田中和美のケース その2:3

「まぁ……」

 かなたが気の毒そうに眉をひそめる。

「あたしの学校よりよりずっとランクが上の、進学校に通ってる人だった。その人はその中でもすごく成績がよくて、あたしも前はよく母さんに『あそこの家の智代ちゃんは良く出来た子なのに』って比べられて、むかついてたこともあったんだけど……。智代ちゃん、何カ所か大学を受けてほかは全部合格したのに、本命の大学に落ちたってことで親にすごく責められたみたいで、部屋から出られなくなっちゃったんだ。結局第二志望の大学は、入って早々半年くらい休学したって聞いた」

「それは、ご本人もお気の毒でしたね……」

「うん……この前久しぶりに見たけど、別人みたいに痩せちゃって、人に会うのを怖がってる感じで。かわいそうとか、気の毒っていうのももちろんあるんだけど、なにより、怖いなぁって……。あんなに頑張って、みんなに期待されてたのに、一度失敗したらみんな終わりなのかな。人より頑張って勉強しても、いい大学には入れなきゃ無意味なのかな、勉強ってなんのためにするのかなって、考えてたらなんかモヤモヤするようになっちゃって……」

 しんみりと話す和美をいたわるように、かなたも静かに耳を傾けている。その様子を眺めていたルドラが、不思議そうに目をぱちくりさせた。

「大学受験って、なに?」

「えっ」

「えって」

「こっちって、大学とか、ないの?!」

「高等教育機関ならもちろんあるよ? でも受験に失敗って、なに? 学力が行きたい学校の入学基準に達しなかったなら、また勉強して入学資格を得ればいいんじゃないの?」

「そ、それはそうなんだけど……」

 当然だと思っていただけに、考えたこともない質問を受けて、和美は言葉に詰まった。

 すっかり忘れていたが、ここは異世界で、かなた以外は普通の人間ではないのだ。

 世界が違うのだから、社会の仕組みも違うだろうし、……そもそもここの人たちは、どういう生活をしているのだろう。

 かなたも、『大学受験』について、とっさに上手い説明が思いつかないらしく、困った様子で考え込んでいる。リカルドも、和美の話を親身に聞いてくれようとしているのは伝わってくるのだが、内容がぴんとこないらしい。

「役人の登用試験のようなものではないのか」

 出された桜餅を食べ終え、緑茶を飲んでいたサーシャが、静かに口を開く。

「平民が、官職に就くのは至難の業だからな。幼少から教育を施され、なまじ好成績を残してきたというのであれば、親類一同から期待を集めるのは判らないでもない。我々と違って人間は寿命が短いから、悠長に何年も挑戦は出来ぬのだろう」

「うーん、そういうものなのかなぁ」

「というか、人間の弱みや欲望につけ込んで悪さをするのが貴様ら魔族ではないか。人間の心理や社会構成に、ここで一番詳しくなければいけないのは、貴様なのだぞ」

「そんなのに興味があったら、こんなとこにいないよー」

 ルドラはサーシャの視線を打ち払うように、ひらひらと手を振った。

「それに、その人間が今出してる負の感情も、なんだか中途半端にモヤモヤしてて美味しくないしさ。オウゲツのお菓子食べてたほうが全然いいよ」

「中途半端……?」

 今度は和美が目を瞬かせた。

 将来についての漠然とした不安は、自分たちの年頃なら共通の悩みだ。いや、ある程度大人になっても、その先の将来になんの不安もなく、幸せいっぱいに生きてる人などあまり見る機会は無い。

 そりゃあ、特に食べるものや住むところに困ったり、生死に関わるような問題と直面してるわけではないから、中途半端と言われたらそうなのかも知れないけど。

 ……こうした自分の不安が理解されにくい世界って、どういう場所なんだろう。

「……逆に、こっちの人ってどういう生活してるの?」

「うん?」

「前に来たとき言ってたよね、日本から転移してくる人が割と多いって。それに、こういう和菓子とか、和風のお皿とかあるってことは、実際に住みついた人がいるってことだよね? 雲居さんだって日本人なんでしょ? なんでこの世界に住んでるの?」

