賢人シュムリのケース:1
目を開けて、和美はしばらくの間、自分がどこにいるのか考え込んでしまった。
異世界にいるのは判っている。ただ、この板張りの天井は、昨日案内された宿泊所のものではない。中学のキャンプの時に利用した、ログハウスのような雰囲気だ。
どこからともなく、スープを煮込むような食欲をそそる匂いが漂ってくる。
固めの寝具の上で身を起こす。自分が寝ていたのは、高い場所に作られたロフトのような場所だった。見下ろすと、階段下のソファでこちらに背を向けたルドラが丸くなって横になっている。床の上の大きな敷物の上では、大きなクッションを枕にシャムハザがうつぶせに横になっていた。背中の翼の存在感が異様に際立つ。
「えーっと……」
「あっ、おはようございます」
本棚の陰から、エプロン姿のリカルドがひょいと顔を出した。どうやら部屋の間仕切り代わりになっているらしく、その向こうからは火の気配がする。匂いもそちらから流れてきているようだ。
「あ、そうか……」
そういえば『どうせならこちらの生活というものを生で見た方がいいだろう』昨日はリカルドの家に夕飯に呼ばれたのだった。同席はかなたとサーシャだけという話だったのだが、シャムハザとルドラは『カンゲーカイ』と称して勝手についてきた。
リカルドはあの巨体で料理好きだとかで、かなたに教わった和風の煮込み料理や揚げ物、漬け物までを出してくれて、あまり食べるものに違和感はなかった。
ただ、シャムハザとルドラは、和美そっちのけで、それぞれ持ってきたお酒と思われる飲み物を自慢し合いながらを、お互い競うように飲み会っているうちに、勝手に酔いつぶれてしまったのだ。
リカルドとかなたが後片付けをしている間に、サーシャは天使と魔族を「片付け」、あまり遅くならないうちに帰ってしまった。
「毎回こうなんですよ。天界と魔界のお酒の利き酒大会。体質が正反対なんだからほどほどにしてくださいって何回もいってるんですけどね……」
「体質って……」
そういうのは属性というのではないだろうか……。床で伸びている二人を困った様子で見比べながら、おたまを片手に、リカルドはため息をつく。
「ということで、二人にお酒を抜いてもらうために、朝はスープです。かなたちゃんにも何度も味を見てもらってますから、お口に合うはずですよ」
リカルドの料理のセンスは昨日の夕食で実証済みだ。和美は頷いた。
リカルドの部屋は、相談所のある地区からそう遠くない場所にある。相談所の内装はあまりにも現代的、周辺の町並みは中世ヨーロッパ風なのだが、リカルドの住んでいる家は古い日本の田舎の家のような雰囲気だ。一軒家なのは、大きすぎる体のせいで一般的なサイズのアパートが借りられないのだという。
昨日、宴会に使われていた大きなテーブルの上も、今はきれいに片付けられている。部屋全体もとても小綺麗だ。リカルドは家事が得意なのだろう。
「……リカルドさんは一人暮らしなの?」
テーブルのそばに置かれたクッションに座り、部屋の中を見回しながら和美は訊ねた。
「そうですよ? 群れで生活していたので最初は戸惑いましたが、今はとっても居心地がいいですね」
「群れ? もとからここに住んでたんじゃないんだ」
「ええ、別の世界の山奥に住んでました。私たちの時間の感覚は人間と違うので、はっきり何年前とかは覚えてないんですけど」
「へぇ……」
本棚には、様々な素材、様々な文字の本が詰まっている。装丁の形も様々だ。ひもで綴っただけで背表紙もないものや、逆に、日本の本屋にも普通に並んでいるような、つやつやの紙の参考書もある。
「サーシャさんも、同じ世界の出身なんですよ。住んでいた場所は違いますけどね」
「へぇ?」
そういえば、相談所では普通の事務員をしているように見えるのに、昨日の害獣駆除ではスーツ姿のまま二刀で走り回っていた。いろいろなことがありすぎて、驚くのもすっかり忘れていたが。
「サーシャさんは、アルフェイム王国というエルフの国で、騎士団長さんをされてたんですよ」
「騎士?!」
「ええ、騎士団のなかでもずば抜けて強くて、指揮官としても優秀な方でした。……まだお二人が起きないようなので、先に朝ご飯にしますか?」
「う、うん」
話の続きが気にかかるが、スープの香りで空腹を感じ始めていたのも事実だった。スープの入ったカップをそれぞれの前に置いたところで、リカルドは大きな椅子に腰掛けた。
「私たちの種族はアルフェイムの領地から多少離れた山奥で、ひっそり暮らしてました。私たちはこういう姿をしているだけで、生活の仕組みは人間やエルフとさほど変わらないんですよ。でも、やっぱり人間から見たら怖いでしょう? アルフェイム周辺の種族はあまり交流がなくて、たまにやってくる異種族の商人とものを交換するくらいでしたけど、そんなに不自由はしてなかったです。人間は宝石とかきらきらしたものを好むので、たまにやってくると、山肌から出てくる琥珀や鉱物を渡しました。とても喜んで、珍しい食べ物や道具を分けてくれましたね。素朴だけど楽しかったですよ」
