田中和美のケース:2

「いらっしゃいませ! ハイパティーロ旅行相談所にようこそ!」


 和美の目の前で、二十代半ばくらいの小柄な女性が、にこにこと微笑んでいる。

 身長は和美と同じくらいだ。モノトーンのチェックのベストに、紺色のタイトスカート姿で、ショートヘアの少し明るい黒髪が、彼女の人なつこそうな雰囲気をそのまま表しているようだ。

 しかし、どこから見ても、普通のOL、案内嬢だった。それも明らかに日本人。

「……えーっと」

「わたし、このハイパティーロ旅行相談所のトラベルコンサルタント、雲居くもいです! 立ち話もなんですから、カウンターへどうぞ!」

 カウンターってなんだ、カウンターって。

 やっと慣れてきた目で辺りを見回すと、確かに、それらしいものが近くにある。

 というかこの広い部屋はぱっと見た感じが既に、「旅行代理店」としか言いようのない内装だった。

 壁際の手の届く位置には、たくさんのパンフレットがぎゅうぎゅうに飾られ、そこから上にはリゾート地や観光地のPRらしいポスターが一面に貼り付けられている。

 変なのは、自分の立っているところだけやたら広く空間がとられているのと、使われている多才な言語の中に、どうしたわけか日本語のものが一切ないことだ。

 それどころか、英語やロシア語、中国語的な、比較的目になじみのある文字も見られない。

 カウンターの向こうは、オープンオフィスになっている。デスクは一〇人分ほどあるが、今いるスタッフは四人だ。カウンターでパソコンらしいものに向き合ったり、電話のようなものに向かってなにやら話しかけたり、書類を整理したりと、それぞれが自分の作業に余念がない。

 周囲の様子を見回していた和美は、いかにも旅行代理店なこの雰囲気に拍子抜けした気分でため息をつ――こうとしたところで、思わずスタッフ達を二度見した。


 モニターの前で、キーボードのようななにかを叩いているクールな眼鏡美女は、色白の肌、尖った耳に銀の髪。ファンタジーアニメでよく見る典型的な『エルフ』の容貌だ。

 一方、爽やかなスーツ姿で電話を片手に商談を進めている青髪の青年は、よく見ると二本の山羊の角を持っている。いわゆる『魔族』の特徴だが、サラリーマン風のありふれたスーツ姿が妙にしっくりして、角の存在に最初はまったく気付かなかった。

 そして、コピー機の前で書類をまとめている、アロハシャツ姿の大男。身長は優に二メートルを超え、ボディビルダーも真っ青のいかつい体つきの……、灰色の毛皮が特徴的な、狼に似た顔立ちの獣人だ。

 一見ごく一般的な旅行代理店なのに、まともな人間のスタッフは、雲居と名乗った女性ただ一人だった。

 ああ、そうか。もうすぐハロウィン……なわけがない。頭の中の自分が、勝手に納得して勝手に突っ込んでいる。

 手の込んだコスプレにしては世界観に手を抜きすぎだが、ここはいったいなんなのだろう。

「さ、どうぞおかけください」

 雲居は、あっけにとられている和美をカウンターの椅子に座らせ、自分はその向かい側に腰を下ろした。慣れた手つきでメモ帳と羽ペンを取り出し、和美の前に押し出した。

「では、お客様のお名前を教えていただけますか?」

「お客様って、あたしは……ていうかここはなに……?」

「詳しいお話は順を追って説明します。とりあえず、ここにお名前と職業、年齢を書いてくださいね。自分の国の文字でお願いします」

「はぁ……」

 出された紙は、ごく普通のメモ用紙だった。だが、紙の右下には、まったく和美には読めない文字のロゴが印刷されている。

 失語症にでもなったような気分で、紙の上に自分の名前を書くと、

「あ! やっぱり日本人なんですね? 『たなか・かずみ』さん、一六歳、高校生でよいですか?」

 雲居が明るい声を上げる。名前を読み上げたときだけ、声が少しゆっくりになった。あわせて、エルフ女史の手がパソコンのキーボードらしいものをものすごい勢いではじきはじめる。

