桜月堂 高野のケース:4
高野達の住む建物は、外側は西洋ファンタジー風だが、内装は現代日本のマンションのような作りだった。家具がなんとなくカントリー調だが、このまま日本に持ってきてもあまり違和感のない部屋だ。
四人がけのテーブルに出されたのは、やはり緑茶と、今回は厚切りの羊羹だった。道明寺の中にも餡が入っていたから、小豆に近い植物がこちらにもあるということなのだろう。
「和菓子屋は、カティのオヤジさんが、何百年か前にニホンからこっちにやってきた職人から教わったって話だ。そいつらは船旅の途中、嵐に遭った中で、召還に巻きこまれたらしい」
「何百年……」
「オヤジさんの話も聞かせてやりたかったんだが、あいにくエルフの長老たちとの寄り合いが重なっちまってなぁ。もう一週間は戻ってこないんだよ」
「あれ? じゃあこのお菓子は?」
「弟子が留守番してるからそいつらが作ってる。うちに回ってくるのは、ちょっと見てくれが悪くて和菓子屋の売り物にはならないようなやつなんだ」
「これが……」
スーパーで売られているような羊羹よりも、ずっと自然な色合いで美味しいのに、これでも出来損ないなのだという。店ではどんな立派なものを出しているというのか。
「今日は晩飯も食っていきなよ。サーシャちゃんも。カティが作るから、エルフの口にもあうだろう」
「迷惑でなければ、馳走になろう」
断るかと思ったが、サーシャは淡々と同意している。どうやらかなたではなくサーシャがついてきたのも、奥さんがエルフなのを考慮しているらしい。
「で、俺がこっちに来たときの話だっけか。当時、俺は戦争で、日本からずっと離れた南の島にいたんだよ」
高野は世間話をするような明るい顔つきで、耳慣れないカタカナの島の名前を口にした。
「最初は不安だったけど、隊のみんなも島の原住民も、いい人ばっかりでさ。『統治』ってこっちの世界だとものものしい感じになっちまうんだけど、あのときはみんなで町を発展させていこうっていう感じだった。とても楽しかったよ。でも、状況が変わって、俺たちのいた島が最前線になっちまって。島の原住民を別の島に避難させたあとは、もう全員が必死で、上陸してくる敵軍と戦った。数も装備も圧倒的に不利だったけど、かなり頑張ったんじゃねぇかなぁ。でも、とうとうどうしようもなくなって、玉砕覚悟で最後の戦い……って時に、砲弾の衝撃で、俺と仲間の一人が一緒に崖から落ちちまって。そのまま転移に巻きこまれたみたいなんだ。
市壁の外の森にいた俺たちは、たまたま馬車で通りかかったカティの両親に拾われて、町で治療を受けることができた。カティのオヤジさんは日本人と縁がある人だったから、俺達にもすごく親切にしてくれたよ。一緒に来たやつは、爆風の衝撃で片足がつぶれちまって、あまり長くは生きられなかったんだけど……。俺はしばらく静養した後、そのまま、和菓子屋の桜月堂で働くようになったんだ」
高野の口調には、あまり悲壮なものは感じない。
「一時は、みんな死んじまったのになんで俺だけこんなところで平和に暮らしてるのかって、考えたこともあった。けど、オヤジさんが『生きてここにきたのはきっと意味があることだ、もし仲間が全員亡くなっているのかもしれないなら、なおさら生きて幸せになれ』って言ってくれてさ。確かに俺も、もし仲間の誰かが生き延びる可能性があるなら、きっと無事を願うだろう。それからは、オヤジさんとおかみさんをほんとの親だと思って頑張ったよ。本当に親になっちまったけど」
と、高野は明るく笑った。奥さんは特になにも言わず、穏やかに微笑んでいる。
「でもさ、オヤジさんがなまじ本格的な和菓子を作るもんだから、たまにふっと、日本にいた頃に食べてたものを思い出すんだ。天ぷらとか、漬け物とか、煮物とか、いろいろあるんだけど、一番強烈なのが蕎麦なんだよ。出征前に、よく行ってた駅前のそば屋で食べた、あの蕎麦を、もう一度食いてぇなぁって、いろいろ試してたらさ、せっかくだからそれで店を出せ、いろんな人に食べてもらって知恵をもらえってオヤジさんが言ってくれて、店の名前も分けてくれてさ。で、雲居ちゃんがたまに顔出しちゃ、味見してくれるっていう」
なるほど、桜月堂の和菓子と蕎麦にはそういうつながりがあったのだ。
「天ぷらは、なかなかいい感じにいくんだよな。こっちは植物から油をとる技術もあるから、揚げ油も困らない。蕎麦の実はまだ仕方ないとしても、しっかりした蕎麦つゆを作れないことにはなぁ……」
だしの取り方など、和美は調理実習でもやった記憶がない。だしを取るためになにが必要かも、よく判らない。母もだしから蕎麦つゆなど作ったことはないだろう、今は希釈のめんつゆが売られているからだ。
もし料理の知識があったら、少しでも高野の役に立てたのだろうか。なんでも調べられる世界にいたはずなのに、生活に関わる基本的なことを、なにも知らないままだった。
そう思うと、和美も少し肩身が狭い気分だった。高野はあまり、和美に期待はしていないようだったが。
夕飯をごちそうになると、少し今の日本の話をした。新幹線や、宇宙探査機の話もしたが、高野には今ひとつぴんとこないらしい。そうこうしているうちに、高野達は朝が早いからと早めにお開きになった。
一見事務員だが多分都市最強クラスのエルフであるサーシャに送られ、ホテルへの道を歩いていたら、高野の妻のカティが息を切らせておいかけてきた。
「あ、あの、言っておかないと思って」
高野を交えた話し中、黙って微笑んでいるだけだったのに、今は明確な自分の意志を持って追いかけてきたのが、目の真剣さで伝わってくる。
「な、なんですか?」
「明日、帰るのですか?」
「ああ……」
もともと見物のつもりでの滞在だったのだ。いろいろ話を聞いてみて、ここも悪くない世界だなと思う反面、日本のすべてと縁を切ってここで暮らそうと思うほどの動機があるわけでもない。
「あなたは、元の世界でなにかに本気で挑戦したこと、ありますか?」
「えっ」
「どうしてもこれに勝たなければ、と思って、本気で挑戦したものはありますか? 勝ったとしても負けたとしても」
「いや……」
「ないなら、帰りなさい」
高野の妻は、短くはっきりと、そう言った。
「高野は、戦争で、島を護る戦いに最後まで参加できなかったことを、今でも悔しく思ってる。あり得ないことだと判っていても、自分があの場に残れたら、万が一にでも状況をひっくり返せたチャンスがあったかも知れないと、ずっと思ってる。あなたがもし、自分の世界で、なににも本気でぶつかったことがないのなら、今はよくても、後になって絶対悔いる。だから、帰りなさい」
それだけいうと、とっさに返事の出てこない和美を真剣に見つめて、高野の妻はきびすを返した。
「……私も、もうもとの国でやれることはないと思ったから、ここに来た」
高野の妻の後ろ姿を見送りながら、サーシャが呟くように言った。
「私たちは、偶然に転移してきたものとは違って、帰りたければいつでも帰れと言われてはいるが」
続きがあるのかと思ったが、しばらく沈黙した後、サーシャはさっさとまた歩き始めた。
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