現実に疲れて異世界に行ってみたらわりと居心地がいい:田中和美のケースその2
田中和美のケース その2:1
夕暮れが夜に変わってしばらく経った頃。
本屋のロゴ入り紙袋を片手に、田中和美は書店兼レンタルDVDショップから外に出た。
前はよく漫画やラノベを買いに来ていたものだ。最近は、まったく読まなくなったわけではないけど、ほかにやりたいことも出来て、訪れる数も減ってきた。
友だちの家からの帰りがてらにふらりと寄ってみたが、今日買ったのも、塾の講師に勧められた参考書だ。
ぼんやり歩いていた和美は、店から家に戻る途中の唯一の信号機に引っかかって足を止めた。
以前なら、車が来なければ赤信号など無視して渡ってしまっていたのだが、この信号機には奇妙な思い出があり、赤信号にいきあうと、必ず立ち止まる癖がついていた。
人に話しても笑われるだけなので誰にも言ったことはないが、一年前ほど前のこの時期、和美はこの信号待ちをしているときに、異世界召喚というものに巻きこまれた。
召喚されたのは自分ではなく、偶然同じ場所で信号待ちしていた同じ学年の女子生徒だったが、その力の影響で和美は別の世界に飛ばされたのだ。
自分は、飛ばされた先の方針で、すぐに返してもらうことが出来たが、あの時一緒にいなくなった少女は、今も行方不明のままだった。
車も人も通らない通りに立ち止まり、和美は赤く灯る信号機をぼんやりと眺めた。
あの日もこんな感じだった。あの時は、この斜め前に、もう一人女の子が立っていた。彼女は異世界召喚ラノベの主人公と言うよりは、少女漫画のライバル役のようなタイプだった。
ああいう人こそ異世界にでも召喚されてくれれば、自分のようななんの取り柄もない人間が少しは生きやすくなるのにと思った瞬間に、足元の地面がいきなり光の輪を描き始めたのだ。そう、今みたいに……
――今みたいに?!
足元で描かれる光の魔方陣に気づき、和美はぎょっとして身をすくめた。驚きのあまり、足がすくんで身動きできない。
混乱する頭の片隅で、まさか今度こそ自分が召喚されるのか? と一瞬思ったものの、どうも自分は魔方陣の中心からだいぶずれているような気がする。
それに気づくとほぼ同時に、魔方陣の中心に、ぼんやりと人の姿が現れ始めた。
忘れもしない、あれは、あの時に自分と一緒にいなくなった――というか、自分を異世界召喚に巻きこむ原因になった、あの彼女ではないか?
少女の姿が徐々にはっきりと形を取っていく中、立ちすくむ和美も載せた魔方陣は、ひときわ大きく光を放った。あまりの眩しさに、和美は思わず顔の前に手をかざして目を伏せた――
※ ※ ※
「いらっしゃいませ! ハイパティーロ旅行相談所にようこそ!」
目を開けると、和美の目の前で、二十代半ばくらいの小柄な女性が、にこにこと微笑んでいた。
身長は和美より少し低いくらいだ。モノトーンのチェックのベストに、紺色のタイトスカート姿で、ショートヘアの少し明るい黒髪。どこから見ても、日本人のごく普通のOL、案内嬢にしか見えない。
「……えーっと」
「私、このハイパティーロ旅行相談所のトラベルコンサルタント、
人なつっこい笑顔で話していた雲居は、途中で目をぱちくりさせ、本屋の袋を抱えて呆然と突っ立ったままの和美の顔を見返した。
「タナカカズミさんじゃないですか?!」
「お、覚えてるの?!」
「ええ、ちょっと背が伸びておとなっぽくなってますけど、ちゃんと覚えてますよ! でも、またお目にかかれるとは思ってませんでした!」
言われれば確かに、雲居かなたはあの時よりも更に小さくなっているような気がした。自分の背が伸びたからなのだろうが。
見回せば、周りはあの時と変わらない「旅行代理店」そのものの内装だった。
カウンターの向こうでは耳の尖ったクールな眼鏡美女がパソコンのモニターらしい者の前でカタカタとキーボードのようなものを操作し、その奥では大柄の獣人が書類の束をキャビネットに整理している。頭に山羊の耳をはやした青髪の青年は、デスクに向かってタブレットのようなものを操作している。何やら真剣な表情だが、持ち方と指の動きからして、ゲームをしているのではないかと思われた。
