伊藤有紀のケース: 5

 廊下も、ただの洋風の木造の家だ。住人の背が低いせいか、かけられた絵や燭台も、かなり低い位置にある。燭台のひかりが遠い分、天井も暗く感じる。

「召喚の目的は様々じゃが、だいたいは契約が目的じゃな。普通の人間は、高位の悪魔と契約して、願いなり呪いなりを叶えて貰うものなのじゃが」

 ひょこひょこ、と先を歩きながら、パラケがちらりと有紀を見上げる。

「何故あんな下等な魔獣なのだ?」

「……だって、あんまり位の高い魔神だと、騙されてなにも叶わないまま魂だけ取られそう……」

「ははは、なるほどな!」

 パラケはわざとらしい笑い声を上げた。一番後ろのルドラは、不服そうな顔ながらも何も言わない。

「しかし、知能の低い魔獣を押さえるには、逆に魔力と精神力が必要じゃ。そなた、魔力は論外としても、精神力もとてもとても。我の所に引っ張られて、命拾いしたようなものじゃ」

「……」

「負の感情だけは人一倍だから、それで召喚そのものの条件は補ったんじゃないの? 召喚した後、どうなってたかはだいたい想像つくけどね」

 ルドラが、遠慮も関心も無い言葉を重ねる。有紀がさすがにむっとした様子を見せたが、

「ここから階段じゃ、転んでもいいが周りのものを壊すでないぞ。三下は、その魔獣に傷をつけぬようにな」

「建前だけでも僕らの方を心配しなよ」

 担ぐ、というよりは、自分の後ろの空間に浮かべるような形で翼獣を運んでいるルドラが、呆れた様子で口を挟む。

 パラケがつきあたりの扉をあける。土と、土以外の得体の知れないなにかの匂いを含んだ風が吹き上げてきて、有紀は顔をしかめた。ルドラはさっさとハンカチを取り出して口と鼻を覆っている。

 掘った土を固めたような壁と、石の階段。壁や天井には、所々板が当てられている。壁際のそこここには、茎を結んだタマネギのような野菜、乾燥させた麦穂のようなもの、尻尾の長い水棲生物の干物と、食料の貯蔵庫なのかなんなのか判断に苦しむものがぶら下がっている。そして、通路の先の空間はぼんやりと明るい。

 まるでモグラの巣を連想させる、土がむき出しの丸天井の地下室だった。

 入ってきた場所とは別に二カ所、扉のない通路があり、その先にまた空間があるらしい。壁際には板を渡しただけの棚が作られて、大小さまざまなガラス瓶やブリキ缶が置かれている。本の類いはほとんど無い。部屋の中央には調合用のかまどと鍋もあるが、今は火が落とされている。天井を見ると排気用の通風口もあるようだ。

 ただ、パラケの使い勝手にあわせた大きさだから、おどろおどろしさより妙なミニチュア感が先に立つ。

 たちこめる、漢方薬のような苦辛い匂いも、時折触れる生臭さも、もう慣れているのだろう。手で口元を押さえる有紀の前を、パラケがずんずん進んでいく。人間と亜人が天井を気にしないと進めない通路をくぐった先で、パラケはようやく足を止めた。

 さっきの部屋の倍は広く、天井の高い部屋だった。足下は、土ではなくで石作りの床だ。壁も、保管用の棚以外の場所はレンガを重ねてかためてある。まるで、多少の爆発が起こっても耐えられそうな、ものものしい作りだ。

 床の中央には、円形の魔方陣が描かれている。魔法円の複雑さ、大きさも、有紀が用意したものとは比べものにならない。だが有紀が足を止めたのは、その魔方円そのものではなく、その横に描かれた、三角を基本にした魔法円に似た図形、その中央に残る、赤黒くくすんでかすれた汚れのせいだった。

「こ、これはなにを……」

「ああ、そっちは召喚魔法円じゃ」

 と、パラケは比較的小さい三角形の魔法円に目をやった。

「たまに、召喚に失敗して一部しか呼び出せなかったりするものもあってな。そういうものもそれなりに使いようはあるのだが、掃除が大変じゃ」

「一部って……」

 半ば呆然と口にした有紀は、壁際に飾られた「材料」を見て、短い悲鳴を上げた。

 濁り気味の液体の満たされたガラス瓶、あるいは、乾燥させてむき出しの状態で無造作に置かれた、置物のようなもそれらを。

 干し肉のように干からびて、皮と爪をかろうじて残した肘から先の腕。液体の満たされたガラス瓶の中で、虚ろにくぼんだ目の奥に、溶けかけた眼球を漂わせた、なにかの首。

 人間、もしくは亜人、魔獣の、体の一部とおぼしきものばかりが、集められているのだ。

 身をすくめ、後ずさろうとした有紀に、後ろのルドラがのんびりと、

「あ。大丈夫、それ、郊外で落ちてたヤツをパラケが拾い集めてきただけだから」

「さすがに最近は、亜人のものは見つけにくくなったがなぁ」

「お、落ちてって……」

「ああ、ちゃんと説明する暇が無かったね。この国は、次元の狭間の近くにあって、召喚に巻き込まれて迷子になった人間や亜人がよく『落ちて』くるんだよ。君みたいなのがね」

 指先を動かして、引っ張ってきた翼獣を部屋の隅に異動させながら、ルドラが思い出したように続けた。

「今は転移魔法が発達して、生きた人間や亜人は、転移中継フィールドに引っかかって相談所に転送されてくるけど、昔はどこに『落ちて』くるかは本当に運だったんだ。郊外で衛兵に保護されればかなりの幸運、人買いに見つかって売り飛ばされたって命があるだけまだましなくらい。多くは野生の魔獣や動物に襲われて、発見された時は体の一部しか残ってない、っていうのもざらだったんだよ」

