石井誠のケース :4
「えっ?」
誠が瞬きもしないうちに、サーシャの顔がすぐ目の前にあった。
左の二の腕と右肩に痛みを感じるのと同時に、誠の体は背後の壁に向けて突き飛ばされていた。
その体が、五メートルは離れた壁に背中から突っ込む――直前に、背後に大きく展開した魔法陣が、誠の体を空中で受け止めた。
「な、なに?」
「ダメですよサーシャさん、誠さんの動きが全然見られないじゃないですか」
「ああ、すまぬ。だから手加減は苦手だと言っているのだ」
リカルドに咎められ、さっきまで誠がいた場所に立ったサーシャが、あまりすまなそうに見えない顔で答えた。
なにをされたのか、さっぱり判らない。腕と肩に残る痛みよりも、サーシャの動きがまったく目に見えなかったのに愕然として、誠は床にへたり込んだ。リカルドの背に隠れて、おっかなびっくりな様子で見守っていたかなたが、
「サーシャさんは、元はアルフェイム王国騎士団の団長さんだったんです。今でもたまに頼まれて、ハイパティーロ王国軍に指導に行くこともあるんですよ」
「え? ええええ?」
「私が特別強いわけではない。ハイパティーロ王国軍の武術訓練が行き届いていないだけだ」
「いやいやいや! なんでそんなひとが旅行相談所で事務員やってるの!」
「事務員ではない、ツアーオペレーターだ」
「問題はそこじゃなく!」
「この相談所は特殊だからねぇ。でも最低でも、僕らといくらかでもやり合えるくらいの力量はないと、この国じゃ市壁外にひとりで出て行くのも難しいよ」
「最低限って……、勇者が旅立つ最初の町の外にいるのって、チュートリアルを兼ねた低級モンスターっていうのが相場じゃ」
「きみは初心者勇者かも知れないけど、この町はきみが生まれるずっと前から存在してるわけでさ。当然外にいるモンスターも、人間達を相手にしてそれなりにレベルアップしてるよね。僕らはそんなモンスター相手に、更に経験値稼ぎしてきたようなもんなの」
ルドラののんびりした声に、誠は言葉もなく彼らを見回した。
見た感じが既に否応もなく凶悪そうな、アロハシャツ姿の巨大な獣人と、元女騎士の眼鏡エルフ事務員、それに山羊の角を生やした営業マン風魔族の青年。見た目のちぐはぐさが、今は逆に不気味にも思える。
そして、獣人の陰に隠れるように、自分たちを見守っている、小柄な人間の女性。唯一、ごくごく平凡な姿だが、
「その人も、すごく強かったりするの?」
「え?」
リカルドの陰から様子を見ていたかなたは、誠にまっすぐ見据えられて目を白黒させた。
小柄だからといって侮る気はないが、名前からして日本人のようだし、未知の技能を持っているようには見えない。剣道や柔道の達人なのだとしても、サーシャのように、目にもとまらぬ動きをすることもなさそうだ。
少なくともサーシャよりは、手合わせとしてまともな形になりそうな気がする。
だが、誠の心中を察したらしい三人はなぜか目配せし合い、
「……かなたは……」
「悪いことは言わぬ。やめておけ」
「かなたちゃんは……うん、ダメですね」
「そ、そんなに強いの?!」
「そんなことないですよぅ、お客様を無駄に怖がらせないでくださいよぉ」
困った様子のかなたが抗議の声をあげるが、
「いやぁ、強い強くないのレベルの話じゃないんだよ。なんというか……」
「自分の実力を目の当たりにしたときの衝撃に、並みの人間が耐えられるとは思えぬ」
「知らない方がいいことが、世の中にはあると思うんですよ……」
「もー! 皆さんやめてくださいー!」
いっきにどんよりし始めた場の空気をかき消そうと、かなたが両手を振り回して声を張り上げる。
ひょっとして、精神攻撃のスキルでもあるのだろうか。さすがに気味が悪くなってきた誠に、リカルドがなぜか焦った様子で、
「や、やっぱり、私も手合わせしましょうか? 私相手なら、ほら、悪いモンスターだと思って、ためらわずかかってこられますよね?」
「そ、そうだな。リカルドならその程度の模造剣で幾ら殴っても、気に病むこともないぞ。客よ、お前の実力を見るためだ、そうせぬか」
「リカルドなら、サーシャと違ってちゃんと手加減もできるからさ、そうしなよ。ね?」
「あ、はい……」
実力を見るためと言うより、誠をなだめるような空気になってきた。あの人間の女性は、それほど彼らにとって恐るべき存在なのか。
「じゃあ、私はなるべく防御に徹して、誠さんの攻撃スタイルを見ると言うことで……よろしくお願いしますね」
「よ、よろしくです……」
なんだかレベルにあわせた入門試験を受ける気分だ。竹刀を拾い上げ、立ち上がった誠を、部屋の真ん中に進み出てきたリカルドが、気遣うように微笑んだ。
「それで、……手応えはどうでしたか?」
十分後。
一気に消耗した誠に、かなたが心配そうに訊いてきた。