「サーシャさん、リカルドさん、ルドラさん! 二度目のお客様ですよ!」
「お久しぶりです。タナカ……カズミさんでしたよね?」
狼を多少人間っぽくしたような迫力のある顔のリカルドが、穏やかな笑顔で振り返る。
タブレットから視線を和美に移したルドラは、不思議なものを見るように目を丸くしてなにか言いかけた。そのとたんに、タブレットから派手な爆発音が聞こえ、「うぉあっ」と謎の悲鳴を上げている。
サーシャはサーシャでちらりとこちらに視線を向け、関心なさそうにまたモニターに目を向ける……かと思いきや、少し驚いた様子で目を瞬かせた。
「なんだ、また巻きこまれたのか? ニホンからの客は妙に多いが、二度目の客は初めてだな」
「……それがよく判らなくて」
本の入った紙袋を片手に抱え、和美は思わずため息をついた。
「確かに、確かに、光で出来た魔方陣が足元に現れたのは見たんです。でも、それまであたしの周りには誰もいなかったんです。光が強まったあたりから、円の中心に人影が現れたのが見えたんだけど……」
「ふむ」
サーシャはひとつ頷くと、カタカタとキーボードのようなものを操作し始めた。前に来たときと同じに、和美が転移してきたときに、どこかへつながる転移ゲートが作動していなかったか、調べるのだろう。
かなたとリカルドは顔を見合わせて首を傾げたものの、
「とにかく、立ち話もなんですから、お茶でもいかがですか? そういえば今日は、差し入れに、素敵なお菓子をもらったんですよ」
「あ、いいですね。せっかく来たんですし、よかったらどうぞ」
「え、はぁ……」
「僕も食べるー」
彼らの会話の最中、むっとした顔でタブレットらしいものをつついていたルドラが、遠くから耳ざとく声と手を挙げた。
「さっきオウゲツのおじさんが持ってきてた奴だよね? あそこのお菓子美味しいんだよねー」
「ゲームはもういいんですか?」
「やだなー、仕事中にゲームなんかするわけないじゃない。ちょっと前回の首都防衛模擬戦の布陣を再シミュレーションしてただけだよー。どうすればもっと短時間で敵陣を殲滅できたのかなーと思ってさ」
「あの防衛戦に爆発物は使われてなかったですよねー」
かなたにさらりと言われ、ルドラは言葉に詰まっている。和美には何のことかよく判らなかったが、きっと大がかりなイベントでもあったのだろう。
「さ、和美さん、どうぞ」
勧められるまま来和美が客用のソファに腰をかけると、一旦裏に引っ込んだリカルドが、盆に人数分のお茶とお菓子を載せて戻ってきた。
まず出されたのは冷たい緑茶だった。この相談所のメンバーは、俗に言うファンタジー世界の住人ばかりなので、お茶と菓子と言われて西洋風なティータイムをイメージしたのでちょっと面食らう。
そういえば、紅茶も緑茶ももとは同じ茶葉だというのを聞いたことがある。紅茶が作れる木と技術があれば、緑茶も作れるのだろう。
ぼんやり考えていた和美は、続けて配られた『お菓子』を見てさすがに驚いた。
粒の残ったピンク色の餅のようなものに包まれた、茶色の餡。塩漬けの桜の葉にこそ巻かれていないが、どうみてもこれは桜餅、それも道明寺と呼ばれる類のものだ。それが、桜の花びらをかたどった陶器の皿に乗せられて、楊枝まで添えてある。
「えーっと、……ここって異世界ですよね?」
「そうですよ?」
かなたはにっこりと答える。いそいそと寄ってきたルドラは、和美の前に遠慮なく座り、
「やっぱオウゲツのお菓子は不思議だねぇ。食べればなくなるのに、こんなに綺麗に作るんだもん」
「これが“フーリュー”ってものですよ、ルドラさん。ほら、かなたちゃんも」
「じゃあ、失礼してご一緒させていただきますね」
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