中村綾のケース:2

 ※


「いらっしゃいませ、ハイパティーロ旅行相談所によう……あれ?」


 転移集約ゲートの魔方陣が輝いたのに気づき、反射的に立ち上がって元気な声を上げた雲居かなたは、言葉の途中で目を白黒させた。

 集約ゲートは、通常、誰かが転送されて来ないと開かないし、光らない。

 だが今は、輝いた床近辺には誰もいなかった。

 かなたの声に反応して、カウンター内で作業をしていたサーシャも顔を上げたが、誰もいないのを見て取って、すぐにまた視線を目の前のパソコンモニターらしきものに戻した。

 自分のデスクで、次のツアー内容を予習していたリカルドも、戸惑ってきょろきょろしているかなたを気遣うように視線を向ける。だが、客らしい姿が見えないので、一緒に首を傾げている。

「……お客さんだよ?」

 椅子に座り直そうとしたかなたに、さっきまで話していた電話機らしいものを置いて、爽やか営業マン風スーツ姿の魔族の青年ルドラが声をかけた。

「で、でも……?」

「ああ、君らには見えないんだ? お局様には気配くらい判るかと思ったけど」

「誰がお局だ!」

「僕は、サーシャのことだなんてひとっことも言ってないよ?」

 八重歯をむいて威嚇するサーシャを軽くいなすと、ルドラはぱちんと指を鳴らした。

 とたんに、それまで誰もいないように見えていた床の上に、陽炎のように人影が浮き上がった。

「え? ゆ、幽霊……?」

「思念体だね。死んだ人の残留思念にしちゃ、随分元気そうだけど」

 たいていのことはもう慣れっこのはずのかなたも、いきなり現れた実体のない存在に戸惑っている。サーシャは指で押さえた眼鏡を冷たく光らせ、ルドラを睨み付けた。

「魔族め、また要らぬいたずらで我らをからかおうとしているのではあるまいな」

「やだなー、まだこないだの飲み会の事を根に持ってるの? いくらなんでも仕事場ここであんなことしたら、ボスに怒られちゃうよ」

「一体何をやったんですか……」

 リカルドが突っ込む間もなく、現れた人影は徐々にはっきりとした半透明の姿を形作り始めた。



 色の薄い、立体映像のようなその姿は、見かけは人間の女性のようだった。身に着けているのは、Tシャツにジャージというラフなものだ。

 顔立ちは、特に良くも悪くもない。長めの髪を首の後ろで束ねていて、どちらかというと地味な印象だ。

 彼女は、やっと自分の存在に気付いたかなたに、戸惑った表情でなにか話しかけている。

 ……が、口をぱくぱくさせているのは判るのだが、声が聞こえない。

「なにを言ってるんですか?」

「ああ、声も聞こえないのか。お約束の、『ここはどこ、あなたたちは誰』なんだけど……、へぇー? 事故にあったって言ってるよ」

「事故? 召喚じゃなく?」

「名前は『ナカムラアヤ・二六歳』。かなたと同じ世界の子みたいだね」

「またですか……『日本』人率、ほんと高いですね」

「そのゲートから出てきたのだから、異世界間転移の巻きこまれかも知れぬが」

 モニターらしきものの前で、キーボードのようなものを叩いていたサーシャが、不可解そうに首を傾げた。

「アルトゥーラ接続の直通ゲートが開いた形跡があるな。時間的に見てそのゲートに巻き込まれたようだが、通ったのは八歳の少女だぞ。名前も特徴も全く違う」

「ええ?! 八歳の女の子を召喚ですか?!」

「どうやら、巫女の素質のある娘を捜していたようだな。アルトゥーラでは巫女候補を幼少期から教育する制度がある。召喚された少女は、人ならざるものを感じる感覚が鋭すぎて、親や周りとも上手くいっていなかったようだ。これからは自我が安定するまで手厚く保護されるだろう」

「そ、そうなんですか……」

「だが、そこのナカムラアヤは、巫女の条件には当てはまっていない。召喚された少女ともまったく無関係だった様子だが……」

「はぁ……」

 半透明のナカムラアヤは、一生懸命かなたに話しかけている。相変わらず戸惑った様子のかなたに、

「自分は『とらっく』に轢かれそうになった女の子をかばったんだって言ってるけど…… いちいち通訳するのも面倒だね。誰かの体に入ってもらったほうが、判りやすいんじゃない?」

「え、ええ?!」

「そんなことができるんですか?!」

「かなたの所には、『霊媒』って概念があるだろ、あれと同じだよ。他人の思念体を受け入れるには、素直で純粋な魂を持った器が望ましいんだけど……」

 言いながら、ルドラは三人をぐるりと眺め、

「……サーシャには無理だな」

「どういう意味だ!」

「かなたには彼女に話を聞いてもらわなきゃいけないから……となると」

 ルドラの視線を追うように、かなたとサーシャも目を向ける。

 灰色の毛皮に覆われた、屈強な獣人であるリカルドに。


「わ、私ですか?!」

「確かに素直で純粋と言えば、この相談所ではリカルドさんの右に出る人はいないですねぇ」

「私も、リカルドに勝る素直さは持ち合わせておらぬな」

「え? ええ?!」

「これも客との意思疎通のためには必要なことだ、よろしく頼むよ、リカルド」

 しれっとした顔で、ルドラは言い放った。リカルドはぶんぶん首を振る。

「そ、そもそも本当にお客様なんですか? 思念体で異世界間転移なんて聞いたことないですよ!」

「それは話を聞いてみぬことにはなんとも言えぬ」

「で、でも人様の思念体に体を貸すなんて、しかも相手は人間の女性ですし、もし不安定になって暴走でもしようものなら」

「だーいじょうぶだって、まずいことになりそうならすぐ追い出すからさー」

 聞くほどに大丈夫とは思えない軽さで答えながら、ルドラは指先で空中になにかを描きながら呪文を唱え始めた。あわせて空中に、手のひら大の魔法陣が現れる。

「いやいや! ルドラさんが通訳してくれればまったく問題ない……あっ」

 大げさに両手を振って抗議の声を上げるリカルドの額に向けて、ルドラは完成した魔法陣を指先で放り投げた。

 額に浮かび上がった魔法陣に、『ナカムラアヤ』の思念体が煙のように吸い込まれていく。

 リカルドの動きが止まった。


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