第10章 死に神

 里香は午後の授業を終え、帰宅の途に付いた。

 部活はまた休むが、気分は晴れやかだった。

 明日からは、元通りだ。

 駅のホームに入った。

 だいじょうぶだいじょうぶ、

 もう何も起きない。

 何しろあの紅倉美姫さんが保証してくれたのだから。

 電車が入ってきた。

 乗り込むと、乗客はずいぶん少なかった。

 ほんの4、5人か。

 ラッキーと思ってふだんは座れない椅子に座った。

 ふと、となりの車両を見て乗客がいっぱいなのを不思議に思った。いくら時間がまだ早いとはいっても夕刻ではあれが当たり前だ。

 何故、この車両だけこんなに空いているのだろう?

 扉が閉まり、電車が動き出した。

 入り口に立っていた男性が反対の長椅子によっこらしょと座って里香に向かい合った。

 ニコッと笑いかけてきた。

 くたびれたコートにカバンを抱え、50歳くらいか、頭が灰色で、丸顔、メガネをかけて、大柄ではないが腹周りは中年太りでぽっこりしている。

 里香は男性から視線をそらしてぼんやり車窓の景色を見ていた。

 気付くと、男性はまだニコニコ里香を見ていた。

 里香は思わずスカートの裾を気にした。見えてない。

『なに、このおじさん。やだなあ』

『まあそう言うなよ』

 里香はギョッとした。

『ハハハ。そう驚くなよ。いや、しかし嬉しいな。そうか、君か。とうとう見つけたよ』

 里香は驚いてキョロキョロした。

『ハハハ。わたしだよ、わたし。分かっているだろう?』

 里香は恐る恐る向かいの男性を見た。

『そうだよ、わたしだよ』

 里香はガクンと椅子からずり落ちそうになった。

 喋ってる、心の中で、このおじさんと!……

 恐怖が、冷たく浸食してきた。

『ああ、見つけた。嬉しいよ。わたしはずっと捜していたんだ、こうして話の通じる相手を』

 どうして、どうして、心が通う!?

『そうだ!心が通い合っているんだ、僕たちは! ああ、なんて素晴らしい!

 さあ、もっと心を通わせ合おう。さあ、僕の心を君に見せてあげよう!』

 男性の心がなだれ込んできた。

 黒い。

 里香は戦慄し、全身から汗を玉と噴き出させた。


 死が、死が、死が、

 死が、

 死が、

 死が、

 少女たちの死が、

 溢れかえっていた。


 里香はガクガク震えた。

 失禁しそうだった。

 男はニコニコ笑い、真っ黒な小さな瞳で里香をねめ回した。

『ああ、新鮮な恐怖。なんて心地いい……。

 君はあ………

 素晴らしい。

 君のそのフレッシュな感覚を、

 僕にも分けておくれ』

 男は立ち上がり、歩いてくると里香のとなりに座った。

 ガタンガタンガタン。

 早く、早く、次の駅に到着して。

 早く、早く、逃げなくちゃ!

「逃げる?」

 男は里香の耳元で声に出して言った。

「どうして逃げる必要があるんだね?」

 男は嬉しそうにうっふっふと笑った。

 駅に着いた。

 3人の乗客が降り、乗り込んでくる客は一人もいなかった。

 ドアが閉まり、電車は発車した。

「やあ、出ちゃったねえ。君、なんで降りなかったの?」

 ふっふっふっふ、とまた男は笑った。車内に誰もいなくなったのを見てふつうの声で言う。

「そうだよ、逃げることなんてないんだ。僕たちはこれからとっても楽しいことをするんだ。これから、ずうーっと、いっしょにね」

 男は里香の手に触れようとし、思いとどまって引っ込めた。

「僕らはソウルメートなんだ。肉体が目的じゃあない」

 何を言ってるんだこの男は?

 芙蓉さん、紅倉先生、助けて!………

「ふうー。紅倉美姫、ね。思ったほど大した女じゃなかったな。40代前半?鉄道オタク? ハハハ、当たってるのはこのメガネくらいじゃないか? 僕は鉄道オタクではないよ。前のアメリカ人の方がまだましだったよ。

 でも彼女には感謝しなくちゃね、君をこんな風に覚醒してくれたんだから。ふっふっふっふ」

 恐怖に固まる里香を男は辛抱強くゆっくり待った。

『楽しいよ、人を殺すのは。少女たちのあの悲鳴………、くう~~~、最高に、気持ちいーーっ!』

 イメージが、

 少女たちの悲鳴が!

