中村綾のケース:3

『女の子が道路に飛び出したのを見て、とっさに体が動いちゃって……』

 リカルドは、さっきまでの『ナカムラアヤ』と同じように、両手をくるくる振り回しながら一生懸命説明し始めた。気のせいか声音も多少甲高い。

『女の子を抱えたところで、トラックの急ブレーキの音が聞こえて、あとはライトの明かりでなんにも見えなくなっちゃっ……、あれ?』

 さすがに唖然とした様子のかなたと、眼鏡を光らせ冷静な視線を送るサーシャに気付いて、リカルド――の姿を借りた『ナカムラアヤ』は、

『聞こえてる? って、なんだか声が変……』

 言いながら、口元を手で押さえ……ようとして、自分の手を見てぎょっとしたようだった。

『な、なに?! トラックに轢かれてこんなことになっちゃたの?』

「いえ、そういうわけではなくて、一時的に今……」

『指も腕も腫れてるし! 全然痛くないけど、これって麻酔とか!?』

「そうじゃなくてですね、あの……」

 おろおろと説明しようとするかなたの言葉など耳に入らない様子だ。どうしようかとルドラが首を傾げていると、すっくとサーシャが立ち上がった。

「ナカムラアヤ、お前は今別の体に入っているだけだ」

『別の体?』

「見ろ」

 つかつかとナカムラアヤの前まで歩み寄り、サーシャは胸ポケットからおもむろにコンパクトミラーを取り出した。差し出された鏡を見下ろしたタムラアヤは、

『え? なにこれ? 新しいスマホかなんか?』

「鏡だ鏡」

『だって、こんなCGみたいなごつい狼人間の顔が……ええ?!』

 思わずコンパクトミラーをひったくり、ナカムラアヤは自分の口の動きと会わせて動く鏡の中のリカルドの顔を凝視している

「サーシャはほんと、鬼のように容赦なく現実を突きつけるよね」

「遠回しに言っても仕方あるまい」

「少しはオブラートってものを覚えましょうよぅ」

「それは食べ物かなにかか?」

「食べ物と言えばそうなんですけど……」

『な、なにこれ!』

 変な方向にずれていきかけたかなた達の会話を、ナカムラアヤの悲鳴のような声が遮った。

『あたし、死んじゃったの?! 死んで、獣人になっちゃったの?!』

「かなたの世界って人間しかいないはずなのに、みんなやたらと亜人の種類に詳しいよね」

「エルフや魔族もすぐ判断するからな、侮れぬ」

『それに、こんなに成長しちゃって! 獣人として生きてたときの記憶が全然ないのはどうして?! 転生前の記憶が蘇ったら、それまでの記憶ってなくなっちゃうものなの?!』

「転生って……ああ!」

 誰の台詞に反応すればいいのか困惑していたかなたは、ナカムラアヤのひとことで、やっとぴんと来た様子で、

「『異世界転生』したと思ってるんですね」

「異世界転生?」

「転生思想の、異世界間版です。通常の転生思想と違って、異世界転生をすると、転生前の記憶がはっきり残っていて、前世での経験がそのまま活かされるという考え方をする人が多いです」

「なにその死の概念全否定な思想! そんなことできたら、僕らやエルフみたいな長命の種族の存在意義ないじゃない」

「人間は寿命が短いからこそ、生まれ変わりに希望を抱く傾向が強いんですよ。でも、今回はリカルドさんの体を借りてるだけですし……亡くなられて、魂が世界間転移したとしても、いくらなんでも転生まではうちの守備範囲外ですよね……」

「そもそも僕、その子が、死んだ人間の残留思念のようには思えないんだけどなぁ」

 相変わらず一人で喋り続けているナカムラアヤと、それを冷ややかに見守るサーシャを眺め、ルドラは首をひねった。

 かなたが知る限り、魔族やエルフといった長命の種族には『転生』も『幽霊』の概念も無いようで、人間の言う『幽霊』は残留思念と認識されるようだった。

 ちなみに、死んだ人間が同じ記憶と意識を保ったまま新しい体を与えられ、天界や地上に改めて生を受けるのは、転生ではなく『復活』『再生』の域にはいるらしい。

「死んでないとしたら、まだ体は生きてるって事ですか?」

「そんな感じはするんだけど、本体から分離した思念体が、異世界でもはっきり形を保ってられるものなのかなぁ。僕ら魔族でも、あまりにも本体と遠く離れると、思念体が形を保てなくなるもんなんだよね。……あ」

 ふとなにかに思い当たったらしく、ルドラはぽんと手を打った。

「こういうのにうってつけなのがいるじゃない」

「えっ」

「もうすぐ帰ってくるって連絡があったんだよ、予告はいらないからさっさと来いって言ったんだけどさ。ほら」

 ルドラが言っているそばから、小さな鈴の音がして、従業員用の通用口の扉が開いた。

「やぁ! 今帰ったよ、ボクの愛する仲間達!」

 まるで映画のワンシーンのように右腕を大きく広げながら、短いアッシュブロンドの髪の、くっきりとした目鼻立ちの青年が入ってきた。顔立ちははっきり整っていて表情豊か、割とがっしりした体格の、『欧米風ハンサム』だ。

 身につけているのはデニムのパンツに、鍛えた体つきがはっきり判るぴったりとしたシャツ、そして薄手のデニムシャツ。左手にアタッシュケースを持ち、腰にはホルスターまで装着している。見た目だけなら、某国の諜報員と名乗っても違和感がなさそうに思えた。

 背中に生えた二対四枚の豪華な翼さえなければ。

 リカルドでも難なく通れるほど大きな扉も、その大きな翼が幅をとっているせいで、通れるかどうか妙に心配になってしまう。

 彼は翼人族――というか、どう見ても天使だった。

 頭の上に輪っかはないが、あのイメージはもともと、地球世界独特のものだ。

「ああ、シャムハザさん、おかえりなさい」

「ただいま、かなた! 今日もオダマキの花のように可愛らしいね、そっと胸ポケットに納めて持ち帰りたいくらいだ」

 最初のただいま以外は、横棒を引っ張って削除したくなるようなことをすらすら言いながら、シャムハザはごく自然にかなたの肩を抱き寄せて頬に唇を寄せた。もちろん実際に触れはしない。欧米のドラマや映画ではよく見る挨拶だ。

 日本人ならパーソナルスペースに侵入された時点で鳥肌が立ちそうな行為だが、かなたもすっかり慣れっこになっていて、照れて身をすくめることもなければ顔色ひとつ変えない。むしろ迷惑そうですらある。

