中村綾のケース:4
「……で、では、改めてお聞きしますけど……」
オフィスの中にあるリカルド用の椅子にナカムラアヤを座らせ、かなたは彼女を見上げた。
見慣れたリカルドの体に入っているだけのはずなのに、中身が違うだけでこうも雰囲気が変わるのかというくらい、リカルドは女の子っぽく見える。獣族は、同じ種族以外には男女の区別がつきにくいらしいので、女子の狼系獣人はこんな感じなのかも知れない。
「綾さんは、ここに来る前は、どんな状況だったんですか?」
『あ、あたしは……外をぶらぶら歩いていたら、小さな女の子がお母さんと口論してて、道路に飛び出しちゃって、それを追いかけて……』
ナカムラアヤは、一見素直に質問に答えている。答える内容も、さっきサーシャに言った内容と矛盾がない。
が、彼女の注意は、離れて様子を見ているルドラと、それになにげなくちょっかいをだして怒られるシャムハザに集中しているらしく、視線が頻繁にかなたからそれる。サーシャがカウンターの中で怪訝そうに目を細めているが、それはまったく気づいた様子がなかった。
そして、ナカムラアヤの視線を受けるたび、ルドラがびくびくした様子で動きを止め、首をすくめたり、鳥肌を押さえるように腕をさすったりしている。
『で、女の子を抱きかかえたところで、トラックの急ブレーキの音が聞こえて……』
「かなた、どうして散歩に出たかって所から、聞いてみて」
「えっ? はぁ……」
それなら、シャムハザが自分で聞いた方が早いのではないか。不思議に思いながらも、かなたは頷き、
「車がヘッドライトをつけていたなら、夜だったんですよね? どうして暗くなってから、散歩に出ようと思ったんですか?」
『それは、母さんが……』
言いかけて、ナカムラアヤはいきなり言い淀んだ。
「お母さまが?」
『え? ううん、その、部屋で作業を……じゃなくて、その、仕事を片付けてて……』
「お仕事? 家にお仕事を持って帰らなきゃいけないくらい大変だったんですか?」
『だって締め切りが……ちがう、そう、納期が近くて、急いでて……』
「あれ?」
一気に挙動のおかしくなったナカムラアヤとは裏腹に、ルドラが自分の体を改めるように見下ろして首を傾げた。
「彼女から感じる気配が変わったよ? なんでか知らないけど、純粋な恐怖と不安を発してる」
「ええ?」
ルドラは魔族なだけに、人間の発する負の感情をエネルギーとして取り入れることができる。
急にすっきりした様子のルドラとは逆に、ナカムラアヤはおちつかなく視線を彷徨わせ始めた。
かなたはなにかにぴんと来た様子で、
「急いでいた仕事が進まなくて、気分転換に散歩に出かけたんですか?」
『大家が母さんと一緒にドアを……じゃなく、その、外が騒がしくなって、集中できなくて』
「大家さんがどうしたんですか?」
『大家がチェーンを切って、部屋に母さんが……』
「いったい、ナカムラアヤはどうしてしまったのだ?」
サーシャは、いきなり言動の怪しくなったタムラアヤを怪訝そうに眺めながら、シャムハザに訊ねた。シャムハザは器用に片眉を上げ、
「言っただろう? 思念体の状態だと、心の声が外に漏れやすいんだよ。普段ならもっと上手にごまかせるんだろうけど、今はリカルドの体だからね。うまく制御できないで、頭で思ったことがそのまま言葉になってしまっているのさ」
「なるほど」
自分の言葉にしどろもどろに言い訳するナカムラアヤの様子に納得したらしく、サーシャは大きく頷いた。
「存在感がはっきりしているから、きっと本体は生きているんだろう。怪我の状態までは判らないけどね」
「生き霊ってことですか……?」
「人間の感覚だと、そういうことだね。ハイパティーロは地球世界の日本から巻きこまれ者が多く来るのが前々から不思議だったんだけど、ひょっとしたら次元の壁に、生身の人間には通れない程度の小さな穴があいてて、常時日本とつながっているのかも知れない。そのうち調査の提案でもしてみよう」
「それはともかく、生身の体が生きているのなら、なおさら客として扱うわけにはいかないな」
サーシャが真面目な顔で腕組みした。
「ナカムラアヤが『異世界転生』とやらを望んでいるのだとしても、我々の管轄外のことだ」
「転移ゲートで日本に送り返してあげれば、体に戻れるんでしょうか?」
「まず本人に、体に帰りたいと強く思わせる必要があるね。その手がかりを掴むために、かなたにいろいろ聞いてもらっていたのさ」
『死ぬ……死にたい……マジ死にたい……』
彼らが会話している間にも、タムラアヤはうつろな目でブツブツと呟き始めた。さっきまでの、生命力にあふれた表情が嘘のようだ。
みるみる気配の澱むナカムラアヤとは対照的に、ルドラが目に見えて生き生きし始める。
「すごく活きのいい負の感情だよ。転移に巻きこまれる前に、よっぽど怖いことがあったんだね」
「ど、どうしちゃったんですか……」
「『部屋から出た理由』をはっきり思い出してきたのさ。そろそろよさそうだ」
怪訝を通り越し、若干引き始めたかなたの言葉を片手を挙げて押しとどめ、シャムハザはすうと息を吸い込んだ。大きめの声ではっきりと、
「即売会」
『ギクっ』
「原稿」
『ああっ』
「締め切り」
『ひぃ』
「ずる休み」
『ち、ちがっ』
シャムハザの言葉に、ナカムラアヤが現実に引き戻されたかのようにくっきりと反応を始めた。
「それが、彼女の心に強く残ってる単語なんですね……」
「一体どういう関連のある言葉なのだ?」
「わたしも話に聞いた程度であまり詳しくはないんですが、綾さんはたぶん……趣味で創作活動をしてる方なんじゃないかと」
「ナカムラアヤは芸術家なのか?」
「本業ではないと思いますけど……」
日本文化の特異性をサーシャにどう説明しようか、かなたは思案しかけたが、
「母親」
それまで、おののきながらもどこかコミカルさのあったナカムラアヤの表情が、がらりと深刻なものに変わった。
あまりの変わりように、かなたもサーシャも息を飲む。ルドラだけが、一人爽やかな顔で、背景に星を散らしている。
「無くても困らないからすっかり忘れてたけど、なかなかいいものだねぇ。人間の負の感情って」
「そ、そこまで恐れてる存在なんですか……?」
『本棚』
「ひぃぃ」
『家族会議』
「いやああああ」
ナカムラアヤは恐怖のあまり椅子から転げ落ちた。自分で落ちたことにも気が回らない様子で、耳を押さえて丸くなる。
『いやぁ……連れ戻される……死にたい……』
「いったいなぜナカムラアヤは、ああまで『家族会議』を恐れているのだ?」
「うーん……なんとなく判るような気はするんですけど、わたしもあまり詳しくないので、なんて説明すればいいのか」
サーシャの素朴な疑問に、かなたは困った様子で頬を片手で押さえている。
「……ボクが言うのもなんだけど、そろそろまずいんじゃないの? 思念体に精神的ダメージが蓄積すると、本体の方にも影響あると思うよ? 瀕死の重傷だったりしたら、それこそ死期が早まったりとか」
恐る恐る声をかけるルドラに、シャムハザはにやりと笑い、かがみ込んでナカムラアヤの耳元に囁きかけた。
「ナカムラアヤ、死んだらもう○○○の新刊は読めなくなってしまうよ」
外部からの声を拒絶するかのように耳をふさぎ、首を振っていたナカムラアヤの動きが、ぴたりと止まった。
「○○○だけではない、次の即売会では壁サーの△△△が■剣●▲のグッヅを限定販売するのではないのかい?」
『△△△さん……』
ナカムラアヤが夢見るような表情に変わっていく。今しがたの絶望的な表情が嘘のようだ。
「なんだ? あの呪文のような単語は」
「たぶん、ナカムラアヤさんの好きな『芸術家』さんたちの名前だと思いますけど……」
「それほど彼女にとって、芸術は心の支えになっているのか」
「えーっと……なんと言えばいいのかその……」
かなたはなぜか返答に困っている。一方でルドラも、今はさほど怯えている様子もない。
「急に感情が上向きになってあんまり美味しくなくなったけど、さっきみたいな異様な気配はしないね」
「魔族に異様って言われるのもどうかと思いますけど、なんだったんでしょうね……」
「ナカムラアヤ、●●●●! の録画分もまだ消化してないのだろう?」
『●●●●!』
どうやらアニメのタイトルらしいものを、ナカムラアヤはオウム返しに繰り返した。さっきまでの絶望感は表情から明らかに消え、瞳は期待と希望を映して星のように輝いている。
これが人間の女性の姿のままなら、割と可愛らしい表情になりそうなのだが、なにぶんナカムラアヤはリカルドの体を借りているので、見慣れたかなたたちでも温かな気分で見守るのは難しい。
「生きてさえいれば、自分の愛するものと同じ世界にいることができるんだ。あきらめてはいけないよ、障害は克服するためにあるのだ、ナカムラアヤ」
『生きてさえいれば……』
体を起こしたナカムラアヤに大きく頷き返すと、シャムハザはなぜかルドラを手招きして見せた。
「なんだい?」
「ちょっと手伝ってくれないか?」
「?」
何をする気なのか、怪訝そうながらも近寄ったルドラがナカムラアヤのそばにかがみ込むと、
「ほら、タムラアヤ、ボクは天使で彼は魔族だけれど、今はこうして同じ場所にいることができるんだ」
爽やかに微笑みながら、シャムハザはルドラの肩に親しげに手を回した。
「障害があってこそ絆は深まるんだ。わかるかい?」
『障害……種族の壁……』
「はぁ? 何言って――うわっ」
シャムハザの腕をふりほどこうとしたルドラは、急になにかに怯えた様子で、飛び退くようにナカムラアヤから距離をとった。
当のナカムラアヤは、異様な生命力に満ちた瞳で、ルドラとシャムハザの姿をうっとりとみつめている。ルドラは引きつった顔で、
「こ、これだよ、邪念に満ちてるのに生命力にあふれた異様な気配! こんなの、今まで感じたことがないよ。かなた、彼女は呪術師かなんかなのかい?!」
「呪術師というか……彼女たちはとても上手に一般女性に擬態するので、一部では『忍者のようだ』とも言われますけど」
「ニンジャ……? それは前に聞いた
「そうなんですけど、この場合の『忍者』の意味としては……」
妙なところで食いついてしまったサーシャに、なにをどう説明すればいいものか。かなたが思案している間にも、
『一緒にいるために、人間界に降りた天使と悪魔……なのに悪魔は人間の手前素直になれない……くうぅ』
「何言ってんのさっきからこの子!」
「原稿を完成させて即売会に行くんだ、ナカムラアヤ。今の原稿が終わったら、今度はボクたちのことをお話にしておくれ」
『脱稿……、次のネタ……!』
それこそ天使のような笑顔のシャムハザの言葉に応え、ナカムラアヤの――思念体を宿したリカルドの体が一瞬、光を放ったように、かなたには見えた。
光は煙のようにリカルドの体を離れ、キラキラと輝きながら少しの間宙を漂った後、やがて溶けるように消えてしまった。
「……な、なにをしたんですか?」
かなたはぽかんとした様子で宙を見上げている。
「ナカムラアヤが生きる希望を取り戻したことで、現実から逃避しようとしていた思念体が本体に戻ったんだ。次元の狭間を通りやすくするために、ボクも少しばかり力を貸したけど、帰ろうと思ったのは彼女の意志だよ」
「ならいいんですけど……成仏しちゃったのかと心配しました」
「だーからー! あのナカムラアヤは何者だったの! あの力は何!」
「あれは……」
かなたはこめかみを指で押さえ、しばし言葉を考えた後、
「強いていうなら『想像力』だと思います。ほぼ何もないところから、わずかな要素を用いてひとつの世界を作り出す能力というか……」
「人間の芸術家とは、底知れぬ力を有しているのだな」
サーシャが妙に感心した様子で頷いている。シャムハザももっともらしい顔で、
「あとは、既存の概念にとらわれない大きな愛を感じたね。種族にも性別にも縛られない自由な魂を持っているからこそ、人間社会では生きにくいものを感じていたのだろう」
「シャムハザさん、言ってることがなんだかほんとに天使っぽいです」
「『ぽい』んじゃなくて本物なんだよ、かなた……」
「なんかすごい清らかな魂の持ち主だったみたいに聞こえるけど、だったらあの邪念はなんだったの!」
「魔族なだけに、純粋な魂の輝きには勝てないということではないか?」
「違うよ! あれは絶対そういうのじゃない!」
「はっ……一体私は……」
言い合うかなたたちの輪の中で、まるで夢から醒めたような顔で首を振っている。
「どうして床に座っているんでしょう。私は気でも失っていたのですか?」
「あっ! リカルドさん、大丈夫ですか? なんともないですか?」
「なんだかふらふらしますけど……そうだ、さっきの女性の思念体は、どうなったんですか?」
「彼女は……、リカルドさんの体でシャムさんに話を聞いてもらって、無事に帰っていきましたよ」
かなたの説明は間違ってはいないが、明らかにはしょっている。それでも、リカルドはそれなりにほっとしたようだ。
「そうですか、思念体を長時間分離させておくと、かなり精神力を消耗すると聞きますからね、戻れてよかったです」
「しかし、あのナカムラアヤの言い分だと、かなり大きな事故に巻きこまれたようだが、本体の方は大丈夫なのか? 目が醒めても、死にかけだったり体の一部が欠損していたら、彼女の芸術活動にも差し障るのではないか?」
「さすがにボクにも、彼女の本体の正確な容態までは判らないけど……」
サーシャの質問に、シャムハザはにっこりと微笑んだ。
「彼女にはどうやら、別の所から大きな助けがありそうだよ。人助けはしておくものだね」
「ほう……?」
「今回は結果的に、ルドラの力がナカムラアヤのためにもなったようだし、魔族もあながち捨てたものではないよね」
「そうだな、ナカムラアヤの思念体をリカルドに憑依させたことで、話を聞いてやれたわけだからな」
サーシャとシャムハザの言葉に、ルドラは思い出すのも恐ろしいとばかりに、自分の両腕を抱えて首を振った。
「みんなが気がついてなかったんだから、放っておけばよかったよ! も、もう、かなたの世界の人間の思念体には関わらないからね!」
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