第6話

雪ノ瀬さんと自然公園で話した木曜日から四日が経ち今日はもう次の週の月曜日。今週の土日はもう文化祭だ。はえー。

 だが、ここで一つの問題が発生した。大問題中の大問題。ソレはもう、アメリカの大統領が死んで副大統領に代わるくらいの問題だ。……そこまで大きな問題ではなかった。

 ともかく、俺には他人事では済ませられない結構な問題が真っすぐ直面してきたのだ。

 それは、俺のクラスの担任の室渕の口が朝のHR(ホームルーム)中に発せられた一声だった。


「苑宮が体調不良のため欠席したので文化祭の準備は苑宮抜きで頑張って」


 ほら、他人事じゃねぇ。





「にしても、苑宮さんが学校を休むなんて初めてじゃなんね」


 苑宮が学校を休んだ。

 この事は瞬時に学校中に知れ渡った。もう、二時間目の授業が終わった時には半分くらいの生徒が知り、昼休みには全校生徒に広まっていた。改めて苑宮の学校での人気度を思い知らされた。


「確かにそうだな」


 俺はいつも通りに前の席を占拠している上本と雑談をしながら昼飯を食べる。いつも通りだ。


「去年はやったインフルエンザの時も苑宮さんはなんやかんやちゃんと学校に毎日来てたのに、今日初めて学校休んで滅茶苦茶びっくりした」

「あぁ、そうだな」


 俺は弁当箱に入ったおかずのソーセージを箸で掴もうとするが、滑って上手く掴めない。

 あー、うざい。

 何回も掴もうとチャレンジをしたが上手くいかず、最終的には箸で刺して口の中に放り込んだ。


「……おい岸峰」

「ん、何だよ」


 上本は少し引きながら俺に尋ねてくる。


「お前なんかあった?」

「何かって、なんもねぇよ」

「そうか、それならいいんだけど。なんかお前怒っているみたいだからさ」

「別に怒ってない」


 俺はそれだけ言うと、弁当箱に入っている白米と数個のおかずを勢いよく口の中に放り込んで、飲み込んだ。

 口の中に放り込んだものが全て口から消える前に弁当箱を片付けて、バッグの中に放り込んだ。


「食後の散歩してくる」


 独り言のように言葉を言い放って席から立って教室から出ていった。


「ほら、やっぱり怒っている」


 上本がボソッと言った言葉が教室から出る直前に聞こえた。

 別に俺は怒っていない。

 俺はただ焦っているだけなのだから。





 上本が学校を休んだ。

 この事実は俺が思うよりも俺に焦りを与えた。

 ここまで焦るなんて言い今で一回もなかった。あの人形に命を狙われた時だってここまで焦らなかったし、小学生の時に家で漏らした時だってここまででは無かった。

 いや、一回だけあったな。高校入学して苑宮に初めてあの部屋に初めて呼び出されて、初めて口付けをされた時もこれくらい焦っていた。だが、今のこれとはベクトルが違う。

 ともかくだ。俺は苑宮が学校を休んだことに物凄く焦りを感じているのだ。

 完璧主義をそのまま具現化させたように自分を偽っている苑宮が学校を休んだのだ。

 風邪を引いた時にも休まず学校にきた苑宮が学校を休んだのだ。

 前兆はあった。俺もちゃんとその前兆を把握していた。でも、何もしなかった。なにかしようと思えば出来たかも知れないのに何もしなかった。

 気づくと俺は部屋の扉の前に立っていた。

 俺はいつもと同じように扉を開ける。

 でも、そこには誰もいない。

 当たり前だ。ここを知っているのは俺と苑宮だけで、苑宮は今日休んだのだから。


「―――ふざけるな。ふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなっ‼」


 笑わせるな。冗談じゃない。

 何が楽しくてこんなことを言っていると思う。

 何が面白くてこんなに喚いていると思う。

 別に苑宮自身がしたことの結果で苑宮が学校を休むのは別にいい。それは苑宮が背負うべき罰だ。

 だが、これは違うだろう。

 苑宮も苑宮なりにやっていた。その結果、俺に八つ当たりするのは別にいい。それはきっと俺に与えられた罰だから。腹だろうが、顔だろうが、蹴られても、殴られても苑宮だったら別にいい。あの時、何もしなかった俺が負うべき贖罪だから。

