石井誠のケース :2

「ねーねー、かなた」

 一見、ごく普通の旅行案内所にしか見えない広い室内。

 アロハシャツを着たリカルドの肩に担がれ、壁の高い場所で剥がれかけたポスターの一角に手を伸ばす雲居かなたに、スーツ姿の青年ルドラが声をかけた。

 ルドラは深い青色の髪を持つ、一見爽やか営業マン風の好青年だが、頭に生えた山羊の角が、彼が魔族であることを特徴づけている。

 ルドラは、かなたに頼まれて、相談所の壁に貼られたポスターを貼り直す位置を後ろから見てやっているのだが、どうにも気が乗らない様子だ。

「そういうのは、シャムハザが帰ってきたらやらせなよー。あいつ、空を飛ぶくらいしか役に立たないんだから」

「あんな大きな翼、ここで広げられても迷惑だ」

 パソコンのモニターらしきものの前で、カタカタとキーボードのようなものを叩きながら、美人眼鏡エルフ嬢サーシャが冷ややかに口をはさむ。

 銀の髪と尖った耳が大きな特徴だが、今はかなたと同じ制服姿で、事務員にしか見えない。

「シャムハザは翼で飛んでるわけじゃないよ、あれはただの飾り」

「シャムハザさんが戻る前にお客様が来ちゃったら、どうするんですか」

 画鋲を片手に、届きそうで届かないポスターのヘリに手を伸ばしながら、かなたが答える。

 リカルドは身長二メートルを越す屈強な狼系の獣人だ。本当はルドラのようにスーツを着たいようなのだが、あのごつい体格に黒いスーツなど着せたら、客が怖がって寄りつかなくなってしまう。代わりに営業所内でも違和感なく着られて、サイズ展開も豊富なアロハシャツを制服代わりに着せられている。

 一方、肩に乗せられているかなたは、人間の成人でも小柄な、一五〇センチギリギリあるかないかの身長だ。リカルドの助けを借りても、天井近くに貼られたポスターの角に、届きそうでなかなか手が届かない。

「いくらリカルドが大きくても、かなたは小さいんだから危ないよ。ほかの誰かが帰ってきたらやらせなよ」

「そこまで言うなら、お前が代わればよいではないか」

「えー? やだよ、リカルドに担がれても楽しくないじゃない」

「これだから魔族は……」

「かなたちゃん、難しそうなら脚立でも借りてきましょうか?」

「でも、あとちょっと……きゃっ」

 気遣うリカルドの肩での上で、一生懸命腕を伸ばしていたかなたが、不意にバランスを崩した。転げ落ちそうになるかなたの体を支えようと、リカルドが慌てて手を伸ばす。

 それにあわせるように、相談所内に広くとられた空間の床が、強烈な光を放ち始めた。転移中継フィールドが、次元の壁にはじかれた誰かを拾い上げたのだ。


 魔方陣を描いていた光がおさまると、そこには紺色の剣道袴姿の少年が姿を現した。

 片手には袋に収まった竹刀を持ち、いでたちはそれなりにかっこいいが、今まで現れた『客』達と同じように、状況の変化についていけず呆然とした様子だ。

 その目が、リカルドの肩の上で支えられたままのかなたを見たとたん、生気を取り戻した。

「あっ、いらっしゃ――」

「怪物め! その子を離せ!」

 少年は素早く竹刀袋から竹刀を引き抜き、リカルドに向かって駆けだした。かなたとリカルドは揃って目をぱちくりさせる。

 眉を上げたルドラが、指先で宙になにかを描く仕草を見せた。だがそれよりも一瞬早く、それまでカタカタとキーボードらしいものを操作していたサーシャが立ち上がった。

 彼女はデスク代わりのカウンターに片手をつき、立ち上がりながら床を蹴って軽々と跳躍した。竹刀を振り上げながらリカルドに迫っていた少年が、はっとしてサーシャの方に顔を向ける。

 その顔面を、サーシャがサンダルの底で踏みつけた。

 棒立ちになった少年の顔から、サーシャはすばやく離脱して、空中で身をひねりながら少年の背後の床に華麗に着地した。ルドラがその向こうで、『10点』と書かれた謎のボードを頭上に掲げている。

「お、お客様になにやってるんですかサーシャさん!!」

 かなたが大声を上げるのと同時に、目を回した少年が、床にひっくり返った。

「ああ、剣のようなものを持っていたので、つい」

「ついじゃないですよー!」

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