伊藤有紀のケース:6
有紀が恐る恐る目を開けると、さっきまでの雷鳴のような光は嘘のように収まっていた。ルドラもパラケも、さっきと変わらない位置で魔法円を見つめている。
魔法円の上は、妙にすっきりしていた。
天井までの空間を圧迫していた翼獣の姿はない。魔法円の床に並べられた骨のパーツもなくなっている。そして、フラスコのあった場所を踏みしめる、青白い二本の足。
雷鳴の名残なのか、白い霧のような煙を足元に漂わせ、それは立っていた。
大きさは、小柄な人間くらい。羽毛のない、生まれたての鳥の雛のような皮だけの翼を持つ、人形と言うより、幽鬼のようにぼやけた輪郭の、青白い翼人。
髪もない、眉もないが、それ以外の顔のパーツは人間と変わらない。感情のない虚ろな目が、正面で見上げるパラケを映した――とたん、
白い翼人は、溶けかけた雪だるまのように、頭から一気に崩壊した。
崩れるそばから、青白い液体が泡立ちながら蒸発していく。それを形成していたはずの骨格も、崩れながら液体の中で溶けるように消えていく。触れたものの形を全て奪う酸のように、自分自身を全て飲み込むと、魔法円の中心に広がってしばらく泡立っていた。そして、それもやがて収まった。
「な、な、ななに……」
「ふーむ、やはりホムンクルスが不完全であったか」
「まぁ、パラケにしちゃ上出来なんじゃないの?」
ルドラはつまらなそうに言いながら、足元が崩れそうな有紀の首根っこを掴んで支えている。
「ホムンクルスの材料を変えてみるか。いや、元が出来たのに形が不完全と言うことは、育成期間の環境に問題があったやも……」
「めげないねぇ」
「実験に失敗などないのじゃ。片付けが面倒じゃが」
と、パラケは魔法円の中に散らばったガラスの破片と謎の液体をみやり、ため息をついた。そして、青ざめた顔で足を震わせている有紀を見上げた。
「のう娘、命は、消すのはたやすいのだ。しかし作り出すのは難しい」
「……」
「かといって、だからお前の命も周りの命も尊いのだとは言わぬ。しかし己の意志で動く体と命を持っているのに、己にとってなんの価値もない誰ぞの為に無碍にするのは、それこそもったいないではないか。微弱な魔力ながらも独学で魔獣召喚まで成功させたそなたであれば、更に学に励めば、己の手を汚さず、敵を社会から排除する法も学べよう」
「その煽りはどうかと思うけどなー」
魔族らしからぬ常識的なつっこみをいれつつ、ルドラは自分の支えている少女を見下ろした。
「まあ確かにパラケの言うように、命そのものを作り出すことは悪魔にも天使にもできないわけ。『錬金術なら出来る』って主張してる奴らはいるけど、だからって自分を作れるわけでもないしさぁ。できたってせいぜい、あのフラスコの中にいた、よくわかんないのだよ?」
「よくわかんないのとか言うな! ホムンクルスじゃ!」
がーっとパラケが歯を剥くが、ルドラは知らん顔で聞き流している。
「君は世界で唯一無二の存在だ、なんてきれい事を言う気は無いけど、いくら仕事とはいえ、生きることに執着がない人間の『相談』を受けるのって、僕らも面倒なの。その辺だけ、ちょっと考えてくんないかな」
まったくありがたみのないことを、ありがたみのない表情で言いながら、ルドラは首や肩をこきこき動かしている。
「さて、無事失敗に終わったし、リカルドのお茶を飲みに戻ろうか。お茶菓子はあるんだろうね」
「だから『失敗はない』と言っている! それに押しかけてきて菓子まで要求するな、図々しい!」
今目の前でおきたことは、日常の些細なことなのだとでもいうように、二人はさっさときた通路を戻りはじめた。
ルドラに手を離されても呆然と立ち尽くしたまま、実験の痕跡の残る魔法円を凝視していた有紀は、やがて、妙に光の戻った目で、頷いた。
「誰かのために、自分を無碍にするなんて、もったいない……」
「えっ、彼女、帰ったんですか?」
手ぶらで相談所に帰ってきたルドラとリカルドを見て、かなたは目を瞬かせた。リカルドは申し訳なさそうに、
「それが……皆さんでなにやら地下室を見た後、有紀さんが帰るといいだして」