 だからこそ、今の現状には納得が出来ない。

 これが有ってるなんて思っていない。もしかしたら間違っているかもしれない。時期がたまたま重なっただけで、本当はただの体調不良なのかもしれない。

 でも、それでも、もしそうじゃなかったら話は別だ。


「あぁ、出来る限りの事はやってやるよ」


 どうやら、俺の生活に苑宮悠香は俺が思っている以上に大事だったらしい。

 俺は部屋の中心でそれを叫んだ。

 これだけは決して許してはならない。





「それじゃあ、今日もいつも通りによろしくな」

「はい。わかってますよ」


 俺と寧々木さんは言葉を交わすそれぞれ分かれた。

 今の時刻は深夜の零時半を少し過ぎたくらいだ。

 いつも通りと言っては何だが、今日も俺は死人を出さないためにせっせと、闇夜をかける正義活動。

 あの後、俺が部屋出たのは午後の授業が始まる三分前で急いで教室に戻って、授業を受け、放課後雪ノ瀬さんからの呼び出しの電話をもらって今に至る。

 耳にはこの前と同じ小型の通信機を入れ、この前とは違う拳銃を構えて奴らを待つ。

 この前はリボルバーだが今日のは自動拳銃。取り寄せていたのが今日やっと来たらしい。

 撃つまでの工程はリボルバーとは違うが、リボルバーよりも簡単だった。

 さすが自動拳銃。自動と名前についているだけの事はある。


「ふぅー」


 息を一回吐く。

 深夜は想像以上に寒く、適当に制服ではなく、もっと暖かい服にすればよかった。

 そんな寒空の下、電柱の後ろに隠れながら来るのを待っていると一つの影が見えた。

 やっと来たか。

 俺は拳銃を強く握りしめる。





「はぁー、はぁー」


 心臓の鼓動がいつにも増して早い。

 疲れた。

 今日は何故か知らないが物凄く敵の数が多い。倒した数は十体を越えただろう。俺の回りには様々なところにソレは転がり落ちている。 

息を切らしながらその場所に立ち尽くす。

さすがにもうダメ。疲れた。十体連戦は死ぬ。てか、十体まとめてだったら確実に死んでた。


「あー、喉乾いた。水飲みてぇ」


 俺は近くにある家の壁に寄りかかる。

 その時、何かが頭に当たった。

何だ、と思い頭を触るが特に変なものはついてなく、次に上を見て見ると黒い雲が夜空を覆い隠していて、雲からぽつぽつと水滴が零れてきた。


「ゲッ、雨かよ。傘とか持ってきてねぇぞ。いや、確かに喉が渇いたとはいったけどさぁ~」


 俺はだんだんと強まってきた雨から頭を隠すようにして拳銃を持っていない左腕で頭を隠した。

 その時、視界の隅で何かが動いた。

 何だ、と思い動いた方に顔を向けるがそこにはついさっき、使えなくしたソレしかなかった。いや、使えなくしたはずのソレが有った。

 いつもの動きよりもソレの動きはハエが止まりそうなほど遅かった。

 こっちを真っすぐ見て、唯一動く上半身だけで俺に近づいてくる。

 右手には斧を持ち、左手は前に動かしてゆっくりと下半身を引き摺りながらこちらに近寄ってくる。


「ヒッ!」


 その姿が物凄く怖い。

 何の表情も現れないその貌が物凄く怖い。

 これならホラー映画のゾンビの方がまだましだ。

 もう死に体と言っていいほどゆっくりと動くソレ。

 もうここまでになったらあとは簡単だ。

 拳銃を構えて標準を合わせる。ついでに息も整える。


「じゃあな」


 言葉と同時に引き金を引く。が……。


「なっ!」


 出ない。どれだけ引き金を引こうが銃弾は銃口から発射されない。このタイミングでまさかの弾切れだ。

 ちくしょう。

 俺の焦りもソレは知る由はなくただただゆっくりと真っすぐ俺に近づいてくる。

 白い白磁の身体は赤い液体に色付けをされ、動かなくなった下半身を引き摺りながら近づいてくる。まさしく、恐怖の具現化だ。

 急がなければ。急いでリロードしなおさなければ。

 だが、その焦りが手元を狂わす。


「ちっ、クソが」


 弾倉がうまく入らない。

 その時、今までゆっくりと動いていたソレは左腕に重心を傾けて、一気に高らかに跳ねた。

 嘘だろ。左腕だけであそこまで跳ねるのか。

 ソレは二階建ての一軒家の屋根に届くほど高く跳ねる。

 その光景に呆気に取られて上向いて見る事しか出来ない。

 そして、そのまま重力に引っ張られるように垂直に真っすぐ、俺に向かって落ちてくる。


「ッ!」


 逃げられない。間に合わない。

 そう思うほどソレは早く、俺に向かって落ちてくる。右手には斧を持って墜ちてくる。

 頭をかばうようにして両腕で頭を隠す。


「アアアァァァァアア‼」


 痛い、痛すぎる。

 頭に当たりはしなかったがその代わりに右腕が斧に真っすぐ切られた。今までで一番深く切られた。


「痛ってぇぇぇぇぇぇぇ‼」


 確かに今まで何度もソレと戦ってきて擦り傷とかは何回か有ったが、ここまで深いのは一回も無かった。

 右腕からはドクドクと血が出てきて来ている。今着ている服の右側何てほとんど真っ赤だ。

 右腕をだらり、とさせて痛みに耐えながらソレを見た。

 ソレは着地に失敗したのか仰向けになって自分の左腕を自分で下敷きにしていた。それに加えて、上半身と下半身は落下した衝撃のせいなのか別れていた。

 そんな状態でも未だピクピクと動こうとしているソレの姿は物凄く愚かに見えた。まるで、ソレを通して自分でも見ているような気になった。

 一歩ずつゆっくりと近づいて見下ろした。


「おい、なんか言えよ」


 言葉と同時に腹に向かって一発蹴りを入れる。

 返答は当然帰ってこない。


「なんか言ってみろよ」


 もう一回蹴りを入れる。


「なぁ、お前は何なんだよ」


 何回も何回もソレの腹に蹴りを入れる。

 右腕の痛みなんて忘れてしまっている。


「何が目的なんだよ」


 無我夢中に蹴りを入れ続ける。


「ふざけるなよ。答えろよ。なあ!何が目的なんだよ!」


 今まで以上に強く蹴る。


「ふざけるなよ。ふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるな!」


 何だよ、何なんだよ!

