

第7話 魔王との対峙

 一行は階段を登り切り、二階へとたどり着く。

 そして、そこに広がる光景に息を呑んだ。

 

 「広いな・・・・・・。」


 「ただの廊下みたいですね。」


 そこは広く長い廊下になっていた。

 そして一階のように清潔であり、豪華であった。更に壁に掛けられた絵画の数々と、ツタの巻き付いた美しい柱が廊下に等間隔にある。

 横を見る限り扉は無く、ツタや絵画があるのみである。

 廊下の正面奥に見える、両開きの扉以外には。


 「いるなら、あの扉の先ですね。」


 そして耳が痛くなる程の静寂。


 窓は一切無く、そのせいで空気が籠もり、一行の頬やうなじを撫でる風は僅かに温い。

 2階より飛び降りて帰る、又は逃げるということはできない。


 「そうね。」


 アウラはそれを感じ取り、杖の持つ手に力を込めた。


 一行は両開きの扉へ向かって歩き始める。


 「し、静かですね・・・・・・。」


 静寂の中に4人の足音が響く。

 彼らは何も声を発さず、ただ黙々と歩みを進める。


 やがてその前へとたどり着き先頭のサルウィが扉の取っ手を掴み、


 「では、開けます。」


 扉を開け放った。


 そこは今までの部屋とは違った。

 部屋の四隅には今まで見たツタとは違い、鋭利なトゲのついた茨が天井より垂れ下がっている。人の腕や足程度ならば簡単に圧し潰せるであろう太さのそれらは、時折命が宿っているかのように蠢いている。

 それでも、床に引いてある絨毯や壁などは高級な質感を保っていた。


 「あれは・・・・・・。」


 そして、カーテンの様な布で仕切られた空間の奥で、ゆらりと立ち上がる黒い影。その影がゆっくりと4人の元へ向かって来、それが布をかき分けて一行の前に姿を現す。


 「ほう・・・・・・実際に見るとらしいではないか。」


 それは女性の見た目をしていた。

 背は高く、髪は綺麗な緑で腰まであり、端正な顔立ちをしている。

 服を身に纏っており、肩、腕、膨らんだ胸に至るまで露出が少なく、至る所に茨の様な刺繍がされている。

 下は一見スカートの様にも見えるが、よく見て見ると一定間隔で縦に切れている。その下からは、ピッチリと黒い布に覆われた足が覗かせている。

 だが、頭に大きく捻じ曲がった角が一対生えていることから人間ではないことは一目瞭然であった。

 

 「お前は誰だ。」


 サルウィが剣の鞘と柄に手を掛けて言う。

 

 「誰、か。我に名はあるが、お前達が訊きたいのはそれではないのだろう?」


 彼が声の主を睨みつける。


 「では率直に言おう。我はお前等のいう所の魔物の長である。ああ、あっちの世界では魔王というのか?」


 そう言うと魔王が鼻で笑い、彼の全身へ舐めるような視線を送る。


 魔王の一連の行動を意に介さず、サルウィは剣を抜いた。

 

 それを見た他3人も得物を手に握り身構える。


 「ひ、一つ訊きたいことがある。」


 グランが上擦った震える声で尋ねる。


 「魔物らはどうして、俺たち人間に迷惑をかける?」


 「さぁて・・・どうなのだろうな?我がそのように指示しているとでも思っているのか?」


 フン、と彼を見下げて鼻で嗤い、


 「力尽くで聞いてみるか?人間。」


 魔王が口角を上げる。


 「う・・・・・・。」


 そもそもの魔物の長である魔王に話が通じるとは思わなかったが、ここまでとは。

 なぜ今にも笑いそうな表情でそのような事を口走るのか、彼には理解できなかった。

 人の形をしているが、人から最も遠い存在ということを彼が改めて理解する。

 