「へぇ……」
「で、ある日、狩りのついでにまた琥珀でも探そうと崖のそばに行ってみたら、崖の上から落ちたらしい馬と、エルフの騎士さんが倒れてました。馬は残念ながら死んでいたのですが、その体がクッションになったらしくて、騎士さんはなんとかご無事でした」
「それがサーシャさん?」
「ええ、目が冷めたときは、私たちを見てとても驚いた様子ですぐ出て行こうとしてましたが、とにかく傷がふさがるまでは無理してはいけないと説得して、しばらく村でお世話させていただきました。馬は、もったいないので解体して食料にしたんですけど、そのとき、作業に当たったものが変なことに気づいたんです」
「変?」
「鞍の…鞍って判りますか?」
「うん。人が座るところでしょ?」
「そうです、その、馬の背に当たる部分に細工がしてあって、とげのようなものが仕込んであったようなんですね。それを話したら、サーシャさんはなにか思い当たることがあったようで、少し考えてから、どうしてあんなところにいたのか教えてくれました。
その少し前に、私たちの棲んでいた山の比較的近くに領地を構える貴族が、『獣人が近隣の村を荒らし家畜を殺して奪っていく。このままでは領地の民に危険が及ぶ』と訴え、討伐の協力を要請したのだそうです」
「ええ!」
「後から聞いたら、琥珀や鉱物がとれると人間から聞いた領主が、山ごと手に入れるために私たちを追い出そうとしていたようでした。サーシャさんの隊はそれを調べに来ていたそうなんですが、サーシャさんを快く思っていない人が、いい機会だから獣人に襲われたことにしてサーシャさんを亡き者にしようと考えたようで……。サーシャさんが尽力してくれて、そのときは貴族の言い分は嘘だと宮廷内で証明してくれて、戦いは回避されました。その後、私たちの種族はいろいろ相談し、今後の安全を考えて、村を放棄して別の場所の同じ種族の村に移住することにしました」
「何も悪いことしてないのに、逃げなくちゃいけなかったの?」
「いくら体の大きさや力では勝っていても、エルフや人間の知略は計り知れないですからね。いつ状況が変わって、攻め込まれるかわかりません。それに、私たちは宝石や資源にあまり関心はありません。みんなが困らないだけの生活ができればいいんです。その移住に協力してくれたのもサーシャさんでした」
「そうなんだ……」
「新しい場所に落ち着いてしばらく、サーシャさんが私を訪ねてきました。今度は、騎士の姿ではなくて、あのスーツ姿でした。それで、異世界の『旅行相談所』で働くことになったから一緒にどうだと、誘いに来られたんです。なんでもあの一件で、宮廷の貴族派に疎んじられて、身の振り方を考えていた矢先に、スカウトにあったそうで」
「へぇ……」
「私もその頃、ちょっと村での生活でいろいろ思うところがあったもので、いい機会かなと話に乗ることにしました。最初はいろいろ戸惑うこともありましたけど、ここは異世界からの移住者も多くて、いろんな種族がいるから、肩身の狭い思いをすることもなかったです」
そこまで話すと、うまい相づちも思いつかない和美に、リカルドは少し照れたように、
「柄にもなく昔話などしてしまいました。退屈だったでしょう」
「う、ううん。面白かった……っていうのも変だけど……」
「ならよかったです」
語彙力のなさが情けない。リカルドは穏やかに微笑むと、少し冷めたスープを口に運んでいる。
異世界の住人と一口に片付けても、それぞれやはりいろいろな事情があるらしい。しかも、切実に生活に関わる事情があって、サーシャもリカルドもこの世界にやってきたようだ。
自分の不安を「中途半端」と言い切ったルドラの言葉を思い出して、和美はソファで伸びたままのルドラに目を向けた。一番いい加減そうに見えるルドラにも、それなりの事情があったりするのだろうか。
「ああ、そうだ。かなたちゃんからは、和美さんになるべく移住者の方と話せる機会を作ってくれといわれてるんです。なじみの本屋さんがあるので、食べ終わったら行ってみませんか」
「本屋?」
「ええ。そこのご主人が、そちらの世界によく似た文化の世界から来たようなんですよ。本好きが講じて、いろいろ集めているうちに、本屋さんになってしまったというのが正しいようなんですけどね。私は村では勉強だけは機会がなかったので、よく相談に乗っていただいてます」
「へぇ……」
リカルドの本棚は、確かにいろいろな種類のものがたくさん詰まっている。旅行関係の仕事だと、やはり多くの知識が必要なのだろう。
「そうだ、和美さん、転移の時に本を持ってきていましたよね。あれ、よかったら見せてあげてもらえませんか。異世界からの本を、特に喜ぶ方なんです」
「あ、うん、いいよ」
そういえば、読む気にもならなくてホテルにおいたままの参考書があった。行く途中でとってくればいいだろう。
別の世界の住人なのに、日本の参考書なんか読めるのかは気になったが。
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