 別に俺は善人ではない。例え何万人殺されようが俺に被害が及ばなければ、あらまぁー大変そー、としか思わない。

例えば、歴史の授業で何万人と虐殺されたと言われてもぶっちゃけ、どうでもいい。それが俺だ。俺は多分、赤城や上本が殺されても悲しんで泣く程度だろう。

だが、これは別だ。アレは別だ。ソレは別だ。

許せるわけがない。許していいわけがない。


「よくもよくもよくもッ―――こんな事にしやがって」


 いつの間にか、ソレはピクリとも動かなくなっていたがそれでも蹴り続けた。

 俺は途中からどっちの事で怒っているのか分からなくなっていた。





 目が覚めた。


「いつッ」


 いつものベッドで目を覚ますと右腕に痛みが走った。

 そう言えば右腕怪我をしてたんだった。

 右腕には包帯が巻かれていた。

 昨日あった夜の事はよく覚えていない。

 蹴る前の事は覚えているのだが蹴ってる途中から後の事は断片的なことしか思い出せない。

 俺は痛む右腕を心配しながら押入れを開ける。

 時刻は朝の七時ちょっと前。家を出るにはまだ早くて、いつもなら本を読んだりゲームでもやって暇つぶしにしているだろう。

 だが、今日は違った。

 俺は押入れから一つの段ボールを取り出した。その中に入っているのは中学校の時に使った物の数々。

 例えば中学校の時に使ったテキストや教科書。そして、卒業アルバム。

 そういった、ほとんど要らないものがこの中には詰まっている。

 段ボールを開けて一番奥から出て来たのが、探し求めていた卒業アルバムだった。

 卒業アルバムを一ページずつ流し見るような形でページをめくっていく。

 一年の時に撮った写真。二年の時に撮った写真。そして、三年の時に撮った写真。

 それを見て懐かしく思いながらどんどんと先にページをめくっていく。写真を眺めていると友達とバカをしたどうでもいい事や、少し恥ずかしい記憶なんかが思い出してくる。

 感傷に浸りながらページをめくっていくと、とあるページで写真を眺める目が止まった。


「ッ!」


 ここから先の数ページが俺が求めていたページ。

ついにここまで来てしまった。

ページをめくるスピードが少し遅くなっていくのが自分でわかる。

 息を一回吐くのと同時に開いていた卒業アルバムを閉じる。


「時間が経つのは早いな」


 俺は言葉を呟いて感傷に浸る。

 感傷に浸るのはまだ早いというのに。

 でも、そうでもしないと前には進めない。





 結局今日は遅刻ギリギリに学校に行くと、どこから来たのか分からない眠気が俺の脳に大進行してきて午前の授業の全ての時間が睡魔との対決の時間となった。

 昼休みである今も物凄く眠い。昼飯もまだ食べて無いのに昼休みになってもう二十分が経った。

 腹減っているのに眠気で目が冴えない。

 もうダメ。素直に寝よう。いくら何でも眠すぎる。

机の上でうつぶせになって、重い瞼をゆっくりと閉じていく。

そういえば、眠る前に一つ。

やはり苑宮は今日も休んだ。





 結局あの後、なんやかんや起きて昼飯を食べ、そのまま午後の授業へと移行した。が、それでも眠くてろくに授業なんて聞いてなく、ほとんど寝ることで午後の授業を消化していた。

 そして、今は十六時四十三分。

 文化祭準備と言う物によって俺はこの時間まで拘束されていた。

 だが、それも今終わった。

 まだ、やる事はまだまだまだまだまだたくさんあるが、ともかく今日のやる事は終わったし、強制的に帰らされる。てか、これよくよく考えたら俺の仕事じゃなくね。だって、これ苑宮の仕事だよね。マジあいつさっさと来いよ。

 自転車の止めてある駐輪所に行くために夕日に照らされる廊下を歩く。その時だった。


「あ、おーい。岸峰―」


 後ろから俺の名前を呼ぶ声が聞こえた。


「はぁい」


 少しめんどくさそうに後ろを振り向くと、そこに居たのは我がクラスの担任の室渕だった。


「よかったー。まだ学校にいたかー」


 そうして小走りで近寄ってくる。


「なぁんすか」

「いやー、頼みたいことがあってな」


 これが俺に取っての最悪でもあったし最良でもあった。





「はい、それじゃあよろしく」


 廊下で室渕に呼ばれて何故かそのまま職員室に連れてこられた。最初は何かしたかと思ったがそんなことでは無かった。


「いや、何ですかこれ」


 渡されたのは一つの茶封筒だった。厚さはほとんどなく、表面には青色の付箋が張られていて、一つの住所が書かれていた。


「いや、だから。苑宮が休みだからその時に配ったプリント類を岸峰に持って行ってもらおうかと思って。あと、ついでに苑宮がどういう状態かも、見てきて」


 室渕は最後にお願いねー、と言うと自分のディスクの上に置いてあるコーヒーの入っているカップに口を付けていた。


「てか、これ先生の仕事じゃないんですか」


 俺がそう言うと室渕は咳き込み俺を見た。


「い、いや、こっちだって文化祭が無ければ行ってもいいんだぞ。この時期は生徒以上に教員も保護者向けのプリントとかホームーページとかで忙しんだからな」


 まるで言い訳みたく言うとまたコーヒーを一口付けた。


「まぁー、分かりました。プリント渡してくればいいんでしょ」

「おっ、そうか、それは助かる」

「でも、住所とか今の時代勝手に渡していいんですか?」


 これは茶封筒を渡された時からのちょっとした疑問だった。


「いやまー、さすがに住所をばら撒くのはダメだが、お前だったらまぁいいだろう。でもまぁ、もしバレたら善意で動いてくださる親御さんから長―い電話が待っているけど。あー、めんどくせぇ。アレはもうヤダ」


 その姿は本当に嫌そうだった。てか、実体験かよ。


「てか、俺だったらいいのかよ。そんな適当でいいんですか?」

「バーカ。これくらい適当じゃなかったら教師なんてやっていけねぇんだよ」


 その姿はどことなくかっこよかった。





 俺はすぐに学校から出てチャリを飛ばした。目的地は当然苑宮の家だ。

 住所は俺の家から少し近かったのでそこまで迷わずに目的地まで行けた。


「スゲー」


 その言葉は俺が目的地である苑宮の家を見ての感想だった。

 俺の家とは段違いに外装が違う高級住宅。

 俺の家は何処にでもある様な外装の家だが苑宮の家は全然違う。

 外装は高級住宅ならではの派手な外装ではなく、白を基調としたおとなしいモダン調のおしゃれな外装でなんかすごい。しかも、表札には『SONOMIYA』とローマ字で書いてあるだけでもおしゃれ感がすごい。

