賢人シュムリのケース:3

「ある日の夜、隣国の戦闘機が、とうとう国境を越えて市街にまでやってきた。飛行機は爆弾をいくつも落とし、市街は火の海になった。私は両親ともはぐれ、どこに逃げれば安全なのかも判らないまま人の波に流されるように逃げた。多くの人ががれきに埋もれて、建物と一緒に燃えていたが、助ける余裕もなかった。そのうち、私の頭の上にも多くの爆弾が降ってきた。死ぬんだな、と思ったよ。でも気がついたら、私はその場所とは全く違う、穏やかな林の中にいた。

 私は、知らない人に抱きかかえられて倒れていた。その人は頭も顔も血だらけで、背中側は服どころか、皮まで焼け焦げて、虫の息だった。その人が、見も知らない私をかばってくれた瞬間、一緒に転移に巻き込まれたようなのだ。

 運良く私たちは、郊外を巡回していたハイパティーロの兵士に助けられたのだが、その人は半日後に亡くなったよ。結局どの世界が、誰を召喚したゲートに巻き込まれたのかも、わからないままだ。私は名前も知らない彼の遺品として、彼が身につけていたいくつかの品物を受け取った」

 言いながら、シュムリは自分の机の引き出しから古びた小箱を持ってきた。

 開けると、そこには鎖の一部が焼け焦げた懐中時計と、爆圧で先端近くが潰れた万年筆のようなペン、手のひらほどの大きさの小さな本が入っていた。

「その本は、あちらの世界の偉人の名言集なんだよ。受け渡されたときに、彼はその中の言葉の一つに従って、見も知らぬ私をかばってくれたようなのだ。

 でも残念ながら、ここではその偉人たちのルーツすら、容易に調べることはできない。少しでも手がかりがほしくて、私は古道具屋を回り、時には危険を承知で市壁外に出向き、転移に巻き込まれたらしい異世界の品物を集めた。移住者からもいろいろ話を聞いてまわったよ。ここには本ばかり並べてあるが……」

 と、シュムリは壁越しに外を示してにやりと笑った。

「裏にいけば、いろいろな異世界のものも見せることができるよ。危険だと判断されたものは国に没収されてしまうから、どうでもいいがらくたばかりだけどね」

「はぁ……」

「割とニホンからの転移者は多いと聞くが、これほど状態のいい学術書を持ち込んできたのは君が初めてだよ。差し支えなければ、これは譲ってもらうことはできないだろうか。かなたは地球世界のいろいろなことを知っているが、こうした学問に関しての知識はからっきしで参考にならないのだ。……ああ、もちろん悪用はしないよ」

「悪用て……」

 自分たちはそんなに危険な知識を学校で教えられているのだろうか。

 そういえば、戦時中は天気予報ですら軍事機密だったと聞く。ある種の家電製品は、軍事技術に転用される危険があるから、現代でも持ち出しが禁止されている国があるとも聞いたことがある。当然のように使っている化学や物理の知識が、別の世界ではとんでもない先端技術に化けるかもしれない。そういうファンタジーは確かにたくさんある。

 問うように目を向けると、黙って一緒に話を聞いていたリカルドが、穏やかに頷いた。

「いいですよ……わたしが持ってるよりは、お役に立てそうだし」

「ありがたい」

 目元を腫らしながら、シュムリは微笑んだ。

「あの、わたしは、帰るのも住み着くのも自由だって言われたんだけど、シュムリさんは帰してもらえなかったんですか?」

「私がこちらに転移した頃は、まだ召喚ゲートがどこで開かれたか探る技術がこの世界にはなかったんだ。ある程度古くからいる転移者は、皆帰りたくても帰れなかった者ばかりのはずだ。今は、転移中継フィールドに引っかかった時に、どの世界から来たかをたどることができるそうだが……」

「そうです。シュムリさんが来た頃はまだ、転移ゲートがどこで開いたか探査する魔法は開発途中でした。今なら、シュムリさんの世界から誰かが来れば、そのゲートの痕跡をたどって送還ゲートを開くことは可能なんですが……」

「未だに同じ世界からやってきた者はいない。そもそも、魔法の発達していない世界から“偶然”転移してくる者自体が希少なのだ。ニホンからの転移者が多いのは、ハイパティーロでも七不思議に入るくらいの謎なんだよ」

「ええ……」

「そして話を聞くと、巻き込まれてニホンからやってくる者たちは、特に生活に行き詰まっているわけでもなく、逆に特に優れた何かをもっているわけでもない、漠然と生きている者たちばかりだそうだ。たいていは異世界に摩訶不思議な期待を抱いてやってきて、勝手に失望してさっさと帰っていくとう。聞けば聞くほど、学問も娯楽も食料も平和も、これ以上はないと言うほど与えられた国のようなのに、多くの者がそこにはない何かを常に求めているのはなぜなのだろう?」

「それは……」

 そりゃあ自分も、最初に来たときは、チート能力がないとか、大事にしてもらえないからって理由で帰って行った口だけど……

「最初から当たり前に与えられているものは、その意味や価値になかなか気づかないものなんですよ」

「そういうものなのかねぇ」

 リカルドの言葉に、シュムリは腑に落ちなそうに首をかしげている。

 勉強とか娯楽の意味や価値なんか、本気で考えたこともなかった。毎日なんとなく、何か足りないと思いながら生きてるのは、そんなに不思議なことなんだろうか。


 シュムリの本屋からリカルドの家に一旦戻ると、シャムハザとルドラはもういなかった。代わりに、『昼過ぎに迎えに来る』という趣旨のサーシャからのメモが、玄関に差し込んであった。和美には読めなかったが。

「どうやらサーシャさんが二人を回収していってくれたみたいですねぇ」

 と、リカルドは自分の耳を引っ張る仕草をしてみせた。二日酔いでふらふらの天使と魔族が、サーシャに耳を引っ張られ、引きずられるように連れて行かれる図が、ありありと想像できた。

 いろいろ他愛ない話をしながら、部屋を片付ける手伝いをしていたら、約束の時間通りにサーシャはやってきた。相変わらず、相談所の制服姿である。

「桜月堂の夫妻が、タナカカズミを家に招待したいそうだ」

「家に? お店じゃなく?」

「滞在期間は明日までだろう。帰る前に、ニホンからの客をもてなしたいそうだ」

 そうだった。三日間と言われてあと一日あるとのんびりしていたが、もう半分過ぎているのだ。

「準備が出来たらすぐ行くぞ」

「まぁ……持ってくものもないし」

 唯一の持ち物だった参考書も、さっきシュムリにあげてしまった。シュムリは「代わりになにか好きなものを」と言ってくれたのだが、字も読めないものが大半で、『あとで気が向いたらもらいに来ます』とそのまま帰ってきてしまったのだ。

 高野の家は、そば屋の桜月堂からそう遠くない、この国では割とよく見る石造りの住宅街の中にあった。本当は、奥さんの実家に招きたかったようなのだが、

「普段の生活に触れさせてあげてください」というかなたの頼みで、二人で暮らす住居に招いてくれたようだった。

 そのかなたも待っているかと思ったが、迎えてくれたのは高野と奥さんの二人だけだった。

「保護者がいないと何もできなような年でもあるまい」

 と言われては、いない理由をそれ以上聞くこともできない。

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