第2話

2. 



 境を地球に似せ、人間を含めた生命の居住が可能な状態にする為の基地として、長期間人々が暮らしていたスペースコロニーだった。現在はそこに住んでいた人々の殆どがアキツに降りたため、大部分のエリアが空き地となっているが、その一部――地方自治体一つ分レベルの区画を丸々買い取って作られたのが「グレゴリー・パーク」だ。パーク内はいわゆる遊園地であるアトラクションゾーンや、「ヨーロピアン」「ジャパン」「エキゾチック」等それぞれのテーマで統一されたグルメ・宿泊ゾーン、未成年者立ち入り禁止のカジノゾーンや、果ては人工の海や密林までこしらえたバカンスゾーン、ネイチャーゾーンと分けられ、その広大な敷地の中で誰もが遊び、食べ、泊まり、非日常の空間を満喫できるようになっている。

 ユリがキール電子部品店にやって来た、一週間後。

 そのグレゴリー・パーク――正式名称ツクヨミ州エリアE‐19-2の中央部、セントラルゾーンと呼ばれる場所に、サクとアサキは降り立った。

「やれやれ、前に来たときも思ったが遠いな」

 パーク内を走る列車から出るなり、アサキがそう伸びをする。移動だけで約五日。そう嘆きたくなるのも無理はない。

 背の半ばまである黒髪を頭頂部で括り、暗い色調のタイトで丈の長いワンピースを着たその姿は、技術屋というよりは占い師か何かのようだ。彼女の着替えから商売道具まで詰め込まれたキャリーケースを片手に、サクは周囲を見回した。

「指定の場所までは少し歩くみたいですね。時間的には丁度いいかな……?」

 このセントラルゾーンという場所は、グレゴリー王国のいわば本部である。事務所はもちろんのこと、病院、役所や公共施設、さらには従業員たちの寮、日常生活に必要なものを売る各種商店、業者の為の宿泊施設まである、名前どおり一都市としての機能が集中した区画だ。

「けどアサキさん、ホントに良かったんですか? 未成年がどうの言ってたくせに、あんなあっさり依頼を受けちゃって」

 エリア内無線ネットワークで配信されていた地図を中で確認しつつ、サクは己の主に尋ねた。

「構わんさ、どうせウチが断っても、他の所でつかまるだろう。あんなカモネギの依頼をご親切に聞いて、無事に帰してくれる連中がイソタケにどのくらい居ると思ってる。どうせなら私が得をする方がいい」

 ぬけぬけとアサキがそう返す。ちなみにイソタケとはアサキらの暮らす街の名前で、アサキのような非合法AHM事業に片足を突っ込んだ人間の吹き溜まりだ。

「なっ、カモネギって……!」

 つまり、マトモに依頼内容をこなす気はないと言う事か。そう眉を吊り上げたサクに、アサキはやれやれ、と肩を竦めた。

「『パークで働くドールが助けを求めてきた』か。勘違いか犯罪がらみかは知らんが、グレゴリー王国の姫君ならば、恩を売って損はないだろうさ。報酬も十分だ」

そう言ってくわえ煙草で鼻歌を歌うアサキに、サクはがっくりと肩を落とした。




 約束の場所に到着した二人がユリと合流したのは十七時、ツクヨミ内部を照らす人工照明が、徐々にその照度を落とし始める頃だった。ツクヨミは閉鎖シリンジ型コロニーといって、恒星光をコロニー内部には取り入れず、人工照明で「日光」を再現している。だが、アキツテラフォーミング中の百数十年間、数百万人規模の人間が暮らしていたかなりの巨大コロニーであるため、その照明もスーパーの天井に付いているものとはワケが違う。長期間その内部だけでの生活に地球生命が耐えうるよう、極限まで本物の太陽光に近づけられたそれは、辺りに自然な、そして、結局地球とは別惑星であるアキツのそれよりも遥かに人類の母星「地球」に似た夕暮れを演出していた。