 俺は恐る恐る表札の下にあるインターホンを押した。


「……」


 インターホンから帰ってくる反応はない。

 それもそうか。体調不良なのだからもしかしたら寝ているのかもしれない。いや、もしかしたらインターホンに出られないほど体調が悪いのかもしれない。それだったら大変だ。


『何の用……』


 どうでもいい事を考えているとインターホンから一つの声が聞こえた。いつもより若干気分が悪いような声が聞こえて来た。


「ああ、室渕からプリント貰ってきた」


 俺がそう言うとインターホンから『わかった』と言う声が聞こえてきた。

 インターホンの前で待つこと数秒。自転車に寄りかかりながら待っていると玄関が開いた。


「お、おぉ」


 玄関から出て来たのは、もこもこした女子が来てそうな服を着ている苑宮だった。


「入って」

「いや、いい。プリントを渡しに来ただけだから」


 玄関の所にいる苑宮と表札とかが付けられている門の所にいる俺の所まで五メートルくらい。

 いつもだったら簡単に近づける距離だが、いまの俺に取ってはこの五メートルが他のどんなものよりも遠く感じた。


「入って」


 苑宮はもう一度そう言うと家の中に入っていった。どうやら拒否権は無いらしい。


「それじゃあ、お邪魔します」


 一応門の中に入る直前にお邪魔します、と言い五メートル程歩いて玄関の中に入ってまた、お邪魔しますと言った。

 玄関は広くて自転車くらい簡単に入りそうなほど広いが、玄関にあるのは苑宮の物らしき靴が一組置かれているだけで物凄く寂しい。

 靴を脱いで、静かで落ち着く内装が施されている廊下を歩く。

 一歩一歩確実に廊下を歩いていくと部屋の光が薄っすらと漏れている扉に着いた。おおかた、ここがリビングだろう。

 そう思い、扉を開けると、その先には予想通りのリビングが有ったが苑宮はいなかった。

  ハズレか、と思い扉を閉めようとしたら一つの声に阻まれた。


「どこに行くの」


 声が聞こえた方向を見るとそこに居たのはカップを二つ持っている苑宮だった。


「コーヒー、ブラックじゃなくて良かったよね」

「あぁ、それは別にいいけど……」


 俺が答えると苑宮は、壁についているでっかいテレビの前にあるテーブルにカップを 二つ置いた。

 苑宮はテーブルの後ろにある高そうなソファを背もたれにして、コーヒーをちびちびと飲んでいた。

 まぁ、せっかくだからコーヒーくらいごちそうになっていくか。

 コップが置かれたところに座ったが、その場所が苑宮と近すぎるたから少し離れた。


「ほらこれ」


 バッグから茶封筒を出して横にいる苑宮に差し出した。


「ありがとう」


 苑宮は茶封筒を受け取り、中を少し見るとテーブルの上に放り投げた。

 これで用件は済んだのでさっさと帰ってもいいのだが、カップの中にはまだコーヒーが残っていたのでこれを飲んでから帰ることにした。


「……」


 何か会話をする内容もなく、ただ二人ともコーヒーを飲むだけで時間が少しずつ過ぎていく。

 気づくとカップの中にはコーヒーはもう入っていなかった。

 もう帰るか。


「それじゃあ、俺もう帰るわ」


 その言葉を言って立ち上がろうとするが、逆に倒れてしまった。


「なんだよ」


 俺の事を押し倒した張本人である苑宮に尋ねた。


「……」


 いや、何か答えろよ。


「―――らないで」

「何だよ」


 霞んで聞き取りにくい音が良く聞こえなかったので、聞き返した。


「―――帰らないで」

「……」


 とても小さくて、一息するだけで吹き飛んでしまいそうな一言。

 その言葉の返答にyesもnoも言わなかった。

 俺は苑宮を少しどかしてまた近くに座った。

 結局俺は苑宮の事が物凄く心配なのだろう。





 アレから苑宮とは必要最低限の言葉しか交わさなかった。

 別にお互いがお互いに気を使っているわけではなく、お互いが望んでそうしているのだ。

 これが両方にとっての平和なのだろう。

 馬鹿馬鹿しい。


「次は何する」


 苑宮はこっちをじっと見てくる。


「あぁ、これでいいんじゃね」


 俺は苑宮にスマホの画面を見せた。

 画面には結構有名なアプリゲームの画面だった。


「わかった」



 返答を返して苑宮は、自分の画面にまた集中した。

 それにしても、苑宮はここまで穏やかだっただろうか。

 たしかに、ここ最近の苑宮は穏やかじゃなかったがそれにしてもだ、ここまで穏やかな苑宮を始めて見た。

 何というか、いつもの十倍増しくらいに可愛い。

 いや、これはアレだ。ここが苑宮の家で苑宮の服がいつもの制服ではなく部屋着だからだ。

 あれ、何かそう考えると物凄く緊張してきた。

 そういえば、俺ってもしかして生まれて初めて女子の家にいる。


「ねぇ?」


 こちらを心配そうに見てくる苑宮。苑宮の顔がさっきよりも近づいている。


「大丈夫?」

「ヒャッ、だ、大丈夫大丈夫」


 俺が大丈夫、と言っても苑宮は少し心配しながら顔を離してこちらを見る。

 ヤバいすごく緊張してきた。

 女子の家で二人きりとか緊張しないわけがない。

 心臓の鼓動がいつもよりも早いのが分かる。部屋に響く音がアプリゲームのBGMでも、今の俺には場を盛り上げるクラシックに聴こえてくる。

 視界に入るすべての物が俺の刺激してくる。

その中でも一番刺激を与えてくるのが、すぐ横にいる苑宮だ。苑宮との距離何ていつの間にか握りこぶし一つ分あるないかの距離だ。もう、少しでも動けば確実に触れてしまう様な隙間。


