第3話 魔女の誘惑
「ただ今戻りました。グラン、イリスさん。」
サルウィとアウラが戻って来た。
彼の鎧の肩には血が付いている。
手には鞘から抜いた剣を装備しており、それに血がべっとりと付いていることから戦闘があったことを物語っていた。
「少しだけれど、水の補充ができたわよ。」
アウラの手にはちゃぷちゃぷと音を立てている水筒がある。
杖を背に背負っており、その事から彼女は呪文などを使っていない、仮に使っていたとしても杖を用いるような強力な呪文は使っていないことがグランの目に映った。
杖を用いた呪文は杖自身に込められた魔力を引き出して用いる為、そのままでは余剰の魔力が流れ出たり、時として暴走し、所有者やその周囲に影響を及ぼす事がある。
それらを防ぐために杖の所有者は、杖を用いた呪文の後は手に持つ事で魔力の流出を抑え込む必要がある。
つまりサルウィにとっての雑魚が出たのみか、と彼は胸を撫でおろす。
「水なんだけど、ギリギリで一人分くらいね・・・・・・確保できたのは。」
彼女は水筒を振り収穫した水の量を確認すると、溜息をつきつつ腰を下ろした。
「もっと確保できると思ったのですが・・・・・・これも魔王の本拠地に入った影響でしょうか。」
サルウィはそう言いながら、手に持った剣に力を籠める。みるみるうちに剣についた血糊が消えてゆき、元の鈍く光る刀身が浮き出てくる。
「アウラの呪文でもそれだけしか採れなかったのか・・・・・・。」
彼女の呪文の精度をもってすれば、水溜まりにその呪文を発動したとしても、土に浸透した水などもかき集めることが出来、普段であれば最低でも水筒1つが一杯になるほどの水が確保できる。
彼はそんな明らかな異変に陰りを溜まらせた。
水を必要としないという有り得ない生物が大量に存在する環境なのか、もしくは元々大量にあった水を大量に必要とする生物が存在し付近に生息しているのか、見えない不安が彼の中で渦巻く。
だが、そんな不安を押し殺し口を開く。
「でも、これであと1日は進めるな。」
「グラン、今日も何も飲まないつもり?」
イリスが強い語気で言い、彼を睨みつける。
ただでさえ少ない水の貯蓄を永らえさせるため、彼は前日から水を飲んでいない。そうする事で少ない水を3人で分ける事により1人分で消費が抑えられた。
今までの度でも稀にこういった事はあった。だが、食事も含めて3日間何も口にしないのは初めての事だった。
「大丈夫だ。食事だって3日抜いても平気だし、水もそのくらい抜いても平気さ。」
彼女に苦笑いで返すものの、目じりが上がった表情をみてバツが悪くなり、首の後ろを掻く。
「流石に食料を抜いて3日目というのもありますし、水くらいは・・・・・・。」
サルウィが水筒の蓋を開け、グランの口元へ近づける。
グランの唇は干上がって乾燥しており、肌の色が元の色より変化していた。
目の輝きもいつもより力なく感じる。
アウラは帽子とローブに手を入れて何かを探している。
口が僅かに動いている事から、水の入った水筒の数え間違えをしていないかを確認しているということが察せられた。
「俺はいらないって!それじゃあ、あっち側の見張りをしてるから。」
と早口で言うとグランは立ち去り、3人から見える距離にある木へ行き寄り掛かった。
身体を安全に休めるために敵の接近を感知する呪文があるが、先の見えない目的地ゆえに魔力の温存という選択を取り、交替で見張りを立てるという事にした。
「グラン・・・・・・。」
イリスが唇を噛み締める。
さっき言っていた言葉を実現する気があるのか、と声を大にして言いたくなる。
自身が臆病な癖に強がって心配をかけまいとする性格や起こす行動は、村を共に出た時から一切変わっていない。
