田中和美のケース:4

「じゃ、じゃあお気をつけて」

「転移ゲートで元の場所に送り返すだけなのに、なにを気をつけるのだ」

「よ、よかったらまたいらしてくださいね」

「まず無理だろう」 

 自動ドアの前に並ぶ、雲居とリカルドの気まずそうな挨拶に、カウンターに座ったままのサーシャが冷ややかに突っ込んでいる。現れたのと同じ、何もない真っ白な丸い部屋の真ん中に立ち、カバーの掛かったラノベを抱えて、和美は頭を下げた。

「ど、どうもお邪魔しました……」

 それ以外に言いようがなかった。なんともいえない疲労感が肩に重くのしかかる。

 夢の世界に来たはずなのに、見たくもない現実を見せられた気分だ。夢は夢のままで楽しんでいたほうがよかった。

 すぐに、床が白い光を放ち始めた。来たときと似ているが、微妙に模様の違う魔法陣が浮き上がる。和美はギュッと目を閉じた。




「……三日間、滞在猶予があったんですけどねぇ……」

 和美の姿が消え、転移ゲートが完全に動作完了したのを確認して、雲居は思わずため息をついた。

「ハイパティーロだっていい所なんですから、帰る前に観光くらいしていけばよかったのに」

「あんな頼りない性根の少女に、中途半端に期待を持たせる方が残酷だろう。死んでも戻りたくないという事情があったわけでもなさそうだし、さっさと帰してやるのが一番だ」

「サーシャさんらしくて素敵な姿勢だと思いますけど」

 苦笑いしながら、リカルドが答える。

「いつも思うんですけど、『ニホン』の若い人って、異世界に逃避したいほどせっぱ詰まった事情もないのに、よく巻きこまれてきますよね。その世界に愛着や執着がある人は、そう簡単に巻きこまれたりしないんですけど」

「どうして、なんでしょうねぇ……」

 そうは言いながら、雲居には理由が判っていそうな表情だった。サーシャは眼鏡を直すと、黙ってモニターのようなものに視線を戻した。

「なんだ、またお局エルフの人間いびりかい?」

 そのサーシャの頭を、後ろから丸めた書類で軽く叩き、青髪の青年があきれ顔で声をかけてきた。

「人をお局呼ばわりとは何事だ口先魔族めが! 黙って見ていただけの癖に、いなくなってから口をはさむな!」

「見てただけなんてひどいなー、僕はサーシャが人間の女の子をいじめてる間、必死で商談をまとめてたわけじゃない?」

 八重歯をむいて威嚇してくるサーシャを、たいして気にした様子もみせず、青年は丸めていた書類を広げて見せた。

「大口の相談予約を取り付けたんだぞ。リグラーデからウランハンへの往復転移依頼と現地滞在二泊三日、ツアーコンダクター同行希望。魔導師研修に伴う練金術施設見学が主な希望だって。有能なツアーオペレーターさんに、早めに見積もりを出して欲しいんだけど」

「言われなくても私の仕事はお前などより早くて正確だ」

「あっ、わたしも現地情報収集しまーす」

「いい人達だといいですねぇ」

 ひったくるように書類を受け取ったサーシャと、元気よくカウンターに戻っていく雲居を眺め、リカルドはほっとした様子で目を細めた。


 ※


 和美が『ハイパティーロ旅行相談所』にいたのは、ほんの数時間だった気がするが、元の場所に戻された頃には真っ暗になっていた。

 帰りが遅くなって両親から大目玉を食らったものの、本屋で立ち読みをしていて夢中になってしまったのだと平謝りし、和美自身はなんとかその場をしのいだ。


 学校ではしばらくの間、忽然と行方不明になった『タケナカカズエ』のことで大騒ぎだった。

 もちろん説明なんかできないので、和美は傍観者を貫いた。大会を控えていた優秀な選手がいなくなり、マスコミも学校もしばらく騒然としていた。ご両親も相当憔悴しているという話だ。

 和美はその後、ネットもマンガもゲームもラノベも息抜き程度にして、それなりに勉強もするようになった。

 今ここで少しくらい努力をしておかないと、異世界どころか今の世界にも愛想を尽かされかねない。

 面倒で投げ出しそうになる時は、きっつい眼鏡エルフ嬢サーシャに言葉を思い出せば、不思議と気分が持ち直した。

 

『タケナカカズエ』の行方は、未だに判っていない。

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