田中和美のケース その2:2
リカルドに勧められ、かなたもいそいそと和美の隣に腰掛ける。見れば、サーシャもキーボードのようなものを操る手を休め、皿の上に桜餅を楊枝で割っている。
和美も添えられた楊枝で桜餅を切り、口に入れてみた。スーパーで売られているような大量生産の桜餅の味しか知らない和美にも、これはとても本格的な和菓子の味のように思えた。
緑茶も、色だけではなく、本当に急須で淹れたお茶を冷やしたような味だ。普段食べる菓子と言えば、清涼飲料水と袋菓子ばかりだから、見た目も綺麗で味わいがある和菓子などあまりなじみがなかった。
「表面がしょっぱいのに甘いんだよね。でも美味しいよね。不思議なんだなぁ」
楊枝を使うのは面倒なのか、ルドラは直接指先で桜餅を掴んで食べている。見た目は雑だが、きちんと味わって食べているのは見ていて判った。魔族と桜餅というのも面白い組み合わせだなと、和美が妙に感心していると、
「……エルデバードの直通ゲートが開いた形跡があるな」
桜餅を半分食べ終えたサーシャが、モニタらしいものを眺めながら首を傾げた。
「エルデバードって、竹中さんを召喚したとかいう?」
「通ったのも、タケナカカズエという少女だ。だが今回は、エルデバードからニホンへの送還ゲートだな」
「ええ?」
「どうやらお前の見た魔方陣は、タケナカカズエを送り返すためのものだったようだが……」
ということは、あの魔方陣の中から現れた人影は竹中和恵だったのか。
竹中和恵がいなくなって一時期、学校だけでなく警察や地元の消防団も大騒ぎだった。和美召喚の現場に偶然居合わせただけなのだが、どうにも他人事のようにも思えない。
「いなくなったのが竹中じゃなく田中だったら誰も困らなかったのにな」なんて、流れ弾のような男子の陰口も、多少申し訳なく感じたくらいだ。無事に戻れたのなら良かった、というのが、和美の素直な感想だった。
だが、サーシャはなにかを考えるように首を傾げ、
「送還ゲートに巻きこまれて転移してくるのは、
「そうですね……集約ゲート実装以前のデータはないので、断言はできませんけど、珍しいケースなのは確かですね」
自分は立ったまま、みんなが和菓子を食べるのを見守っていたリカルドが、真面目な顔で答える。幸せそうに桜餅を食べていたかなたは、さっさと食べ終えて指を舐めているルドラに顔を向け、
「転移ゲートのシステム上では、ありうることなんですか?」
「ゲートは基本的に一方通行だよ、双方向のゲートが開けるのは、相当高位の魔法使いか悪魔くらいじゃないかなぁ。知り合いにはいないね」
「そういうものなんですか?」
「ストローって吹きながら吸えないでしょ。ゲートもこんな感じ」
と、ルドラは半分ほど緑茶の残っているグラスのストローを吹いて、ぶくぶくやっている。判りやすいが行儀が悪い。
「ただゲートが出現した場所に想定外の事態があった場合、閉じる時にその場の何かを巻きこむことはあるかもね。閉じた次元の狭間に挟まれて、そのまま別の場所にはじかれたのかも知れない」
「じゃあ、今回の和美さんのケースは、巻きこまれ以上の事故ってことなんですね……」
異世界転移にもいろいろ理屈があるらしい。
当事者のくせに他人事のように話を聞いているうちに、和美は自分に出された桜餅を綺麗に食べ終えていた。日本では食べる機会のなかった本格的な和菓子を、異世界で食べるなど考えもしなかった。
「原因はともかく、和美さんが間違ってここに飛ばされてきたのは変わりないわけですし、そろそろおしごとの話にしませんか?」
「そうですね。和美さん、前にいらしたときにお話ししたこと、覚えてますか?」
「え、ああ、異世界からやってきて保護された人は、滞在期限が切れるまでに、元の世界に戻るか、別の異世界に渡るかを選べるってあれだよね……」
彼らの住むこの世界は、異世界からの『迷子』が多いらしい。他人の召喚に「巻き込まれた」ものの、一緒に召喚先までついて行けなかった人が、次元の狭間でひっかかって落ちてくるらしいのだ。