彼女はそんな彼の危うさを窘め、時として目に涙を浮かべて情に訴えてまで止めようともしたが、ついに彼は聞き留める事をしなかった。
そして、そんな彼に頼らざるを得ない自身の弱さに腹が立った。
あの時ああ言っていれば、私がこうしていれば・・・・・・そんな後悔ばかりが彼女の中で駆け巡る。
いつしか歯が唇に食い込み、舌で触るヌメッとした感触と鉄の臭いが鼻へ抜けた。
サルウィは、自分とアウラがいない時に何かがあったのかと思案するものの分からず、イリスに尋ねようとも自らの生真面目な性格に負い目を感じ、訊くことができなかった。
もどかしさから焚き木の傍にあった木片を拾っては掌で弄っている。
「サルウィ、危険でこれ以上進むのが難しくなったら転移呪文で戻る。それは変わってないわね?」
アウラが干し肉1枚を取り出し、手で4等分しながらそう尋ねる。
転移呪文は魔力の量と精度を求められる。
転移したい先を具体的に思い描く必要があり、繊細な操作が必要である。
熟練の魔法使いだとしても、正確に転移したい場所からは100~200mのズレが生じる事が多々ある。
また、転移したい距離が遠くなれば遠くなる程に魔力を使う。
そのような特徴から、ここに来た時からの唯一の目印として最も安全だと考えられる洞くつの出入り口を転移先として指定する他なく、もし戻ることとなれば魔王討伐の日程が今より大幅に掛かってしまう。
加えて、転移の対象によっても性質が異なる。術者が送りたいと思う対象が多ければ多い程に更に魔力がかかり、より精度を求められる。
今の状況、つまり術者を含めた4人で転移しようとなると膨大な魔力量が掛かる。
一般の魔法使いであるならば、まだ使用していないにも関わらず、魔力が一度で底をつく消費量がある程である。
名の知れた魔法使いであるアウラであっても膨大な魔力量が掛かる行為であり、彼女自身も知識としては勿論、自身の魔力量を鑑みても容易く使えない魔力量が掛かると理解していた。
一方で、その魔力量に見合う価値と効果があり、絶対にこの魔力分を残し、万が一には4人が無事に帰ることのできる手段として捉えていた。
「勿論です。でも準備を整え次第またすぐに戻ってきましょう。」
サルウィ自身、魔物の長である魔王を倒すことに執着し、急かす節がよくあった。
アウラと出会ったときは戻るという選択肢を渋る事が多々あり、そのせいでかつて共に歩んでいた仲間を窮地に追い込み、時として死なせてしまう事もあった。
だが、長い冒険の末に勇気と無謀の違いを知り、周囲を鑑みる事を知った。
一方で、その双眸はどこかにあるであろう魔王の居城を見つめており、煌々とした瞳で遠くの濁った空を見つめている。
サルウィのその返事を聞くなりアウラは立ち上がりグランへと歩いて行った。イリスの目からは、その右手に奇妙な形のガラス瓶を持っているのが見えた。
「・・・・・・まだ交代には早いと思うけどな、アウラ。」
近づいてくる魔女の体をできるだけ見ない様にしながら、彼がそう口にする。
「グラン、随分と強引ねぇ?あんな風に行かれたら後を追いたくなるでしょう?」
アウラが彼の肩に手を回しあ。
甘い香りがふわりと鼻先を掠め、真っ赤な唇から発せられる桃色の囁きが耳へ侵入してくる。
彼はその手を跳ねのけようと彼女の手を掴んだ。つもりだったが、不意に膝から下に力が入らなくなり、木を背にしたまま徐々に姿勢が低くなっていく。
「ち、力が、入んない・・・・・・。」
元の姿勢に戻そうと膝に力を入れるが、震えるだけで上手く力が伝わらない。
視界がぼやけて全てが2重に見える。
その状況に困惑し、何度も感じた死の恐怖を思い出し呼吸が荒くなる。
「フフ、その程度じゃ死なないわよ。ほら・・・・・・。」
アウラはそういうと持っていた瓶を差し出す。