「あの、アサキ様はどちらへ……?」

 アサキはユリと合流し、エリア内を自由に動き回るため用意してもらった、業者用セキュリティ・カードを受け取るとすぐに何処かへ消えてしまった。目的地であるアトラクションゾーンへと向かう道すがら、困惑した様子で尋ねてきたユリに、同じく困ったような笑顔を返してサクは誤魔化す。実際のところ、どこへ行ったのやらサクには分からない。

「ええと、ちょっと下見と言うか……先に確認しときたい事があるんだそうです。すみません、すぐにまた合流しますから。――それより、この間は女性型の護衛用ドールを連れてらっしゃいましたよね。今回はいいんですか?」

 先日来店した時の、女性SPの事である。女性型の護衛用AHMは珍しいが、その女性SPの頬には明らかにそれと示すための刻印があった。護衛用とはいえ、人間を殺傷出来る権限・機能を与えられたAHMはその危険性から、認可を得た正規品である事を示すロゴマークを顔に印刷することが義務付けられているのだ。

「桂のことでしょうか? ええ、『彼』は酷く桂のことを恐れますの。それに、彼女は父がわたくしにつけた護衛ですから。今日、同行されてしまうと父に筒抜けになってしまいます。アサキ様もご一緒だし、大丈夫かと思ったのですけれど……」

 あの護衛用ドールの名は「桂」というらしい。ちなみにユリの父親は現在、このグレゴリー・パークの経営者である。

 どんな形で「ドールを救う」にしろ、パークの営業妨害をしてしまうのだから騒動になる可能性は大いにある。どうやら、目的のドールを持ち出すつもりでいたらしいユリはその辺り、アサキの腕に期待していたようだ。そこはアテにする前に警戒すべきでは、とアサキを知るサクなどは思うのだが、その辺りは流石は箱入りのお嬢様と言ったところか。この、ユリ・グレゴリーという少女は疑う事を知らぬ、よく言えば天真爛漫、悪く言えば世間知らずで甘い、正しく姫君だった。

 自分だけでは、いかにも頼りなく見えるのだろう。このまま案内するのをためらっている様子のユリに、サクは苦笑いする。淑女として叩き込まれた「汝人を疑うなかれ」という道徳観と、この先を考えての不安がせめぎ合っている様子がありありと空色の眼に浮かんでいた。無理もない、ユリから見るサクは、ただアサキの店で番をしていただけの、ユリと歳の変わらぬ少年に見えている。しかも、屈強そうでも勇敢そうでも賢そうでもない、極々凡庸で、毒にも薬にもならないような少年に。

 実はまだ、目の前の少女はサクの事を、ドールだとは思っていないはずなのだ。

 サクは、容姿性格は平々凡々としている代わりに、非常に「リアル」に出来ていた。同じAHM――アンドロイド(人間もどき)と言っても、そのランクによって機能もリアルさも変わってくる。その中で、サクはアサキに言わせると「無駄に高機能」なのだ。もっとも、この妙な特殊さを気に入られて、「パーツ狂」とのあだ名を持つこのマスターに、パーツ分解されずに済んだのだからサクとしては己の高機能に感謝するしかない。

 そんなサクは、普通にしていればまずドールと見破られる事はない。さらには、アサキはサクに「人間を演じていろ」と命令しているものだから、先日などは人様に電源ケーブルを見られまいと焦ったのである。そんなわけで、ユリ・グレゴリーにとってサクは「アサキのアシスタントをしている冴えない少年」でしかない。もっともそれが「冴えないAMドール」であったところで、大して違いは無いであろうが。

「彼がいるのはこちら――『ゴシック・フォレスト』の中です」

 そう言って、戸惑いながらもユリが案内したのは、アトラクションゾーンの中でも、隣接する宿泊ゾーンに近い奥まった一画だった。グレゴリー・パークのアトラクションゾーンは近代西洋の(中でも偏った)雰囲気で固められている。具体的には、不思議の国のアリスシリーズに、ドラキュラを始めとしたゴシック・ロマン、ついでに何故かハロウィンモチーフと言ったところだ。

