第4話


翌日、哲二の第一声は、「順平、昨日テレビ観たや?」だった。

おれは、気だるく感じながら、「観たよ。翔太のことやろ?」と返した。昨日は、あれから母さんと姉ちゃんが興奮して、うるさかった。


「なんや、珍しく情報の早かな。履䕃高校っていったら、野球の強豪校ばい。去年の夏は準優勝やったもんな。おい、あの翔太かわからんくて、ネットで一時間も調べ続けとったわ」


「ばかじゃねーの?」おれは、鼻を鳴らしながら、自転車に跨った。昨日、日陰に停めたお陰で、お尻は熱くなっていなかった。


「うっさか。でも、こいは、ビッグニュースぞ。はよ、誰かと語りたかー」


意気揚々と哲二は大声で言った。わくわくしているのが、全身から伝わってきた。

おれは、何がそんなに嬉しいのかわからず、黙々と自転車を漕いだ。もう別れてから四年半も経つというのに。


翔太との記憶は、中学三年間で薄れてしまっていた。


校門でタイミングよく慎太郎と智大と出くわした。早速哲二が翔太の話を始めた。

慎太郎と智大は小学校が違うから、翔太のことは知らない様子だった。

それでも哲二はお構い無しに話をしていた。慎太郎と智大も知り合いのことのように興奮気味に聞いていた。

おれは話に入るのが嫌で、三人を置いて駐輪場に向かった。裕也がちょうど自転車を停め終えたところだった。


「見たとやろ?」裕也が言った。

おれは、黙って頷いた。裕也がまだ何か言いたそうにしているのを察して、自転車の鍵をかけるためにしゃがんだ。


「ま、おいたちには関係なかけどな」


裕也がそう言い捨てて、その場を去った。走れば追いつくが、小さくなる裕也の後ろ姿を見ながら追う気も起きず、おれはゆっくりとグラウンドに向けて歩いた。


練習中も、哲二は意味もなく張り切っていた。

慎太郎と智大もすっかり感化されてしまっていた。声出していこーとか、もっと機敏に動けーとか、三人だけが盛り上がっていた。

ただでさえ強い日差しの中汗だくでいるのに、余計に暑さを感じて疲れた。


休憩時間に、勝がおれの隣に座った。


「翔太って、だれ?」


「小学校までこの島にいた、おいと哲二と裕也の同級生。甲子園で大阪の高校のピッチャーばしよって、昨日テレビに映ったっさ」


勝は、タオルで額の汗を拭いながら、そうなんだな、と頷いた。

反応が思ったよりも薄くて拍子抜けしたのと同時に、なぜか少しホッとした。



八月九日。甲子園が開幕して、五日目。登校日だったため、学校に行った。

案の定、おれたちの小学校出身の奴らの話題は、朝から翔太のことで持ちきりだった。

顔も名前も知らない長崎県代表の高校よりも、翔太のこと方がずっと身近で盛り上がれるらしい。


翔太と仲が良かったおれは何度か話を振られた。今でも連絡をとっているのか気にする声が多かった。

とってるわけないだろ、とイライラした。連絡先を教えてもらうどころか、別れすらまともにしていないというのに。


「あいつがこげん有名になるとは、だいも想像しとらんかったな。おいは、てっきり順平かと思っとったけん」


帰り道、哲二がボソッと言った。

哲二に悪気はない。わかってる。

でも、おれは無性に腹が立って、哲二の乗った自転車のタイヤを横から足蹴りした。

バランスを崩してよろける哲二を追い越して、おれは自転車の速度を上げた。


「わい、なんばすっとか!」


怒鳴り声にも焦燥にも似た声が背後から聞こえてきた。


生ぬるい風が周辺の木々を小さく揺らす。さーっと音が聞こえてくるくらい静かな夜だった。

辺りの店は午後五時には閉まって、車道を走る車もない。そもそも車道と言える道路があるわけでもない。

灯りといえば、自転車のライトと十メートルに一つある街灯と、たまに家から漏れる電気の灯りくらいだが、大抵はどの家も虫が入らないようにカーテンやブラインドを閉めてしまっている。


前方に人影が見えた。おれたちが来るのをまっていたかのように、立ち塞がる。

自転車のライトが顔を捉えた。


明里だった。


明里は野球部のマネージャーをしていて、中学の時はよく話していた。

しかし、高校でおれがサッカー部に入ったことで接点がなくなり、まともに顔を合わせるのは、中学野球部のお別れ会以来だった。

自転車から降りて「なんしよっと?」と声をかけた。

明里はおれの目をまっすぐに見つめてきた。


「ちょっと、いい?」


高校に入って、急に色っぽくなった。白い制服で盛り上がっているところに目がいきそうになるのを堪えた。中学のときは気にも留めない大きさだったのに。

そこで、ようやく哲二が追いついた。


「置いていくなよ」と、肩で息をしながら怒鳴って、明里に気づいた。「あれ、明里やん。どうしたとや?」


「哲二もおったんやね。まあ、いいや」明里は、そう言いながらも、まっすぐにおれを見た。「順平、あたし、翔太と会ったばい」


「は?どこで?」


「甲子園球場」


おれと哲二は顔を見合わせた。哲二が興奮気味に訊いた。


「野球部で?大阪まで?」


「甲子園球場は、兵庫ね。行ったとは、あたしだけ。お父さんに頼んで開会式に連れて行ってもらったと」


明里の親は、島にあるスーパーやディスカウントストア、薬局などのフランチャイズオーナーをしている。

詳しくは知らないけど、たぶんお金持ちだ。明里の家は丘の高台にあって、洋式の大きな家だった。小学生のときに遊びに行って、島に似つかない豪邸で感動した記憶がある。


「で?それがどうしたと?」


「別に大したことじゃなかとけどさ」明里はそう前置きして言った。「なんか、順平が野球ば続けとるとか気にしてたんよね」


ドキッとした。


悟られないように、おれは思い切り素っ気なく言った。


「へー。マジで大したことなかやん。おれ、腹減っとるけん、もう行くよ」


自転車に跨がろうとした。明里が「違うと」と食い下がってきた。「今はサッカーばしよるよって言ったとき、翔太が寂しそうな顔ばしたっさ。やけん、あたし気になったと」


「そがんこと言われても、おいだってわからんし。他に翔太はなんか言いよったわけ?」


語気が荒くなった。

明里が困ったような顔をして首を振った。


「それだけやけどさ」


「明里の思い違いさ。もう暗くなるけん、帰ろうで」


明里は、「うん」と納得しない表情のままおれたちと並んで歩いた。


「でも、翔太すごかよねー。あたし、あの翔太がまさかあんな速か球ば投げるとは思わんかった」


「おいも。考えられんよな」


明里と哲二が翔太の話題で盛り上がっている横で、おれはもやもやした気持ちでそれを聞いていた。

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