「来たばっかりで帰られても困りますよー。新規提携予定先の調査が完了してよかったですね」

「ああ、これで安心してルドラに外営業を任せられるよ。ルドラがいない間は、ボクがこの小さな花畑の守護者としてかなたたちを見守るから、安心しておくれ」

「なんで必ず余計な台詞が後ろにくっつくかなぁ。これが小説だったら、担当さんに『くどいから削除』って赤線引っ張られちゃうよ」

「はっはっは、ルドラは時々面白いことを言うな、ボクのように魅力的な登場人物は物語のエッセンスとしてとても重要だろう」

「エッセンスどころか汚染物質みたいになってるよ……」

 馴れ馴れしく肩を組まれ、ルドラは迷惑そうに呟いている。どう見ても天使と、明らかに魔族の組み合わせだが、シャムハザはあまりルドラの種族にはこだわりはなさそうだ。

「ところで、今日のリカルドは妙に声のトーンが高いようだが、巨体を利用してソプラノの歌手でもめざし始めたのかな?」

「あ、あれは……」

 中に別の人が入っている事をどう説明しようか、かなたは少し悩みながらタムラアヤに視線を戻し、目をきょとんとさせた。

 さっきまで、混乱した様子でサーシャに向けて喋り続けていたナカムラアヤが、驚いた様子でシャムハザを見つめているのだ。

 あれが人間の女性の姿なら、『夢見るような』とでも表現すればいいのだろうが、体はリカルドだ。潤んだ目で背景に花を乱舞させる姿は、かなたですら言葉を失った。

 あからさまな『天使』が現れたことに驚いている――と言う様子でもない。よほどシャムハザが、ナカムラアヤの好みの外見をしているのだろうか。

 気付いたらしく、シャムハザに組まれた肩をふりほどいたルドラも、同じように目を向ける。

『ツンデレ魔族と、溺愛天使……? 男女博愛主義の天使に嫉妬する魔族の青年……』

「なんだ?」

『あっ』

 うっかり口から漏れ出た声をサーシャに聞きとがめられ、ナカムラアヤははっとした様子で口元を押さえた。

『あの、あたし、この世界での記憶を失ってるみたいなんですけど、皆さんとはどういう関係なんですか……?』

「だからひとの話を聞いていたか? お前は獣人として生まれ変わったわけではない、なんらかの理由で思念体が本体から分離して、こちらの世界に飛ばされてきただけだ」

『前世の記憶が蘇ったとたん、獣人としての記憶がなくなったみたいで……』

「そうではないと言っているだろう」

 ナカムラアヤは、さっきまでとはうってかわって落ち着いている。相変わらず自分は『異世界転生』をしたと思っているようだが、話しているそばから、チラチラとルドラとシャムハザの様子を伺っているのが、かなた達から見てもありありとわかった。

 シャムハザはナカムラアヤを見て何度か目を瞬かせ、

「リカルドから、知らない人間の女性の気配を感じるね。なんとなく、事情は判った気がするけど……」

「ルドラさん、どうしたんですか?」

「いや……リカルド……の中にいる思念体の彼女から、ぞわぞわするものを感じるんだ」

「ぞわぞわ?」

「ふーむ……」

 急に落ち着かなくなったルドラと、話しながらも相変わらずこちらをチラチラ伺っているナカムラアヤを、かなたは不思議そうに見比べる。

 シャムハザは少しの間首を傾げた後、何を思いついたのか、

「そういえばその角、また伸びたんじゃないのかい? 角の先が痛んでいるように見えるが?」

「え?! てかこないだ手入れしたばっかりなんだから触らないでよ! シャムハザに触られると光沢が弱まるっ!」

 角に触れると言うよりは、頭を撫でるような仕草で手を伸ばしたシャムハザの手をルドラが払う。

『久しぶりの再会が照れくさい魔族の青年と、可愛がりたい天使……。この後で必ずデレが来る……ッ』

「さっきからどうしたのだ、ナカムラアヤ」

 口元にこぶしを当ててにやけているタムラアヤに、さすがのサーシャも怪訝そうだ。一方のルドラは、さっきよりも明らかに居心地悪そうな様子で身をすくめた。

「な、なんなのあの思念体の子。さっきまでは驚いて取り乱してただけみたいだったのに、いきなり気配が変わったよ? ものっすごい生命力にあふれた邪念を感じるんだけど」

「邪念って……人間の負の感情は、魔族の方にはエネルギーになるんじゃないんですか?」

「そのはずなんだけど、あの子は今までの人間となんか違うよ? なにあれ?」

「なるほど」

 なにがなるほどなのか、シャムハザはひとつ頷き、

「サーシャよりも、かなたに話を聞いてもらった方がよさそうだよ」

「で、でもあの様子で、わたしの質問にちゃんと答えてくれるか……」

「大丈夫さ、言葉にして答えなくても、ボクはある程度なら人間の思考が読めるから。ほら」

 シャムハザはくどいほど爽やかな笑顔でかなたに微笑むと、立ち上がるのを手助けするようにごく自然にその手を取った。渋々とかなたが立ち上がり、ルドラがやれやれと肩をすくめる。と、

『職場の女の子に親切にする天使の様子を、無関心を装いながらも目で追ってしまう悪魔……。判ってて嫉妬させるとか、天使の癖に小悪魔……』

「えっ? 今……」

 ナカムラアヤの呟きがはっきり耳に届いて、かなたが目をぱちくりさせる。そのかなたの近くに顔を寄せ、シャムハザが囁いた。

「気にしない気にしない、彼女は思念体の状態だから、心の声が外に漏れやすいだけなんだよ」

「心の声……?」

「かなた、さっさと離れないとシャムハザが伝染(うつ)るよ」

 いつものようにからかい気味に声をかけたルドラが、すぐになにかを感じたようにぎくりと身をすくめた。

 一方ナカムラアヤは、好物のスイーツをショウウィンドウ越しに見つめる女子のように、生き生きとした瞳でルドラを伺っている。

 しかし、目の輝き方がどうも尋常ではない。

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