「えっ、わたしは……」

 はきはきと答えてくれるかと思ったら、かなたはなぜか困った様子で言い淀んだ。

 リカルドとルドラがなにやら目配せし、サーシャが作業の手を止めてこちらを見るのが視界に入った。

 なにか、まずいことを聞いてしまったのだろうか。

「……見てみたらどうだ」

 黙ってしまったかなたの代わりに、サーシャが静かに答えた。

「見てみる、って?」

「お前と同じ日本人も住む、この国をだ。滞在期間は三日間あると言ったろう」

「え? 確かに興味はあるけど……」

 かといって、本格的に移住したいと思うほど、自分の世界に不満があるわけでもない。だから中途半端だと言われるのかもしれないが。

「前にお前は言っていたな、『異世界召喚とはちーと能力がついてくるものではないのか』と」

「え、ああ……」

「『特別扱いしてくれるわけでもない、自分が呼ばれたわけでもない世界にいても仕方がない』とも言っていた。その通り、この国に住み着いた異世界人は大半が、お前と同じように『呼ばれたわけでもないがたまたまたどり着いてしまった』者ばかりだ。特別な能力を持つ者はほとんどない。言ってしまえば、それまでいた世界での知識や経験が、彼らに付与された能力だ。この世界にはないものもあるからな」

「知識と経験が……」

 そういえば、そういう異世界転移もののラノベも今は多い。タイムトラベルで、現代の知識と技術を過去に持ち込む話もある。この世界の文化がどんなものかは判らないが、持っている知識によっては、かなりの『武器』になるのではないか。

「お前の事情は良く判らないが、自分の行く道を不安に思ったときは、普段接する機会の無い多くの者に会って話を聞くのが一番だ。人が旅に出たくなるのは、そういう時だろう」

「そ、そうですね」

 それまで黙って話を聞いていたかなたが、大きく頷いた。

「和美さん、さっきも言いましたが、日本からのお客様が多いとはいえ、まったくの偶然の作用で二回目にいらした方は、あなたが初めてなんです。このチャンスを活用しない手はないと思います」

「で、でも、あたし、興味はあるけど、今のところ移住したいとか気持ちはないけど……?」

「異世界からの客は、保護自体が目的だからね。費用は全部公費から出るし、結果として君が帰ろうが住み着こうが、今の段階ではどっちでもいいんだよ」

「ルドラさん、その言い方はー」

「お役所仕事はどこでもそんなもんでしょ」

 ほとんど空になったグラスの底をストローで吸いながら、ルドラは軽い口調で答えた。

「せっかく来たんだからちょっと観光してけばいいんじゃない? なんなら市壁の外に連れてってあげようか? 君の世界にはいないモンスターがうじゃうじゃいて面白いよ?」

「貴様は案内と称して遊びに行きたいだけであろう」

「えー、前々から思ってたけど、サーシャはちょっと僕を誤解してるんじゃないかなぁ。僕は仕事にかこつけて遊びに行きたいんじゃなくて、面白そうなことには仕事より全力で取り組んでるだけだよ」

「同じことではないか!」

「まぁまぁ、二人とも、こんな所で言い合っててもお客様が困るだけですよ」

 苦笑いしながら、リカルドが割って入る。エルフと魔族の言い争いを獣人が仲裁するというのも、なかなか見られなさそうだ。

「で、どうされますか? もちろん、すぐ帰らないと困るご用事があるというのなら、無理にとは言いませんが……」

「それは……」

 ちょうど春休みだから、学校は気にしなくてもいいけれど、無断で三日も家を空けたらさすがに親も心配しそうだ。かといって、滅多に無い機会をこのまま逃してしまうのはどうだろう。三度目の偶然は、さすがにないだろうし。

「おうちの人には、異世界に召喚されてたんだって、言っちゃったらどうです?」

「え?!」

 和美の考えを読み取ったように、かなたがいたずらっぽく首を傾げた。

「だって、本当のことじゃないですか」

「で、でも」

「ひとつ変な言い訳をしたら、たくさん嘘をつかなきゃいけなくなります。本当のことだけ言っておけば、信じたくない周りは、そのうち勝手にいろいろな理由を見つけてくれますよ」

 そうかも知れない。

 これが、「家の人には適当に連絡しておく」などと言われたら、逆に怪しまなければいけない所だろう。前に来たときの対応といい、少なくともここにいる人達は信用しても良さそうだ。半数以上は厳密には『人』ではなさそうだが。

「じゃあ、……お世話になろうかな」

「はい、では三日間の滞在希望ということで、承りました!」

 少し遠慮がちな和美に、かなたは明るい声で微笑んだ。

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