薫子と丹後少将と砂時計


 光の粒が落ちて行く。


透明な水晶の粒は、まるで生命が指の間からすり抜けて行く様子に見える。


薫子の指示通り、家康は豊臣家を追い詰めていく。


徳川軍は人数は多い。

一気に兵力の差を見せつけて、豊臣軍のやる気を失わさせる作戦だ。


(よし!よし!)


敵有利と聞いて、思わず小さくガッツポーズをした薫子だが……


豊臣政権15年の間の平和のお陰で、戦の経験のない武将がほとんどだ。

そなえ(陣形を、形づくる1団)の動かし方から、仕寄り(土塁のようなもの)の作り方まで、知識がない。


いや、知識としては知っているが、イザとなると雰囲気に呑まれ頭から飛んでしまうようだ。


大御所家康も目を剥いた。

「貸せ!」


見回りに来ていた家康は転げるように馬から降りると、足軽の持っていた鍬を取り上げてた。


「こうじゃ!こう!こう掘るのじゃ!」


慌てて重臣たちも鍬を足軽から取り上げて、掘り始める。


そこへ豊臣軍が押しかけた。


猪鹿垣ししがき(突進してくる兵や馬の足を止める、枝付きの木で作った柵)があるから大丈夫……


と思ったら、結い方が緩くてそのまま雪崩れ込んできた。



「退却!」


戦さ場に退け太鼓が打ち鳴らされる。


こうなると豊臣軍は大笑いだ。




「何の事はない!徳川軍は役立たずじゃ」



あまりのことに薫子は頭を抱えた。


お陰様で、大蔵卿局おおくらきょうのつぼねは相変わらず強気だ。

仲良くしてたのに裏切られたと思っているから、恨みは深い。


(一緒に天下を取ると思うておったに!)



史実通り和平の気持ちが起きないらしい豊臣軍は、ドンドンと深みに入っていく。


サラサラサラ、豊臣家の残り時間が落ちていく。





理を説いても、現実の前では説得力に欠ける。

既得権を手放すのは、どんな人でも難しい。

それが天下なら、尚更だろう。


集まった浪人達は、戦が無くなれば、行き場を失う恐怖で、豊臣家にしがみついている。


大坂城に漂う、あの黒く禍々しい悪夢は、大蔵卿局達を取り込んで、正気を失わせていっているようだ。


寝椅子の肘に頭をつけて、目をつぶった。




「お袋様」


侍女の声に薫子は目を開いた。


「何かしら」


「丹後少将が」



薫子は御在所の下に拝伏した色白のイケメン少将を見下ろした。


男女七歳にして席を同じゅうせずと言うけれど……


遠い……


「内密にお話ししたい」


申し込まれたが、二人っきりになるわけではない。

人払いをしても、お互いの家臣たちが剣呑な表情で睨み合いつつ背中を見せている。


何しろ丹後少将と来た日にゃ、無表情で冷たい事しか言わないくせに、薫子が茶道具を勧めればイヤとは言わず購入して、多額の借金を作り危うい所で、お家断絶しそうになったのだ。


細川家の家臣団の目付きが悪くなっても仕方ない。


そんな所なせいではあるが、そうボソボソと呟かれても聞こえない。



まぁ寝椅子に横座りしている薫子が悪いのだが。


薫子は御在所を降りると、丹後少将に


「茶を」


命じて茶室に席を移した。


細川忠興は三斎という号を持つ、天才故千利休の高弟の一人だ。

お袋様である薫子が忠興に茶を命じても何ら不思議はない。




シュンシュン

と、炉の釜の湯がたぎる音がする。


パン


袱紗を鳴らす丹後少将細川忠興の所作は流れるように美しく、薫子は目を奪われた。


(流石よね〜)


正客の席に座った薫子はしみじみ丹後少将の、見事な手捌きに見惚れた。



(私も習いたかったわぁ、千利休)


熱い眼差しを向ける薫子に、忠興は頬を染める。



そんなに見られたら……

緊張して、お湯を零してしまうかも……




薫子は、茶をつっと音を立てて飲み干すと、軽く回して畳に置いた。


手にした扇子を開いた。


「細川家はよく生き延びてきたわよね」


忠興は軽く眉を上げた。


「この度も生き延びなきゃ、ね。

あなた」


「……生き延びる」


薫子はふいっと立ち上がると、忠興の側へ寄った。


攻めていくスタイルは健在だ。


「何を」

薫子に物質的に攻め入られた忠興は、思わず身体を遠ざけようとして、周囲を見渡した。


しかし


右手にたぎる湯が沸いている釜を置いた炉

前には水指みずさし

左手には建水けんすい


そして後ろには薫子

進退が極まって赤い顔を俯かせた。


「お話ってなぁに?」


「う」


睫毛に宿る僅かな外の光さえ見えるほど近々と身を寄せられ、酒を飲んだように赤い顔をした細川忠興は、訥々と豊臣方の不利を説いた。


「分かっているわ」


分かっているんだけどね……


豊臣家という肥大化した船は、薫子一人の意見でどうこうできないほど巨大になっている。


それに


豊臣家が生き残るには、藤吉郎秀頼を切り離し、見殺しにしなければ収まらない。

だが、秀頼しか後継のいない豊臣家は、どうしようもないのだ。


秀次を抹消した段階で、豊臣家の命運は滅亡に舵を切ってしまっている。


「藤吉郎は可愛いわ」


薫子は呟いた。


「殺したくないの」


シュンシュンと滾った釜が音を立てる。



「茶々様は……」


三十路も終わりかけた白皙の男が声を発した。

名を呼ぶのは、茶室という席だからか。


「私のことを覚えておられぬか」


一瞬、交わった視線を外して忠興はまた俯いた。

なんだか泣きそうな顔が愛らしい。


へ?


