第5話

「――みね。―――岸峰」


 誰かが俺の事を呼んでいる声がする。


「うるさい。寝させろぉ」


 俺は声を掛けてきた奴の顔を見ずに腕枕をしながら声だけ返した。

 あの後、寧々木さんの家まで送ってもらい、シャワーを浴びてベッドに入った時には深夜二時を過ぎていた。それで起きたのが朝の七時だから五時間しか寝てねぇ。マジねみぃ。

 そのせいで、授業の合間の休み時間は机の上で寝ていたが、昼休み以外ろくに眠れなかったし、昼休みに睡眠しても、ついさっき終わった今日最後の授業では後半のほとんどを夢の中で過ごしていた。


「いや、でも。お前のスマホ、電話来てるぞ。あ、切れた」


「はあ?スマホだぁ?」


 俺は何とか頭を持ち上げ、寝不足な目で俺に話しかけてきた奴を見た。やっぱり、上本だった。


「ほら、スマートフォン」


 俺の前の席に座っている上本はスマホを見ろと言うサインを出してきた。


「電話って。たく、誰からだよ」


 俺が電話帳に記録されているのは父と母と目の前にいる上本と入れたはいいが一回も電話してない赤城だけだ。その他にいるとしたらメールアドレスだけ知っている苑宮だけ。

 一体誰からかなぁ~、と思いながらスマホを開くとかかってきたのは誰からでもない非通知からだった。俺はめんどくさそうな顔をしてスマホを机の中にしまった。


「電話いいのか?」


「あぁ、いいんだよ。非通知だったから大方間違い電話だろう」


 俺はそう言うと少し目が覚めてしまったので寝ることを諦めてボーっとすることにした。

 たまたま教室の黒板付近を見ると苑宮が数名の女子と話をしていた。会話の内容は

聞こえないがどうせしょうもない会話だろう。


「お前、最近苑宮さんの事よく見ているよな。何、好きなの?」


 上本がそんな事を口走った。


「そんなわけないだろう。何言ってんのお前」


「いや、だって最近よく苑宮さんのこと見てるから、好きになっちゃたのかなぁ~って」


「え、なに俺ってそんなに苑宮のこと見てる?」


 俺がそう聞くと上本は「見てる、見てる」と言いながら首を縦に振った。


「まぁ、しょうがないよな。苑宮さん……可愛いし」


 上本は最後だけ語尾を弱らせていた。その声音は上本自身に言っている様に感じた。

 俺は少し違和感を持ったが気のせいと思い飲み込んだ。


「ともかく、さっさと帰ろうぜ」


 俺はゆっくりと立ち上がると横に置いてあるバッグを取った。


「それもそうだな」


 上本も俺と同様に立ち上がり、自分の席に行った。

 俺は上本の後を追いかけるような形で後を付いていった。





「それにしても最近多いよな」


 上本は歩きながらそんな事を言ってきた。


「多い?何が」


「何がって殺人事件だよ」


「あぁ、あれな」


「しかも、昨日あったところが俺ん家(ち)の近くでさ、パトカーの音で目が覚めだぜ」


「あ、えっ」


 俺は上本の言葉に驚いた。昨日もあったのか?寧々木さんと一緒に頑張ったのに昨日もあったのか?いや、でもよくよく考えれば俺も襲われた時にも一件あったから特に変わりはないのか?


「そんなに気になるならスマホで見て見ろよ」


「あぁ、それもそうか」


 俺はいつもスマホを入れてるポケットをあさってみるがそこにはスマホなんて言う便利道具は入ってなかった。


「あれ?あれ?」


 思い当たると場所をとことんしらみつぶしに探すがスマホは入ってなかった。


「スマホ学校に忘れてきた」


 俺は独り言の様に呟くと急いで押していた自転車に乗った。


「俺、学校戻るからじゃあな」


「じゃあなぁー」


 俺は上本の返事を聞くとさっき通った道を逆走していった。





 上本と別れて数分ほど自転車をいつもより少し早めに漕いで高校に着いた。道は同じだが、せっかく降りた坂道を登るのはとても苦行だ。駐輪所に自転車をしまい、駆け足で階段を上り、廊下を歩いて教室まで行った。

