第2話 幼い侵入者

 一つ伸びをしてベッドから起き上がった司 沙子はしみじみと思う。

 やけに変な夢を見てしまったと。

 女神を嫌う聖女なんてどこのファンタジー物語だろうか。自分が漫画でも書けたならいいネタになっただろうなと考えながら身支度を整える。


 今日は一般的には平日だ。だがシフト制の仕事に就く沙子にとっては休日だった。

 沙子の仕事はテレフォンオペレーターだ。内容としては車の故障や事故に遭遇したお客様からの電話を取り、作業が可能な業者を派遣する為に住所や車の状況を聞きだす。

 人が車を使うのはやはり暦上の休日だ。おかげで土日や祝日、特に連休は仕事が特に忙しい。おかげで休みは平日がほとんどになってしまう。

 学生時代からの友人とは休日が合わないから遊びに行く事も出来ず、新入社員研修で仲良くなった友人は皆別の部署に行った為にやはり一緒に出掛ける事も出来ない。

 結果として一人楽しい休日を送るしかなかった。


 とはいえ、沙子は現在一人暮らしをしている。

 休日は普段溜まりに溜まった家事をするだけで消化されるだろう。掃除機もかけたいし、洗濯物も溜まっている。普段すぐに食べれるように常備菜も用意したい。そうしてやりたい事を上げていけば一日だけでも足りないくらいだ。

 せめて午後までぐっすり寝ていたかったが、身体は起きる時間を覚えているのか自然といつもの時間に目が覚めてしまう。その後二度寝をしたところでぐっすり眠れずに困るだけだ。


 沙子は食パンをオーブンレンジで焼き、マーガリンを塗って食べる。たまには豪華な朝食も食べたいが、それを作る時間も勿体ない。

 テレビをつけて朝のニュースを確認する。最近は特に台風も来ていなければ大きな事故も無いようだ。休み明けに忙しくてぐったりする事は無さそうである。

 ほっと息をつき、芸能ニュースに切り替わったテレビの電源を消す。インスタントコーヒーを一息に飲み干してさっさと洗濯機を回しに行こうと立ち上がる。


 その時だった。がちゃり、と鍵が開く音が聞こえてきた。


 沙子が住んでいるのは賃貸アパートだ。ワンルームの部屋からは玄関がまっすぐに見える。隣の部屋の音は少し聞こえてくるが、鍵の音は流石に聞こえてこない。はっきり聞こえてきたのは明らかに自分の部屋の鍵のようだ。

 玄関の扉に目を向ければ、昨夜帰ってからしっかりと錠をした扉の鍵は開いている事を示している。

 それに気づいた沙子は上から下に体温が移動したのを感じた。寒さからではない体の震えが、それが恐怖だと教えてくれる。

 治安の良い場所を選んで引っ越してきてはいるが、何が起きるかなんてわからない。一人暮らしするうえでそれについては覚悟はしていたが、突然の事に思考が固まってしまった。

 隠れるとか逃げるとか、そんな行動は思いつかなかった沙子は、咄嗟に近くにあったテレビのリモコンとマグカップを持つ。この二つで叩けば確かに痛いだろうが、それでなんとかなるとは思えない。だが沙子はこれを装備するしか思いつかなかった。


 足音が相手に聞こえないように、摺り足でゆっくりと玄関に近づいていく。

 開いた瞬間にこれでぶん殴る。相手が怯んでいる間に逃げる。沙子の頭の中にはそんな計画が立てられていた。

 玄関まで後10歩ぐらいだろうか。そのぐらいの距離に来て扉は恐る恐るというように開けられた。

 テレビのリモコンを持った右手を掲げた沙子は、扉の隙間から覗いたそれに目を丸くした。

 

 最初は沙子の視線の先には何もなかった。

 だが、視線を少し下に移せば、彼はいたのだ。

 金色のふわふわした髪の毛。怯えたように下げられた眉毛にうるうるした赤い色の瞳。

 見た感じとしては、7歳ぐらいだろうか。そんな男の子がそこにいたのだ。

 予想外の侵入者に沙子も思わずリモコンを振り上げた腕を下ろした。とりあえず少年に何か声を掛けようとするも、言葉が出てこない。


 しばらく見つめあっただろうか。

 先に動き出したのはその少年だった。


「あ、あぅ、あ、あなたが、めがみ、さま?」

「へ?」


 おどおどと聞かれた質問に沙子は思わず間抜けな声を上げてしまい慌てて首を振る。そんな沙子を見ていた少年は目を丸くする。


「え、で、でも。めがみさまからもらったカギを使ったのに……めがみさまの、へやじゃないの?」


 少年が先程から言っている名前を沙子は反復する。

 めがみ。

 馬上、だろうか。漢字にすれば。

 日本人の苗字にありそうではある。


「ここはめがみさん家じゃないよ」

「……ご、ごめんなさい」


 そう言って少年は慌てて扉を閉めた。

 静かになった部屋で沙子は息を吐き出した。


 少年はきっと部屋を間違えたのだ。部屋の鍵は、きっと昨日鍵をかけた記憶は間違いだったというだけだろう。

 それにしてもなかなかの美少年だった。少年嗜好ショタコンではないが、あの容姿はなかなかドキッとした。


 ただの笑い話にしようと手に持ったリモコンとマグカップをテーブルに置きに戻れば、また扉が開いた音がした。肩越しに振り返って玄関を見れば、また先ほどの少年がそこにいた。


「え、えっと……。めがみさま、のおうちですか?」


 私の顔はそんなに印象に残らないのだろうか。

 そう思いながらも沙子は笑みを崩さずに答える。


「違うよ。さっきも会ったよね?」

「あっ。ご、ごめんなさい!」


 そう言って少年はまた勢いよく扉を閉める。

 自分が入った部屋もわからなくなるぐらいに混乱しているのだろうか。そう沙子が考えていればまた扉が開かれた。勿論、そこにいるのは少年だ。


 流石に軽く叱ってもいいだろうか。せめてインターフォンを鳴らしてくれ。

 そう思いながら沙子が少年に近づけば、少年はその大きな瞳からぼろぼろと涙を零し出し、今度は沙子が怯えた表情を見せた。


「う、うびゃあああああああ!!!」


 言葉にも聞こえない声で少年は声を上げて泣き出した。

 まるで自分が悪い事をしてしまったような状況に沙子は頭を抱えた。

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