第32話 動き出す針
夏休みも終盤に差し掛かり、宿題も早々に片付けてしまった私は今日もバイトに向かう。
「行ってきます。」
台所で作業をしているお母さんに声をかけてから靴を履いていると、
「あれ?史華もう行くの?バイトまでまだ3時間も・・・。ははぁ〜。そうかそうか。公佳の応援ね。うんうん。仲良しでお母さんもうれしいわ〜。」
知らない間に背後に立っていたお母さんが納得したように台所に戻って行った。
「お母さん?何がわかったの?私は少し散歩と本屋さんに寄ってこうと思ってるだけだよ?」
「ふふふ。そう?この前の打ち合げの後から史華が楽しそうだなって思ってるだけよ。あ、散歩するなら帽子被って行ったら?暑くなりそうよ。」
打ち上げの後?お母さんは何か勘違いでもしてるのかな?
外に出るとアスファルトから熱気が放出されており、一気に体力を奪われそうだった。
私が最初に向かったのはFCステッラの練習場。
夏休みに入ってからちょくちょく訪れている場所。公佳経由でお母さんにはバレてるみたい。
やましい事はないから問題ないけど、変な勘違いされるのはね。
練習場は大会前じゃなければ一般公開されているらしい。宣伝のためでもあるんだって。
この前の大会で準優勝した影響もあってか最近では見学者がたくさん来ている。
私はいつも通り観客席の中央付近に座る。
グラウンドの中央付近が主戦場の彼を見るにはこの辺りが都合がいい。
もとい、彼ではなく妹でした。
私は妹の応援に来ています。
・・・表向きはね。
正直に言いますと、最近コウくんのことが頭から離れません。
さすがお母さんです。しっかりとバレてます。
もちろん双子の妹にも。
「史華。」
私に話しかけながら公佳と飛鳥が両隣に腰掛けてくる。これも毎回のことだね。
「2人ともお疲れ様。暑かったでしょ?」
差し入れの定番、レモンの蜂蜜漬けを渡す。
「私達のためにありがとうね〜。」
飛鳥が意味ありげに言ってきた。
なによ?その訝し目。
あ、食べ過ぎないでね?
飛鳥は物凄い勢いでレモンを消費していく。
「飛鳥〜。ちゃんとコウくんの分残しておいてよ?」
すでに半分なくなってるね。
公佳の一言でやっと飛鳥の手が止まった。
「あ、ごめん。疲れてるわ美味しいわでついつい食べ過ぎちゃった。」
こういう時の飛鳥は憎めないほど愛らしい表情をする。
『飛鳥はかわいいな。』
飛鳥だけじゃなく、公佳も、雅も、そして香澄ちゃんもかわいい。
このクラブにも、学校にも、コウくんの周りにはかわいい子がいっぱいいる。
私は同じ双子でも公佳とは似てない。
私には可愛げがない。
顔は似てるかもしれないけど、やはり人に与える印象には表情や仕草などが反映される。
『コウくんは私のことどう思ってるの?』
バイト帰りに送ってくれるのはオーナーに言われたから?
優しく笑いかけてくれるのは公佳の姉だから?
何気ない言葉をかけてくれるのは香澄ちゃんの友達だから?
私は?
私はコウくんの隣にいられるかな?
私はコウくんを助けてあげれるかな?
私はコウくんに好きになってもらえるかな?
「・・・か?」
「・・・史華?」
えっ?
名前を呼ばれていることに気がつくと、目の前に公佳がいた。
「史華?どうした?」
公佳は優しく笑いかけてくれた。
きっとこの妹は私の気持ちなんてお見通しなんだろうな。
「ううん。なんでもないよ。ちょっと暑さにやられちゃったのかな?」
ありがとう公佳。
コウくんが好きになるのはこういう気配りができる子なんだよね。
私が公佳になりたかったな。
♢♢♢♢♢
目標にしていた大会も終わり、次の大会に向けて練習が再開された。
決勝戦での2枚目のイエローカード。
あれは俺の未熟さが原因だ。
コーナーからカウンターを喰らい、GKとの1対1の状況を作られた俺たちは懸命に戻り、なんとか相手に追いつき、背後からスライディングをさせられた。
「あれは誘われたな。」
すでにイエロー1枚もらっていた俺を確実に仕留めるためにわざと追いつかせた。
「さすが代表ってとこだな。まだまだ俺は甘いってか。」
あの時、カウンターを仕掛けたのはU-18の君嶋さんだった。
この年代では国内有数のドリブラー。
俺がスライディングを仕掛けた瞬間にコースを変えてファールをもらいにきた。
「あの場面を作られた時点で詰んでたんだな。次はやらせなきゃいいだけだ。」
最近は練習試合を申し込まれることが多いらしく、今日はこれからJ1所属のBチームが相手だ。Bチームとは言え相手はプロ。
各年代の代表経験者や元フル代表なんかもいる。
だからと言って胸を借りるなんて気持ちは毛頭ない。
『コウくんは前だけ真っ直ぐ見てて。』
そんなこと言われたら俯いてばかりいられないだろ。
しかも今日も観客席から見守ってくれてるからな。
まあ、その後言いかけてた言葉はとりあえず保留しておこう。俺だってそこまで鈍感じゃないぞ?でも今はまだ答えられるほど自分の気持ちがわからない。
「まあ、わかった時は俺から行くけどな。」
覚悟しといてよ吉乃さん。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます