中村綾のケース:5

 長い夢を見ていた気がする。

 それは楽しい夢だった。とてもリアルなCG映像のように、エルフの女性や、天使と魔族の青年が綾をはげましてくれていた……ように思う。

 その夢の最後、混沌となっていく意識の中で、綾の前に現れたのは、母親に叱られて車道に飛び出した、あの少女だった。


「おねえさん、わたしをかばってくれてありがとう。おかげでわたしは怪我をしないですみました」

 少女はなぜか、白い修道服姿の女性を後ろに従えていた。母親ではないのは一目瞭然だが、二人ともとても穏やかな笑顔だった。

「わたしはおとなになるまで、おうちには帰れないけど、新しい世界のひとたちに安全にまもってもらえます。おうちに帰れないかわりに、わたしのお願いをかなえてくれるっていわれたから、わたしはおねえさんが、これからも安心して生きていけるようにお願いしました」

 新しい世界とはなんだろう? それに、あたしなんかのためにお願いを使ってしまうのは、もったいなくはないのだろうか。

 綾は問い返そうとしたが、喉も唇も上手く動かない。視界もだんだんとぼやけてきたような気がする。

「おねえさん、怖がらないで目を開けてください。わたしは今、とても安心できるところにいるから、だいじょうぶ」

 確かに少女の表情には、母親と言い合っていたときのとげとげしさも、失望感もなかった。子どもらしい笑顔に安心して、綾は動かない体でなんとか頷こうとした。

 だがすぐにその意識は、混沌とした白い闇の中に飲み込まれてしまった。


「ご両親はその後どう?」

 綾の座る車いすのストッパーを止め、自分はその横のベンチに腰をかけて、知美が訊ねてきた。

 総合病院の入り口真上にあたる屋上庭園は、やっとベッドから離れられるようになった患者達の憩いの場だ。眼下に見える町並みを眺めていると、退院したら行きたいところがあれこれ想像できて、リハビリの励みになるというものだった。

 開けてもらったペットボトルを受け取って、綾は苦笑いを見せた。

「それが、気味が悪いほど物わかりがいいんだよね。知美が持ってきてくれた●●●さんの新刊、枕の下に置いてたのを気付かれちゃったんだけど、何も言われなかったし」

「自殺未遂まで追い込んだと思って、気を遣ってるんじゃないのかな?」

「どうかなぁ……でも保険が降りるまでは入院中の家賃も面倒見てくれるって言うし、とりあえず連れ戻されなそうでよかった」

 救急車の中で一度目が醒めたとき、血だらけの自分の手を握っていたのは、家族の誰でもなく、サークル仲間の知美だった。

 ラインでの「死にたい」の投稿の後、連絡の取れなくなった綾を心配して、部屋まで様子を見に来てくれたのだという。だが綾の部屋は玄関の鍵が開けっ放し、電気もついたままなのに、誰もいない。

 不安になって綾を探しに外に出たところで、救急車のサイレンを耳にして駆けつけてくれたのだ。

 とりあえず、実家の電話番号と身分証明書のありかを託したところで、綾はまた意識を失った。

 次にはっきりと目が醒めたのは三日後だった。

 後から聞いた話によると、周りの誰もが綾が少女をかばって車道に飛び出したのを目撃していたのに、事故現場から少女は忽然と姿を消していたのだという。

 少女の両親が、駆けつけた救急隊員や警官に、必死になって少女のことを訴えていたのを知美も耳にしていた。

 だが現実として、トラックにはねられたのは綾一人だけだった。

 結局、飛び出した猫でもかばったのだろう、助けられた猫は驚いて逃げてしまったのだろうと、警察や保険会社の見解は落ち着いたらしい。

 だが駆けつけた綾の両親は、知美とのラインでのやりとりを見せられたことで、綾が趣味を否定され死を覚悟でトラックの前に飛び出したのだと思ったようだ。

「足なんか二カ所も骨折したのに、後遺症もなさそうなんだって?」

「うん、傷跡は残りそうだけど。普通は筋肉が断裂すると、綺麗に神経が元通りになるってことはまずないんだって。先生も経過見て驚いてた」

「よかったよね、あんな大きな事故だったのに」

 頭も異常はないし、腕や内臓にも影響はない。来年の今頃は、また事故の前と同じように不自由なく生活していることだろう。


『おねえさんが安心して生きられるようにお願いしました』


 夢の中で見た、少女の言葉どおりになったのだ。

 結局あの少女の一家はどうなったのか、綾は知らない。あの母親に、夢の中で聞かされたことを話したところで、理解はできないだろう。

「……退院したら、あの原稿仕上げなきゃなぁ」

「そだね、冬の即売会コミケにむけて、リハビリ兼ねてやればいいじゃない。また当選できるかは判らないけど」

「それも楽しみだけどさ」

 あれが完成したら、次はオリジナルの創作ものを描くのだ。

 夢の中に出てきた、博愛天使とツンデレ悪魔の話。獣人の体に憑依した自分も、別のキャラの話に置き換えれば、また別の美味しいお話になりそうだ。

 あの子の思いに答えるためにも、命が助かってよかったと思える生き方をしよう。

 退院後にやりたいことをあれこれ考えて、知らずに笑みがこぼれる綾を、知美も嬉しそうに見守っていた。


 ※ 


「なんていい話っぽくなってるけど、僕はモデルを許可した覚えはないからね!」

「ルドラさん、涙目で誰に向かって叫んでるんですかー?」

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