4話 葵羽と中也
翌日、葵羽は昨日の公園に来ていた。
カラスに言われたわけではない。英語Ⅲがない日、葵羽とカラスが大学で出会うことはないのだ。
ここに来たのは葵羽の意思だ。昨日、事務所で克己に言われたこと。霞とカラスの『請負屋』としての仕事に貢献する。そのためにまずできることは情報収集だと考えた。中也に会わなければならない。
――すごく怒ってるだろうし、まず昨日のことを謝らないとなー。
少し気が重い。特別コミュニケーション能力が高いわけではない。中也を見つけても上手く会話できる自信などなく、二人の役に立つ情報が手に入るかは微妙だ。
――まあ、嫌われるのは別にいいし。当たって砕けるしかないよね。
●
葵羽は昨日、霞たちが中也を見つけた道にいることにした。時間はだいたい昨日と同じくらい。
正門近くで待とうかと思ったが、警備員がいて怖かったのだ。
ラクダのマークが入った紙袋を持った男性とすれ違いながら、葵羽は待ち伏せポイントに向かう。
葵羽の横を高校生たちが通り過ぎていく。すれ違うときに葵羽の方を見ていた二人は、直後にこそこそ喋りだす。時折ちらりと振り返っている。
葵羽の記憶にはないが、昨日の騒動を見られていたのかもしれない。これが葵羽でなく霞であれば「美人がいる」という話かもしれないが、葵羽は自分がそういった対象になるとは思えなかった。
――それにしても、霞ちゃんは美人なんだよなー。
畏怖を纏ったあの白トレーナーの少女の容姿は美しい。これまで異様なシチュエーションへの困惑が勝っていたが、落ち着いて振り返ってみると霞は相当な美人だった。
――笑ったらヤバそう。
これまで霞の笑顔を見たことはないし葵羽には想像もできないが、それは確実に魅力的なものだと思う。
――渡くんは見たことあるのかな?
聞いてみようかと思うが、あのカラスが答えてくれるかはかなり怪しい。
「あ、お前……!」
物思いにふけっていた葵羽に声がかかる。聞き覚えのある少年の声。
葵羽の眼前に松葉杖をついた少年が立っていた。中也だ。驚いた表情をしている。そしてその顔が少しずつ赤くなっていった。
「……話すことはねえよ。帰ってくれ。邪魔だ」
そんな否定の言葉を葵羽に投げかけてくる。
葵羽は答えず、中也を見た。上半身はブレザーだが、下はジャージを履いている。右膝あたりが膨らんでいるのが見えた。肩からはスポーツバッグをぶら下げている。ここまでは昨日と同じだ。しかし今日はもう一つ荷物が増えていた。
「それ持つよ。大変でしょ?」
大きな平べったい袋。絵だろうか。中也は肩からそれをぶら下げていた。
「……いらねえって。自分で持てる」
「ちょっと話したいこともあるの。というより謝ることかな」
中也は懐疑心に満ちた視線で葵羽を見返す。しばらくして、袋をこちらに渡してきた。
昨日の件から葵羽は、中也が大人びていることを感じていた。なんだかんだ相手の話を聞こうという姿勢を持つ。好ましい性格だ。
「そっちも持つよ?」
予想通り絵の入っていた袋を受け取りながら聞く。
「大丈夫。……葵羽……さんだっけ?」
やはり中也は礼儀正しい。
中也はそのまま葵羽を追い越し歩き始めた。葵羽も慌ててついていく。
「うん。そっちは中也くんだよね?」
「ああ」
短い返答。しかし確実に応答が成り立ち始めた。
葵羽は少し安心しながら、手に持った袋から漂う匂いをかぐ。
「これ……油絵?」
「美術の授業で描いた。……下手だから見るなよ」
覗き込んでいた葵羽は、動きを止めた。
「へー懐かしいな―。私も高校生のとき美術選択だったんだよ? ……上手くはなかったけど」
「へえ、意外だ」
「……?」
中也の返答に葵羽はキョトンとした顔で返す。声が返ってこなかったからか、中也が振り返りながら続ける。
「葵羽さん、声きれいだから音楽選択かと思ってた」
どきっとした。
脈が速くなり、体温が少し上がった気がする。
「別にきれいじゃないよ?」
「いや、そういうのって自分じゃわからないもんだろ? きれいだよ」
先を歩く中也がなんでもないように続ける。
「……もしかして口説いてる? 年上が好みだった?」