「な、なぁ、親とかは今日いないのか」


 俺は心臓がはち切れてしまわないように苑宮に尋ねた。これくらいしか今は出来ない。


「うん。お父さんは仕事で何処かに言っている」

「母親は?」

「お母さんも仕事で何処かに言っている。二人とも仕事人間だからそれぞれ仕事場の近くに家を借りてるからこの家に帰ってくるのは三か月に一回あるかないかくらい」


 それは何というかアレだな。


「別に育児放棄とかではないよ。この家では普通の事だし、私が小学生くらいの時まではよく二人とも家にいたから」


 小学生までは、か。

 それはこいつにとって一番大事な時には、一番すがるべき相手が居なかったという事だ。


「そう」


 自分で聞いときながら返しがそれとは我ながら残念だ。


「うん」


 苑宮は頷くと沈黙が出来た。

 少し居心地が悪い沈黙。俺は何か会話をするために部屋の辺りを見回した。

 部屋には高級感漂う雑貨しかなくて直視できなかった。

 だけれど、一つだけ直視出来たのがあった。それは時計だった。

 時計は黒と白で作られていて、丸くてシンプルであるがどことなく高級感が溢れてくる時計だった。

時計の文字は全てローマ数字でわかりにくいが今の時刻が午後の六時半だと分かった。


「もう六時半だし、帰るな俺」


 俺は近くにあるバッグを持ち立ち上がった。


「待って」


 その言葉と同時にズボンを引っ張られた。


「ん、何だよ」

「その、ご飯食べていかない?」


 いや、いい、と言おうとしたが言えなかった。

 別に物理的に口を閉じられているわけでもないので、言おうと思えば言えるのだが、言えなかった。言いたくなかった。


「わかった。ご馳走になる」


 またもや、帰るのを止めると苑宮は物凄く嬉しそうな顔をして台所に行った。


「ふぅー」


 息を一回吐く。

 この調子だともしかしたらこの家に泊まるな。

 そんな事を考えながら何か手伝いをするために苑宮の後を追って台所に行った。





 晩御飯を作り始めてから約一時間。ようやく今夜の晩御飯が完成した。

 俺は黒を基調としたもの静かなテーブルの上にハンバーグと副菜のサラダが盛られた白い皿を二つ対極の場所に置いた。


「うん。さすが俺、上出来」

「いや、ハンバーグ作ったの私」


 後ろから野菜スープを両手で持った苑宮に突っ込まれてしまった。


「この上出来は、綺麗な盛り付けが出来た俺がすごい、と言う意味だから」


 弁解するが苑宮はそねー、と言い華麗にスルーした。

 苑宮はいつの間にか物凄く元気なっていた。晩御飯を作り始めるとエンジンがフルスロットルで回り始めたらしく、物凄く元気になった。

 俺はテーブルの上に置かれたポトフが置かれた皿を見る。その中には不ぞろいに切られたジャガイモやニンジンが所狭しと入れられていた。

 負けたな。

 そうしていると甲高い電子音がなった。どうやらちょうどご飯が炊けたらしい。

 苑宮はホッカホカに炊き上がったご飯を二つ茶碗によそる。一つは大き目な薄い鼠色の茶碗。そして、もう一つが薄いピンク色の茶碗によそった。


「ほら、突っ立ってないで食べよう」


 後ろからきた苑宮の言葉に従って薄い鼠色の茶碗が置かれている方に座った。そして、その正面に苑宮が座った。


「「いただきます」」


 俺と苑宮がほぼ同時にいただきますを言い食事が始まった。

 俺はまず自分で作ったポトフに恐る恐る口を付けた。ちゃんと作っている途中で味見とかもしたがそれでも少し心配だ。


「おー、普通」


 野菜スープの味は薄くも無ければ濃くもないという何処にでも有りそうな味だった。一応おいしいと言えるがそこまでのスープ。

 てか、スープに入っている野菜たちの一つ一つの大きさがバラバラ過ぎて中まで染みている野菜もあれば、中まで染み切ってない野菜もあって微妙だ。食えないこともないが、率先して食いたいとは思えない。

 俺はそう思うが目の前にいる苑宮は何故かこのスープを飲んで満足げだ。


「このポトフ、そこまでおいしいか?」


 その言葉に苑宮は首を縦に振らなかった。


「美味しくはないけれど、この野菜の不ぞろいとかは、結構好き」

「おお、そうか」


 苑宮から予想とは違う返答が来て少し焦ってしまった。別に、まずいとか、もう食べたくないとか言ってくれてよかったのに。

 一旦、心を落ち着かせて、次に箸をつけたのは苑宮が作ったハンバーグだった。

 箸でハンバーグをちょうどいい大きさに切る。すると、中から溢れ出る様に肉汁が出て来た。


「おお」


 ここまで肉汁が出るハンバーグはテレビとかで見る高級レストランでしか見たことがない。

 俺は肉汁が溢れ出るハンバーグを見ながらコッソリと目の前にいる苑宮を見た。


「今日のはまぁまぁね」


 そう、感想を述べながらハンバーグを食べていた。

 唾をのむ。

 もしかしたら、肉汁が溢れているだけで味はまぁまぁなのかもしれない。

 恐る恐るハンバーグを箸で掴む。箸が震えている。

 落ち着け岸峰晃弥。何故震える。ただ目の前にあるハンバーグを食べるだけだろう。一体何を躊躇するというのだ。コンビニの肉まん感覚でパクっと食べておいしいと言えばいいのだ。

 箸の震えが収まった。

 いざ、行くのだ岸峰晃弥。所詮はハンバーグ。獣どもの血肉をこねくり回して形作った肉片の集合体だろ。何をためらう。そう、こんなの誰が作っても味は同じだ。目の前にいる苑宮が作ったからって味はそこまで変わらないだろ。だから行くのだ、岸峰晃弥。

 ハンバーグを掴んだ箸を口の目の前まで持っていくがそこで止まる。

 苑宮が作った。苑宮は生物学上一応女子だ、多分。その、苑宮が作った料理。

 つまり、女子の手作り料理。

 あれ、俺ってもしかしていま、人生初の女子の手作り料理を肉片の集合体と思っているのか?