 このアトラクションゾーンに入るには一つ条件があった。何でもいいから、一つ「仮装」をしなければならないのだ。これは「脱日常」の為の一種の儀式であるらしく、簡単なものでは獣耳のカチューシャから、凝ったものでは海賊船長の衣装一式まで、様々な仮装グッズが入り口にて貸し出されている。

 特に選ぶ基準を持たない(あるとすればせいぜい、アサキに再会した時馬鹿にされないように、という程度だ)サクは、無難にマントを一つ羽織ってお茶を濁す事にしたが、ユリは関係者に顔を見られたくないのであろう。黒のローブにカツラを被り、更に三角帽子を目深に被った魔女ルックでゾーンゲートの内側に現れた。

「ゴシック・フォレスト……恐怖系アドベンチャーって、要するに何ですか?」

 夕日(しつこく付け加えれば、夕日色に落とされた人工照明)に染まるアトラクション入り口の前に立って、サクは名の通りゴシック調建築を模した門扉を見上げて尋ねた。要するにお化け屋敷の親戚なのだが、製造されて以来、遊園地などとはほとんど縁なく過ごして来たサクには、アトラクションの紹介文を読んでも、いまいちそこが何なのか把握できない。

「そう、ですわね……言葉にすると難しいのですけれど……色々な不思議なもの、恐ろしいもの、珍しいものを見てまわる――西洋風の肝試しといったところでしょうか?」

 幾分困った様子で、言葉を選びながらユリが解説する。肝試しと言っても、多分全く驚く事が出来ないであろうAHMのサクは、ははあ、とだけ曖昧に返した。つまり、ユリの救いたいドールは、この中で人々をおどかす事を仕事にしているのだろう。

 ゴシック・フォレストの中は暗く、周囲には鬱蒼と木々が植えられている。入り口で渡されたレトロ趣味なランタンを手に、サクとユリは連れ立って順路を辿った。おそらく周囲の人々から見れば、微笑ましい高校生カップルのデートと言ったところであろう。

 しかし残念ながら、ユリの心を占める男性はサクではない。

(違うな、僕もドールで、ユリさんが救いたいのもドールなんだから、『男性』ってのも変か……。ほんと、なんだかなぁ……)

 果敢にもキール電子店に単身乗り込んできたあの日、ユリは空色の双眸に涙を溜めて唇を噛んだ。その熱心で真摯な、どこか思い詰めたような表情からは、同情や憐れみ、使命感と言ったもの以上の感情が溢れていた。ユリは、ドールであるらしい「彼」に特別な感情を抱いているようなのだ。

 折角の美少女が、お人形相手に熱を上げているのは勿体無い、というのが、サクの正直な感想である。多分、その辺りはアサキも同意見だろう。アサキはAHMパーツに関しては目の色を変える割に、完成品のドールに対する態度はわりあい冷淡なのだ。

『だって、ドールにだって心はあるのでしょう? あんな、あんな辛そうな彼を……でも、わたくし一人では何も出来ないのです、何も……』

 しかし、「確かに助けを求められたのだ」と言い募るユリは、そのドールは対等の、人格を持った一個人として認識している。その辺りがそもそも、勘違いだというのがサクとアサキの共通認識なのだが、アサキは何故か、それをユリに諭してはいなかった。恋する乙女の盲目が面倒だったのか何なのか、とかく依頼を解決――相手のドールを「修理」してしまえばどうにかなるだろう、と投げやりに言うだけだ。

