6話 黒とオレンジ
葵羽が大学の図書館で課題に必要な本を探していると、目の前にカラスが現れた。
何かが差し出される。葵羽が探していた本だった。
――え、気持ち悪い。
「え、気持ち悪い」
思わず声が出た。公園でカラスに腕立て伏せをさせていた霞の気持ちが少しわかった気がする。
カラスはといえば、全く意に介した様子もない。ただ一言、
「来て」
呼び出し。葵羽はこれがカラスからのものではなく別の少女からのものであると知っている。慌てて本の貸し出し手続きを済ませ、カラスについていった。
●
葵羽は道中でカラスと連絡先の交換をした。葵羽からの提案だ。カラスはいつでも葵羽のことを見つけられそうな雰囲気だが、葵羽側はそうもいかない。それはなんだか不公平に感じたのだ。
カラスに連れられて行った先は学校。中也の通う高校だ。
ぶかぶかの白トレーナーを来た少女が壁にもたれかかりながらデジカメを構えている。空を撮っているのだろうか。
「来たよ、霞ちゃん。今日は何するの?」
呼びかけた。霞ちゃん呼びに関してはこれまで何も言われていない。
「陸上部のヤツらに話を聞く」
デジカメを下ろした霞が答える。今は部活をやっている時間だ。活発な高校生たちの声が聞こえてくる。
「部活が終わるまで待つ感じ?」
「は? なんで?」
霞がコイツは何を言っているんだという風に葵羽を見る。
「帰り道に聞くんじゃないの?」
中也のときと同じ要領でいくと、葵羽は思い込んでいた。
「そんなやり方じゃ全員に話を聞くのに何日もかかるじゃない。適当に何人かずつ捕まえて聞くなら部活中がやりやすいでしょ」
――やりやすくはないんじゃないかな?
中也の高校は私立。陸上部は盛んな部活の一つで、顧問やコーチもついているはずだ。そもそも学校というのは閉ざされた世界であり、部外者が入るのはけっこう難しい。
さらに以前中也に会いに行ったとき、葵羽は見た。この高校の正門には警備員がいるのだ。
「というわけでカラス、行け」
霞が告げる。
「行けって、え? どうするの?」
カラスがポケットから何かを取り出して首にかける。名札の入ったケース。『入校許可証』という文字が見えた。
「なんで持ってるの?」
「偽造よ。前にカラスが見たのを真似して作った」
――だめだよね?
おそらく倫理的な話はこの二人には通じないし、たぶん法的な話も通じないのだろう。
「これだけの規模の私立の学校。職員も生徒も学校の全部を把握しているわけじゃない。首からカードぶら下げておけば、自分とは関係ないところの客だと思うものよ」
そう言われればなんとなくいけそうな気がする。
「でも、正門の警備員は? 大丈夫なの?」
「さすがに止められるわね」
「え、じゃあどうするの?」
霞がカラスに目配せする。カラスが少し壁から離れる。学校と世間を分離する壁だ。タッと地面を蹴る。
次の瞬間、カラスは壁を乗り越えていた。一瞬、壁を走っていたようにも見える。
「え! うそ!」
すぐにカラスの姿が見えなくなる。あっさりと学校への侵入成功だ。
スマホを弄りだした霞を見る。何でもないような雰囲気。ある意味、自分のパシリを信頼していると言えるのかもしれない。
「……でも、実際に話をするのはどうするの? 全部カラスが聞いてくるの?」
「は? これよ、これ」
そう言ってスマホの画面を見せてくる。ビデオ通話になっていた。
●
葵羽は不思議だった。
カラスは見事にミッションを成功させていった。数人ずつの陸上部員を呼び出し、霞と会話させる。
しかし本当にそんなことが可能だろうか。部活時間、それも推薦で選手を集めているような強豪校だ。見ず知らずの人間にホイホイとついてくるものだろうか。
カラスが次のグループを呼び出しに行っている間、霞に尋ねてみる。
「インタビュアーでも装ってるんじゃない? 強豪校ならよくあるでしょ」
「え、でも顧問とかはどうしてるの? それにスマホでインタビューって……」
「知らないわよ、そんなこと。成功してるのに気にする必要ある?」
「えー」
霞のスマホが鳴り、会話は中断される。次のグループだ。
カラスと呼ばれる青年。葵羽のクラスメイト、渡透志。優秀で優しい物静かな人だと思っていた彼は、変態で、パシリで、雑食性で、不思議な人間だった。
葵羽の『ウズウズ』が反応する。どんどん溢れ出す。カラスのことをもっと知りたかった。霞のことも知りたかった。いろいろなことを知りたくなった。
――ちょっとアオバ、踏み込み過ぎじゃない?