 彼の呼吸が恐怖で荒くなる。


 「グラン、こいつにいくら話しても無駄です。こいつらは、人間をただの養分としか思ってない。」


 サルウィが魔王へと距離を詰める。


 「その鎧と剣・・・・・・。」


 魔王が自身の顎を指でなぞる。


 「ほう、ただの武具ではないな?」


 精霊の加護。サルウィの身に着けているそれらにはそれがある。

 鎧は鉄よりも硬いのに布の服の様に軽く、付いた傷はみるみる修復させるという代物である。剣は何度も敵や物を切りつけても切れ味が衰える事がない。 


 最も、グランがそれらを手に持つと、とても身に着けられないくらいの重さを感じるのだが。

 

 「精霊が、お前を倒すために力を貸してくれたんだ。その装備がどうかしたのか。」


 彼の言葉に、クク、と魔王が口角を吊り上げた。


 「なに、今日も数回の呼吸の間に決着が付きそうだと思っただけだ。」


 「なんだと?」


 魔王の挑発に乗ったサルウィが剣を魔王へと構えた瞬間。


 「うっ!」


 グランが驚嘆の声を上げる。


 魔王の体に光る紋様が浮かび出る。続いて彼女の後ろの床がボコボコと沸き立つ水の様に盛り上がり、柱のように太い茨が生えてくる。それらはまるで彼女を守り、そして仇名すものに威嚇するように蠢いている。

 この部屋に元々あった茨と同じ見た目であるが、こちらはまるで蛇の様に活発にくねくねと動いている。

 1本、また一本と床を突き破って生えてくる。最終的には6本の茨が彼女の後ろから、それに加えて2本の茨が彼女の前方に生え、獲物の動きを見張っているかのように先端を指の様に回したり、彼女の体を防御するようにくねる動きをしている。

それら計8本が4人を睨みつける。


 「なんだよ、これ・・・・・・。」


 グランの頬を冷や汗が伝い、ドクドクと脈打つ首を一瞬にして凍らせるほどの悪寒に襲われる。

 これが、魔王という存在なのか。


 「我も時間が惜しいのでな。欠伸の出る前に片付けるとしよう。」


 突然後ろからカラン、と何かが倒れた音がし、彼が後ろを振り向く。


 すると、アウラが片膝を付いた姿勢で呼吸を荒くし片手で胸を押さえ、もう片手は膝にある。

 先ほどの音は彼女が杖を手放した事によって発せられたものだった。


 イリスは床に両膝を付けて両手を口に当てている。すると、


 「う、おおおええぇ!」


 床に僅かに粘り気のある液体が広がってゆく。程なくして僅かに酸っぱい匂いが彼の鼻へと届いた。


 「ん?お前は無事なのか。」


 彼が前へと向き直る。


 すると、サルウィでさえも2人ほどではないが片手で頭を押さえており、体に変調をきたしている事を知る。

 

 「お前には特別な力が有るのか?それとも・・・・・・。」


 「3人に何をした!」 


 彼の怒声を無視し、魔王は自らの手を胸の前にかざす。すると、赤黒く光る玉が生成され徐々に大きくなってゆく。

 人の頭程に成長したそれを、今度は頭上に掲げる。


 「まあいい、脅威は分かってるのだからな。」


 魔王の視線がアウラへと向く。

 

 グランがハッとする。


 まさか、魔王はアウラが転移魔法を使えるのを知っているのか?安全に、なおかつ情報を持ち帰れる手段である転移魔法を使われるのはマズいと思ってるのか。

 いや、数多くの冒険者がこうして対峙してきていると想定すると、転移呪文を使える魔法使いも数え切れぬ程いただろう。


 「アウラッ!イリスッ!」


 そう思考を巡らした彼の行動は反射的だった。

 先ほどまで魔王の威圧感に圧されていた身体とは思えないほどに、俊敏に四肢を動かす。


 魔王が玉を射出すると同時にアウラの前へ行き盾を構える。

 ガキン、ととてつもない衝撃と共に盾へとそれがぶつかるが、彼はそれを渾身の力で横にいなした。

 弾かれたそれは壁に当たると、着地点を始点に茨が爆発的な速度で増殖し壁を覆いつくした。

 もしも当たっていれば、茨に身を絡めとられ身動きは勿論、身体の至る所の皮膚と骨にダメージを受けていたであろう。


 「はぁーっ、はぁーっ。」

 