 件のドールがパークの所有ドールである限り、「辛そう」というのは勘違いの気のせいか、あるいはそういう仕様なだけである。世の中、憂いを帯びた瞳に惹かれる人間も結構いるから、そのような表情をするようプログラムされただけだろう。アサキはそう分析していたし、サクもそれに同意だった。基本的に、ドールにとってマスターの命令は絶対である。『絶対』というのは、『逆らえない』という意味ではない。『逆らうという発想そのものが存在しない』あるいは、『その命令を完遂する事が、至上の幸福である』ということだ。その辺りは良く勘違いする者もいるが、ドールの心そのものが、マスターの命令を遂行する事そのものを喜びとするように作られているのだから、当然である。確かに専門家の間でもドールには心があると言われているが、心があっても所詮AHMは『モノ』である。モノに宿るのはモノの心でしかない。人間の基準に照らしてその心中を探るのは不毛な事だった。

 営業時間が終わるとドールたちは何処へともなく収納されてしまい、ユリでは全く把握出来なくなるらしい。そんな理由でサクとユリは、営業時間終了寸前のアトラクションに、とりあえず客として入ったのだが、平日にも関わらず中にはぱらぱらと客がいる。

(まあ、とりあえず下見だよな。ユリさんは結構焦ってるみたいだけど、まずはそのドールを見てみない事には……)

 そんな事を考えながらユリと並んで、五分も歩いただろうか。

 はしゃいだり悲鳴を上げたりと楽しんでいる他の客を尻目に真っ直ぐ歩いたので、順路としてはそろそろ終盤に差し掛かる部分だろう。道が大きくカーブする場所で、ユリが足を止めた。

「こちらです」

 案内される方を良く見れば、茂みに隠れて脇道がある。幾分緊張した様子のユリの後についてそちらに進むと、「関係者以外立入り禁止」と書かれた扉のついた衝立があった。衝立の周囲は植え込みが壁となっており、回り込むことは出来ない。ユリが持ってきた従業員用らしきセキュリティ・カードを扉のロック装置にかざすと、控えめな電子音と共に錠の外れる音がした。

「いつもこの時間に、ここから会いに行っていますの」

 とっておきの秘密をそっと明かすようなその声音は正しく、恋する乙女のものだった。




 ユリの相手をサクに任せたアサキは、単身、セントラルゾーンのグレゴリー・パーク本社ビル近くの喫茶店に陣取っていた。このセントラルゾーンには、本社はもちろんのこと、病院、学校、役所や警察署、さらには従業員たちの寮、日常生活に必要なものを売る各種商店、業者の為の宿泊施設まである。名前のとおり、一都市としての機能が集中した区画だ。

 ユリに関しては、サクに任せておけば心配はない。なかなか言う事を聞かないポンコツではあるが、良識的で口うるさい分、ユリにも無茶はさせないはずだ。万が一面倒ごとに巻き込まれた場合でも、単体で処理できるだけの能力は持っている。

「ま、一度アイツに問題のドールを確認させれば、大体の状況は掴めるだろうからな」

 香りの良い、淹れたてのコーヒーをブラックのまますすりながら、アサキはのんびりと呟いた。コーヒーの味も、雰囲気も良い喫茶店である。全席禁煙でなければもっと良いのだが。そんな事をとりとめもなく考える。

アサキの住む街からこのツクヨミ内部までは、移動するだけで丸四日半くらいはかかる。紛いなりにも「国内」なので手続きにそう煩雑なものはないのだが、それでも十分くたびれた。

 喫茶店の窓越しに望む、総ミラーガラス張りのスタイリッシュな本社ビルには、引っ切り無しに人が出入りしている。人工照明とはとても思えない、自然な夕暮れの光の中、ビルの周囲の街路樹が風に葉を揺らす様を眺めて、アサキは一つ、伸びをする。

(普通に考えて、AHMが与えられた役割に不満を持つことなどあり得ん。不満があるように見えるなら、そう振舞うよう命令を受けているだけだ。顔にもよるが、物憂げな表情に惹かれる人間も多いものだからな。それを勘違いしているだけならまあ、適当に中をいじって表情改善させてやればいいだけだが……)