 いや、でも苑宮だ。一応女子だが女子だ。なら、人生初の女子の手作りだろ。全ての男子が夢に見る手作り料理だろう。しかも、学年一と言われるほど人気がある苑宮だ。それをコンビニの肉まん感覚で口に入れようとしていいのか。いや、いいはずがない。ちゃんとお清めをして、神々にこのありがたさを伝えて初めて、口に着けることが許されるのではないか。

 俺がハンバーグを掴んだままハンバーグをじっと見ていると、苑宮が不振がりながら訪ねてきた。


「そんなにハンバーグをじっと見てどうかした?食欲がない?」

「い、いや。そんな事は無い」


 俺はそう言うが、苑宮は箸を止め不振そうにこちらを見る。

 何か見られていと気まずい。てか、食べにくい。だが、そんな食べにくい状況を作っているのは間違いなく俺だ。なら、早くこのハンバーグを口に入れておいしい、と言うのだ。それを苑宮は望んでいるはずだから。

 俺は苑宮に見られながら勢いよくハンバーグを口に入れた。


「……んっ」

「どう?おいしい?」


 口に入れたハンバーグを咀嚼して、飲み込む。

 このハンバーグを食べたら誰であろうと発する言葉は一つだけだろう。

 陳腐で、ありきたりな語彙力がない言葉で一言。


「うめぇぇ」


 今まで食べたハンバーグで一番美味しかった。





「食いすぎた」


 あのハンバーグを食べてから俺は夢中になってご飯を食べた。それはもう、何日も飯を食べてない放浪者の様にご飯を食べた。


「勢いよく食いすぎ」


 横にいて、濡れた皿を渡してくる苑宮に言われてしまった。


「いやでも、普通にうまかったからな」


 渡された皿を受け取り、皿についてる水滴を白の布巾でふき取り、台に置く。


「はい、ラスト」

「ほい」


 最後の皿を苑宮から受け取り水滴を拭く。


「なぁ、これは何処にしまえばいい?」


 俺は拭ききった皿を数枚重ねて持つ。


「その皿はそこの棚にしまって」


 俺は言われた棚に皿をしまう。

 皿を全てしまい終わり、後ろを向くと苑宮は二つのカップにお湯を入れていた。

 下から溢れる様に湧き上がってくるのは透明なお湯と、黒い液体だった。

てか、コーヒーだった。


「はい」


 そうして淹れたてのコーヒーが入ったカップを苑宮が一つ渡してきた。


「サンキュ。てか、夜からコーヒーかよ。眠れなくなるぞ夜」


 カップを受け取ってコーヒーを口につける。うん、さっきと同じコーヒー。

 俺は晩御飯食べた席にまた座る。

 部屋を軽く見渡しながらコーヒーをちびちび飲む。

 高級感のある調度品が並べられている部屋。いや、部屋と言うより箱といった方が的を射ているだろう。この部屋は高級なモデルルームの雰囲気を感じる。

 コーヒーをちびちび飲んでいると隣の席に苑宮が座ってきた。横目でチラッと見るが話しかける気はなく、俺と同じくコーヒーをちびちびと飲んでいた。

 部屋に響く音は、時計の針がちくたくとリズムを刻む音だけ。

 この会話のない空間がさっきとは違い、愛おしいと感じてしまうのは何故だろう。マットの上ではなく椅子の上に座っているからだろうか。コーヒーを飲んでいるからだろうか。多分、すべて違う。自分でも、何故愛おしいと思うのか分からないが少なからず、俺はコレを失いたくないのだ。

 気づくとカップの中のコーヒーは無くなっていた。

 時刻は午後八時を過ぎていた。そろそろ帰るか。


「俺はそろそろ帰るな。晩飯ありがと」


 持っていたカップをテーブルの上に置き、流れる様に床に置いてあるバッグを持ち、リビングから出る。


「あっ」


 苑宮は後ろから焦るようにして追ってくる。

 リビングから出て玄関に着き、靴を履いていると、いつの間にか追いついていた苑宮が言葉を放つ。


「……ねぇ、もし良かったら泊まって行かない」


 質問のようで質問ではない悲しそうな言葉。


「いや、流石にそこまではいいや。それじゃあな」


 靴を履き終わり玄関から出ようと立ち上がる。


「あ、待って」


 後ろから小さな衝撃がくる。ぶつかってくるというよりも、勢いよくくっ付いてくるという様な感じだ。


「お願い待って」

「どうした」

「お願い今日だけでいいから泊まって行って」

「いや、だからそれはさすがに無理だって」

「お願い」


 背中の一部に濡れたような感触が来る。


「お願い。私を一人にしないで。眠りたくないの」


 俺はその言葉をただ聞く。


「眠るのが怖いの。いつもいつもいつも眠ると必ず同じ夢を見る」


 ゆっくりと後ろにいる苑宮が言葉をこぼす。


「何かが私の中に無理入ってくるの。何個も何個も大小さまざまな形をしたナニカかが、私の中に無理矢理入ってくる。様々な声が無数に響き渡る。そして、私はそれに耐きれずに破裂する。それが毎日毎日毎日、夢で見る。だからお願い、こんなどうしようもない私だけれどお願い。―――助けてよ」