 自身が弾いたもののおぞましさを目にし、彼の歯がガチガチと音を立てる。

 更に今ので体力を消耗し、彼の中で見せまいと留まっていた疲れが荒い呼吸となって噴出した。

 それを敵に悟られまいと盾を構えたまま目を出し、敵を視認しる。


 「今のを弾くだと・・・・・・?」


 一方、魔王はこの攻撃を確実に当てるつもりで放ち、かわされる事は予想していなかった。

 目を見開き驚嘆の表情となる。


 だが、盾に身を隠した彼が見るときには元の口角が僅かに上がった余裕の帯びた表情へと戻った。


 「やっぱり、転移呪文はまずいんだな。使われると・・・・・・。」


 グランが自身の中で組み立てた仮説を、依然としてその場から一切動かずに4人を翻弄する魔王へ問いかける。


 「ほう?」


 魔王が歯を見せ一層口角を上げる。その歯並びは人間と同じ造りをしていた。


 「お前、今までの勇敢なだけのヤツらとは違うな。」


 彼女が観察するようにグランの盾を見る。

 材質はただの鉄、いや鍛えられた鋼か。見たところただ重いだけの大盾に見えるが、何かしらの能力が秘められているのでは、と勘繰る。

 

 「ま、まあな。実は俺にはある能力があってな・・・・・・。」


 グランが他3人の様子に気を配ると、調子が元に戻りつつある事が見て取れた。

 自分にできるかは不安だが、魔王と対話して回復までの時間稼ぎを・・・・・・。


 その矢先、彼は魔王の後ろから生えていた茨が2本減っている事に気が付く。

 

 攻撃が来る。


 彼の体が恐ろしさで強張るが自身に喝を入れる。


 次の瞬間、アウラの横の床が盛り上がった。


 「来るかっ!」


 攻撃される訳にはいかない。絶対に彼女は守らねばならない。

 すぐさまアウラの横へと陣取り盾を構える。


 彼の目論見通り茨はそこから出現した。だが、それが彼の背丈程に伸びると、ピタリと死んだかの様に止まった。


 次の瞬間。


 彼の真下から茨が生え、足を絡め取られる。


 「しまっ・・・・・・。」

 

 彼が足元に気を取られ視線を下に落とすと、先ほど生えてきた茨が彼の胴体に盾ごと巻き付いて締め上げる。


 「ぐあぁぁぁ!」


 鎧のお陰で皮膚までには達してはいないが、胴を圧迫され呼吸ができなくなる。ベコベコと鎧がひしゃげ、盾も歪な形へと変形してゆく。


 そしてそれらはヒュンと鋭い音を立てて彼を壁へと投げ飛ばした。

 

 ズゴン、と壁へと激突し、背中と腰を強く打つ。


 「がふっ!」


 口から血を吐き出す。

 身体中を激痛が駆け巡り痛みで意識が朦朧とするが、それを唇から血が出るほどに強く噛み込む事で引き戻す。

 幸運な事に背中の骨は折れておらず、手足の間隔があった。が、それでも立とうと力むと痛みが邪魔をし、まだ立てそうになかった。

 視界もチカチカと明暗を繰り返しているせいで焦点が合わず、地面が左右に揺れている。


 「仕留め損ねたか。」


 その様子を魔王が確認すると生えた茨が地面へと戻り、再び魔王の近くの床から2本生えてきた。

 