「やっぱりって、あなたも日本人でしょう? ここ、なんなんですか? あたし、召喚……じゃない、家の近くの本屋から帰るところだったのに、なんでこんなとこに出てきたんですか? 記憶喪失?」

「和美さんは、異世界召喚とかご存じなんですね?」

「えっ」

 思わず漏らした一言を耳ざとく聞きつけられ、和美は思わず頬を朱に染めた。

 普段の生活でうっかり異世界召喚などと口にしようものなら、とかくマウントをとりたがりの男子に『アニメの見過ぎじゃねぇの、キモッ』なんて嘲られる。みんな読んでる癖に、とも思うのだが、世間はなぜかそういう風潮なのだ。

 それが、世間一般の大人の反応でもあると思っていたのに、雲居は特に気にした様子もなく、笑顔を絶やさない。

「『タナカカズミ・一六歳高校生』に、召喚ゲートの通過予定はないようだ」

 少し離れたところで、パソコンらしいものを操作していたクールな眼鏡エルフ嬢が、不意に声を上げた。ちらりと和美に視線を投げかけ、またモニターらしきものに視線を戻す。

「ただ、彼女が転移中継フィールドに出現したのとほぼ同じ時間に、『タケナカカズエ・一六歳高校生』がエルデバート接続の直通ゲートを通過している。そちらの転移は既に完了」

「タケナカ、カズエ……?」

 なんだか記憶にあるような気がして、和美は首をひねった。

 確か、交差点で一緒に信号待ちをしていた女の子の名前が、そんな感じではなかったか。

 前にクラスの男子が噂話のなかで、『田中と竹中って、名前は似てるけど……全然アレだよなー』と微妙な笑い方をしていたのを耳にして、内心では毒づきながらも何も言えずに立ち去った苦い記憶が蘇った。

「ひょっとして、和美さんはここに来る直前、たまたま『タケナカカズエ』さんの側にいたとか?」

「えっ」

 そういえば、光の魔法陣が地面に現れ始めたとき、あの『タケナカカズエ』も驚いた様子で地面を眺めていた。

 というか、冷静に思い返すと、魔法陣の中心にいたのは、自分じゃなくて『タケナカカズエ』だったのでは……?

「エルデバートは魔法を中心に発達した世界だ」

 眼鏡エルフ女史は、モニターらしきものを眺めながら、淡々と続けた。

「エルデバートには“ラー・ハット”という特殊な魔力砲が存在する。戦の際、持ち手のついた丸い輪に魔力カタパルトを生成し、それを持った戦士がこぶし大の魔力弾を敵陣に打ち込むのだ。効果は絶大だが、射程距離と命中率が人間の体力と能力に依存するため、遠距離の攻撃では精度が落ちる。どうやら彼女は、“ラー・ハット”の名手として召喚されたようだ」

「一瞬納得しちゃったけど、それテニスラケットのことだよね?!」

「あー、巻きこまれちゃったんですねぇ」

 冷静な眼鏡エルフ女史とは対照的に、雲居は納得した様子で明るい声を上げた。

「わりとあるんですよ、巻きこまれ型召喚。召喚対象と近しい関係者なら、一緒に現地まで直通ゲート越えしちゃうこともあるんですが……和美さんは、『タケナカカズエ』さんとはお友達ではないのですか?」

「ううん、同じ学校の有名人だからなんとなくは知ってるけど、向こうはあたしのことを知らないと思う……。同じ場所にいたのも偶然だったし」

「どうやら、たまたま名前が似すぎてたのも、中途半端に巻きこまれた要因のようだな」

「たまたまって……」

 それまで冷ややかだった眼鏡エルフ女史が、哀れむように目を細める。

 それが逆に、馬鹿にされたような気がして、和美は二人を睨み付けた。

「だいたいなんなんですか、ここ。異世界召喚か言い出す割に、見た目はごく普通の旅行代理店じゃない。あなた達の格好も話も普通じゃないけど、もしかしてドッキリかなんかじゃないの? あなたのその耳も、あっちの人の角も、コスプレ用の作り物なんでしょ?!」