 教室に着くと教室の中には誰もいなかった。まぁ、当たり前か。

 自分の席まで歩いて机の中を覗き込むと俺のスマホが一つだけ置いてあった。


「おっ、有った有った。良かったー」


 独り言を適当に言ってスマホを開こうとするとき後ろから声が聞こえた。


「岸峰……」


 俺は一瞬驚いて後ろを振り向いた。苑宮だった。


 苑宮は教室のドアの所にいたが、俺が振り向いたことに気が付くとすぐさま俺の下に駆け寄ってきた。


「なんで、メールしたのに来ないの」


 苑宮は俺の胸元を掴んできた。


「い、いや、悪い。携帯学校に忘れてしまって今取りに来たんだ」


 俺は事実をそのまま述べたが、納得しないのか掴んだ胸元を離さなかった。

 こういう事は前から何回もあった。俺が家にもう少しで着く時にメールが来たり、四時半過ぎ位に来たメールを俺が買い物とかしていて気づかなくて七時過ぎにメールを返信した何てことは今までも何回もあった。だが、大抵そう言う時、苑宮は気にしてなかった。気にしていたとしてもここまで大胆な事はしてなかっただろう。


「なんで、返信しないの」


 苑宮は頭を俺の胸元に当てて表情を見せて来ないが、言葉だけでどういう表情をしているか大体予想が着いた。


「いや、だからっ……んっ!」


 突然、苑宮は俺の口に自分の唇をくっつけた。

 あの部屋だとよくある日常の様な事だが、ここは教室だ。いつ、誰が教室に入ってくるか分かったもんじゃない。


「ん……んっ、ちょっ、お前ここが何処か分かってんのか!

 俺は無理矢理突き飛ばす様に苑宮を離した。

 苑宮は少し倒れそうになったが近くの机に寄りかかり、倒れそうな身体を押しとどめた。


「ごめん、大丈夫かっ」


 俺は急いで苑宮が大丈夫か、聞いたが返事は帰ってこなかった。が、その代わりにまた苑宮は駆け寄ってきた。

 いくら俺でも同じ手に二度は通じない。向かってきた苑宮の身体を抑える様に掴んだ。


「お前、本当場所分かってんのか、ここ教室だぞ!」


 俺は少し怒り気味に、いつもよりも大きな声で苑宮に言った。


「―――かってるわよ」


「え?何だって」


 苑宮の呟くような小さな声が聞こえなくて訊き返した。


「分かってるわよ!そんな事!」


 今度は大きすぎる声で言ってきた。


「ここが教室だって分かってるわよ!でも、ソレでも、怖いの!何で私が呼んでこないのよ!来てよっ!お願いだから来てよ」


 いつもの、ここ最近の苑宮でも、絶対に在りえない叫びの言葉を苑宮は吐き出した。

 これは異常とも言える。ここまでの事なんて多分あの時位のモノだろう。

 あぁ、この表情が俺は一番嫌いだ。この苑宮の表情は嫌いだ。目を涙目にさせて、何かに我慢してるような苦しい表情を作っている。そんな今の苑宮が嫌いだ。


「んっ……」


 そして、また苑宮は俺と口をくっつけて口付けをする。

 さっき見たく拒絶しよう思えば簡単に出来るがさすがにさっきの言葉を聞いてしまったら出来ないし、したくない。

 結局、俺はこの程度の事しかできないのだ。俺が苑宮のために出来る事と言えばこの程度のものでしかない。

 呼び出されれば近づき、呼び出されなかったら業務連絡くらいしかしない。お互い特に何かを話すわけでもなく、何かをするわけでもない。

 でも、ソレでも。俺は苑宮には笑顔でいた欲しいのだ。今のこんな顔なんて見たくもない。だがら、俺は今の苑宮は嫌いだ。

 そして、それ以上に、その何十倍、何百倍で何もできない俺の事が俺は大嫌いだ。





「ありがとう。それじゃ、また明日」


 俺と苑宮は数分程口付けをしていると、苑宮は俺から口を離してそれだけ言って帰って行った。

俺は苑宮が教室から出て行って見えなくなるのとほぼ同時に地面に座りこんでしまった。もう、座りこんで十分は経っているだろう。

俺は苑宮の悩みを甘く見ていたのかもしれない。本来なら絶対に在りえない苑宮の行動。こんな教室で口付けをするなんて本来なら在りえない。あってはならない。幸い教室には誰も入って来なかったし、誰も通らなかったから良かったものの、もし誰かが入ってきたり、通り過ぎてしまったら完璧アウトだ。

俺と苑宮の周りが見る関係は学級委員長と副学級委員長と言う関係なのだ。周囲から見られている関係は何処にでもいる普通の関係。話す必要が有るなら話すし、話す必要が無ければ無理には話さない。