 「グランッ!」


 彼の耳に届く音がまるで水の中にいるかのように聞き取りにくいが、自分を呼ぶ高い声が聞こえる。つまりアウラかイリスの声だという事が分かった。

 目を向けると、2人共意識と態勢を持ち直したらしく立ち上がっており、表情までは分からないが彼の方を向いている。

 サルウィに至ってはグランをチラりと見て目を見開いたかと思うと、キッと魔王を睨み付けているように彼からは見えた。


 「3人は、無事・・・・・・か。」


 無事に3人に調子が戻ったことを確認し、彼ははやる気持ちを押さえ、歪められた装備品を見る。


 壁へと無造作に叩きつけられた盾は内側へくねるように変形してしまっているが、持ち手は無事でまだ盾としての役割は果たせる。

 鎧は、茨に掴まれる時に盾の上から握られたので、致命的に大きな変化はない。だが壁にぶつかった時に背中側の鉄板が潰れたらしく、それによって胸が圧迫され呼吸が苦しく感じた。

 最後に腰に携えた短剣を触る。幸運な事にそれらは投げられて壁に叩きつけられた事による影響を受けずに無事だった。


 すぐに合流しようと左手を膝に当てて力む。


 「うっ!痛い・・・・・・!」


 左腕の骨が折れており激痛が走る。浮きかけていた尻が床から離れない。

 利き腕でない事に僅かに安堵するが、依然として立つことが出来ない状況に歯ぎしりをする。

 

 「ぐっ、折れてるな。」


 顔から脂汗が噴き出、依然として立ち上がらないグランを見たイリスはすぐに状況を察した。


 「2人共!ヤツから目を離さないで!」


 彼へすぐに駆け寄ろうとする足をサルウィの声によって止められる。


 「で、でも・・・・・・でも・・・・・・!」


 「グランは私が絶対助けます。だからまずは目の前のコイツに集中してください!」

 

 依然として魔王と対峙したまま、彼女へ一瞥もせずに彼が言う。


 彼女は魔王を見る。が、それでもグランが気になり何度も彼の様子を見てしまう。

 

 「大丈夫よ、イリスちゃん。」


 アウラがイリスの肩を叩き、彼女が手に持つ杖が白色に一瞬輝く。

 その白い輝きはいつも彼女が転移呪文を使う時に見るものであり、イリスに転移呪文の存在を思い出させるために十分だった。

 彼女が大丈夫よ、と力強く頷いた。


 イリスの態勢がアウラとサルウィと共に魔王へと対峙する。


 「ククッ、冷徹だな勇者よ。助けにいかないのか?」


 魔王の口から威圧的な笑みが零れる。

 

 「黙れ。お前を倒してから助けに行く。」


 サルウィが剣先を魔王の顔へ向ける。


 「何度も聞いた言葉だな・・・・・・お前を倒す、魔物を消し去る、勇者として倒す。そういうやつらは単純で扱いやすかったから簡単に倒せたがな。」


 魔王が目の前の勇者から目を外し、先ほど投げ飛ばした戦士を見る。

 自分の渾身の呪文をなんの変哲もない盾で弾き、かなりの勢いで壁に叩きつけたのみにも関わらずまた立ち上がろうとする体。

 それに、勘だがまだ何かを秘めているように予感した。

 

 「面白い・・・・・・。」


 それらを思い、魔王は勇者の方へ視線を戻し口を開く。


 「お前らは今までのヤツとは違って手強そうだ。私は時間が惜しくてな、手早く終わらせたい。」


 「何が言いたい。」


 「お前らを見逃してやる。」


 サルウィが呆気にとられて魔王の表情を見る。

 フザけてなどいないようだが、見逃すという行為が理解できなかった。

 

