第108話 香澄はアルバイトをしたい

「そうちゃん、私アルバイトをしようと思うの」


 日課の朝一ランニング後、香澄が小さくガッツポーズをしながら言ってきた。

 ゴールデンウィークを間近に控えた4月下旬。たしかにバイトをはじめるにはいいタイミングだとは思う。


「具体的には何をやるんだ?」


 一抹の不安を抱えながらも香澄に聞いてみた。


「う〜ん?ファミレス?コンビニ?メイド喫茶なんてのもあり—」


「却下」


「なんで⁈」


 即答で却下をした俺の襟を掴む勢いの香澄。

 だってお前が人前に出るだけで騒ぎになるんだぞ?売り上げは伸びるかも知れないけど、クレームも増えるからな?


「まあ、どうせ俺が何言ってもやるつもりだろうから無駄なことは言わないけどな?セキュリティーしっかりしたところでやれよ」


ため息をつきながら香澄に言うと、頬を膨らませながらジト目を向けてくる。


「なんか、私の扱いが雑じゃないかな?」


 ポンコツ化する妹分……、もとい幼馴染の扱いとしては十分だと思うけど?


「あ〜、前に行った喫茶店が落ち着いた雰囲気で良かったぞ。客層も大人が多そうだったから、ああいう店ならお前でも接客できるかもな」


 俺の話を聞いた香澄は、右手を顎の下に添えて「喫茶店か〜」と呟いている。

 普段はしっかりしてるから大きなミスはしないだろうし、本人がバイトをしたいというならば後押しくらいはしてやりたい。


「ちなみにそうちゃんさ〜、その喫茶店は史華ちゃんとデートで行ったのかな〜」


 香澄の冷ややかな視線を受けながら、俺は入念にストレッチをした。


♢♢♢♢♢


 そうちゃんに勧めてもらった喫茶店は、大正浪漫を感じさせる落ち着いたお店だった。


「結構賑わってるね。住宅街にあるお店だからあまり賑わってないのかと思ったけど家族連れのお客さんもいるね」


 日曜日の朝、私はみやびちゃんを誘ってモーニングにきた。ネットで検索したところモーニングサービスが人気らしく、休日の朝は特に混み合うらしい。


「いらっしゃいませ、ごめんなさいね。いまテーブル席が満席でしてカウンター席ならすぐにご案内できますが、いかがなさいますか?」


 大学生だろうか。落ち着いた雰囲気の店員さんが私たちを接客してくれた。


「あ、カウンターで構いません」


 私がそう答えると、ニコッと笑い「どうぞ」と案内してくれた。


「こちらモーニングのメニューです」


 手渡されたメニューには選べるモーニングセットの文字が書かれていた。ドリンク料金だけで軽食がサービスされるこの仕組みは、私たちの街ではポピュラーだ。


「お姉さんのオススメはどれですか?」


 メイド服を簡素化したような制服を着た店員さんが、みやびちゃんの問いかけに笑顔で答えてくれた。


「私としてはどれもと答えますけど、そうですね。私の親友は彼氏と一緒にきて小倉と生クリームのセットをそれぞれ注文してシェアしてますよ」


 お姉さんは思い出したかのように右手で口元を押さえながらクスクスと笑っている。


「ねえ、みやびちゃん。私たちもシェアしようよ」


 小倉と生クリームの組み合わせならば間違いがないだろう。


 みやびちゃんにも異論はないようで、なぜかキメ顔で親指を立てている。


「じゃあ一つはカフェ・オ・レでセットは小倉で」


「私はグレープジュースと生クリームでお願いします」


 お姉さんに勧められたとおりに小倉と生クリームをシェアすることにした。


 そうちゃんが教えてくれた通り、このお店には落ち着いた雰囲気が漂っている。それでも純喫茶とは違い私たち高校生でも受け入れてくれる気楽さも併せ持っている。


「お任せいたしました。こちらがカフェ・オ・レと小倉のセットです」


 私の前にカフェ・オ・レを筆頭に厚切りのトースト、小倉あん、コールスローとコーンポタージュが置かれた。

みやびちゃんにもグレープジュース、生クリーム以下同じものが置かれた。


「それではごゆっくり」


 お姉さんは綺麗なお辞儀と爽やかな笑顔を残して去って行った。


「これでワンコインはお得だよね」


 みやびちゃんの言う通りだ。


 私たちはトーストの上に小倉あんを乗せて、さらに生クリームを乗っけてパクリと口の中に入れた。程よい甘さが口の中に広がりささやかな幸せに包まれる。


「「おいしい!」」


 市販の菓子パンでもあるくらいポピュラーな組み合わせであるが、素材と雰囲気が良いのだろう。格別です。


「あ〜、カフェ・オ・レも濃厚だし、なにこのコーンポタージュ。これでサービスって申し訳なさすぎるよ」


 さっきメニューを確認してみたがコーンポタージュは載っていなかった。ということはモーニングセットのためだけに用意されてるんだろう。


「香澄ちゃん。あそこ」


 みやびちゃんが指差す方を見ると『アルバイト募集中』の張り紙があった。


「まだ募集してるかな?」


 私の呟く声が大きかったのか、先程の店員さんがスススっと私たちのテーブルに寄ってきた。


「ひょっとして、バイトに興味あるのかな?」


 先程までの接客モードではなく、気さくなお姉さんモードで話しかけてくれた。


「あ、はい。まだ募集してますか?」


 私が前のめりになりながら聞くと、お姉さんは両手で私の手を握り、怪しげな表情に変わった。


「ふふふっ、大募集中よ。今日だって私、休みだったのに呼び出されたの。2人ともでいいのよね?ね?」


「「あ、は、はい」」


 本当はバイトをするつもりのなかったみやびちゃんだが、お姉さんの圧力にやられたみたいだ。


「待ってて、今すぐ!今すぐに店長に話てくるから。絶対に帰らないでちょうだいね!」


 お姉さんは早足にキッチンに戻ったかと思うと、女性を1人連れて戻ってきた。


「店長、この子たちバイト希望です。今すぐに面接、いや採用してください。かわいいし、しっかりしてそうだから大・丈・夫です!」


「待って由季ちゃん。せめてお話しくらいさせてよ〜」


 店長さんは困り顔。

 完全にお姉さん、由季さんの独壇場である。


「聖川香澄です。いま高校2年です。あのまだバイトの募集をされてるのであればぜひ面接の機会をお願いしたいのですが」


「平川雅です。同じく高校2年です。日を改めてで構いませんのでお話しを聞かせてもらえませんか?」


 私たちとしては心の準備もしたいところなので、日を改めてと話したのだけど……


「雨宮由季よ、大学生。明日からよろしくね」


 店長さんではなく、バイトのお姉さんの一言により私たちは『式部庵』のアルバイトに採用された。


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