だけど、今さっきの苑宮は異常だった。あいつが口付けをしてくるときは大抵ストレスが溜まっている時だが、今まで苑宮が教室でしてくるなんて事は無かった。


「ちくしょう」


 俺は別に苑宮の事が好きなわけではない。だけど、それでも、俺は苑宮のために何かしなくてはならないという義務感が湧いてくる。

 彼女の罰は俺にも与えられなければいけなかったのだ。だから、俺が彼女にすることは贖罪だ。


「やるかっ」


 俺はそう言って立ち上がって教室から出ていった。





 校舎から出て駐輪場に止められている自転車に乗って走り出す。

 校門を抜けて、坂道を下り、少ししたところで赤信号にぶつかった。今日で四度目に通る道はやっぱりだるい。いつもは二回でいいのに四回も通っていると考えてしまうだけで身体がだるくなる。なにより、坂道と言うのが最悪だ。


「はぁー」


 ため息を吐きながら赤が青に変わるのを待っていると後ろから一つの甲高い自動車のクラクションが聞こえたが、俺に向けられたものではないから無視だ無視。

 そうしているとまた、甲高いクラクション音が何回も何回も鳴らされ続けた。

 うるせぇー、一体なんだよ。

 これ以上はうるさくて一体誰が鳴らしているのか見てやろうと思い後ろを振り向くと、そこには運転席に乗っている雪ノ瀬さんが物凄い笑顔でクラクションを連打していた。


「おいコラ、岸峰」


「は、はい。ど、どうも、十四時間ぶりです」


 怖い、笑顔が怖い。しかも、いつもは岸峰君なのにさっき岸峰って言ったぞ。マジで怖い。こんなのただのヤンキーのカツアゲと変わんねー。てか、知り合いだからヤンキーのカツアゲよりも怖い。てか、そろそろクラクション鳴らすの止めて。近所迷惑だし俺にも迷惑だから。


「ねぇ、岸峰君」


「は、はい!」


 いつもと同じ岸峰君に戻ったがそれでも怖い。


「なんで、電話出ないの?」


「へっ、電話?」


 え、電話って何?俺雪ノ瀬さんの電話番号知らないんだけど。


「そう、電話。一時間くらい前から何回も何回も電話してるんだけど。渡したはずだけど持っているわよね電話番号」


「え、いや。俺雪ノ瀬さんの電話番号なんて持ってませんよ」


「は、いやいや渡してるから。あの夜、寧々木から電話番号貰ったでしょう。あれ、私の電話番号」


「え?」


 マジかよ……。てか、何で俺の電話番号知ってるの。怖いんだけど。





「ともかく、これは私の電話番号だから登録しといてね」


「はい、今すぐします」


 俺と雪ノ瀬さんはさすがにあのまま路上で話し込むわけにもいかず、近くにある自然公園に集まった。

 この自然公園は四ノ原市の中でも特に大きく、丘の急斜面の上に建てられている。休日は多くの家族連れの親子が遊びに来ているが、今日みたいな平日の夕方だと人なんて走りに来た人が数人くらいだ。

俺と雪ノ瀬さんがいるのはそんな丘の急斜面に建てられた自然公園でも特に人が来ない

丘の頂上にある一つの屋根のあるベンチ向き合う様な形で座っている。

ある意味、ここはカフェなんかよりも話し合いには向いていると言える。まぁ、夏は暑いし、冬は寒いけど。

 つい、一時間ほど前に掛かってきた電話は雪ノ瀬さんの携帯電話の電話番号で開いてみると、同じ番号から何回も何回も電話が掛かってきたのが分かった。


「それで、雪ノ瀬さん。なんであんなに電話かけて来たんですか?」


 公園に着いてから今の今まで電話に出なかった事への言い訳しかしてなかったので、一段落した今、何故電話をかけて来たのかという事への話を聞くことにした。


「いやね、ちょっと聞きたいことが有ったから電話したんだけど、たった今無くなったから大丈夫」


 雪ノ瀬さんはいつの間にか缶コーヒーを何処からともなく取り出して口に着ける。身体が温まったのか、一旦口から外すとぷはー、とオヤジみたいなことをして今度は残りをちびちび飲み始めた。


「たった今無くなったってどういうことですか?」


 聞きたいことが有って大量に着信をされたのに、いつの間にか要件が無くなったとは何か釈然としない。


「まぁ、機密事項と言うわけでもないからいっか」


 独り言のように呟くとそのまま話を続けた。


「岸峰君は生まれてからこの十数年ずっとここで暮らしてるでしょ」


「はい、他の都道府県には行ったことはあるけど、暮らしたことはありません」


 俺は生まれてこの十数年他の土地では暮らしたことがない。さすがに、大学も自宅から通うつもりはないし、一人暮らしもしたいから別の土地で暮らすかもしれないけど、今はここでしか俺は住んだ事は無い。