 「お前の特徴や能力を知った私たちをみすみす見逃すのか?」


 勇者が考えを巡らせる。

 それはつまり、魔王が自ら情報を提供して人間たちに討伐しやすくさせるような行為である。

 目の前の親玉は、冒険者を残らず始末してきたのだろう。故に今までは魔王という存在は噂話の域を出なかった。

 それが確固たる信憑性のある情報として残るのだ。

 自信の表れなのか、それとも・・・・・・。


 イリスはと言うと、ぱあっと表情が明るくなりグランを再び見た。

 とりあえずとはいえ一緒に無事に戻れる。魔王を倒すのは次回でも良い。

 まずは骨を折ったらしい左腕を治療して宿でゆっくり休んでそれから・・・・・・。

 自身のはやる体と気持ちを抑える。


 「ただし条件がある。あそこにいる・・・・・・グランと言ったな?そいつをここに置いて行け。」


 「え?」


 イリスが一転して顔を曇らせる。

 グランという言葉は聞き間違いだと信じ、魔王の指さす方をみる。

 すると、壁に寄りかかり左手を庇いながら立ち上がろうとしている彼の姿があった。


 「魔王・・・・・・っ。」


 アウラは、魔王を眉が痙攣しそうな程に強い目つきで睨みつける。

 ここに来るまでの道中での茶化したやり取りを彼女と彼にしていただけに、横で顔を曇らせる少女の心中は察するに余りある。

 彼女は転移呪文の術式を中断し、すぐさま攻撃呪文の術式を組み始める。

 

 「そんな事できる筈がないだろう!!」


 サルウィがそう叫び剣を魔王へと振り下ろす。剣が魔王に触れることは敵わず、前方にある2本の茨が交差して受け止めた。

 次にその2本がシュルシュルと剣へと巻き付く。

 彼の持つ手が力を籠められて震えているが、ビクともしない。


 「そうか。」


 魔王が長い溜息を吐く。

 慈悲からの提案でもなければ、生きて返すつもりなど毛頭ない。

 あの戦士は研究し解剖をして使い捨てるつもりであり、3人は油断した所をまずは魔法使いを潰して退路を塞ぎ、あとは消耗を待って勇者を、次いで僧侶を、とする算段だった。

 例えそれが失敗したとて、魔王にとってはその結果が先延ばしになるだけではあるが。


 「では、ここでお前等には死んでもらうとしよう。」


 魔王の目つきが変わる。見定めるような目線から鋭い殺意を帯びた眼光で彼らを睨みつける。


 残りの6本の茨が勢いよく伸び、鞭の様にしならせてサルウィへと襲い掛かる。

 それらは彼の無防備な背中を叩き伏せようと空気をヒュンヒュンと鳴らし近づいてくる。


 「サルウィ、飛ばすわよっ!」


 そこへアウラの呪文が発動する。

 手に持つ杖からは衣服がなびく程に強い風が発せられ、先端のオブジェの周囲には一層激しく風が踊り狂うように舞っている。

 そしてそれを襲い掛かってくる茨へと向ける。


 「ハッ!」


 透明な風の刃がブン、と6つの高音と共に放たれ、それぞれが6つの凶器へと直撃する。

 それらが刃に触れるや否や、茨が勢いはそのままに、的外れな箇所へと叩きつけられる。

 それらは水に打ち上げられた魚のように暴れたのちに、だらんと床に付いた。


 「まるで動物みたいねぇ。」


 アウラが次の刃を生成しながら呟く。

 彼女が今までに倒してきた魔物の特徴を思い出す。

 このように植物の魔物は根を枯らすか、火で焼くか、中枢器官が集まっている箇所に攻撃を加えればよい。

 元が植物なので仕組みは単純だ。

 だが、今回は弱点となる根がどこにあるのかが見当たらない。

 中枢器官というか使役している本体は魔王な訳だが、その足元を見ると茨らと繋がっているようには全く見えない。


 「やはり、お前は真っ先に処理すべきだったか。」


 魔王が茨の切り口を見て舌打ちをし、忌々しそうに言う。


 見ると細かい段差も無い綺麗な切り口である。

 可視もできない程に空気へ溶け込んだ刃なので、躱すにせよ防御するにせよ攻撃の僅か前の一瞬に聞こえる高音の発射音を聞き漏らすことはできない。

 聞き漏らせば、あそこに転がっているのは魔王自身の腕や首になるだろう。


 先ほど仕留め損なったことに苛立ち、魔王は角を震わせる。

 

