第3話

八月に入ってからも、猛暑は治ることを知らなかった。変わったことといえば、野球部が帰ってきて、また肩身の狭い思いをすることになったことぐらいだ。

野球部は準決勝で敗退して島へ戻ってきた。我が高校にとってここ数年で一番の快挙だった。


午後からの練習を終えて帰宅すると、玄関に見慣れない靴があった。黄色でヒールが高いサンダル。

母さんのじゃないよなぁ、と考えながらリビングに入ると、ソファに寝転んでテレビを観る姉ちゃんがいた。


「あー、順平おかえりー」


「姉ちゃん?なんでいんの?」


「だって、夏休みだもん」

姉ちゃんは、テーブルに広げたポテトチップスに手を伸ばしながら言った。


姉ちゃんは福岡の大学に通っていて、今、三年生だ。大学生の夏休みは長くて、毎年一ヶ月以上実家に滞在する。


おれは横からポテトチップスの袋に伸ばして口に入れた。うすしお味だった。

昔から、姉ちゃんはうすしお味派で、おれはコンソメ味派だった。

うすしお味も好きだけどさ、と自分を納得させながらまたポテトチップスを口に運んだ。


テレビでは、昨日開幕された甲子園の試合が行われていた。


「順平、野球部地区予選準決勝まで進んだとやろ?すごかね」


「うん、おいには関係なかけど」


おれはポテトチップスを噛んだ。わざとボリボリと大きな音を立てた。

姉ちゃんは、なんとなく察したのか、興味をおれから手の中のスマホに移した。


しばらく黙々と二人でポテチを食べ進めた。

やっぱり、コンソメ味だよなぁ。


「菜々子も順平も、ご飯食べられんくなるけん、お菓子食べすぎんでよ」母さんが台所から叫んだ。


「はーい」と言いながら食べる手を止めないのは、お決まりだった。



姉ちゃんがいると、ご飯の間でもテレビがついていた。おれも母さんもテレビを観る方じゃないから、久しぶりにご飯の時間にいつもはしない音があった。


「で、菜々子、あんた来年就活やろ?どがんすっと?」


「うーん。なんも決めとらん」


姉ちゃんは、おかずのひじきの煮物を口に入れて、「うまい」と小さな声で言った。


「やっぱり、公務員がよかとじゃなかと?安定しとるし、女の子やし」


「いやいや、公務員だけはないでしょ。てか、私地元に帰ってくる気なかし。自分の進路くらい自分で考えるけん。お母さんは口出しせんで」


姉ちゃんは、冷たく言い放つと、テレビに視線を移した。テレビでは、今日行われた試合のハイライトがあっていた。


母さんは、まったくもう、と不満げにご飯を口に運んでいた。

おれは、飛び火が来ませんように、とテレビに集中するフリをした。


テレビに映る高校男児が、自分と同年代とは思えず、すごく遠い存在に見えた。

甲子園は、野球をやっている人にとっては夢の舞台だ。おれだって、思い描いたことがある。中学三年生の春までは、本気で目指していた。


「あ、この子すごかった子だ」姉ちゃんがテレビに向かって独り言を言った。


おれの意識がテレビに戻った。

ちょうど、ピッチャーが球を投げたところだった。


『大阪 履蔭高校 須田、今大会最速一五五キロを記録しました』

実況とともに、カメラがピッチャーの姿を捉えた。


え?


おれは、テレビの前に移動した。前のめりになって、顔を見た。


「ちょっと、順平、見えんからどけて」


姉ちゃんの怒った声がしたけど、体がテレビに張り付いて動かなかった。


ピッチャーは帽子を深く被っていて、顔がよく見えない。なんとかはっきりと顔を見ようとしている間に、次の試合のハイライトに移ってしまった。


「姉ちゃん、今の選手知っとっと?」


「知っとるっていうか、今日試合見てすごいなって思っただけ」


「下の名前は?なんて言うか覚えとる?」


「はあ?ちょっと待って」姉ちゃんはスマホで検索を始めた。早くして、と急かしたくなるほど、その間が長く感じた。


「えっとね、履蔭高校 須田翔太くんみたいね」


体が熱くなるのがわかった。動悸が激しくなる。



おれの、頭に浮かんだ名前と一致した。



「ん?菜々子、顔見せて」


母さんが首をかしげながら、姉ちゃんのスマホを受け取った。


「あら、やっぱり。この子、翔太くんよね?小学校のときにおった」


母さんが、おれにスマホの画像を見せた。

画面には、ユニフォームを着て凛々しい顔をした翔太の姿が写っていた。

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