カウンターの椅子に座らされ、水を飲まされているが、正直、手足がおぼつかなくて座っているのもコップを持つのも辛い。床に転がらないのは精一杯の見栄と意地だ。
「手応えって言うか……」
「動き自体は、悪くなかったと思いますよ」
よれよれの誠とは対照的に、軽い運動をした後のような爽やかさで、リカルドが答える。
確かに、自分だけが動いていたような気がする。
竹刀を振りかざし、どれだけ多方面から挑んでも、素手のリカルドが爪楊枝でもつまむような軽やかさで竹刀の先端を捉えてしまうのだ。あれだけ体が大きいのに、掠るどころか、リカルドは避けてもいないのに、竹刀を当てることができない。しかも一旦掴まれると、どんなに力を入れても動かすことすらできない。
「ただ、やはり力と速さが不足していますね。あと、動きが大きくて判りやすいので、どこを狙っているかがすぐ判ります」
「そうだねぇ、構えの基礎はできてるみたいだけど、それを応用できるレベルではなさそうだね」
「持久力もいまいちだな。この短時間でへばってしまっては、相手を消耗させて隙を突くこともできない」
指導を受けると思えばとても親切な言葉なのだろうが、とても剣で生活できるといわれているようには思えない。誠はだんだん気持ちがしぼんできてしまった。
「筋は悪くはないが、戦いを生業にしたいというのなら、やはり兵士として一から訓練してもらえる所がよいであろうな。金も実力もない平民でも、兵卒としてなら受け入れてくれる国は多いぞ」
「へ、兵士?!」
「今の実力で、いきなり傭兵になるのは無理だろう、装備を揃える金もないであろうし」
「傭兵って」
「お前達の言う勇者とは、旅をしながら、頼まれて盗賊や害獣を倒したり、護衛のようなことをして報酬をもらうのであろう? 傭兵と変わりないではないか」
「そ、それはそうだけど」
誠のイメージしていたのは、気ままな旅の合間に、村や町の問題ごとを片付けたり、軽い仕事を請け負ったりと、ゲームの「クエスト」をこなしていくようなものだった。傭兵と言われてしまうと、一気に命がけの血なまぐさいものに思えてしまう。夢などかけらもない。
しかもそうなるためには、もっと地道な訓練が必要だと言われているのだ。ファンタジーの世界なのに。
「大丈夫だ、少し未開の世界に行けば、お前くらいの年頃から士官している者は大勢いるぞ。その中で突出した功績を挙げていけば、いずれ地位と富を得て気ままな生活をすることも不可能ではない」
「いずれって、どれくらいだよ!」
「んー? 人間なら三十代四十代くらい? 後進世界の人間の寿命は長くて五十歳程度だから、折り返しをとっくにすぎてる年齢だけどね」
「え、ええ……」
「功績を挙げやすい国は、イコール戦争の多い国って事だから、兵士の死亡率も高いけどねー」
「……」
脳天気なルドラの声に追い打ちをかけられ、誠はもう言葉もない。
はらはらした様子のリカルドに目配せされ、かなたは気遣うように微笑んだ。
「どうします? 今の実力を踏まえた上で、戦うことを生業にできるような移住先を探してみますか?」
その笑顔が、帰り道に声をかけてきた高梨とだぶった気がして、誠ははっと胸を突かれた。
高梨は剣道がとても好きだった。
部活動がない日は解放された気分で遊びに行ったり、家でだらだら過ごす自分とは違う。地元の道場にも通っているというのも聞いていた。部活も道場も休みの日は市営のスポーツジムに通っていて、何度か誘われた記憶もある。もちろん一緒に行ったことはない。
人一倍努力していたからこその強さだったのに、それを鼻にかけることはなかった。
それどころか、できる努力もしないで文句ばかり言ってた誠を励まそうと、帰り道に声をかけてくるような奴だったのだ。
「……ごめん、俺、帰りたい」
誠は少し弱々しい声で答えた。
異世界で気ままに楽しい勇者ライフ! という夢がただの妄想だったと気付かされたのが恥ずかしくなった、というわけではない。
「俺も、高梨ぐらいに頑張れば、まだまだうまくなれるような気がする。筋は悪くないって、言ってくれただろ」
「圧倒的に訓練と経験が不足しているが、形はできているな」
「そうですね、普段から鍛えて体力と筋肉をつければ、もっともっと伸びると思いますよ」
淡々としたサーシャの声は、愛想がないだけに真実みがあった。頷くリカルドも、励ますために言葉を選んでいる様子はない。
「なぁんだ、もう終わり? せっかく骨のある人間が来たと思ったのになぁ」
「代わりにお前の性根を私がたたき直してやってもよいのだぞ」
「これ以上直せるところはないよー」
サーシャに睨み付けられ、ルドラは首をすくめる。その様子と、来たときよりも顔つきの変わった誠を見比べ、かなたはにっこり微笑んだ。
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