 残りの二本が高音と共に切り落とされ、剣がカランと床に落下する。


 「やあああぁぁ!」


 サルウィがすぐさまそれを魔王へと駈け寄りながら掴み取り、心臓へと狙いを定めた正確な突きを繰り出す。

 

 魔王の周囲の茨が全て地面へと潜る。

 そして床に落ちていた切り落とされた茨を素早く拾い上げると、それの持ち手から先端までに手をかざす。するとそれが蠢き出し、トゲにわずかな水滴が湧く。

 次の瞬間、茨に付いていたトゲが勢いよく一斉に飛び出した。


 「なっ、茨が!」


 勇者は攻撃を中断し、素早い剣捌きで自分へ向かってきたそれらをキンキン、と音を鳴らしながら全て打ち落とす。


 床へそれが刺さると、そこを中心にどろりと床が溶けている。


 「毒か・・・・・・!」


 2人の身を案じ、勇者が振り返る。


 アウラの方へもそれらが飛んでくるが、隣にいたイリスが両手を前にかざし強く念じる。


 「んぅぅぅ!!」


 彼女の手がぼうっとランプの光のように輝く。彼女らの前方の空気が僅かに歪み、次いでぼんやりと板のような輪郭を形作る。

 それにトゲが触れるや否や、燃え尽きた灰のようにバラバラと崩れ去っていく。


 と、同時にアウラが刃を生成し、そのトゲの合間を縫うような精確な軌道で魔王の首目掛けてそれを飛ばす。


 「全て凌ぐか・・・・・・カスりもしないとはな。」

 

 魔王が淡々と言いながら首を傾ける。


 彼女の首の皮にスーッと不可視の刃が掠る。

 切り口からじわりと赤い体液が玉を作って滲み出る。 

 そこに指を這わせ液体を拭き取り、そのぬめりを指先で味わうように擦り合わせている。


 「ッ・・・・・・!」


 アウラが目を見開く。

 どういう仕組みかはわからないが、先ほどまで猛威を振るっていた茨は全て消えた。

 いまの状況を逃す訳にはいかないと放った一撃だったが、それは失敗に終わってしまった。

 そして、それはこちらの生存がより厳しくなるという現実を示していた。


 「で、でも次は当たりますよ!魔王だって完璧に躱せずに首から血を・・・・・・。」


 「いいえ、次は当たらないわ。」


 アウラがイリスの言葉をきっぱりと否定する。


 あの首の傷はわざとギリギリで躱した。

 次は当たる、と思わせ次の攻撃を放ってしまったら、次こそは確実に躱される。

 彼女は魔王の全貌は図り切れないが、それでもそのくらいはしてくると予想していた。


 「イリスちゃん焦らないで?まだ手はあるわよ。」


 彼女の答えを聴きイリスは小さく頷く。

 攻撃が止んだのを確認し、イリスは両手を下げて展開されていた壁を消滅させる。


 「さて、どうするか。」

 

 魔王がサルウィの挙動に気を配りながら思案する。


 攻撃と転移魔法が脅威である魔法使いを真っ先に葬りたい。だが、それを僧侶が障壁で守る。

 あの障壁に触れると死にはしないが、まずい事になるだろう。

 となると、安易に倒せる戦士の息の根を止めるか。3人の士気は確実に下がり、以降の戦いが楽になる。


 「あいつから仕留めるのは危ないな。」


 だが、この三人に背中を見せて彼を手に掛けるのはリスクが高い。茨の本数が間に合わなくなるだろう。

 戦士はまだ立ち上がる様子はないので無視してもいい。

 目の前の勇者は三人と比べると遥かに仕留めやすい状況にある。

 が、先のトゲを己の身体能力のみで全て跳ね返した光景を見ると、直接の斬り合いは避けたい。

 四人の内のいずれかを仕留めさえ出来れば、残りの3人の精神に大きな隙ができるのだが・・・・・・。


 魔王が考えあぐねていると、


 「私の家族を殺し、皆を苦しめるお前を許さない・・・・・・覚悟しろ。」


 サルウィが剣を握りしめる。すると刀身の輝きが増し、地上を照らす太陽の如く輝く。

  