ガラスの様な触感でひんやりとしており、中には透明な液体が入っているらしく、そして瓶はかなり変わった形状をしている。
視界がぼやけている彼にはどのような形状かは分からない。
「これは?なんだか変な形の瓶だな・・・・・・。」
掠れた声で彼が言う。
彼女の普段の言動と相まって、変わった形状というだけで何かしらの何かが仕込まれているのではないかと勘繰っていた。
「私用の魔力を補う薬よ。さっきただの水に変化させてあげたから、これを飲んで引き続き見張りを頼むわね?」
彼女はグランに手渡す。
量としては1人分程の液体が入っており、飲み干せばまた体に言うことを利かせることができるであろう量は十分に入っている。
しかし、この液体が本来は魔力を補うものと聞いた彼は口を開こうとする。
「大丈夫よ。まだ転移魔法で4人を送れるほどの魔力は残っているし、サルウィも危なくなったら戻るって言ってるわ。」
「でも・・・・・・。」
アウラが彼の唇に人差し指を添えて制す。
乾燥した唇に人肌の温もりが触れ、喉の奥へと虚勢を張った言葉達が引っ込む。
「生きてイリスちゃんと帰るんでしょう?私もこの身を使って協力してあげるわよ?」
そう言うとアウラはローブの胸部を摘み、グランに見えるように肌身の胸が僅かに見える様にした。
「いや、でも・・・・・・。」
それでも首を縦に振らない彼に対し、彼女は悪戯な笑みを浮かべ、フフッと零す。
「ウフフ、もっと協力が必要だなんて・・・・・・わがままなのね。」
彼女はそのままの笑みのまま、ローブの裾を掴んで上へゆっくりゆっくりと上げていく。ローブに隠れていた彼女の蠱惑的な足が露になる。
グランのぼやけた視界でも分かる、靴と大人な色の足がローブからするりするりと見えてきた。
「わ、わかった。飲みます、飲むから・・・・・・。」
彼はようやくそう言い、震える手で瓶の蓋を開けひび割れた唇へ当て、中の液体を口に含む。
無味無臭の液体であると分かり、水だと信じて一気に瓶を傾ける。
「ああん、一気に飲み干してはダメよ?体が驚いてしまうわ。」
耳に囁く声を受け入れ、瓶の傾けを少なくする。
1日ぶりの水分が体の中央へとストンと落ち、そこから隅々にまで広がってゆく。
指先にまで潤いが満ちる感覚と、頭の靄が晴れていくような感覚が心地よく感じる。
そして足にも力が戻り、足を踏ん張り折り曲がった膝をピンと伸ばす。
ようやく元の姿勢へと戻ることができた。
「ありがとう、アウラ・・・・・・え?」
視界が正常に戻り、空になった瓶に視線を落とすと、それは彼が見たことの無い瓶の形状をしていた。
それは人の裸体をモチーフにされており、頑丈さを保つためか指と足指が必要ないように肘下と膝下は無い。
素材はガラスの様だが、その中でも光沢のでる加工がされているらしくやたらと艶があり、周りの風景が反射して瓶の表面に映し出される。
細いくびれと、それに対して豊満な胸と尻が滑らかな曲線で結ばれている。更に顔は上向きでその唇にあたる部分に蓋があるため、そこに口を付けると接吻のような形となる。つまり、
「なんて瓶なんだよコレ・・・・・・。」
彼の顔がみるみる赤くなっていき、自然と持っている手に力が籠る。
「あらあら、気に入ったの?なんならもっとお胸の大きいのもあるわよ?それとも、小さい方がいいかしら?ああ、それとも・・・・・・。」
彼女がクスクスと笑う。
いつの間にか彼女のペースへと嵌ってしまった事にグランは気づき、こめかみに皺を寄せ真正面にいる彼女の顔を見ずに済むように強く目を瞑り、もう片方の手を爪が食い込みそうなくらいに握りしめる。
「い、いらないから!」
瓶を彼女へ押し返す。
瓶と籠手がぶつかりカチリと音が鳴る。
「興味があるならコレが沢山あるお店を知っているから、帰ったら一緒にいきましょ?」
