2話 獅子と秋風

 葵羽は高校生の通学路でブレザーを着た少年に絡む二人を見ていた。松葉杖をついた少年である。

 厳密に言うと絡んでいるのは霞だけだ。カラスは少年の後ろに回っている。

「いいから大人しくついてきなさい、悩み聞いてやるって言ってんだから」

「いやだから悩みとかねぇって! 何なんだよお前ら! 警察呼ぶぞ!」

「は? 警察呼んで困るのはどっちかなー? こんな学校の近くで警察沙汰になって良いのかなー?」

「……! 別に……構わねえよ……」

「あん?」

 霞が苛立っている。ぶかぶかのトレーナーが彼女の短躯を大きく見せ、獅子が睨みをきかせているようにも見える。絶対に凄まれる側にはなりたくないと、葵羽は遠巻きに見守りながら思っていた。

「……カラス」

 霞がつぶやくと、カラスが後ろから少年に話しかける。ハッとした表情になる少年。数秒の逡巡。

「……わかった。話だけ聞く。聞くだけだからな……」

「ったく、最初からそうしておけばいいのに。ムダな時間とらせないでよ」

 吐き捨てながら先頭を歩いていく霞。少年は今にも掴みかかりそうな勢いだが、周りの目を気にしているのか必死に堪えていた。

 カラスと少年が霞に続き、さらにその後ろを葵羽もついていく。少年が葵羽の方をちらりと見て、恨みがましい視線を向けてくる。

――そんな目をされてもどうしようもないんだって!

 そもそも葵羽自身、なぜ自分が二人についていっているのか理解していない。被害者なのだ。狼に怯える子羊にできることは、同じ目に合う子羊に共感することだけである。


   ●


 葵羽たちが来たのは先程の公園。水飲み場の近くに木のテーブルと椅子があった。格子状のパイプに枝を絡ませて作った屋根で覆われている。秋の太陽がほどよく遮られて、気持ちのいい風が吹く。

 霞の正面に少年が座っている。松葉杖は横に立て掛けてある。

 葵羽とカラスは座らずに立っていた。カラスは霞の左ななめ後ろだ。葵羽はというと、少年の横に座るのも変な話だし、霞の隣には座りたくない。怖い。だからこれまた少し離れた所に立っていた。

「で、何だよ」

「は? 何だよじゃなくて、まずは名前を言いなさいよ。ホント礼儀知らずね」

 相変わらずの霞様。自分のことは棚の上どころか宇宙ステーションにでも置いてきたらしい。

「……なんかもうイチイチ噛み付くのも面倒になってきたわ……」

 少年が嘆息する。彼のほうが大人だったようだ。

「高野中也だ」

「霞よ、あっちは葵羽。こっちのは気にしなくていいわ」

 葵羽のことは紹介するがカラスのことは紹介しない。一応、同列の扱いではないらしい。葵羽はまだパシリに昇格(降格)していないようだ。

――というか、あんまり紹介してほしくないなー。

 共犯みたいに言われても困る。止めないのも共犯だというが、ひどい話だと思う。止める力があるのならそうかもしれないが、必ずしもそうではないし、むしろ人生にはそういうことの方が多い。葵羽にできることなどあまりないのだ。

「中也、アンタには悩みがあるわね」

「だからねぇって」

「私があるって言ってんだからあるの」

 霞様だ。

「陸上」

「……!」

 少年・中也の顔色が変わる。

「なんで知ってんだよ……!?」

 中也の肌は日に焼けている。細身であり、確かに陸上選手だと言われればそうも見える。葵羽はそんなことを考えながら中也の横に置かれた松葉杖を見る。

「そんなことはどうでもいい。重要なのは中也が陸上を続けることだけ」

「……っ!」

 中也の目が見開かれる。わかる。怒りの感情だ。

「っざっけんな! いきなり出てきて何言ってんだよ!! 俺は陸上辞めんだよ!!」

「だから辞めるのを辞めて」

「……! 何も知らねぇくせに勝手なこと言ってんなよ。お前には関係ないだろ!」

「は? あるから来てるのよ?」

 霞はまっすぐに中也を見返している。葵羽はひりつく空気に逃げ出したくなる。一方でこのやり取りがどこに向かうのか気になっている自分もいる。

「何の関係があるってんだよ!?」

「そんなことは知らなくていい」

「どんだけ勝手なんだよ!?」

 中也の両手が木のテーブルを叩いた。公園で遊んでいる小学生たちが驚いている。葵羽は思わずカラスに目線を送るが、彼もまたまっすぐに中也を見ていた。

「勝手でも何でも、大事なのは一つだけ」

 霞が立ち上がる。秋風に吹かれて、乱雑な彼女の茶髪が舞う。膨れ上がるトレーナーと合わせてさらに迫力が増す。


「中也が陸上を続けること」

 