 あまりの眩さにアウラは目を細め、イリスは目を閉じた。


 「あぁ、そうか。」


 魔王の口角が吊り上がる。

 勇者のおかげで倒す手筈が彼女に閃く。


 不気味な笑みを浮かべた彼女がゆったりとサルウィに語り掛ける。


 「では、なぶってやろう。お前の妹のようにな。」


 「シャニー・・・・・・?」


 サルウィの口からその名前がふと漏れる。


 「シャニーというのか、あの娘は。年端もいかぬ幼い娘だったな。」


 サルウィの体が怒りと喪失感でブルブルと震える。

 妹が魔物に攫われたのは目の前で見ていたから知っていた。それが理由で勇者になった。

 そしてあれから何年も経ち、生きているようなことも無いと漠然と思っていた。

 だが、それでも。どこかで生きているのではと思い希望に縋っていた。

 その希望がサラサラと崩れ去る。

 目の前にその仇がいる。妹をその薄汚い手で手に掛けた者がいる。

 愛する家族を手に掛けた者が、その手を足を口を何の不自由もなく動かしていることが理解できない。


 「貴様、まさか・・・・・・。」


 あまりにも自身の描いた通りに上手くいき、魔王の口からクク、と笑いが零れる。


 「我を目の前にしてあの娘は助けて、殺さないで、と何度も言っていたな。」


 「黙れ・・・・・・。」


 彼が歯を食いしばる。


 「サルウィ、相手にしたらだめよ!」


 そんな彼に冷静になるようにアウラは語り掛けるが、彼の耳には一切入っていない。

 彼の耳と目はもう魔王しか捉えていない。


 「確か最後は・・・・・・サルウィ、サルウィ、と血を吐きながら掠れた声でそう言っていたな。いや、違ったか?最後の言葉は確か・・・・・・。」


 「黙れぇぇぇぇぇぇ!!」


 彼が魔王の首を切り落とすべくブン、と剣を振り回す。が、魔王はそれを軽い身のこなしで躱す。

 彼女の髪の毛数本が切っ先に触れ、はらはらと舞う。


 「その程度か?」


 鼻で笑い彼を挑発する。


 怒声を上げながら彼が魔王へ怒涛の攻撃を畳みかける。しかし攻撃の一つ一つに普段の剣技の冴えは失せており、ただ乱雑に相手を叩きこもうとする素人の剣術に成り下がっている。


 「うおおおぉぉぉ!」


 彼が大きく踏み込み重い一撃を叩きつける。しかしこれも素早く彼女は躱しては彼の耳元に近づき、


 「妹と同じ目に遭う覚悟はできたか?」


 と囁いた。


 「クソ、クソっ!」


 彼が額に血管が浮き出るほどに歯を噛み締め、彼女の胸目掛けて全体重を乗せた突きを繰り出す。これも避けられ、サルウィは頭から勢いそのままに転びそうになる。だが寸でのところで踏みとどまり、先ほどよりも激しい攻撃を繰り出す。


 凶器がブンッ、と空を切るたびに彼の怒りが一層強くなり速さは増すものの、より単純な攻撃となってゆく。


 「アウラさん、援護を・・・・・・!」


 イリスが魔王に聞こえぬように彼女に囁き、激しい立ち回りを繰り広げる2人から彼女の方を見る。すると、既に刃は生成済みらしいがその杖の先が定まっておらず、右へ左へ細かく何度も動いている。