「おや、なかなか元気のいいお客さまがいらしたようですね」

 声と共に、和美の前に、アイスティーのグラスが差し出された。……手の甲までが灰色の毛皮に覆われた腕で。

 さっきまでコピー機のような物体の前で書類を揃えていた、アロハシャツ姿の獣人である。

 驚いて思わず身をひいてしまったが、彼は穏やかな笑みを浮かべ、飲み物と一緒に菓子盛りの小さな皿を和美の前に置いた。

「どうぞ、これで一息ついてください」

「ど、どうも……」

 あまりの爽やかな物腰に、思わず普通に礼を言ってしまった。獣人はアロハシャツの袖をめくりながら、

「よかったら、触ってみます? 最近トレーニングをさぼっているから、少したるんでるかも知れませんが」

「あっ、いいなー! 私もリカルドさんの腕をぷにぷにしたいです!」

「かなたちゃん、お客様の前ですよ」

「あっ、す、すみません……」

 どうやら、雲居の名前はかなたというらしい。恥ずかしそうに頭を下げた雲居を、リカルドと呼ばれた獣人は穏やかに見返し、半袖のアロハシャツの袖を更にたくし上げた。それを和美の近くに差し出してみせる。

 立派な筋肉で盛り上がるその二の腕は、和美の太腿よりもずっと太い。

 形は人間に近いのに、全体が毛皮で覆われている肌にぎょとする。だが、着ぐるみなどではなのは間近で見るとよく判った。毛皮の薄い部分では血管らしい青い筋も見えるし、鋭い爪もリアルすぎる。

 恐る恐る触れてみたが、やはり伝わってくる体温や筋肉の動きは、本物の生き物のものだ。

 いかつい顔で穏やかに微笑むリカルドから、こわごわと視線を外し、和美は眼鏡エルフ女史と雲居とに視線を戻した。

「えーと、あの……」

「私のは触らせないぞ」

「そ、そうじゃなく」

「あっ、ごめんなさい! サーシャさんはこの旅行案内所専属のツアーオペレーター、こちらのリカルドさんはツアーコンダクターです。お二人とも、とても有能なエージェントなんですよ!」

「は、はぁ……」

 そういうことを聞きたかったわけではないのだが、改めて紹介されたことで、リカルドはぺこりと頭を下げた。サーシャと呼ばれた眼鏡エルフ嬢は、ちらりと和美に目を向け、すぐにモニターらしいものに視線を戻す。

「どうやら、この客はやっとこの状況を現実的に考え始めたようだぞ。パニックを起こさないうちにひととおり説明してやるがいい」

「そうですね!」

 客と呼びつつ、この遠慮のない口調はなんなのか。だが雲居は特に気にする様子もなく、

「さっきの話ぶりだと、和美さんは『異世界召喚』の概念をよくご存じのようですね? パターンはいろいろありますが、要は自分の意志とは関係なく、自分の世界から、環境の異なる別の世界に転移させられる現象です」

「あ、はぁ……」

「召喚する側のケースは様々ですが、ほとんどの召喚にははっきりとした目的があって、それに沿った人が選ばれます。でも、その召喚の際に、たまたま近くにいた人を巻きこむことがあります。さっきも言ったとおり、その巻きこまれた人が召喚対象にわりと近しい関係の人だと、一緒に現地まで転移してしまうことが多いんです。それができなかった場合……どうなると思いますか?」

「どうなる……?」

 そもそもラノベの主人公なら、たとえ間違って呼ばれたとしても、最終的には現地であれこれ活躍するものだ。

 首を傾げる和美を少しの間見つめ、雲居は真面目な顔で言った。


「『途中でひっかかる』んです」

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