 ルドラは立ちすくむ有紀を追い越すと、つまらなそうな顔で、飾られた「かつて生き物だっったものの一部の干物」を覗き込んだ。頭の角以外は人間のサラリーマンと変わらないスーツ姿のルドラは、逆に研究者然としてこの場所では違和感がない。

「ただ、転移中継フィールドも、『生きた』人間か亜人しか拾わないから、転移直前になにごとかに巻き込まれて死んでたら、もうどうしようもないけどね」

「むしろ、そのまま土塊になるよりは、我に拾われた方がまだ有益であろう」

「それは有効に活用できたらの話でしょ。生物合成に成功したためしなんかないじゃない

「実験に失敗はない。上手くいかない方法を見つけただけなのじゃ」

「それもどこかで読んだなぁ」

 立ちすくんで声も出ない有紀を、ルドラはちらりと眺め、

「ハイパティーロ旅行相談所は、異世界から転移してきた君みたいな迷子を保護して、『帰りたい場所に帰す』仕事を国から委託されてるわけ。君は相当特殊なケースだけど、転移者には違いないからね。滞在中は僕らが全力で保護するから、パラケになにかされるかも、とか心配しなくていいよ」

 内心の懸念を指摘され、有紀は足をすくめながらもパラケから距離をとるようにあとずさる。

パラケは不服そうに、

「生きた人間など加工が面倒なだけじゃ。それに、『なにか』する気なら、こやつらのところにお前を持って行ったりはせぬ」

「そういうこと」

 答えるパラケも、やはり有紀そのものには関心なさそうに、ルドラが見ているのとは別の棚から木箱やらを取り出し、魔方円の近くに運んでいる。

「さて、材料も揃ったし、さっさと合成を成功させて、獣人の用意した茶で祝いだ」

「成功する気でいるんだね……」

「当然じゃ!」

 噛みつくように答えると、パラケは最後に、そこの平らになった丸いフラスコを手に取った。

「一番重要なものはできあがっておるのじゃ、そなたも見るがよい、世にも珍しい『フラスコの中の小人』だ」

 僅かに液体が底に溜まったフいラスコの中央に、青白い何かが揺れている。突き出すように差し出され、こわごわと数歩近寄ってかがんだ有希は、フラスコの中のものに焦点が合っても、それがなんなのかよくわからなかった。

 青白い、輪郭のぼやけた体。全体から蒸気でも放っているのか、それが何でできているかも判然としない。緩いゼリーでなんとか固めた、人形のようななにか、とでもいえばいのか。

 それの、頭に当たる部分が、わずかに上向いた。顔に当たる部分に、白い粒がふたつ横に並び、それぞれに濃い青い点が乗っている。ぐるりと動いた青い点の、その正体に気づいて、有希は短い悲鳴を上げた。

「こ、これ、目? い、生きてるの?」

「お。ホムンクルスじゃない」

 後ずさり、カタカタ震える自分の体を抱えて立つ有希とは裏腹に、ルドラは少しだけ感心した様子で口笛を吹いた。

「形がまだできてないけど、いいの?」

「しばらく待ったのだが、それ以上形が形成されぬのじゃ。このままだと崩壊も早そうなので、早めに材料にすることにした」

 と、フラスコごと魔法陣の中央に置くと、今度は別の「材料」を周りに並べ始めた。さっき持ってきた木箱の中から取り出したのは、猿とも人間のとも言い難い、でも限りなく人間の頭蓋骨に近い形をしたものだ。パラケの両手ほどの大きさなので、人間のだとしても子供くらいだろう。

 パラケは頭蓋骨、肋骨、骨盤、大腿骨と、体の部位に合わせててきぱきと床にならべていく。肋骨の下の、内臓が入る部分にホムンクルスの入ったフラスコを置くと、

「三下、あれをそのままこの上にもってこい」

「なんか助手代わりに使われちゃってるなぁ」

 ぶつぶつ言いながら、ルドラは部屋の隅に浮かべておいた、ぐるぐる巻きの翼獣を指さした

。吊り下げるものもなく、光の縄で拘束されていた翼獣は、身の危険を感じたのか、開かないくちばしの下で悲鳴でも上げるように喉を動かしている。

「な、なにするの……」

「合成って、言ったでしょ。ま、見てるといいよ」

 いつの間にか、自分の陰に隠れるようにスーツの裾を引っ張っている有希に、ルドラは軽く答え、指を動かした。拘束された翼獣が空を滑り、魔法陣の中央、フラスコの真上の中空に制止する。

「さて、仕上げを御覧じろ、じゃ」

 ここから、なにか呪文でも唱えるのかと思ったが、パラケは懐から小さな小瓶を取り出した。

 中はぼんやりと青く光っていて、液体なのか気体なのか判然としない。それを、大きな魔法円の中央に放り投げた。

 瓶が割れると、電流のように魔法円の線に青白い光が走った。有紀が驚いて後ずさる。

 中空の翼獣が怯えたように身をよじらせ、その下の床で、フラスコの中の白い生き物が、うつろな視線を観察者たちに投げかけている。

「では、行うぞ。世紀の瞬間、しかと目に焼き付けておくがいい」

 魔法円の光は徐々に強くなる。円の四方に描かれた小円から雷鳴のような光が上り、円の中心でふれあってひときわ大きな光を放った。必死で状態を眺めていた有紀も、強い閃光に思わず顔を腕で隠す。

 そして、突然に辺りは静かになった。

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