第3話 小さな勇者

 少年が落ち着くまで大分時間がかかった。

 まだしゃくりあげている少年に一先ず作り置きしていた麦茶をガラスコップに入れて出してやる。

 少年は不思議そうに麦茶の入ったコップを眺めてから丸い目を沙子に向けてきた。


「これ、なんですか?おくすり、ですか?」

「薬、ではないよ。麦茶っていう、……日本の定番の飲み物だよ」


 見た目が日本人ではない少年なので簡単に説明する。少年はムギチャやらニホンやら言葉を零しながらもコップを持ち上げた。しばらく麦茶の香りを嗅いでから、やっと口に含む。

 驚いたように目を大きく開いてから、気に入ったのかごくごくと一気にすべて飲み干した。


「それで、君の名前は?」

「ぼく、ぼくトマだよ。おねぇさんは?」

「私は司沙子。よろしくね」


 さこおねぇさん、と何度か呟いてからトマは嬉しそうに目を細めた。なかなかの癒し動物だ。

 こっちもにやけてしまいそうになる顔を慌てて引き締めて、沙子は口調を和らげるように気を付けながらトマに質問をする。


「えっと、トマ君は馬上めがみさんを探しているの?」

「うんとー、さがしているっていうか、めがみさまにね。さみしくなったりしたら、このカギを使ってへやに来なさいって言われたの。だからぼくは、めがみさまのへやに入るのかなって思ったんだけど、何回使ってもおねぇさんのへやに入っちゃったんだ」


 そう言ってトマはポケットから小さな鍵を取り出した。金色で緑色の石がはめ込まれた鍵だ。どう見ても沙子の部屋の鍵とは形が全然違う。

 とはいえ、トマが嘘をついている様子はなく、なんでだろーと素直に首を傾げている。


 改めてトマの全身を眺めてみる。

 質素な服の上に薄くした革でできた鎧のような物を着ている。今の子供がコスプレで着るにしても、今の技術であればもう少ししっかりしたものが作れそうだ。

 腰には細いベルトが巻かれていて、それに落ちないように小さな剣が鞘に入って収まっていた。トマの小さな手が剣を握るのは想像がつかない。よくあるおもちゃの模造刀ではあろうが、トマには可愛いぬいぐるみの方が似合いそうだ。


 しばらく鍵を眺めていたトマはあっと声を上げて沙子の方を見る。


「もしかして、サコおねぇさんはめがみさまの使いの方ですか?」

「馬上さんについては私は知らないよ」

「でも、めがみさまからもらったカギでおねぇさんのへやに来たってなると、めがみさまはぼくをおねぇさんの所に行かせたかったのかなって」

「それは、多分、馬上さんが間違ってしまっただけかもしれないよ。私はトマ君が来るなんて聞いてなかったから」


 トマが何かを訴える、うるうるとした瞳でこちらを見てくるが、沙子は折れないように目を閉じる。

 しばらく目を閉じてて、ふと何かの気配を感じて少し目を開けばすぐ目の前にトマがいた。

 沙子が目を見張り、少し仰け反るようにトマから距離を取るようにすれば、トマはくすりと笑って見せる。


「おねぇさんの色、まっくろできれーだね」


 突然そんなことを言われ、沙子はどう返せばいいのかわからなかった。

 困った表情を見せる沙子にトマは少し慌てた様子で沙子から離れる。


「あ、ごめんねおねぇさん。近すぎたよね。ぼくいつもおこられるんだ」

「えっと、それは大丈夫」


 美少年の顔を間近に見ると流石に心臓に悪い。

 少し息を整えてから不安そうにしているトマの顔を見る。


「馬上さんとどうにか連絡はとれないのかな?」

「ううん、さいきんはめがみさまからの声が聞こえないからなぁ」

「そうなんだ」


 声が聞こえない、つまり上手く連絡がつかないのだろうか。


「お父さんかお母さんも馬上さんと連絡取れないかな?」

「……おかあさんはずっといないの。おとうさんは、わからない」


 聞いてはいけない事を聞いてしまったようだ。

 トマの表情はすぐに明るいものに変わり、嬉しそうに言う。


「でもさみしくはなかったよ。ぼくずっと教会のシスターたちと暮らしてたんだ」

「そっか。あれ、でも」


 先程トマは言っていた。さみしくなったらこの鍵を使って部屋に来なさいと言われたと。それにトマの言葉もまるで過去の事の様に言っている。

 沙子が聞きたい事がわかったのかトマは少し寂し気な表情を見せる。


「いまはね、めがみさまにお願いされてゆーしゃとしてまおーをたおしてこなきゃいけなくて」

「ゆうしゃ?まおう?」

「そう。おねぇさんはまおーのことわかんない?」


 トマは目を輝かせて沙子を見上げてくる。その視線に負けて沙子は思わず頷いた。それを見たトマは嬉しそうに立ち上がる。


「じゃあおしえてあげるね!まおーさまはわるい人なんだよ!ぼくたちをいじめるし、ぼくのおかーさんをうばっていったの!めがみさまもすごくまおーのこときらいでね。ほんとうはぼくじゃない人におねがいしたかったみたいだけど、めがみさまのためにぼくがしてあげたくて、だからぼくがやりたいっておねがいしたんだ!めがみさまはいつもぼくにいろんなものくれたし、いつもみまもってくれたからおれいしたかったんだ!」


 早口で目を輝かせながら説明するトマに苦笑いを向けながら沙子は頭の中で整理をする。


 悪い人である真男(仮)はトマ達をいじめたり、お母さんを奪ったりしていた。そこから考えるにトマの弟のような存在なのだろうか。

 そして馬上さんもその真男(仮)を嫌っている。

 なので真男(仮)を懲らしめたくて馬上さんが計画を立てているのを知ったトマが、自分も懲らしめてやりたいと馬上さんに申し出てきた。

 ちなみに馬上さんはトマをお世話してきた存在だと。


 登場人物の相関図がわからなくなってきた。

 沙子は少し痛みを覚える頭を抑える。心配そうに顔を覗きこんでいるトマに大丈夫だと笑顔を見せて見せる。


「大丈夫だよ。そっか、トマ君も大変だね」

「ううん。ぼくがやりたいっていったもん。……でも、こんなにさみしいなんて思わなかったな」


 また暗い表情を見せたトマだったが、またすぐに暗い表情を消して沙子に笑顔を向けてきた。


「ぼく、そろそろもどらなきゃ」

「そっか。気をつけてね」

「うん。めがみさまにカギのこと聞いてみるね。あ、でも……おねぇさんがイヤじゃなきゃ、また来てもいい?」


 上目遣いに聞いてくるトマに沙子は少し考えてから頷いた。こんな小さなお客さんもたまにはいいだろう。


「うん、勿論いいよ」

「ありがとう!」


 今日一番の笑顔を見せて、トマは走って玄関に向かっていった。扉を開ける前に振り返り、沙子に向かって手を振る。

 それに沙子が振り返せば、トマは大きく手を振って扉を開け、そして外に出ていった。


 不思議な少年だったが、少し癒しを貰った気がする。

 気が楽になった沙子は改めて溜まっている家事をこなそうと立ち上がろうとしてその姿勢で硬直した。

 沙子の視線の先、部屋についているベランダに、黒い服を着た不審者がいたのだ。

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勇者と魔王と私のワンルーム ほしぎしほ @hoshigihoshiboshi628

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