田中和美のケース:3
「……はぁ?」
「異世界間の召喚魔法とは、たとえれば、世界を隔てる次元の壁に一時的に穴をあけ、そこからわっかを作ったロープを投げて召喚対象を引っかけるようなものです。次元の壁には修復作用があるので、あまり長く穴を開けたままにはできません。それに普通は、一人分の幅しかないんです。そこを、二人の人が一緒に通るわけですから、つっかえないわけがないですよね?」
「そ、そりゃまぁ……」
「穴がふさがる前に来てもらわないと困るので、召喚する側は必死でロープを引っ張ります。もし一緒に落ちたのが召喚された人の知り合いだとすれば、その関係性がお互いをぎゅっと抱き合わせるので、一緒に引っ張られて通ってしまうんです。でも、これがまるっきり無関係な人だと、一緒に引っ張ってもらえない。通過できないうちに穴が閉じれば、転移は失敗します。戻ることもできず、ふさがった次元の壁にひっかかってしまうんです」
「え? ええ……っ? それって、身動きできなくなっちゃうってことじゃないの?!」
「その通りです。でも、次元の壁の修復作用で、穴を塞ぐと同時に、異物も排除してしまいます。穴がふさがって排除された『異物』は、適当な場所に放り出されてしまうんです。
……ささくれが肌に刺さってとれなくなっても、傷が治るまでにいつのまにか出てくることってあるでしょう? あんな感じです」
「あたしって、指に刺さったささくれみたいな扱いなの?!」
「たとえですよ、たとえ」
雲居はにこにこと聞き流す。
「この『ハイパティーロ王国』は、次元の狭間にとても近い場所にあって、昔はよく、次元の壁につっかえた人が、国内のあちこちに所構わず出現してたんです。でも、人がそのまま現れたら危険な場所って、いろいろあるじゃないですか? 湖の中とか、塔の上とか、馬車の通る道とか」
「あ、ああ……」
確かに、高速道路や海の上に放り出されたら、それだけで命に関わってくる。
「それに、悪い人につかまって奴隷としてこっそり売られたり、郊外で獣に襲われて亡くなっている身元不明者も昔は多かったそうです」
「え、ええ?!」
「そのままじゃ危ないので、ハイパティーロ王国政府は、召喚ゲートの出現を常時監視し、直通召喚ゲートからこぼれてしまった人を誘導する、転移中継フィールドの展開魔法を完成させました。和美さんがさっき現れた場所――今は普通の床にしか見えませんけど、そこが次元の壁にはじかれた方の集約ゲートの一つになっています。私たちは、異世界から迷い込んできた旅人を迎えるためのスタッフなんです」
和美は思わず、自分が現れた場所を振り返った。
全体としては一見普通の旅行代理店にしか見えないが、その床部分だけは妙に広く空間がとられている。よく見ると、そこだけ床石が円形に組まれていて、その中央の床石には六芒星の魔方陣らしいものが刻み込まれていた。
「だいぶ、飲み込めてきたようですね?」
少し離れ、立ったまま様子を見ていたリカルドが、にっこりと微笑んだ。
状況は判ったが、これは裸で知らない土地に放り出されたのと同じことなのではないか。
本を買ったらすぐ家に戻るつもりだったから、今持っているのはあまり中身の入っていない財布と、買ったばかりのラノベが一冊だけなのだ。これでは異世界で生き抜く武器としても心許ない。
日本なら、警察に駆け込めばなんとかなるけれど……
「じゃ、じゃああたし、どうなっちゃうの? このまま、この世界の住人になっちゃうの?」
「……だとしたら?」
焦った様子の和美に、サーシャは眼鏡を冷たく輝かせて聞き返した。
「ええ?! 勝手によその世界に放り出されて、もう帰れないってどういうこと?! あたし、ただ本屋に行ってただけだよ?!」
「しかし、お前が理解していた『異世界召喚』とはそういうものなのではないのか? 普通の生活を送っていたものが、ある日突然どこの誰かも判らない者に違う世界に拉致され、自力では帰れない。違うのは、お前が呼ばれた当人ではなく、巻きこまれただけというくらいだ」
「いや! そういわれればそうだけど、違うでしょ! 選ばれて呼ばれるのと、意味もなく巻きこまれるって全然! あたしに用があるわけでもないのに、その世界にいてなにすればいいの?!」
「まぁまぁ、落ち着いてください和美さん。サーシャさんも、あまりお客様を不安がらせないでくださいよ」
割って入る雲居に、サーシャはちらりと目を向け、またモニターらしいものに向かってキーボードらしいものを叩く作業に戻る。
「大丈夫ですよ、和美さん。このハイパティーロ旅行相談所は、まず第一に、異世界からのお客様を保護する目的で設立されました。国営なので、異世界からのお客様は無料でご利用いただけます。お客様は滞在期限が切れるまでに、元の世界に戻るか、別の異世界に渡るかを選ぶことができます。この案内所が斡旋できる場所へなら、無料で転送できますから」
「なんだ、戻してもらえるんだ。……って、別の世界にも行けるの?!」
「戻るにしても、どこか別の世界に行くにしても、転移ゲートが消費する魔力量は変わらないんですよ」
リカルドが穏やかに補足する。
どうやら、サーシャは判っていてあんなことを言ったらしい。恨めしい気分の和美の視線など、サーシャは気にする様子もない。
「斡旋できる場所に行けるってことは、自分で行き先を選べるんだよね?」
「そうなりますねー」
そうと判れば、ただ意味もなく放り出されたのとは話が違ってくる。
よく読むラノベでも、主人公が行き先を決められるパターンは少ない。神様が手違いで死なせてしまい、どういう世界で生まれ直したいか主人公に聞いてくるという、超ご都合主義の異世界転生ものくらいだ。
「じゃああたし、魔法戦士になって宮廷に仕えられるような世界がいいな! 馬や竜にも乗れて、お姫様のおそば付きで活躍できて、その侍従とか美形の家庭教師とかにちやほや……」
「ちょっと待て、客」
妄想全開で希望をまくし立て始めた和美を、サーシャが冷ややかに遮った。
「場所は選べるとはいったが、職業や身分を好きに選べるなどとは言っていないぞ」
「えっ?!」
「それになんだ魔法戦士とは。戦士はまだしも、お前に魔法を扱う素質はあるのか?」
「ええ?! だって、異世界召喚って言ったら、チート能力がセットじゃないの? それとも、さすがにもらえる能力までは選べないの?」
「なにを言っているのだこの客は」
心底呆れた様子のサーシャに、和美は目をしばたたかせた。リカルドは、笑みを浮かべた額にうっすら汗をかいている。サーシャは険しい視線を、今度は雲居に向けた。
「かなた、チートとは、『不正行為』の意味か?」
「元の意味はそうですけど、今の日本の若者は、『ずるをしているように見えるくらいすごい』技術や能力をさしてもそう表現するようです。元々日本の言葉ではありません」
「なるほど……。では問うが客よ、ただ巻きこまれて召喚されて、たまたまこの世界に来ただけのお前に、誰がどういった理由で特別な能力を与えるというのだ?」
「え、それは……」
よく見るラノベの主人公は、元の世界では平凡でも、気がつけば謎の能力を発揮して成り上がったりする。間違って死んだら、神様が特別にスキルをくれる。理由などなく、そういうものだと思っていた。
「普通に考えれば、召喚対象に選ばれるのは、既にその者に特別な才能や能力がある、もしくは潜在的に眠っていると見込まれるからではないか? 召喚する方だって馬鹿ではないぞ、魔力と労力を消費して異世界から何者かを召喚するのだ。呼べばしばらくは養ってやらねばならぬのに、役に立つ見込みのない者を召喚してどうする」
「そ、それは……」
「そもそも、誰でも構わず能力を付与できるなら、自分たちの世界の中で、そこそこ役に立ちそうな者に与えればいいではないか。なぜわざわざ異世界から呼ぶ必要がある」
そういわれれば、まったくその通りだった。
見た目も成績も平均点すれすれ、学校でも存在感が薄い、運動部で汗を流して努力するより、家でネットしながら動画を見て、他愛ないことをツイッターで呟いてそこそこ楽しく暮らしている、特に取り柄もない自分だが、それは環境の、時代のせいなのだ。別の世界ならきっと、人よりも役に立って、今よりもっといい人生になる……
……と、思っていたのは、なぜだったのだろう。
「あっ、でも行き先を選べるのは本当ですよ!」
おろおろした様子で、和美の表情を伺っていた雲居が、思い出したように声を上げた。
「行き場のない異世界人の受け入れを希望している世界は、たくさんありますから! いきなり王宮仕えはさすがに無理ですけど、持っている技能に応じて職種もある程度選べます! 生活の条件は様々ですけど、もし元の世界に帰りたくない事情があるのなら、相談に乗りますよ!」
「へぇ……」
壁一面のポスターやパンフレットを眺めて、少し気持ちが上向きかけたが、
「ただ、無料で転移できるのは一度きりだがな」
「えっ?」
冷ややかなサーシャの声が、またしても和美の気分を現実に引き戻した。
「行ったきり? もし行った先があわなかったら、別の場所に行けたりしないの?」
「だから、どうした理由があってそこまで面倒を見てもらえると思っているのだ?」
「サーシャさん、もう少し優しくお話ししてあげましょうよ」
「事実を述べるのに、優しくも冷たくもないだろう」
取りなすリカルドの言葉を、サーシャは冷たい眼鏡の輝きではじきかえした。
「本来、ハイパティーロ王国政府には、異世界から勝手に迷い込んでくる者に対して何ら責任はない。人種道的観点から保護しているにすぎないのだ。行き先を決めるまでの数日間、客として保護するのも、希望の場所に転移させるのも、本来は破格の扱いなのだぞ」
「えー? だってそれって当然のことなんじゃないの? 警察だって迷子を保護したら身元を探って送り届けるじゃない?」
「それはその国の住民だからこその権利ではないのか? お前はこの国に住民登録をしていて、税金を払っているとでも言うのか? そもそも旅費すら出していないのに、なぜ権利ばかり主張するのだ?」
「それは……」
思わず和美は、助けを求めるように雲居とリカルドに目を向けた。雲居は困ったような笑顔で、
「確かに、ほかにもここと同じように異世界からの来訪者が多い国はあるんですが、そちらではよくて強制送還、多くは数年奴隷として働いた後で下級市民権を与えたり、悪いと不法入国者として拘束されて強制労働……というのが一般的だそうです」
「えええ?!」
「なので、和美さんがハイパティーロに飛ばされてきたのは、それだけで幸運だったんです! どうか気を落とさないで、帰るにしても別の世界に行くにしても明るく前向きに!」
「でも、別の世界に行っても、特別扱いしてくれないんでしょ?」
「え、まぁ……移住の場合は、数週間の教育の後、一般市民として一からの生活になりますけど……」
「……」
「……」
「帰る」
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