 中也は両手を握りしめていた。強く握りしめて赤くなっている。目も同じくらい真っ赤だ。怒りが彼を包んでいる。

「知らねえよ」

 中也が松葉杖を取り、立ち上がる。カバンを持ち直し、テーブルから離れていく。

 葵羽は去っていく彼の背中を見る。霞もカラスも中也を追おうとはしない。黙っている。

――意味がわからない。

 何も分からなかった。二人が何をしようとしているのか。何者なのか。なぜ自分はここにいるのか。

 わからない。わからないと知りたくなる。好奇心というやつだ。葵羽の中の『ウズウズ』が騒ぎ出す。溢れ出しそうになる。

「…………」

 すっかり温くなったレモンティーを喉に流し込む。同時に『ウズウズ』も腹の奥に押し流した。


   ●

 

 葵羽はボロい事務所にいた。

 中也が去ったあと、霞とカラスに連れられるままにそこに来た。四階建ての二階。学校の教室程度の空間がパーティションでいくつかに仕切られている。ファイルやらダンボール箱やらで散らかっていて、実際よりも狭く感じる。

 天井の蛍光灯は全部がついていない。そのせいでほの暗さまである。いるだけで

気分が滅入ってきそうな空間だった。

「ここ、何なの?」

 葵羽は近くに立っていたカラスに尋ねた。霞はこの部屋にはいない。到着直後に何も言わず消えてしまった。

「事務所だよ。『請負屋』の」

 カラスが答える。答えてくれるか五分五分だったので葵羽の反応が少し遅れた。

「『請負屋』?」

 聞き慣れない言葉を反芻する葵羽に、次はカラスが答えない。入り口の方を見ている。葵羽もつられてそちらを見ると、

「あぁ? カラス、誰だその女は。お前の彼女か?」

 野太い声。ハゲ気味の太った男が立っていた。紺色のトレーナーに黒のスラックス。こちらに近づいてくる動きが機敏で、見た目とちぐはぐだった。

「こんにちは、克己さん。彼女は僕の彼女ではありません」

 カラスが言葉遊びのような返答をする。

 太った男・克己は脂肪に埋もれそうになっている細い目をこちらに向けてくる。

「依頼人か?」

「いいえ」

 訝しげにこちらを見ている克己はカラスの淡白な応答を気にした様子もない。近くのデスクにあった新聞をとり、椅子に腰掛ける。キィーと音が鳴った。

「まあいい。俺に面倒が及ばなけりゃな」

「はい」

 カラスがまた答える。先程よりも優しさのある返答。少し心がホッとする。

――カラ……渡くんの声って……。

 教室で名前を呼ばれたときから感じていたことだが、カラスの声はどこか暖かい響きに満ちている。その声で名前を呼ばれれば葵羽も悪い気はしない。

――と言っても教室以来、一度も呼ばれてないけど……。

「ああ忘れてた、カラス。霞が呼んでたぞ」

 本日何度目かの風が吹く。隣を見るとすでにカラスはいなかった。


   ●


 葵羽は気まずさと好奇心の間で揺れていた。

 初対面の男性(推定:四十代)が近くの椅子で新聞をめくっている。当然気まずい。

 一方で興味もある。霞とカラスは自分たちのことをいっこうに話そうとしない。カラスはあまり返事をしてくれないし、霞に尋ねるのは少し怖い。

 そこに現れた、二人の関係者らしい男性。ハゲ気味の太り男でぶっきらぼうな印象を放つ男であるが、不思議と疎外感は感じない。「ここにいていい」と伝えてくれているような、そんな雰囲気があった。

――って、そんなわけないけど。

 葵羽は自嘲する。

 しかし質問はしたい。

「あの、質問してもいいですか?」

 克己が新聞をめくりながらこちらを見る。

「名前は?」

 問われてハッとする。公園で霞と会ったときも同じようなやり取りがあったのを思い出す。振り返ってみると、葵羽は自分から名乗ることがあまりない。

「葵羽、紀葵羽です」

湯浅克己ゆあさかつみだ。克己でいい」

 お互い自己紹介を済ます。名前だけの簡素なものだったが、大人との交流があまりない葵羽は少しドキドキした。

「質問か。俺が答えられる範囲のものなら答えてやる。どうせアイツらは何も言ってないんだろう?」

 やっとだ。

 葵羽は少し高揚していた。廃ビルのときから少しずつ漏れ出していた『ウズウズ』。抑えていたそれが、とうとう葵羽の外に出てくる。

――まずは……。


「『請負屋』って何ですか?」


   ●


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