石井誠のケース :3

「ま、まぁたいしたことがなくてよかったです」

「よくないよ!」

 引きつった笑顔でまとめようとするかなたに、カウンターの椅子に座った誠が即答した。

 顔面にはくっきり足跡がついている。

「なにをいう、私がサンダルだったからその程度で済んでいるのだぞ。これがピンヒールやパンプスだったら、その額に穴が開いていたところだ」

「そういう問題じゃないから!」

「まぁまぁ、後で治癒魔法が使える職員を呼びますから、すぐ足跡は消えますよ」

 澄ました顔でモニターらしきものの前で作業を続けるサーシャの代わりに、横からお茶を差し出しながらリカルドが微笑んだ。灰色の毛皮に覆われた屈強な獣人を間近にして、さすがに誠の威勢の良さが半減する。

 少し離れた場所で、客用の椅子に腰掛けて誠の様子を見ていたルドラが、面白そうに声を上げた。

「おやー? この人間はいつもの『なんなんだここは!』ってやらないね。僕らを見ても混乱した様子がないし、きみ、自分の状況把握してるの?」

「そりゃあ、あんな風に召喚されれば……」

「あんな風?」

 思い返すと、改めて言葉で人に説明するのはなかなか恥ずかしいシチュエーションだ。それでも、相手がファンタジーの住人ばかりだから大丈夫だと自分を励ましながら、誠は魔法陣が現れたときの状況を説明した。

 聞き終えて、ルドラが首を傾げた。

「『ちゅうにびょう』ってやつ?」

「違うって! 確かにそんな言葉の後にここに飛ばされたんだ! ……あれ? でも高梨は?」

「『タカナシヒデハル』なら、お前がここに転移してきたのと同時刻に、ディオコスチ直通の召喚ゲートを通過しているな」

 モニターらしきものを眺めながら、サーシャが説明する。

「高梨は別の場所に召喚されたのか?!」

「いえ、別の場所にというか……」

 勢い込んで訊ねた誠に、かなたは少し言葉に困った様子で言い淀んだ。

「たぶん、というか、九割九分、召喚されたのはその『タカナシヒデハル』さんです」

「ええ?! だってはっきり聞こえたよ、『目覚めよ選ばれし勇者、世界はお前を必要としている』って」

「『ちゅうにびょう』?」

「違うから! 妄想とかじゃないから!」

「だから、その言葉自体が、タカナシヒデハルさんへのものだったんです。召喚された本人なら、こんなところにはじかれてきたりはしないんですから」

「え? ええ……?」

 自分は伝説のなんとかに選ばれたと思って張り切っていた誠は、申し訳なさそうなかなたの顔に、動揺して言葉を切った。更に、顔を上げたサーシャが、

「客よ、ひょっとしてタカナシヒデハルは、お前以上に『ケンドー』の実力のある少年なのではないか?」

「えっ?」

「お前が気絶している間にかなたに聞いたが、その模造剣は『ケンドー』という武術で用いるものだそうだな。お前の構えも、まるっきりの素人ではなさそうだったので、つい反応してしまったのだが」

「あ、ああ……。確かに、高梨は県大会でも上位クラスの実力者だし……俺は、……一応レギュラーに入るくらいだけど」

「なるほど」

 サーシャはひとつ頷き、またモニターらしいものに目を戻した。あまり誠自身には関心なさそうな顔で、キーボードらしきものをカタカタ操作している。

 のぼせていた頭に冷や水をかけられたような気がして、誠は黙り込んだ。

 足元に魔法陣が現れて、あの声が聞こえたときは、驚きもしたけれど、それ以上に嬉しいという気持ちもあった。

 部活動では同じ場所に高梨がいるから目立たないだけで、自分もそこそこ実力はあると思う。

 それを、謎の声に認めてもらったような気がしたのだ。

「……俺、どうなっちゃうの? あんたの言い方だと、俺、高梨の召喚に巻きこまれてきただけみたいだけど」

「かなたの世界の人間は、ほんと飲み込みが早いなぁ。学校で異世界召喚魔法のこととか教えたりするの?」

「そんなわけないですよ! ただ、日本はサブカルチャーが多様で、想像力を刺激する娯楽がたくさんあるんです。……って、ルドラさん、話が脱線しちゃうから少し黙っててください!」

「はぁい」

 かなたに叱られて、ルドラは首をすくめ、客用のキャンディーの小箱に手を伸ばした。

 かなたは改めて誠に向き合うと、

「で、誠さん、このハイパティーロ旅行相談所では、あなたのように、『召喚に巻きこまれたけど、次元の壁にはじかれてしまった』異世界からのお客様の保護をしています。現地まで行けずにハイパティーロ近辺で次元の壁にはじき落とされた人たちは、張り巡らされた転移中継フィールドに受け止められ、さっきあなたが出てきた場所に転送されてくるんです」

「……そんなことをしなきゃいけないほど、巻きこまれて迷子になる人って多いの?」

「割と多いですよ。その中でも、なぜか地球世界の日本から来る方を、年に数人は必ず保護します」

「へぇ……」

 それはやはり、ネット小説で異世界召喚ものがブームになっているのと関係あるのだろうか。誠がぼんやり考えていると、

「私たちは、滞在期限の三日間の間に、あなたが別の世界に移住するか、元の世界に戻るか決断するお手伝いができます」

「えっ? ほかの世界にも行けるの?!」

「行けますよ、どの世界に転移するにしても、転移魔法で消費する魔力は同じですから」

「なにそれ! すごいじゃん!」

「ただ、転移は一度きり……」

「じゃあ、俺、自分が勇者になれる世界に行きたい!」

 横から補足しようとしたリカルドの声を遮って、誠は真剣な声でかなたに答えた。

 なぜか、微妙な空気が辺りに漂った。

 口の中であめ玉を転がしていたルドラが、

「……『ちゅうにびょう』?」

「違うから! あんたそれ三回目!」

「えーっと、……それは、優れた戦士として活躍できる移住者を求めている世界に行きたい、ということですか?」

『勇者』と言う単語を割と現実的な言葉に変換しつつ、かなたが問い返す。誠は頷いた。

「このエルフの人だって、俺のこと、まるっきりの素人ではなさそうだって言ってたじゃないか。日本じゃ、武術で強くなればなるほど、それを試合以外で使える機会は少なくなっていくんだ。普通に就職なんかしたらなおさら、会社に剣道部なんかあるところは少ないしさ。俺は、もっとこう、ファンタジーRPGみたいに剣一本で喰っていくような、かっこいい生き方をしてみたいんだよ」

「やめておけ」

 横から、サーシャが静かに言い放った。

「心得はあるのだろうが、所詮娯楽(スポーツ)としての武術であろう。ましてや、その娯楽の世界でもそこそこ程度の実力なのに、命を賭けた実際の戦闘で役に立つものか」

「そんなの、やってみなきゃ判らないだろ!」

「さっきお前は、私の蹴りすら避けることができなかったではないか」

「そ、それは不意を突かれたからで……」

「まぁまぁサーシャ、決めつけはよくないよ」

 おろおろして声のかけられないかなたとリカルドの代わりに、ルドラが無責任な笑顔で口をはさんできた。

「そこまで言うなら、ちょっと試してみればいいじゃない。この人間から見たら、僕らだって立派なモンスターなんだろ? 僕らの相手にならないようじゃ、どの世界に行ったって通用しないだろうし」

「ふむ……」

 ルドラの言葉など即座に却下するかと思ったら、意外にもサーシャは思案するように黙り込んだ。

「ね、かなた。せっかく来たんだし、手合わせぐらいさせてあげたら? 彼の世界では、人間以外の種族は存在しないんだろう? これもいい経験じゃないの」

「そ、そうかもしれないですね。異国ならではの経験って、旅には大事ですよね」

「でも、怪我でもさせたらどうするんですか」

「僕が防御魔法をかけてあげるよ。さっき彼がひっくり返ったのだって、僕がとっさにかばったから、顔に足跡だけで済んでるんだし」

 心配そうなリカルドに軽く答え、ルドラは誠に目を向けた。自分の発言がきっかけとはいえ、思わぬ展開に、誠も戸惑っているようだ。

「客、それでいいか? どのみち、戦いを生業にした生活ができる世界に本気で行きたいというのなら、斡旋先にお前の実力をある程度説明せねばならぬからな」

「あ、ああ……」

「決まりだねー。じゃあ、リカルド、サーシャ、僕の順でどう?」

「私が貴様より下だとでも言うのか!」

「やだなぁ、どう見てもこの人間は魔法耐性なさそうだもの、僕が圧倒的に有利に決まってるでしょ」

「……そういうことなら、いたしかたあるまい」

「じゃあ、最初は私ですか……。その前に、この辺りを少し広くしましょうか。机にぶつかったりしたら危ないですし」

「あ、いや、ちょっと待って!」

 気乗りしない様子のリカルドが、手合わせのための空間を作ろうと動き始めたのを見て、誠は慌てて声を上げた。

「いきなりこの人はいくらなんでも無理でしょ? こっちはモンスター戦初心者だよ?!」

「しかし、一番手加減というものを知っているのはリカルドだぞ」

「いやいや! どう考えてもラストダンジョンでエンカウントするモンスターみたいなレベルでしょ!」

「中ボスとかエリアボスとか言われないのが、かなたの世界での獣人族の扱いを物語ってるよね」

「すみません……いろいろと偏ってて」

「やっぱり、人間からみたら私の姿は怖いですよね。無理もありません」

 寂しそうな顔でリカルドに頷かれ、なぜか誠は胸に微妙な痛みを感じた。しかし、灰色の毛皮に筋肉だるまの巨漢狼獣人がアロハシャツ姿で立っていると、やはり迫力の方が勝る。

「私は飛ばして、サーシャさんからでお願いできますか」

「しかし……」

「獲物がその模造剣なら、彼の実力を見るにはサーシャの方がいいかもしれないね」

 ルドラの笑顔は相変わらず軽い。誠の言い分など実はどうでもよく、単に面白いことになりそうだと思っているだけなのかも知れない。

「動きを前もって見ておきたかったが、いたしかたあるまい。客よ、私が相手をしてやるから、本気で掛かってくるがいい」

「は、はぁ」

 サーシャはすっくと立ち上がった。手近にあったプラスチック的なモップからブラシを外し、柄を片手にカウンターから出てくる。

 どうやら棒状武器の扱いに心得があるような様子だ。

「じゃあ、誠さんは竹刀を持ってそちらに」

 リカルドが接客用スペースのテーブルや椅子を寄せると、ゲートのために空けられている場所もあわせて、教室半分くらいの広さができた。割と天井が高いので、竹刀を振り回しても照明にぶつかることはなさそうだ。

 言われるままにスペースの中央部分まで進み出る。モップの柄を持ったサーシャも、誠に向き合った。

 こうしてみると、サーシャの服装は、典型的なOLだった。サンダルだとさすがに動きにくいのか、今はストッキング裸足はだしだ。異世界にもストッキングがあるのは少し不思議な気分だが。

「ダメージ緩衝の魔法をかけるから怪我はしないけど、攻撃で受ける衝撃と痛みはそのまんまだからね」

 カウンター内に退避したルドラにそう言われて、誠は多少戸惑った。剣道の練習中でも打撲を受けるときはあるが、防具がまったくなしというのはさすがに心細い。

 だが、

「私には要らぬぞ。掠ることもないだろうからな」

「はいはい」

「誠さん、あくまで実力を見るための手合わせですからね、無理しないでくださいね」

 クールなサーシャの態度とは逆に、かなたは気遣わしそうに様子を見ている。なんだか馬鹿にされたような気がして、誠はむっとした顔で頷いた。

 サーシャは片手に持ったモップの柄を、形ばかり誠に向けて構えている。

 さっきは異常な身軽さで驚いたが、さほど警戒しなければいけない相手には思えなかった。

 ルドラが誠に向けた指先を軽く動かして、宙になにかを描いた。

「いいよー、開始のかけ声とかあったほうがいい?」

「構わぬ。客よ、自分のタイミングで全力でかかって来るがいい」

 ファンタジーRPGでよく見る、正々堂々とした敵キャラのような言動である。誠は怠りなくサーシャを見据えたまま、竹刀を構えて足を踏み出し――

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