「なんでだよ」
違うらしい。しかし、やはり中也は話しやすいタイプの人間だった。葵羽は年上の相手とこれほどフランクに喋ることはできない。
それが確認できたので、葵羽は少しずつ本題に入っていく。
「昨日はごめんなさい」
真摯に謝る。別に葵羽は何もしていないが、一緒にいて何もしないのは世間一般では罪に当たる。
「……別にいいって。葵羽さんは何もしてないし」
中也は世間一般とは違うらしい。そのことに葵羽はまた安心する。見た目の鋭さと異なり、一緒にいて安心する男子だ。さぞモテることだろう。
「てか、葵羽さんってあの二人とどういう関係なんだよ? ちょっと離れてた感じだったし。仲間っぽくないっていうか……」
指摘される。怒りながらも葵羽たちの関係性を観察していたらしい。
葵羽は答える。
「さあ?」
「なんでだよ」
ツッコまれても仕方ない。葵羽もあまりわかっていないのだ。
「渡くん……男の方は大学のクラスメイトなんだけど。喋ったのは昨日が初めてだし。霞ちゃんともそう」
厳密に言えば二人とは一昨日、夕日の差し込む廃ビルで会っていたりもするわけだが、面倒なので言わないことにした。
「え? それほぼ他人じゃねえの?」
「うーん、そうかも?」
呆れたせいか中也の歩みが止まっている。そのおかげで葵羽も中也の横に並んだ。こう見ると、随分と背が高い。160センチくらいの葵羽よりも20センチほど高いだろうか。
――昨日はそう見えなかったな……。
その原因は霞だ。彼女は小柄で、身長は150センチ台だろう。中也と並べばはるか高くを見上げることになる。
しかし昨日、そのようには感じなかった。むしろ霞が中也を見下ろしているようにさえ見えたのだ。
「そうかもって……。じゃあなんで一緒にいんだよ? あんなヤバそうな二人と」
中也の言葉に葵羽は笑みをこぼす。確かにそうだ。
「なんで笑ってんだよ」
「楽しいからかな?」
秋風の吹く通学路を二人で歩きながら、葵羽はそんな風にごまかした。
●
「陸上、なんで辞めるの?」
「……」
葵羽と中也は河川敷近くの道を歩いていた。野球少年たちの声が響く。
「ごめん、話したくなかったらいいよ?」
中也は前を向いて歩き続ける。二人の間に沈黙が流れた。
葵羽は手持ち無沙汰に河原を見る。夕焼けがあった。河原にいる多種多様な人々をまるごと焼き払えそうな夕焼け。ふと手を伸ばしたくなった。
「ウチ、母子家庭なんだよ」
唐突に中也が沈黙を破る。伸ばしかけた葵羽の手は再びカバンを支える仕事に戻った。
「俺、陸上で推薦取れて。それで私立の高校に来たんだ。学費はある程度免除してくれたんだけど、やっぱり負担だったと思う。母さん、家にいる時間も減ったし」
中也のポツポツとして語りに、葵羽は静かに耳を傾けた。
「で、ケガしちまった。膝」
「うん」
「陸上で生きていくなら今は大事な時期だと思う。家のこと考えたら、大学でじっくりってわけにもいかねえし。高校で成果残さねえと」
「……うん」
「全国は決まってたんだよ。優勝するつもりだった。それでまた推薦もらってさ」
なんとなく、中也の松葉杖が地面を打つ音が大きくなったように感じた。
「弟がいてさ。俺と違って真面目で、勉強できんだよ。いま中学生だ。ちゃんとした大学に行ってもらいたいと思ってる」
夕焼けの色が暗くなる。だんだんと日が落ちるのが早くなってきた。
「……リハビリしながら陸上を続ける余裕なんてウチにはない。これまで挑戦させてくれたんだ。母さんにも弟にも感謝しかない」
「うん」
「だから、陸上辞めてはたらく。走らないんなら膝なんてどうとでもなる。痛みには強いしな」
それは、高校生の男の子が吐くのに相応しくない、決意の言葉だった。
葵羽はその決意を歪めたくなかった。
「優秀な弟かー」
「なんだよ?」
「私にもいるよ、優秀な弟」
中也が振り向く。中也の振り向き方はどこか弟に似ていた。
「へえ、いま何歳?」
「二歳下だよ。私はいま
中也が笑う。
「じゃあ俺と同い年じゃん」
葵羽も笑った。
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