 グレゴリー王国の姫君はどうやら、件のドールを解放、すなわち盗み出してしまいたいらしいが、そんな事をしたところで、そのドールに感謝される可能性は限りなく低い。所有者、すなわちマスターの命令を遂行出来ない状態に陥る事は、ドール――AHMにとって最大の苦痛であり、所有者から引き離され、単身置き去りにされる事は自由も解放も意味しないからだ。

 もっとも、それならば例のドールのマスター権限をユリに移してしまい、ユリの所有ドールにするという選択肢もありはする。しかし部外者ならともかく、グレゴリーパークの社長令嬢である彼女に、そのドールを隠しておける場所があるかは甚だ疑問だった。それくらいならば父親に直接掛け合って、そのドールを「おねだり」するほうが遥かに早くて安全である。

(多分あの姫君は、そんな発想で依頼をしてきたわけじゃないだろうが)

 後者の選択肢を実行した場合、端的に言えば彼女は「自分の父親が経営する会社のドールを盗んで自分のものにした」だけ、という事になる。そういう悪意や欲はないのだ、多分。ならば、これらの事をユリに諭して、せいぜい件のドールをいじって楽にしてやる程度が関の山だろう。

「純真な分だけ……面倒くさい。が、な……」

 そう溜息交じりに独り呟くアサキの声は、本人にも意外なほど慈しみをもって響いた。サクなどに聞かれれば、あのいけ好かないポンコツはニヤニヤと笑うに違いない。

(まあ、説得やらその辺りはウチのポンコツに任せるとしてだ。問題は、勘違いではなかった場合といったところか)

 その場合、いくつか可能性が考えられる。

 第一に、例のドールが悪意を持って(正確に言えば悪意のある第三者の命令に従って)ユリに特別な接触をしている場合だ。この場合、ユリを狙った何者かが、表面上だけパークの命令に従うようプログラムを仕込んで、グレゴリー・パークにそのドールを紛れ込ませたと予想できる。これは便宜上「二重底システム」とアサキらが呼んでいるもので、いわば軍やら警察やらの潜入や、犯罪専用のプログラムであった。

 第二に、限りなく低い可能性だが、本当にそのドールが現状に不満を持ち、助けを求めているという場合も、完全に無いわけではない。もし万が一そんな事態であれば、そのドールは一も二もなくアサキのものにするつもりだった。ユリは適当に丸め込んで、依頼の報酬を返してでもそのドールを持ち帰り、中を開いてみる必要がある。

 実は三割くらい、その万が一の可能性を当て込んでアサキは色々な依頼に首を突っ込んでいるのだが、「当たり」を引く事はまずない。道楽と言われればそれまでだが、アサキはレアなAHMの存在については、一片の可能性でもそれを追う求道者なのだ。

 世の人間はアサキの事を「パーツコレクター」だの「パーツ狂」だのと呼ばわるが、その名称は不正確だとアサキは思っている。彼女は「AHMの内部構造コレクター」なのだ。アサキはパーツ――すなわちハードウェアは勿論だが、ソフトウェアについてもコレクションしている。そして、パーツの中でも中の回路や部品、骨格素材や表皮素材などの物理面には興味があるが、顔の造作だの髪型だのの美醜は正直どうでもいい。その意味で、「無駄に高機能」なサクは、アサキにとって最高に「面白い」ドールだった。

(もし二重底ドールによる犯罪だったとしたら、姫君を助けてグレゴリーの社長に恩でも売るとして……このまま適当に解決した場合、姫君からの報酬だけで帰るかそれとも……)

 脳裏に思い浮かべるのは、ユリが連れていた女性型の護衛ドールである。括りとしてはHP(介助)型の内に入るのだが、警護専門のドールは単独で「SC(セキュリティ)型」とも呼ばれる特別な存在だった。中でも女性型はAHM最大手の一社が、一シリーズのみ販売している超レアドールだ。正直なところ、手に入れて中を開けてみたくてたまらない。