薫子は困惑して忠興の横顔を見つめた。

薫子の視線を受けて、目を左右にしながら忠興はまた口を開いた。


「まだ二歳ほどであられたから……覚えておられなくても仕方ないが」



(いや、覚えている以前の問題だわ)


何と言っても薫子は「居なかった」のだ。



「そ、そうね……」


きっと覚えていると言えば、有利に物事が進みそうな予感がする。

だが、嘘はつきにくい。


沈黙が茶室を覆う。


ただ滾る釜だけが静かに音を立てる。


忠興は、シュンシュンと音を立てる釜に、水指から掬った水を差した。

落ち損ねた水滴が涙のように柄杓の柄を伝っていく。



一瞬、薫子の薄暗闇色の記憶の澱に、僅かな光が走った。


「あ……」


薫子は悲鳴のような小さな声を上げた。


息を呑んだ忠興と目が合う。


「そんな……」



「茶々姫」


柄杓の柄を伝った水滴のような、透明な水が忠興の瞳から零れ落ちた。







 身近に侍っている、侍女達が静かに香を燻らせている。

遠くで、大蔵卿局達の徳川方を罵る声がする。


サラサラと曲線をなぞって、最後の砂粒が小さな光を煌めかせて音もなく落ちた。


薫子は、ぼうとしながら、それを見つめていた。


そんな


その言葉だけがクルクルと胸の中を回っている。


「母上」


顔を上げるとすぐそこに秀頼が立っていた。

背の高い松村と薫子の息子に相応しく、この時代では相当な長身だ。

ぽややんとした、如何にも育ちが良さそうな隙だらけの顔が、松村そっくりで笑える。


「藤吉郎、何かしら?」


「これはなんですか」


藤吉郎秀頼は、その問いに答えず、薫子のそばでキラキラと輝いている砂時計を持ち上げた。


「それは砂時計。

砂で時を計るのよ。」


薫子は指でひっくり返す仕草をして、続けた。


「で、藤吉郎、なんの用かしら」


藤吉郎秀吉は砂時計を、クルリと回した。

「母上、左衛門佐さえもんのすけが……」


サラサラと透明な粒がまた落ち始める。

「ええっと、真田左衛門佐信繁さなださえもんのすけのぶしげね。

あの方がどうかして」


……


「藤吉郎?」


え?


薫子は訝しげに息子の顔を見上げた。


しん


まるで時が止まったように静かだ。

その沈黙の中で、秀頼が凍りついている。


「ちょっと、何?」


秀頼の体の向こうに見える秀頼の小姓も、香をくべていた侍女も、写真の中の人のように、ぎこちない姿勢で止まっている。



ダダダダダダダダ


凍てついた大坂城の廊下を走る音が近づいてきた……


「殿下!御袋様!」


勢いよく襖がパカーンと開いた。


「殿下!!」


「左衛門佐?」


「御袋様!」


目の前に、と言っても、まさに目の前には背の高い秀頼が覆いかぶさるように突っ立っているので、首を伸ばした向こうである。

そこに目を大きく剥いた中年の男がたっている。


「ご無事で!」


「外の様子はここと同じ?」

「はい、皆、突如固まり申しまして御座る。

ここへまかり越し申す時、城外を見申したが、そこも斯様かような有様にて御座り申す。

之は徳川方の妖術にて御座り申そう」


(あぁ、これが)


強ばった顔で、薫子は砂時計に視線を向けた。

サラサラと砂時計は、固まった人々を残して、輝く透明な砂を落として時を重ねていく。





「殿下を落とすと」


こくんと薫子が頷くと、黒い髪の毛がサラサラと音を立てた。

まるで砂時計の中で煌めきながら落ちていく、水晶の粒のようだ。


「どれくらいの人数を連れて行ける?」


実は真田左兵衛佐信繁 、所謂いわゆる幸村もその話を持ちかけに薫子をおとなっていた。


「さほどの人は……」

大人数を移動させるのは難しい。

「おそらく最小限になるかと」


「そうね、足は宛があるわ」


今や長崎で手広く商売をしている荒木は、せっせと斬新なデザインと企画を送ってくれる薫子を崇拝している。

きっと動いてくれるはず。


更に

残される者のことも考えねばいけない。


正室北政所は、秀吉の母大政所が亡くなって以来、豊臣家の中での求心力を失い、秀吉が崩御するとすかさず家康に擦り寄っているから大丈夫だろう。


御半下おはしたの下女や下男達は逃がすとして、侍衆や侍女達はどうするか。

実家のある者は良いが、過去の度重なる戦で行き場のない者もいる。


千姫は何とか無事に返さねば……

そして側室や子供らはどうするか。


「お袋様、落ちる先は……」


「そうね、多分、それは大丈夫」




薫子は透明な視線を青い空に向けた。


「なんてことかしらね」





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