 それは、まさしく地獄と言っていいのではないのか。確かに彼女はけしって聖女と言われるような尊い存在ではない。

 だが、それでも決して地獄に落ちるような人間ではないのだ。そんな事は俺が認めない。


「……ごめん。じゃあな」


 俺は無理矢理後ろにくっついている苑宮をはがす様にして玄関からでて苑宮邸を後にする。

 あぁ、ちくしょう。

 自転車にまたがり勢いよく自分の家を目指して自転車を扱ぐ。

 この野郎。見なければ良かった。

 最後に玄関の扉が閉まる瞬間、横目でチラッと苑宮の姿を見てしまった。

 あんなに、悲しく、涙を流した苑宮を俺は初めて見た。そして、その原因として俺にも罪があるという事に苛立った。





 ベッドの上で横になっていると目覚まし時計の音が部屋に響き渡る。

 もう時間か。

 鳴り続ける目覚まし時計を止めて、部屋から出る。

 時刻は深夜二十三時五十五分。

 多分これが最後。いつもは雪ノ瀬さんなのに、今日会ったのが寧々木さんと言うのが、何となく特別感を感じる。

 俺が今日寧々木さんと会ったのは、苑宮の家から自分の家に帰った時だ。





「よう」


 俺が自転車をしまい、家に入ろうとするときに後ろからいきなり声を掛けられた。


「今日の二十四時に向かいに行く。それまでにすることはしとけ」


 驚きながら振り向くといつもよりも真剣な顔の寧々木さんがそこに居た。


「わかりました」

「それだけ伝えに来ただけだから。じゃあな」


 言い終わると寧々木さんは真っ暗な道を歩いていった。





 これくらいなら電話でよくないかと思ったがもう、後の祭りだ。

 俺は三十分ほど前に左腕に付けた腕時計を見る。時刻は五十九分だ。

 玄関を開けて外に出ると、家の前には見覚えのある自動車が一台止まっていて、自動車の傍には寧々木さんが煙草を吸いながら立っていた。


「お、来たか。じゃあ乗れ」


 寧々木さんは助手席に座り、俺は駆け足で後部座席に座った。前の運転席に座っているのはいつも通りの雪ノ瀬さんだった。

 自動車は俺が乗ると真っすぐ進んでいった。

 寧々木さんに今日の目的地を聞こうとしたが寧々木さんの真剣そうな顔を見て聞けなかった。

 そうして、自分たち以外誰もいない道路を見ながら目的地を考える。

 無人の道路を見ていると自動車が止まった。赤信号とかではなく止まった。


「ついたぞ」


 どうやら目的地に着いたらしい。

 自動車から降りて目的地を見ると、そこは俺に取って馴染み深い場所だった。


「高校?」


 目的地は高校だった。


「そう、ここがこの事件の終点」


 終点?と、思ったが、思い出してみると雪ノ瀬さんと公園で話した時に色々といっていた。


「はい、これ」


 雪ノ瀬さんから渡されたのはいつもの自動拳銃と五つの弾倉。今日は弾倉がいつもよりも三つほど多い。

 慣れた手つきで、弾倉を装着する。

 何故か心臓の鼓動がいつもよりも早く感じる。ついさっきまでいつも通りだったのに、突然酸素が恋しくなった。もっと、もっとよこせと頭が言い、その命令を聞いて身体が空気を吸う。いや、これはもう吸うのではなく、喰らう。空気を貪っていた。

 だが、そんな時、一つの言葉が脳を揺らした。


「―――準備は出来た?」

「えっ」


 鼓膜の内側から囁かれたような言葉。

 別に何か特別な言葉ではない、普通の言葉。

 そして、いつの間にか恋しさは消えていた。


「だから、準備は出来た?」

「あ、はい。出来ました」


 反射的に言葉を返す。

 俺は目の前にいる雪ノ瀬さんを見る。その姿はどことなく違和感を俺に与えた。


「雪ノ瀬さんも行くんですか」


 いつもとは違い自動車から出て、拳銃の残弾数を確認している雪ノ瀬さんの姿が俺に取っては物凄く違和感を与えた。


「うん。流石に今日は二人だけじゃ足りなそうにないからね。全くも―、私本当は非戦闘員何だけどなー」


 チラッと寧々木さんを横目で見ながら言った。


「うるせー、訓練で十発中十発当てた奴が、非戦闘員とか言ってんじゃねーぞ」


 煙草を吹かしながらこちらを見ずに言う。視線は腕時計と高校を行ったり来たりを繰り返していた。


「でも、十発中十発ってすごいですね」

「そう?こんなもんでしょ」


 雪ノ瀬さんは当然であるかのように言ってるが、アレを全発命中はすごいと思う。

 自分が使った事が無かったらなんとも思わなかっただろうが、今使っている身からすれば全発命中と言うのは普通にすごい。


「それに、こんな機械仕掛けの力では胸を張ることは出来ないしね」


 まるで自分自身に言い聞かせる様な言葉に俺は疑問に思ってしまった。


「え、それって―――」


 尋ねようと、言葉を発するが最後まで言う事は出来なかった。


「時間だ」


 寧々木さんが俺の言葉を塗りつぶす様に言った瞬間、世界は変わった。





 俺はその光景に目を疑った。

 唖然と呆然としてしまう。

 寧々木さんの言葉と同時に空は真っ暗な暗闇から、怪しいほど紅く光る空に変わった。


「一応確認だ。今回の仕事はこの事件に置いての根源を排除することだ」


 寧々木さんは真剣な顔で説明する。


「俺は体育館を雪ノ瀬は校舎を岸峰はグラウンドにいる敵の排除をする」


 説明が終わると、閉まっていた校門を開けて寧々木さんは高校の敷地に入っていった。それに続いて、雪ノ瀬さんも入っていき、一番最後に俺が少し夜の学校にワクワクして足を踏み入れた。