「十中八九、あれはアストライア・リブラー社のディアナシリーズ……ふふふ、何とかアレを巻き上げる方法はないものかな」

 今日は見かけなかったレアドールの姿を思い出し、独り不気味な笑いをもらしたアサキは、喫茶店内で幾人かのスーツ姿の男女がやっているように、携帯端末を無線ネットワークに接続した。まず確認したのは、一週間前に同業者に収集を依頼してあったグレゴリー・パーク関連の情報、噂の類である。依頼した相手の本業は確か、AHMのプログラム周りをいじる事のはずだが、やたらと高いコンピュータスキルを生かして、同業者相手の情報屋もやっている。コンピュータへの違法接続が得意なのだ、つまり。

 ユリ本人から聞いた家族構成や父親の性格、公式発表やその情報屋から集めた経営状況等を整理する。内部サーバに侵入して集めたらしい情報もあれば、従業員の間の怪しい噂話もあった。その中から、件のドールが使われている施設に関する情報と、ユリをはじめグレゴリー一家に関する情報をまとめておけば、ドールが犯罪用だった場合の対処や、今回の報酬としてあの女性型護衛ドールをふんだくる交渉をするのに有利な筈だ。

(――デリック・グレゴリー社長自身の経歴に傷は無い。まあ、これだけ大きな『王国』を経営していれば、裏では何がしかあっても不思議ではないが……)

 端末画面を睨みながら思案していると、音声通信の着信通知が画面を覆った。確認すれば、サクからのものである。問題のAHMの所へたどり着いたのかと、アサキは通信を繋いだ。

「どうした。何か分かったか?」

 問いかけてみるが「えっ」とも「うっ」ともつかない曖昧な返事が返ってくる。高機能なのは結構だが、本当に呆れるくらい人間臭いドールだ。眉を寄せたアサキが、更に質問を重ねようと息を吸ったその時、悲鳴に近いような、いかにも情けなげな声が報告してきた。

『ち、違いましたっ! ユリさんの言ってたドール、ドールじゃありません……!』

 結局眉間に皺を刻んだアサキは、ポンコツドールを叱るために再度息を吸い込んだ。

「もう少し論理的で的確な説明をしろっ! 貴様それでも電子頭脳か、この馬鹿者がっ!!」




 そこは、ほんの僅かな光が崩れた天井から漏れ差すだけの、薄暗いカトリック教会の廃墟だった。

 ひび割れ、めくれ上がった大理石張りの床。地に落ち、ひび割れた十字架。ステンドグラスの色ガラスが、無残に砕けて辺りに散乱している。

その中に置かれた、いくつかの大きな瓦礫、その上に彼らは繋がれていた。正しくその足首を、鉄の足枷によって。

 サクは呆然と、その「ドール」を見上げた。身長は二メートルに及ぶだろうか。「すらりと」という表現からは多少逸脱するような細く長い四肢。血液の色がそのまま表面に浮いた、淡い桃色の肌。長く伸ばされた純白の髪。客達を見下ろす双眸は全て黒目の部分らしく、透明なガラス玉のような半球の向こうに、氷蒼色の虹彩に縁取られた丸い瞳が深淵のように穴を空けている。

 場所は、ゴシック・フォレストの最深部。コーナーの名は、「天使の牢獄」。

 サクとユリは人気の無い業務用通路を足早に抜け、この場所へ入り込んだ。ここはどうやら、彼のような独特の姿をした者達が「展示」されているコーナーらしく、廃墟と化した教会を模した、比較的広い展示室の中に、他にも様々な特徴を持った姿の者達がいる。彼らに奇異と驚嘆の目を向ける、二、三組の入場客たちの視界を避けて物陰に立った二人は、展示室の奥から「ドール」達を見渡した。