『ハハハ。心配しているのかい、僕に殺されるんじゃないかと? だいじょうぶ、安心しなさい。君を殺すのは一番後だ。殺して殺して殺しまくって。もう殺すのにも飽きちゃって、自分を殺したくなったら、僕たちはお互いを殺し合うんだ。それまでは、いっしょにたっっっぷり、楽しもうよ』

 だから、何を言ってる?

 どうしてわたしが、

 殺す?!

 男の記憶が流れ込んでくる。

 少女たちの、死の、悲鳴が……、頭から……、逃げなくちゃ、逃げなくちゃ、どこに? どこにも、頭の中からは、どこにも、逃げられ……な……い……………


「はい、そこまで」

 男はギョッと顔を上げた。

 イメージの流入が止まり、突然、強烈な薔薇の香りが鼻を突いた。

 車両の隅に、白いロングコートに頭からフードをすっぽりかぶった女性が座っていた。

 フードを脱ぎ、

「電車なんて生まれて初めて乗ったわ」

 紅倉美姫だった。

「もうこりごり。二度とイヤ」

 ゴトンゴトンと電車は走り続けている。途中から乗ってきたのではない。

 どうしてこんな強烈な匂いにこれまで気付かなかったのか?

(誰も乗ってこなかったのはこの匂いのせい??)

「はいはい。喜んで運転手を勤めさせていただきます」

 芙蓉もいた。吊革にぶら下がって。今、突然現れたように。どうして気付かなかった!?

 紅倉はニヤッと笑った。

「テレパシーに関してはあなたより数段スキルが上なの。相手の知覚を隠すくらいにね。却ってやりやすかったわよ、無防備なテレパシスト相手はね」

 男は憮然と立ち上がった。紅倉は平気で続ける。見えてない。

「里香さん。すべての元凶は、この男よ。

 この男が、死神なのよ。

 そう、電車を待つ駅のホームで、

 あなたはあのかわいそうなOLさんの後ろでこう呟いた、

『あ~あ、家になんか帰りたくないなあ……。帰ったっていいことなんてなんにもない。生きていたっていいことなんて何もない。苦しいだけだ。あ~あ、まったく、この世は地獄だ』

 と。彼女は、その通りだ、と思った」

 里香は、本当にバケモノでも見るように男を見上げた。紅倉は続ける。

「駅の表の道路のあのおじいさんもそう。向こうに渡りたいけれど横断歩道まではまだずいぶんある。おじいさんは疲れていた。そこへあなたは反対側から渡ってきて、おじいさんにこう言った。

『やあ、こんにちは』

 おじいさんは挨拶を返し、ごく当たり前のように、自分も反対側へ渡りだした。

 あなたは、その様子を横目に見て、ニヤニヤ笑いながら駅へ向かった」

 男はその時のことを思いだしたのか、凶悪な笑いを浮かべた。

「この人が……死神……」

 里香は移動しようとお尻をずらしたが、男にニコリと笑いかけられて動けなくなった。

 紅倉は続ける。

「そうそう、犯人の特徴だけど、平均を言っただけよ、

 二人のね。

 テレビであなた方を特定しちゃったら、自棄になって急いで次の犯行をするかも知れないじゃない?

 あなた方が怪しまれることなく幾度も犯行を重ねられた理由、

 それは、

 あなた方が二人のチーム、

 タクシーの運転手とその客だったからよ」

 紅倉はふっと笑って肩をすくめた。

「ゲストの女の子がタクシーって言ったときにはちょっと焦っちゃった。

 ふつうお客を乗せているタクシーの運転手が、通り魔殺人の犯人だなんて誰も思わないわよね?

 あなたの相棒、若い方の個人タクシー運転手は、今頃警察に逮捕されているはずよ。

 あなたは、ちょっとやっかいそうだったんでわたしが出てきたんだけど、ハアッ、イヤだわ、こういうの」

 男はブルドックみたいに鼻の上にしわを寄せて紅倉を睨んでいる。

「詳しく説明しましょうか?