「郊外で、空間が歪んだ形跡があるな。それほど強い歪みではないし、どこぞの召喚ゲートに反応した様子もないのだが」
カタカタとキーボードらしいものを叩き、パソコンのモニターのようなものを眺めていたサーシャが首をひねっている。ルドラは一仕事終えて疲れたとでも言うように、肩を回しながら自分の席に戻っていく。
「パラケが、魔獣用の召喚魔法円で送還してたよ。空間がつながった直後で、まだゲートが閉じきってなかったんじゃないのかな」
「人間を……魔獣用ので……ですか」
あっけにとられた様子のかなたは、すぐに我に返った様子で、
「でも、ろくに話も聞かないで帰しちゃってよかったんですか? 自分で魔獣を召喚しようだなんて、よっぽどの事情があったんじゃないかと思うんですけど……」
「でも、地下室から戻ってきた後は、なんだか生き生きとしてましたね」
腕組みをしたリカルドが、記憶を思い起こすように首を傾げている。
「錬金術を見せてたみたいですけど、パラケさんが有紀さんを励ましてたりとか?」
「あのコスプレ魔女にそんな人徳あるわけないよ。あんなとこにいたら、そのうち自分も実験材料にされるとか思ったんじゃないの?」
「そんな感じではなかったですけどねぇ……」
ルドラはもう、有紀のことなどすっかり興味を失ってしまったのか、タブレットのようなものを取り出していじりはじめた。サーシャは少しの間、その様子を眺めていたが、
「今回は召喚ゲートの事故ではなく、パラケ殿の実験で起きたイレギュラーのようだからな。自分で収拾したならよいのではないか」
「まぁ、ご本人が納得して帰ったのなら、よかったですけど……」
そう言いつつも、かなたはどうにも腑に落ちない様子だ。
「魔獣を使って復讐とか、不穏なことを言ってたじゃないですか。錬金術の実験を見て、変な方向に関心を持ったんじゃなきゃいいですけど……」
「さぁねぇ」
ルドラはタブレットのようなものの画面を眺めたまま、口元だけで笑みを見せた。
「でも、なにかしら目標があった方が、人間って生きやすいんじゃないの? したいことをしたいようにやるのが一番だよ」
「いいことを言ってるようで、いい加減ですよね。悪魔っぽいと言うか」
「僕が魔族だって忘れてんじゃないのみんな?」
※ ※ ※
「娘、次に召喚をする時は、自分用の結界も別に作るのだぞ」
魔獣用の召喚魔方円の真ん中に立つ有紀を見あげ、パラケがもっともらしい顔で言う。
「そなたには、独学で召喚を成功させるほどの執念と根気がある。自信を持って今後も魔導に励むがよい」
「だからその煽りはどうかと思うんだよねー」
部屋の隅の、子供用ほどの大きさの机を椅子代わりに様子を見ていたルドラが、呆れた様子で呟いている。
「自分で思い通りになる己の命と体を無碍にしてはならぬ。不要なものは知略と魔法で賢く排除するがよい。精進すれば、召喚円で跡形もなく異世界追放もありじゃ。そのためにも日々努力するのじゃぞ」
「いいこと言ってるようで、人間としてはどうなんだろうねぇそれ」
ルドラの、魔族らしからぬ常識的な呟きが耳に入っているのかいないのか、有紀は妙に生気の戻った目でパラケを見下ろし、大きく頷いた。
その体が、発動した魔法円上から霧のように揺らいで消えていく。
「かなたなら、もう少し爽やかにまとめるんだろうけど」
転移を終えた魔法円を、満足そうに眺めているパラケの横で、ルドラは少しだけ考え込んだ後、すぐに気分を切り替えた様子で肩をすくめた。
「ま、報復だろうが制裁だろうが、自分の世界で生きる目的ができたなら、いいことだよね。因果応報って言葉、人間は大好きみたいだしさ」
「うむ、マイナスとマイナスはプラスなのじゃ」
「それ絶対意味分かってないでしょ」
軽口を叩きながら、二人は魔法円に背を向け、階上へ続く通路に戻りはじめた。
合成用の魔法円で泡立つ青白い液体の上で、出来損ないの眼球だったものが、彼らの影を追うように微かに動き、そのまま溶け広がって静かになった。
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