この相談所は、そうした迷子の人を保護して、その後の行き先を決めるための手助けをしてくれる場所だという。
「ええ、和美さんは前回検討されて、すぐに自分の世界に戻られたわけですし、答えは決まっているんでしょうけど、これも業務なので」
「うん……」
和美は曖昧に返事をすると、目の前に置かれた皿に目を向けた。
和菓子が乗せられていた皿は、桜の花びらの形をした陶器の皿だ。
器にこうしたこだわりを持つ民族というのは、地球でもそう多くないと聞いたことがある。
陶器も和菓子も、知識だけでは作れない。材料と道具と技術が必要というのは、和美だって判る。この世界には、少なくとも、陶器や和菓子を再現できるだけの素材があって、それを利用できる知識と技術を持った人が存在するのだ。
いくら異世界からの迷子――特に日本からの――が多い土地柄とはいえ、こうした文化が根付くとは、一体どういう所なのだろう。
「……滞在期間って、どれくらいなの」
「そうですよね、やっぱり帰りた……えっ?」
てっきり和美がすぐ帰りたがるものだと思っていたらしいかなたは、和美の質問の意味を飲み込めなかったらしく、目を丸くしている。
「えーっと……到着の翌日から三日間、です。到着の当日は、ご本人が状況を把握する時間が必要とのことで、計算には入らないんですが……」
「……この一年の間に、なにかあったんですか?」
かなたの後ろに立って様子を見ていたリカルドが、身をかがめて和美のからにした皿に手を伸ばしながら微笑んだ。狼を人間くさくしたような野性味にあふれた顔立ちのはずなのだが、表情はとても穏やかで、包容力さえ感じさせる。
一年前は、こんな風に彼らを観察する余裕はなかった。自分も少しは、成長したと言うことなんだろうか。
「よかったら、お話を伺いますよ。私たちの本来の仕事は、この世界に迷い込んだお客様を保護して、『帰りたい場所』に帰して差し上げることなんですから」
「帰りたい場所……?」
そういえば、初めて会ったとき、かなたはこの旅行相談所は『第一に、異世界からのお客様を保護する目的で設立され』たと説明していた。あの時は、そういうものなんだとあまり気にしなかったけれど。
戸惑った様子のかなたも、リカルドに目配せされて小さく頷いた。静かになった案内所の中で、サーシャがキーボードのようなものを操る音だけが低くリズミカルに響いている。
「……あの一件で、あたしももうちょっと、現実のいろんなことを見てみた方がいいのかなぁと思って、遊ぶこと以外にもいろいろやってみたんです」
新たにリカルドが用意してくれたトロピカルティー(らしいもの)を出され、和美はそのグラスを見つめるように話し始めた。
「学校で勉強するのなんか、前はただ面倒なだけだったんです。でも、歴史とか本気で調べると、ああ、日本史のこれって最近流行ってるゲームの設定に使われてるなぁとか、世界史のこういう時代をあのファンタジー小説は参考にしてるんだなとか、いろいろ判ってきて、だんだん面白くなってきたの」
周りはみんな大人のはずなのだが、かなたもリカルドも、和美の話に真面目に耳を傾けているのが判る。ルドラとサーシャはあまり関心なさそうだが、笑われることもなさそうだ。
「いろいろなことに興味を持つようになったら、人の話を聞くのも面白くなってきたの。気がついたら、リアルでも、前よりも友だちが増えてきたんだ。真面目に授業を聞くようになったから、先生とも話しやすくなったし。いろんな人からいろんな話を聞いて、学校も悪くないなって思えてきてたんだけど……」
「けど?」
「去年の三学期にさ、近所に住んでた高校三年生の人が、大学受験に失敗して欝みたいになっちゃったの」
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