 「ダメ、このままだとサルウィも巻き込みかねないわ。」


 彼女の額からは焦りから冷や汗が滲み出ている。

 普段のサルウィであればこちらへ気を配りながら攻撃をするが、今は我を忘れておりそれを一切しない。

 あと数回しか飛ばせない刃を今の状況では絶対に飛ばせない、というのがアウラの判断だった。


 「くっ・・・・・・。」


 イリスがグランを見る。

 幾らか落ち着いたらしく壁に身を預けて立ち上がってはいるものの、左腕はだらんと垂れ下がっており息も普段より浅いように見えた。

 その目はサルウィに何かを訴えようと見開いているが、それが彼に届く事は無い。


 「くらえぇぇぇっ!」


 サルウィが何度目かの魔王の脳天に狙いを定めた大ぶりの一撃を下へと振り切る。


 果たしてそれは魔王の脳天の寸前でピタリと止まった。


 「ふ、やはりこの程度か。」


 彼が上を見ると、先ほど床から出ていた茨が天井より生えて来、それに剣が食い込むという形で受け止められていた。

 怒りで我を失った彼でも最低限床には気を配っていた。再び茨が生えたら切り伏せる為である。


 不意にガクン、と動きが止まり彼が一瞬戸惑うが、すぐに

  

 「くっ、こんなもの!」


 もう片方の手で押し強引に切断しようとした時、彼が気が付く。

 その手にも同じように天井から生えてきた茨が巻き付いており、びくとも動かせない。


 「サルウィ!!」


 アウラが叫びその手に巻き付いた茨を風の刃を飛ばして切り落とそうとする。

 しかし、その軌道の途中に今度は地面より2本の茨が出て来る。その2本は切り落とせた。

 いや、それによって軌道をずらされ無駄打ちと終わる。


 「まさか・・・・・・天井から来るなんて。」


 彼女の顔が蒼白する。

 今まで茨が床から生えてきていたのでそこからしか出せないと思ったのがマズかった。初動が遅れ、サルウィの体を拘束されるという事態となった。


 「アウラさん!もう一回あれを!」


 イリスがサルウィのかつてない窮地を見て涙声で言う。

 

 「ダメなの!」


 「なんでですか!このままじゃ・・・・・・!」


 「魔力が、もうないの。」


 イリスがそれを聞き、全身に虫が這うような不快感に襲われる。

 再び彼へと視線を戻す。彼女のその目には隠しきれなくなった怯えと涙を湛えていた。


 そして、魔王の前より今までの茨の特徴とは異なるものが生えてくる。

 今までのよりも細いが先端が槍のように鋭く、その先端には小さな返しが何本もびっしりと付いている。

 

 それが、獲物を前にした蛇の舌のようにゆっくりと彼の胸へと近づいてくる。


 「うっ、くっ!」


 剣は茨と一体化でもしてるのかと疑いたくなるほどにがっちりと固定されており引き抜けない。

 片腕はトゲが篭手越しに絶妙に絡まり、身動きが取れない。


 「ほう、まだ抵抗する力があるのだな。」


 まだ彼は、無事な下半身をかろうじで動かし蹴りを繰り出そうとする。しかし、それを煩わしく思った魔王は腕に巻き付いた茨を天井へ少し戻させる。

 すると彼の腕が吊り上がり、僅かに宙に浮く姿勢となった。


 「うぐぅぅぅ!」


 彼の腕に体重がかかり、痛みで顔が歪む。

 なおも抵抗しようと蹴りをしようとするが宙に浮いているせいで踏ん張れず、足を大きくばたつかせる事しかできない。


 それが胸の鎧に触れる。

 そして、それに精霊の加護があるのにも関わらず、ギギギッと金属の擦れ合う音をまき散らしながらそれが侵入する。そして、


 「くあぁぁぁ・・・・・・。」


 胸に到達し、そこを抉るように貫く。


 彼の口元から一筋の鮮血が溢れて滴り落ち、胸からは割れた水瓶のように血が流れて来、床に血溜まりを作る。

 手足が抵抗に加え、痙攣による震えが現れる。


 やがて彼は意識を失った。

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