「つまりこの市の土地についてはそれなりに詳しいと」


「そりゃあ、それなりには」


 何故か目の前にいる雪ノ瀬さんは缶コーヒーをちびちび飲みながら意味ありげに聞いてくる。


「だから、そんな岸峰君にこの市で一番高くて広い平面な土地は何処か聞こうと思って電話したけど、もうわかったから大丈夫」


 それはつまり、ここが一番広くて高い場所と言いたいのだろう。だが、ソレは違う。

 確かにこの公園は高い。丘の頂上に位置するこの辺りなんて四ノ原市を全てとまではいかなくてもそれなりには見渡せるし、星を見たいと思って夜にここに来れば星が一望できるが、ここは別に穴場ではない。この程度の事はここに半年も住めばいつの間にか入ってくる情報だ。

 だから、穴場が有るのだ。それなり以上の平面の広さを持ち、この自然公園よりもさらに高いところに位置する施設。夜、勝手に忍び込んで見つかったら警察には連れてかれるところが確かにあるのだ。


「それだったら俺の高校の方が広くて高いですよ」


「へっ」


 まぁ、一人だけで缶コーヒーを飲んだ仕返し程度にはなっただろう。





 この四ノ原市で高いで高いところと言うと自然公園を誰もが想像するが、一番高いところに建っている施設となると自然公園ではなく下原高校を誰もが想像する。

 丘の上に建つというよりも山の中に聳えるという方が合っていそうな高校。それが下原高校だ。

 そして、すべての学校にあるグラウンドも当然あるので、高くて広いところだと四ノ原市では間違がいなく一番だろう。


「だから、四ノ原市では一番高くて広い場所だと下原高校のグラウンドがそうですよ」


 雪ノ瀬さんはそのことを聞くと考えこみ始めた。

 一体何を考えているのか俺には分からないが、俺にできることは多分これくらいなのだろう。別になにも出来なことを卑下しているわけではない。人間には適材適所があり、役割分担があるのだ。だから、俺は出来ることしかしない。

 高望みはしない。

 自分を高く見積もらない。

 俺にできることなんて精々自分と他人一人分の事で精一杯なのだから。


「ありがとう岸峰君。これでやっと終わりが見えたわ」


 何の事か分からないが役には立てなのだろう。


「もうこんな時間。そろそろ帰るとしましょう」


 雪ノ瀬さんは近くに建てれている時計を見て、立ち上がった。俺もつられて時計を見ると時刻は午後五時半を超えていた。

 もうこんな時間なんだな。

 いつの間にか気づくと辺りはここに来た時以上に闇夜と化していた。空気の冷たさに身体が驚きつつ、出来るだけ身体を温めようと両腕を両手で擦りながら雪ノ瀬さんに続いて立ち上がる。


「おー、ここもやっぱり高いだけあって眺めはいいんだね」


 立ち上がり、空気の冷たさに身を縮こませていると雪ノ瀬さんは降りるための階段近くでスゲー、と言いながら缶コーヒーを飲んでいた。


「そこまですごいもんですか?」


 俺もここには何回も来たことはあるがそこまで驚くようなものでも無いだろうに。

 一歩一歩ゆっくりと雪ノ瀬さんの下に近寄る。


「……」


 言葉が出なかった。

 遥か彼方まで広がる闇。そしてそれを追うかのように溢れる人の営み。

 天には星がちりばめられている。大地には人工の光が闇夜を遥か彼方に追いやる。

 その光景はまさしく、ここが空と大地の境界線上と幻視させるほどだ。


「私達、と言うか私はある意味この光景のために今の仕事をやっているのよ」


 雪ノ瀬さんは思い出す様に語る。

 その眼差しは過去にあった大事なものを思い出すかのような儚げな眼をしながら彼方に思いを馳せている。


「もし、この景色が前見た時以上のモノだと感じたらこれから先は気を付けてね」


 それはまるで俺の心を読んだと思うほど正確に言い当てる。

 まさしく、その通りだ。俺はこの光景を前よりも価値あるものと認識してしまう。


「これ以上は自分の何かが壊れちゃうかもしれないから」


 その言葉をどういう意味で、どういう気持ちで言ったのかは俺には一生分からないだろう。

 俺も多分そちら側には入れないと思うから。

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