踏み込み過ぎも何も、そもそも今、葵羽が二人に協力しているのは「霞が依頼人をどのように選んでいるのか」を知るためだ。しかし、
――アオバ、その理由を知ったらもう手を引くべきだよ。
カラスの異常性。その正体を知りたい。
――無関心。
葵羽が重要だと思っていることだ。行動の指針としている。
しかし、その指針は少しずつ、けれど確実にずれ始めていた。
●
陸上部からの聞き取りは終わり、葵羽は二人とともに事務所にいた。
克己はいないらしい。カラスがコーヒーを淹れてきてくれた。
「いい感じに材料が揃ってきたわね」
熱いコーヒーを口に少し含み、広がる苦味を楽しむ。葵羽はブラック派だ。甘いのがあまり好きではない。ちなみにカラスには何も聞かれていない。全員ブラックかというとそういうわけではなく、霞のコーヒーには砂糖をドボドボ入れていた。
「葵羽はどう思う?」
一瞬、砂糖の量の話かと思った。が、インタビュー内容について聞かれているのだと思い直す。
「……なんというか、すごいと思った……」
霞は陸上部員たちに、中也のことを聞いていた。中也という人間をどう思うか、彼が陸上を辞めることについてどう思うか。
中也との距離感もそれぞれなので、もちろん答えはバラバラだ。
しかし共通していることが二つあった。
一つは中也に対する印象。
――「努力家」。
全員が全員、彼の努力を称賛していた。彼らもまた、強豪の陸上部という環境で必死に己を鍛えている。苦しいトレーニングに日々耐えている。そんな彼らをして、中也の努力は別格だった。
「……中也、頑張っていたんだなって……」
そこまで何かに打ち込んだことは、葵羽にはない。手に感じるコーヒーの熱さに、なんとなく自分が責められているような気がした。
「ふーん。で、もう一つの方は?」
「…………うん」
陸上部員たちの答えに共通していたもう一つのこと。中也が辞めることに対してどう思うか。
――中也の意思に任せる。
大人びたように聞こえる。しかしそうではない。
誰もが中也の努力を見ていた。その苦しさを知っていた。同じような環境にいて、その苦しさを知っていた。
だからこそ、理解できたのだ。
ケガ。
不断の努力によって切り開いてきた道が、唐突に閉ざされる感覚。その絶望。
それを理解できたからこそ、彼らは決断を戦友に委ねた。聞けば、誰も中也が辞めることを止めなかったと言う。顧問やコーチもだ。
そして葵羽も。夕焼けの帰り道で知った少年の決意を支持した。
――中也は、陸上を辞める。
それは葵羽から見て、仕方のない未来に思えた。
「たぶん、正しいことなんだと思った」
だが『請負屋』の二人にとってはそうではなかった
「ふーん……」
霞がコーヒーをカップの中で回す。その渦を見ている。そして顔を上げる。
「それでも大事なことは一つだけ。中也が陸上を続けること」
回転式の椅子で回りながら白トレーナーを膨らませる少女。
先程、彼女は「いい感じに材料が揃ってきた」と言っていた。そして彼女は中也に陸上を続けさせることを諦めてはいない。つまり、彼女には葵羽に見えていない道が見えているのだ。
カラスの方を見る。回る霞のそばで立つカラスの目はいつも通りの黒。感情は読み取れない。その目は霞に向けられている。
二人を一緒に見る。その時、事務所に夕日が差し込んだ。
二人を優しいオレンジ色が包む。カラスを見た。やはり感情は読み取れない。しかし彼が何を思っているのか、葵羽にはわかった気がした。
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