 最初に少女を殺したのはもちろんあなた。最初の犯行はあなたの地元ですからね、犯行そのものはごくふつうに自家用車を使って行いました。

 重要なのはそれがあなたの犯行だとはっきり判るように遺体に特徴的な印を付けておくこと。

 次にあなたは東京に出てくると以前から目を付けていたタクシー運転手に自分の相棒になるよう持ちかけた、

 犯行の様子を写した写真を見せて、いいだろう? 君も、やってみないか?ってね。

 あなたはテレパシスト。特に、同類に対しては鋭敏にその能力が発揮される。

 運転手が承知すると、あなたは彼にそのやり方を教えた。

 どこで、どうやったらいいか、事細かく。ここで失敗されたら計画が水の泡ですからね。

 そして重要なのが、遺体にあなたのマークを付けさせること。

 この時点で少女殺害事件はまだ単体の事件だけど、次に同じ手口、同じマークの遺体が出ることで連続猟奇事件になる。遺体のマークは世間に公表されていないから、同じマークを持つ二つの遺体は同じ犯人によって殺されたもので、それぞれ片方にアリバイのあるあなたたちが連続猟奇殺人の犯人ではあり得ない。

 ま、今どき推理小説でおなじみの交換殺人トリックね。珍しくもない。

 珍しいのは目的が猟奇殺人そのもので、その他に交換殺人の利害関係がないってこと。猟奇殺人の同好の士なんてね、マンガや小説じゃあるまいし。

 でもその後もあなたたちは上手に犯行を重ねていったわね。

 そう、タクシーの運転手とお客が猟奇殺人のペアなんて思われないし、

 一度は二人いっしょに、

 また一度は誘拐と殺害をそれぞれが受け持って、

 はたまた今度はその役割を交換して、

 そうしてまた二人いっしょに。

 これじゃあ怪しいと目を付けられても部分的にアリバイが成立して、結果シロになっちゃうわよね?

 これが推理小説だったら事細かに事件を検証してトリックを暴くところなんでしょうけれど、わたし、ただの霊能力者ですからね、ごめんなさい、最初から答えが見えちゃうの。

 でもあなただって、その能力でわざと現場に『ビジョン』を残したでしょ? ミスター・ジョン・スミスと遊ぶために。主犯はあなた。ビジョンにはあなただけがくっきり印されていた。逆に相棒の存在を隠すことで万が一の時のあなたのアリバイは確保した。でもけっこうすれすれだったんじゃないの? 二重人格だなんて、実はずいぶん焦ったんじゃない? うふふふふふふ。

 わたしに交代して的はずれな霊視を披露されて、あなた大笑いしたでしょう?

 こんな風にのこのこ現れて、

 油断したわね」

「テレビで見るよりずいぶんおしゃべりだな?」

 大得意でおしゃべりする紅倉に、男の目は怒りと憎悪をありありと浮かべている。

「ちくしょう……」

 紅倉は男の方に首を傾げて言った。

「『ぶっ殺してやる』? 無理ね、頭のいいあなたは日頃から凶器になるようなものを持ち歩いていたりしないわ」

 男は、さりげなく体位を整え体を緊張させている芙蓉を見た。

 たしか芙蓉は合気道の達人ということだ。

 男の視線が、里香を向いた。

『これが最後だ!』

 男は鬼の形相で里香の首目がけて両手を伸ばした。

 里香は悲鳴を上げて両手で防御した。が。

「うう、」

 男は、何故か後ろに反り返り、苦しそうにもがいていた。

 里香は恐る恐る男の苦しみを見た。

 ソウルメートの里香には見えた、

 男の体を、数人の血まみれの少女たちが押さえつけているのを。

「うぐぐぐぐ……ぐが………」

 男のこめかみの血管が異常に膨張し、顔が真っ赤に腫れ上がった。

 やがてどす黒く変色し、耳から血を流して床に倒れた。

 駅に着き、ドアが開き、乗り込んでこようとした乗客たちは真っ黒な、恐ろしい形相で倒れている男を見て悲鳴を上げて後ずさった。やがて駅員が駆けつけ、定刻を過ぎても電車は発車しなかった。

 芙蓉が里香の手を取って男の死体から離れさせた。

 紅倉が謝った。

「里香さん、ごめんなさい、あなたをこんな目に遭わせちゃって。でも、

 これがあなたの本当の不安の原因だったの。

 この男はずっとあなたを求めて犯行を繰り返してきた。

 前世で、この男は、あなたの父親だったの。

 あなたは前世で、この父親に殺されたの」

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