瓶を帽子の中へと仕舞いそう言うと、彼女は右手をひらひらさせながら2人のいる方へと戻っていった。
「だからいらないって!」
その声を聞いた彼女がこちらを向き、笑顔で手を振る。
今回も彼女にまんまと嵌められ、そのもどかしさと恥ずかしさで手を掻きむしる。
その時、手から2つの細長い茶色が零れ落ちる。
拾い上げるとそれは先ほど彼女が切っていた干し肉であり、いつの間にか手の中へと入れられていたらしい。
「アウラの奴・・・・・・。」
彼が彼女へ返しに行こうとすると、彼女は既に2人と会話をしていた。
ふと、先程のイリスの剣幕を思い出し、その足は止まった。
そんな彼の頭とは反対に、その口の中からは唾がとめどなく溢れてくる。
この肉の香りがいつも口にしている肉とは思えないくらいに、僅かに使われている香辛料が鼻腔一杯に広がり、嗅げば嗅ぐほどにこの肉が普段よりも美味しいものであると舌と歯が予感し彼の胸を高鳴らせた。
前歯で噛み切り、奥歯で何度も何度も普段の食事よりも何倍も時間を掛けて味わう。
噛む度に肉の旨みと僅かの臭みが滲み出る。
やはりというか、口に入れると結局は食べ慣れた味で格別旨くも無い。
だが、喉に物が入ってくる感覚が久しぶりの為、彼の顔が思わず二ヤける。
ふと、彼女のペースに流されてしまった事による苛立ちと、そのおかげで体調が回復した事による感謝とがせめぎ合い、咀嚼運動が意識せず速くなる。
ふと我に戻りペースト状となったのを飲み込み、もう一つは腰ベルトに備え付けてある袋に入れた。
焚き木に手をかざしながら彼女がそれを見届けると、再び2人との会話を再開した。
「あの、アウラさん。グランと何をしていたの?・・・・・・ですか?」
イリスが彼女の胸と顔を交互に見ながらそう尋ねる。
両手は一見静かに膝の上で重ねて置かれていように見えるが、僅かに指先が強張っている。
彼女は普段、アウラに対しては敬語で話し掛ける。
そんな彼女の口調から敬語が抜けたのに気が付くと、魔女はニヤッと口元を歪めた。
「何だと思う?」
「え、な、なにって・・・・・・。」
アウラは彼女が困惑して身体の至る所で動揺する様をじっくり観察した後に
「ふふ、水と干し肉を片手に2人のこれからの事について話していたわよ。」
と言い放つ。
「えっ!」
「えっ!」
イリスとサルフィの驚嘆の声が重なる。
彼女は目を見開き口をぽっかりと開けている。そこから我を取り戻すなり、グランを見ては頭を抱えうめき声を上げている。
一方、彼は木にもたれかかっていた状態からバランスを崩し、後ろへ受け身も取れずに転倒する。
うっ、と苦悶の息が漏れる。
彼のその様子を見て、アウラの口から笑みが漏れる。
「私がよく通っていたお店の中に、面白いお店があったから一緒に行こうって話をしていたのよ。」
そう言い終わったアウラはまだ込み上げる笑いを口の中でもごもごと堪えている。
それを聞いたイリスはゆったりとした深呼吸をし、グランを見て申し訳なさげに頭を掻いた。
「アウラさんのそういった言い回しは4人で冒険するようになってからも全然変わりませんね。」
サルウィが上体を起こしながら言った。
舞った土埃が僅かに髪の毛に付いているが鎧に付いたはずのそれはすっかり消え、変わらず清らかな光沢を放っている。
「あの、それでグランは水と肉を食べたのですか?」
イリスが彼女の目をジッと見つめ、食い気味で尋ねる。
上体をアウラの方向へ傾けており、両手は固く膝上で握り締めている。
「ええ、大丈夫よ。水も肉もしっかり摂ったわ。」
アウラが彼女を安心させるために柔らかな笑顔で言った。
「あ、ありがとう・・・・・・ございます。」
彼女のその目は僅かに潤んでいた。
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