桜月堂 高野のケース:3
雲居は当然のようにカウンターまで進む。促されて腰をかけると、給仕役のエルフの女性が水の入ったカップを二人の前に出しに来た。
「ごゆっくり」
にっこり笑ったエルフは、和美が見る感じ、二〇歳そこそこに見えた。でも確か、エルフという種族は長命で、外見と実年齢に大きな差があると、よく読むラノベには書いてある。
「あの方は、高野さんの奥様です。先日、五〇周年の結婚記念日のお祝いに呼んでいただきました。仲がよくてうらやましいです」
「へ……ええ?!」
結婚して五〇年と言われても、あの店主は年齢が既に五〇前後に見える。この世界に来ると、人間も年をとらないのだろうか。
「エルフ族はとても長命だというのはきっとご存じだと思いますが、こちらの世界のエルフは、異種族の人と結婚すると、伴侶となる人に自分の寿命を分け与えるんです。その時点で、伴侶の老化はとてもゆっくりになります。彼らの間では、命を『接ぎ木』すると言うそうです。森の人であるエルフらしい能力ですよね」
「じゃ、じゃあ、実際はもっと歳を取って……?」
「高野さんの年齢をはっきり聞いたことはありませんが、このお店はもうじき九〇周年だそうですよ。そろそろ二代目が欲しいねって、奥様が言っておられました」
「一代で、九〇年?!」
九〇年と言ったら、単純計算で店主は西暦一九〇〇年前半の生まれということになる。その頃の日本と言ったら、……なにがあったろう。歴史の授業で習ったはずなのに、よく思い出せない。
厨房からは、揚げ物の音と、そばつゆの匂いが漂ってくる。ここからではあまり手元が見えないが、使われている調理器具は日本でも一般的なものばかりのように見えた。
「天ざる、お待ちどうさま」
エルフのおかみさんが、つゆの入った器と、ざるそばの載った盆をもってきた。日本でもごく普通に見る、丸いざる盛りの蕎麦だった。
蕎麦は、なんとなく白っぽいだけで見た目も普通。小皿に小さな卵と、わさびらしいものが添えてある。ネギはない。
「い、いただきます……」
とりあえず、一口分を蕎麦つゆにつけてすすってみる。咀嚼しながら、和美は思わず首を傾げた。
まずい、わけではない。むしろ、美味しい部類にはいる。だが、蕎麦つゆもそうだが、蕎麦の食感も喉ごしも風味も何か違うのだ。
横のかなたはと言えば、やたら美味しそうに天ぷらを口に運んでいる。
和美が微妙な顔で二口目をすすっていると、厨房からひょっこりと高野が顔をのぞかせた。
「どうだい、口に合うかい」
「え、あ、はい……」
確かに美味しい、でもなにかが違う。でもそれをうまく言葉に表せず、和美は曖昧に頷いた。高野はニヤリと笑みを見せた。
「判ってるよ、うまいけど、何か違うって思ってるんだろ?」
「え? そんなこと……」
「いいんだよ、『本物』を知ってる人間の反応を見るのは勉強になるんだ」
豪快に笑われて、和美はなんだか申し訳ない気分で首をすくめた。店の蕎麦の味をどうこう言えるほど、和美はよい蕎麦を食べてきたわけではない。家で食べるのはせいぜい、スーパーで売られている三袋一〇〇円の生蕎麦や、インスタントのものだ。
「当然だけど、蕎麦の実自体が違うんだ。日本のとかなり近い種類のものは生えてるんだが、こっちの世界ではせいぜい団子にして喰うのが普通で、切ってゆでるような喰い方には向かないんだよ。ほかの粉と混ぜて配合を工夫しちゃいるんだが、どうしても香りも腰も変わってくる」
「はぁ……」
「それに、こっちには魚からダシを取る習慣がなかったんだ。気候が違うから、鰹節に似たようなものもない。焼いた魚の骨とか、干した小魚を煮てとか、いろいろ試しちゃいるが、つけ麺にはできても、かけそばにして全部のみ干せるような所まではいかないんだ。もちろん、醤油もないしな」
そういえば、長期の海外出張に行く日本人が欲しがるのは、コメと醤油と味噌だと聞いたことがある。あって当たり前だと思っていたが、確かに醤油は日本独特のものだ。
「でも、前に来たときより、だいぶ味は近づいていると思います」
「雲居ちゃんは優しいねぇ」
言葉通り、既に半分以上を食べ進んでいるかなたに、高野は大きく頷いた。
「旨いのは、自信があるんだ。でも、出征前に駅前のそば屋で食べたあの味には、まだまだなんだよ。死ぬまでには、カティにあれを食わせてやりてぇなぁ」
「あら、ごちそうさまです」
「食い終わってないのにごちそうさまはないだろ」
どうやらカティとは奥さんの名前らしい。澄ました顔の雲居に照れた様子で答えて、高野はまた厨房に引っ込んだ。
和美はつけつゆを少し口に含んでみた。色は薄い褐色で、蕎麦つゆと言うより、塩味の魚介風味スープといった感じで、旨みをあまり感じない。確かにこれでは、そば湯で埋めても飲み干すことはできない気がした。
「……あの人も、転移でこの世界に来たんだよね? どうして帰らなかったんだろう?」
「個人の事情もありますし、こちらに来た年代によって保護対象の扱いが違っていた、ということもあるんです。高野さんの事情は伺ってはいるんですが……」
かいがいしく給仕を務めるエルフ女性を眺めながら、かなたは少し考える様子を見せた後、
「和美さんの滞在期間中に、高野さんに直接お話を聞けるようお願いしておきたいと思うんですが、よろしいですか?」
「え? うん、それは構わないけど……」
本人に直接聞けるなら、その方がいいのだろう。頷いた和美の目の前に、桜の葉の皿に載った和菓子が差し出された。
「食後のお菓子です、召し上がれ」
一緒に温かいお茶をテーブルに置き、給仕姿のエルフの女性が微笑んだ。反射的に頭を下げてから、和美はその菓子が、昨日ハイパティーロ旅行相談所で出された桜餅と同じなのに気がついた。
「オウゲツ……さんって、このお店のこと?!」
「そうですよ、のれんに『桜月堂』って書いてたの、見ましたよね?」
「あ、そうか、あれ……」
普段あまり使わない読み方の上に、右から左に書かれていたこともあって、読み流してしまっていた。
「で、でもここ、お蕎麦やさんでしょ?」
「桜月堂はそもそも、奥さまのお父様が開いている和菓子のお店なんですよ。高野さんがお店を出されるときに、お店の名前とそれまで使っていた建物を譲られたそうなんです。和菓子屋さんの『桜月堂』は、別の場所にあるんです」
「へぇ……」
自分も同じ桜餅を受け取って、かなたは嬉しそうに給仕の女性に微笑んだ。
エルフのお父さんが和菓子のお店をやっていて、そのお店と同じ名前でそば屋を始めた日本人。どういう経緯でそうなったのか、どうにも想像できない。
首を傾げながらも、和美は添えられた楊枝で桜餅を割り、口に入れる。それはこの店の蕎麦とは違い、やはり本格的な和菓子の味のように感じられた。
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