「彼が『シャルギエル』……私に助けを求めてくださった天使ですわ」

 ユリがそう言って、シャルギエルを指し示した。機械仕掛けの純白の翼を背負い、キリスト教の宗教画に出てくるような白い衣をまとったそれは、正しく天使――と呼びたいところだが、それにしては「天使」という単語からアキツ人が思い浮かべる姿とは違っている。神秘的なその姿は、ゴシックロマンの世界の天使というよりも、ハイ・ファンタジーに登場する別種族と言った方がしっくりくるだろう。

 しかし、サクにしてみればそれどころではない。外見云々以前の問題だった。「それ」――否、彼はドールではない。人間だ。

「ユリ、さん……あの、どうして彼をドールだと……?」

 いや、そんな問いは適切ではないのかもしれない。常識的な感覚から言って、こんな形で、言わば見世物にされていいのはせいぜいドールくらいである。数百年も昔ならば生きた動物や、あるいは更に遡れば人間ですら、狭い空間で見世物にされる事はあったようだ。しかし今時、珍しい外見の人間を晒し者にする場所があるなど、普通は考えないだろう。

「どうしてと言われましても……コーナー解説にそうありますわ?」

 質問の含みが汲み取れなかったらしく、不思議そうに首を傾げたユリが答えた。

 しかし、サクの積んでいる各種計器は、その天使が作り物でない事を示していた。表面温度とその分布、排出される二酸化炭素量、静止した状態での微妙な身体の動き、そういったデータを常時下層回路で解析しながら周囲を知覚しているサクからすれば、彼は多少代謝と外見に特徴があるだけの人間でしかない。

 このあたりはもう、肉眼を主に使って判断する人間と、優秀で精度の高い様々な計器を積んだAHMであるサクの、ハードウェアからくる感覚の違いである。

 サクはアサキに「件のドールが正常か、それとも何らかの違法改造やバグの為に挙動をおかしくしているのか調べろ」と指示されていた。サクもそのつもりで、如何にして自分と彼を接続するかと考えていたのだが、それどころではない。相手が生きた人間というのならば、話は全く変わってくる。

 見たところ、シャルギエル以外の天使達も、どうやら生身のようである。非常に特徴的な外見をしている(中にはどうも数人、特殊メイクをしただけの者もいるようだが)彼らは全員アクター、つまり従業員としてグレゴリー・パークと契約してここに居るのだろうか。それともまさか、本人の意思とは関係なしに、正しくあの足枷で捕まっているのか。

 最も、どちらにした所で彼らを「ドール」と偽って展示しているのならば、とてもではないがマトモとは言い難かった。

 これはまずい。そう、サクの中枢回路が警告を鳴らす。

 お姫様の勘違いなどという悠長な話ではなく、違法性のある要素が絡んでいる可能性が限りなく高いのだ。サクは咄嗟に、アサキの携帯端末に発信をかけた。間を置かずして通信を繋いだアサキの携帯に、声を外には出さないまま直接音声データを送信する。

『ち、違いましたっ! ユリさんの言ってたドール、ドールじゃありません……!』

 即座に「馬鹿者」と叱り飛ばされ、具体的な状況を説明する。

『……なるほどな。それは確かに面倒だ。今日はとりあえず撤収しろ、遊園地の労使関係なんぞ、ウチが首を突っ込む問題じゃない』

 アサキの指示に心から同意して、サクはユリの姿を追った。ユリは廃墟の物陰を伝って、器用にシャルギエルに近づいていく。サクが周囲を確認したところ、どうやら彼ら天使たちの他に、従業員の姿はないらしい。シャルギエル以外の天使たちはユリに気付いているはずだったが、誰も彼女を止めようとはしなかった。入場客用通路の側からは、薄暗い照明と大小の瓦礫に隠れてユリは見えていないのだろう。ガラスを隔てているおかげで、お互いの物音も遮られている。

 シャルギエルの足元にたどり着いたユリが、シャルギエルと二、三言会話した後サクを指し示した。天使たちの幾人かが、ちらりとこちらを見遣る。仕方なくサクは、ユリと同じように物陰を選んで、シャルギエルの腰掛ける瓦礫のもとへ走った。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る