 高校の敷地に入ると、外からは見えなかったがそこには人がいた。それも数人単位で立っていた。


「人?」


 薄暗くてよく見えないが影の形からして多分人だろう。だが、何故こんな時間に人がいる?しかも一人ではなく数人で。

 気になり、話しかけて見るか悩んでいると、ソレは一斉にこちらを向いた。


「ヒッ!」


 驚きすぎて尻餅を着いてしまった。

 そうだ、何故コレの存在を考えてしなかった。

 こんな時間帯に人なんているわけがないのに、何故か俺はアレを人だと思った。

 あの、陶器の様な、いや陶器そのものの様な光沢、人の形はしているが顔がなく、貌しかない頭部。そう、アレは何度も見飽きた―――。

 その瞬間爆音と爆風が辺りを満たした。


「ほら、岸峰君。立った立った」


 雪ノ瀬さんは地面に座り込んでいる俺に向かってそう言うと、拳銃で発砲し始めた。もちろん標的はアレらだ。

 俺も立ち上がり、応戦する。

一分もしない内にここにいる敵は全て倒すことが出来たが、少し疲れた。

だけれど、寧々木さんは俺の疲れなんて知らずに校舎に向かって走っていき、追うようにして寧々木さんを走る。


「えぇい、こんちきしょう」


 俺もそのあとを追いかけた。





 二人の後ろを走っていると、前から斧を引き摺りながらやってくる。

 十体くらいで走ってくるそれらの中には一体だけ異物が紛れていた。


「何だアレは」


 全員走っていた足を止めてその異物を視る。

 異物は三メートルを超えるほど大きく、他の奴らよりも機械じみていた。

 異物には何も塗装がされていないと分かる銀色の光沢が見えてくる。


『―――撃破対象ヲ確認。コレヨリ殲滅命令ヲ開始スル』


 雑音交じりの音が聞こえる。

 その音聴いた瞬間、前にいる寧々木さんは物凄い速度でソレに向かって駆けていく。


「体(たい)を持って業(ごう)をなし―――」


 寧々木さんは異物に向かって走りながら言葉を吐くように言葉を放つ。

 そして、言葉と連動するかのように右腕には不可解な光が収束し始める。

 間と間に滑り込む様にして走る。


「―――業(ごう)を用いて技(わざ)となせ。ハッ!」


 光が収束された右腕を異物に突き出す。

 数秒にも満たない刹那、異物に近寄り言葉と同時に其れを放つ。

 そして、一つの白い杭が異物を穿つ。穿たれた異物は地面に崩れを墜ちた。

 俺はその光景をただ呆然と見ていることしかできなかった。何もできなかった。

 だが、現実は呆然に浸ることを許さず、ソレらはこちらに向かって走ってくる。

 拳銃を構え、標的を決めて、銃弾を放つ。

 が、俺が放つ銃弾は当たらずに地面を抉る。たったそれだけの、今までも何回も何回も外してきた時以上に焦りを積もらせているのが分かる。


「撃つのなら落ち着いて撃つ。それでも当たらないのならもっと近づいて撃つ」


 すぐ横にいる雪ノ瀬さんは全弾命中をさせながら助言を言ってくる。

 それくらいわかっている。近ければ近いほど当たりやすいのは当たり前だ。そう考えているうちに自然とグリップを握る力が強くなる。

 標的を決めて狙いを定めて撃つ。

 が、それはまた地面を抉る。

 たったそれだけの事なのに焦りを今まで以上に感じる。心臓の鼓動が今まで以上に早くなり、にぎる力がより一層強くなる。


―――今度こそ絶対当てる―――


 標的を定める。

 まだだ、もっと近づけて、確実に仕留める。

 ソレは斧を引きづりながらこっちに向かってくる。

 まだだ、絶対外さないためにはまだ引き寄せる。

 まだ、まだ、もう少しだけなら、と思っているうちにソレはどんどん近づいてくる。

 もう、十分な距離なのに引き金を引かないでいると、標的だったソレは一つの音と共に地面に倒れた。雪ノ瀬さんが撃ったそうだ。

 標的を変えようと辺りを見回すが、視界内にはソレらはいなくなっていた。

 でも、標的が居なくなって安心するはずなのに、グリップを握る力は一向によわくならない。いや、むしろ強くなっている。

 早くしなければ、早くしなければ、早くしなければ追いつけない。と考えていると頬に衝撃がやってきた。


「えっ……」


 衝撃のせいで頭の中が一瞬真っ白になった。

そして、衝撃の後から追うようにして痛みがやってきた。


「ばか、焦りすぎ。もっと落ち着いて。ここから先は彼方にしかできないんだからもっと落ち着いて」


 その言葉により、誰に何をされたのか理解した。

 俺は雪ノ瀬さんに叩かれたのだ。思いっきり叩かれた。

 雪ノ瀬さんの言葉が頭に響き渡る。確かにそうだと、納得しかできない自分がそこに居る。納得しすぎて睨むことも出来ない。


「・・・はい。すみません」


 でも、それでも、グリップ握る力は今まで通り強く握っていた。





 十分ほど経ち、俺は一人で歩いていた。

 別にもういらないと言われたわけではない。

 ただ、予定通りに寧々木さんは体育館へ、雪ノ瀬さんは校舎へ、俺はグラウンドへ向かっているだけだ。

 グラウンドに近づく足がだんだんと軽くなり、握る力が弱くなっていく。なぜだか、焦りもだんだんと無くなっていく。

 そして、グラウンドに到着する。ここのグラウンドは校舎よりも低いところに作られているため、階段を一段一段グラウンドに向かって降りていく。

 その、グラウンドは怪しく紫色に光り輝き、中には二人の人影が見える。今度こそ間違いなく、人間の影。

 人影の一人が俺に気づいたのか、こちらを向きいやらしい笑みをこぼす。


「全くわざわざご苦労様ですねー。もう少しで完成するというのに」


 黒い神父服を身にまとい、首からは十字架のネックレスを垂らす、二十代後半くらいの茶髪の男性。

 俺はその言葉を無視して階段を降りて、足を地面につける。


「おやおや、ここに踏み入ったという事は宣戦布告と受け取ってもいいんですよね?」


 その言葉は耳を右から左に流れていくだけ。

 俺の注目はもう一人の人影に注がれていた。

 大きな十字架に巻き付かれた人影。

 つい数時間前にも会って話した彼女。

 普通ならこの場合怒り、なぜ彼女にこんなことをした、と尋ねるべきなのだろう。だが、俺にはその言葉は脳裏にすらよぎらなかった。

 俺は分かっていたのだ。ずっと前からこういう結末が待っていると分かっていたのだ。

 だから、驚かない。

 怒りだって湧いてこない。

 むしろ予想通り過ぎて笑みすら零れそうだ。


「おやおや、無視とは。常識が成ってませんねぇ。ですがまぁいいでしょう。私は寛大ですから、特別に許しましょう」


 神父はニッコリと嗤う。


「では、ついでと言うのも何ですが自己紹介をいたしましょう」


 神父は変わらずに笑い続ける。

 俺は拳銃を神父に向けて標的を合わせる。


「私の名前はレイヴィル・ファーティス。以後お見知りおきを」


 神父レイヴィル・ファーティスの名乗りが終わった瞬間、グラウンドに銃声を響かせた。



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